第27話 兄、現る

文字数 2,392文字

 (たまき)は、土曜日の休みを利用してほぼ一週間ぶりにしなのの入院している病院へと向かった。
娘が来てくれたから、しばらくは来なくていいと連絡が来ていたのだ。
ナースステーションに焼き菓子を差し入れてから、エレベーターを上がって3階の一番奥の部屋に向かった。
今日行くとあらかじめ連絡していた。
(たまき)女性が入院中に連絡もせずのこのこと見舞いにやってくるようなタイプの人間は男女共に嫌いだった。
そういうタイプの人間は、突然来たのは気を遣わせると思ってわざと連絡をしないで来た・・と大抵言うのだ。
入院中の女性のところに、気を遣わせると思ったから、連絡をしないで来る事が軽犯罪に近いとなぜ分からないのだろう。
ノックをすると、はいと声がした。
「こんにちは、しなのさん・・・」
見知らぬ男が立っていた。
娘さんの旦那様だろうか。
自分を見て、彼は親しげに手を上げた。
「いっちゃん、こんにちは。ありがとうね。一三(かずみ)さんが、丁度お見舞いに来てくれたの」
・・・ああ、高久(たかく)の、兄か。
土曜だというのにスーツを着て、仕事の途中だろうか。
神経質そうなシルバーの眼鏡フレーム。
う、苦手かも・・・。
(たまき)は思ったが、コンタクト着用以前は(たまき)の愛用していたべっ甲デザインのメガネのフレームは、彼にも大分嫌われるだろう。
高久(たかく)の体になっていいことは、目が良いことだ。
メガネからもコンタクトレンズからも解放され、目が覚めて全てがハッキリと見えることがこんなに快適だったなんて、すっかり忘れていた。
兄は大量のフルーツとケーキと見舞金を持参したらしい。
この大量の果物を、入院している女性にどうしろっていうんだ。
喉まで出かかった言葉をもう一度呑み下した。
「お久しぶりです、お兄さん」
「え・・・?あ、ハイ」
「しなのさん、体調はいかがですか」
「毎日、リハビリをしてるのよ。最近じゃ、動けるようになったら寝ていないで動きなさいってことなんですって」
「ベッドで過ごすだけになると、今度は足腰が弱っちゃいますもんね」
「これ。お佃煮とお漬物です。冷蔵庫入れておきますね」
甘い物やつまめるものも少し入れておこうと、飴と小さいあられとプリンを持ってきた。
「まあ、ありがとう。病院のお食事って、健康的だから、味が薄くって・・・」
以前持ってきた加湿器も、問題なく動いているようだ。
「サイズが合うといいんですけど・・・」
カーディガンを買ってきた。
「まあ。ちょっと大きめで、とてもいい。きれいな色ねぇ」
黄緑色のカーディガンは胸に小鳥の刺繍がしてある。
病院にいると気分が暗くなるだろうと、明るめの色にしてみた。
ちょっとした世間話と、普段ちゃんと食べていることを伝えると、しなのは安心して微笑んだ。
「よかったわ。・・・一三(かずみ)さん、いっちゃん、最近すっごくしっかりしちゃって。びっくりなのよ」
「みたいですね・・・」
兄は驚いたというより、気味が悪いというようにこちらを見ている。
スマホにメールが入ったようだ。
急ぎの用件のようだった。
「・・・久々に会えてよかったよ」
彼は、じゃあ、失礼します。と言うと、部屋を出て行った。
「あいかわらずお忙しいみたいね、一三(かずみ)さん」
しなのは心配そうにそう言った。
「ちゃんと召し上がってないみたい。少しお痩せになったものね・・・」
「そうなんですか・・・じゃない。そうですね」
「いっちゃんは、つやつやしてるわ。良かった」
心からほっとしたようにしなのは笑った。

 やっぱりね、と(たまき)はフルーツ籠を抱えてエレベーターを降りた。
内臓疾患ではないのだから特定の食べ物を禁止されているわけでもない。
だが、ケーキ1ダースと、メロンと爆弾みたいなでんすけスイカまで入ったフルーツバスケットを、初老の女性一人にどうしろというのだ。
しなのは、ありがたく1つづついただくわ、と、いちごのケーキと、好物だという桃をひとつだけ彼女は大事そうに冷蔵庫にしまっていた。
ケーキは、夜勤の介護士さんと看護師さんで召し上がってください。と持って行き喜ばれたが。果物は困ると言われた。
そうだろうな・・・。
「ま、こんないい果物、自分じゃ買えないもんなあ。家で食べて、高久(たかく)にもあげようっと。千疋屋(せんびきや)かあー・・・」
これでいくらぐらいするのだろう。
果物の名産地育ちなので、子供の頃から果物は無造作に食べて来たが、こんなにぴかぴかしたフルーツは初めて見る。
中に、故郷の県名のシールがついた洋梨を見つけて、お前出世したねえ、垢抜けちゃって。尊敬しちゃう、と声をかけた。
黄色いリボンまでつけられている。
あたりはもう暗くなっていた。
外に出て、地下鉄の駅に向かおうとした時、声をかけられた。
「いそ!」
「うわあっ!?」
車がすぐそばにいたらしい。
暗がりのライトをつけていない黒いプリウスなんて、手練(てだれ)の暗殺者並みに気がつかない。
「な、なんだよ・・・」
逆にびっくりした一三(かずみ)がぎょとして弟を見た。
「とりあえず乗れよ。電車より早い」
環はちょっと迷ったが、彼が果物籠に気づいた様子に、覚悟を決めた。
すばやく助手席に乗り込む。
「夕方、早めのライト点灯!」
「あ、はい・・・」
一三はライトをつけた。ちらりと果物籠を見た。
「しなのさん、たくさんあるから、食べきれないからって・・・。嬉しかったって言ってた。桃が大好きだから桃だけもらうって。嫌だったとかじゃないからね」
「あ、そっか。よかった」
ほっとしたように彼はそう言った。      
気がかりだったことを確認しなくては。
「・・・あのさ。心臓の検診って・・・」
「そうだ。お前、嫌だって大暴れして伸ばし伸ばしにしててもう半年過ぎてるだろ?万が一の事を考えたら早めに行った方がいい。また送って行くから」
「・・・うん。ありがとう・・・」
弟思いの兄のようだ。
良かった。なんだかんだと、仲の良い家族であるのだ。
(たまき)はほっとした。
なんだか、疲れたなあ。
まだ少し聞きたいことがあったのだが、不覚にも眠ってしまった。
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登場人物紹介

◇ 金沢 環 《かなざわ たまき》


私立旭鷲山学園《しりつきょくしゅうざんがくえん》の、養護教諭。

いわゆる保健のおばちゃんながら、人手不足の為に担任も持たされている。

日々、クラスの男子高生に手を焼いている。

世間に疲れ始めた30代前半。


既婚。夫は警察官。

都内の夫の実家で夫の母と別世帯の二世帯同居。

◇ 高久 五十六 《たかく いそろく》


私立旭鷲山学園《しりつきょくしゅうざんがくえん》の高校2年生。

態度が悪いが、父親が大手商社のCEOで、大口寄付をしている為、学校側に忖度《そんたく》されて野放し。

5月16日生まれなのが名前の由来。

ブランドモノを好むが服のセンスは悪い。


父と兄がいる。

◇金沢 諒太 《かなざわ りょうた》


環の夫。警察官。

激務で不在がち。

◇ 一ノ瀬 紫《いちのせ ゆかり》


私立旭鷲山学園の音楽教師。

吹奏楽部顧問。

音大出身で、学園長の姪。


環の同僚。

環の事は好きなタイプではないので、あまり積極的に関わっていない。

同性の友人が少ないタイプ。

◇ 白鳥  学  《しらとり  まなぶ》


私立旭鷲山学園 二学年の学年主任。数学担当。

教頭候補。

進学特進クラスの担任。


親の七光くクラスと揶揄される、環《たまき》のクラスの生徒をよく思っていない。

◇ 一ノ瀬 幸太郎 《いちのせ こうたろう》

私立旭鷲山学園《しりつきょくしゅうざんこうこう》の学園長。


紫《ゆかり》の叔父。

◇  高久 一三 《たかく かずみ》


五十六《いそろく》の兄。

家業の高久商事に勤務して居るが、就職以来、度重なる転勤と出張の生活。

実家にはあまり寄り付かずに、本社の近くにマンションも所有して居るが、そもそも転勤ばかりしている為にそこにも居付けない。

名前の由来は一月三日生まれ。

◇ 高久 九十九 《たかく つくも》


高久商事のCEO。

一三《かずみ》と五十六《いそろく》の父親。

出張が多く、不在がち。

まだ学生の五十六《いそろく》の事は、家政婦のしなのに任せて居る。


早くに結婚したが離婚。

九月十九日生まれが名前の由来。

◇ 青柳 倫敦 《あおやぎ ともあつ》


海天堂病院の心臓外科医。

五十六《いそろく》が子供の時からの主治医の一人。


伝説のゴットハンド ドクター 鬼首 静香《おにこうべ しずか》 通称鬼の静香《おにのしずか》女史の弟子。

◇ 三条 昭和 《さんじょう あきかず》


美容師。

紫《ゆかり》が長年通って居るサロンのオーナー。

通称アキラ。

異性交友関係が派手。

◇ 毘沙門天  《びしゃもんてん》


仏神であり、天部四天王。

五穀豊穣や家内安全等の信仰を担う七福神の一人でもある。

激務の為、しばし休憩しようとした場所で、環《たまき》と五十六《いそろく》と出会い、手違いを起こす。

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