第34話 説得は無理な人
文字数 4,499文字
いつもの夕食の材料の買い物もそこそこに、慌ただしく門扉を開けた。
ならば、
在宅というかはわからないが。
それまで、あと二週間ばかり。
最初は
台所に食材を持って向かうと、ちょうどコーヒーを入れていた
「お。いそ、おかえりー。今日は何だ?」
「・・・ただいま。・・・スーパーで、茄子のいいのがあったから、秋野菜と鶏団子で蒸し物と、あと春巻にします」
「お。いいねえー。日本酒もいいけど、春巻ならビール買ってこようかなー」
呑気にそう言う
「・・・お兄さん・・・あの・・・」
真面目な顔で迫られて、少し圧倒された
「なんだよ・・・。あ、冷蔵庫にあったパンの耳の揚げたやつ、食っちまったからな」
サンドイッチを作るのに食パンの耳を落としたものを取っておいたものを昨日唐揚げの前に揚げたのだ。自分のおやつにしようとは思っていたが・・・。
もうそれどころじゃない。
「別にいいです・・・あの、金沢先生のことなんだけど・・・」
そう言うと、ぽっと
これは、ヤバいかもしれないと、直感した。
「・・・あのね、知ってるんだと思うけど、金沢先生は既婚者でね・・・」
「だからあー。それは何回もお前に聞いたってー」
「・・・だよねえ。・・・うん、知ってんだよねえ・・・」
では、
「
自分で言ってて恥ずかしいが。
「・・・そうだな。そういうのもあるかもしれないな」
シルバーのメガネを直しながら彼は呟いた。
やっぱりそうなのか。そういうジャンル分けなのだろうか。
「そうだな。弟が大変世話になったわけだし、感謝もしているし、尊敬もしている」
「そ、尊敬って・・・。・・・そこまでじゃない・・・困りますぅ・・・」
尊敬っていうのは、よく受験で、両親ですとか言うが・・・それこそご両親とか、マザーテレサとか、ガンジーとか、野口英世とか、そういう・・・。自分がそんな・・・。
そういうのは。偉人的に使う形容詞であって・・・。
「いや、そういうのは大事だぞ。尊敬のない愛など、ただの興味。性の対象でしかない」
「・・・はあ?」
何言った?このメガネ、今何言った?
「まあ座りなさい。いそ。お前にも、そういう大人のきちんとした話をそろそろした方がいいのかもしれないな」
呆然としたまま
「いいかい。
この先どころか、このバカ、ついこないだ、お互い体目当てで教師と付き合って、フラれて追いすがって病気まで貰ったんじゃないかって大変だったんですよ・・・。
「その時に、お互い尊敬の気持ちがなければ、うまくはいかないんだ、残念だけど」
「・・・なるほど・・・ああ、確かに・・・」
尊敬が無かったからか・・・。
でも、尊敬が、すべての男女の間にあるだろうか。
例えば、うちとか・・・。
そもそも、自分たちはうまくいっているのだろうか。
意外なことに、
そりゃいわゆるラブラブではないが、こんなもんだろうと。
しかし、よくよく考えてみると、破綻こそしていないけれど、お互いにあまり尊敬どころか興味が無いのでは・・・。
では、果たして尊敬とは、何?
環の頭の中で、疑問は何度も繰り返される。
「
「・・・どう、なんでしょうか・・・?愛情はあると思います。ただ、尊敬となると・・・」
つい、
「・・・それは果たして、愛情なのかなあ」
「・・・え・・・?」
顔を上げると、
「執着じゃないのかな・・・・。それも、相手ではなく、自分に対する執着」
「え・・・?」
・・・この人、何言ってんの・・・?
「もしそうなんだとしたら、不幸じゃないか」
「・・・と、というと・・・?」
「うん。不幸を手放して、尊敬し合える配偶者と新たに幸福な関係を築く、ということだな。いそにはちょっと難しいかな。つまり、今の夫と離婚して、俺と再婚するってことだな、平たく言うと」
「えええええっ?!何でそうなるんですか?!ダメでしょう?!」
「なんでダメ?!」
「なんでって・・・。ダメでしょうよ。だいたい、あなた、私、じゃない、先生の何を知ってるっていうんですか?」
「これから知ればいいよ。そう言うお前は知ってるのか?」
「そりゃ、・・・ある程度は・・・・」
ふうん、とつまらなさそうに
「じゃ、聞くけど。環先生の旧姓は?」
「
だから子供の時からずっとニラタマというあだ名だったのだ。
小学生のおさげの自分は自分の姓を呪ったが、今では夫の姓のおかげてもっと不名誉なあだ名をつけられている。
「誕生日は?」
「8月1日です」
「趣味と特技は?」
「フクロウグッズ集め。特技と言えるかわからないけど、クロスワードパズルとか得意です。あ、学生の時、テニス部と華道部と茶道部だったから、一通りは・・・」
「ふうん。そうなんだ」
「好きな食べ物は?ケーキと?」
「え?まあ、ケーキも好きですけど・・・。辛いものと、甘い物と、酸っぱいものと・・・粉モノも好きです」
あまり好き嫌いは無い方だ。
「・・・なんかさあ。前から思ってたんだけど。随分、詳しいよな?」
「えぇ?」
つい誘導尋問に乗せられて、いろいろ答えてしまった。まずかったか。
「・・・そんなことないです」
「いや。詳しい。・・・前々からちょっと変だと思ってたんだ。もしかして、お前。・・・
ズバリと言われて、血圧が一気に下がった。
・・・ばれた・・・?
しまった。喋りすぎた。
いつからばれていたのか・・・。
考えてみれば、兄弟だもの。
違和感を感じて、当たり前だ。
もしかして、この人、霊感とかそういうのがあって、自分の姿が見えていたりとかするのかもしれない。
説明しなくてはならない。
「・・・あの、お兄さん・・・」
どう言えばいいのか。
ありのままを伝えて、そして、あんた教師だろう、何やってんだと言われたら、返す言葉がないけれど。
やっぱり、という顔をして、
「・・・おかしいと思っていたんだ。・・・よりにもよって・・・・」
「あの・・・本当に、何と申し上げたら・・・」
もういい、と
「あの、でも、私と致しましては・・・」
最善の方法を探っている最中で・・・。
「もういい。いそ、横恋慕はいけない」
真剣な顔で
「・・・・はい?」
「毎日顔を合わせて、そしていろいろと相談に乗って頂いた先生に、お前がほのかな恋心を抱いたとしても、俺は責められない。だけどいそ、ここは兄ちゃんの為に堪えてくれ」
・・・・どうしてこの人は、自分の想像の斜め上を行く思考の持ち主なのだろう。
「いやいやいや、そんなつもりないから・・・・。だいたい、好みが全然違うし・・・」
地味で倦怠感だだ漏れの自分は、彼のバッティングゾーンからは大きく外れる。
「本当だな?!
肩を掴まれてがくがくと揺らされた。
脳貧血になりそうだ。
「・・・いやいや、だからねえ・・・。それはないでしょうって・・・。・・・話聞いて、理解して・・・」
どっと疲れる。
ああ、この人の同僚は大変だろうなあ・・・・。
困惑しても、親が経営者だもの、誰も文句も言えないし。
自分のマイペースさを自覚しないまま、そのまま大人になっちゃったんだなあ・・・。
「・・・お兄さん。あのね、別にさ、
「二十四、五?そりゃいるだろ。新卒二年目、三年目あたりだな」
「言っちゃなんだけど、環先生は、おばちゃんだからね。一般の、世の三十代女性以上に、おばちゃんなの。あのー、お兄さんの会社にいる三十歳のOLさんとかは、きっと、手間暇かけてきれいにしてらっしゃるから、同じようなものだと思ってるかもしれないけど・・・」
大手商社のOLなんて、
女子力もはるかに高いのだろう。
「お兄さん、きっと、就職してから、ずっと転勤と出張を続けてるから、タイミング逃しただけで・・・」
親戚のおばちゃんからよく聞く。
息子が大手メーカーさんとかで、転勤を繰り返しているうちに婚期を逃してしまったと。
だが、婚活パーティー等の出会いをきっかけに、結婚する率が高いと。
お互い結婚したいと思っているのだから、いい縁があれば、話は早いのだろう。
環のそんな
「・・・
「・・・はあ?・・・まあ、なんとなく?」
友達の結婚式で出会い、その二ヶ月後、親戚の葬式でも会ったのだ。
偶然は重なるものだと縁を感じ、連絡先を交換し、何となく付き合うようになって結婚した。
「なんとなく、交際し、なんとなく結婚した?」
「言っちゃえば、そうなりますかねぇ。いやでも、そう言う場所で会うの重なるって珍しくないですか?」
当時、特に、お互い結婚しない理由もなくて。
トントンと話が進んでしまったのだ。
「いそ。兄ちゃんは、そんな、なんとなく婚を受け入れる理由がない。よし。まずは、俺の気持ちが真剣なんだと知ってもらう為に、メール・・・いやいや、失礼だな。文章でファックスでも・・・」
「既婚者の自宅に、そんなファックス送るバカがどこにいるんですか・・・」
「・・そっか。やっぱり直接申し上げ、時間をかけて、誠意を伝えるべきだな」