第118話 桜花。【とりあえずの後編】
文字数 6,034文字
成瀬川るるせ・著『百瀬探偵結社綺譚』手折れ、六道に至りしその徒花を【第六話】より抜粋
「僕がここで語った復古神道の話は昔からある〈神社18系統〉と呼ばれるものではなく、〈教派神道13派(と、そこからもこぼれ落ちる派閥)〉の、新興宗教を念頭に置いているぜ」
なお、6世紀百済から伝来した仏教を天皇家は丁未の乱(ていびのらん)ののち、信仰することになってるぜ。
〈記紀〉は、氏族の主観的な歴史を排除し、口伝ではなく、大陸などに向けても二十四史のような正統な〈正史〉(紀伝体の本)が必要とされたのでつくったのだぜ(Wiki的には紀伝体風という位置づけだぜぇ)。よって、それを日本のドグマとして考えるのは本流ではないけど、岩倉は利用したし、教派神道などは記紀をドグマとして捉えるのが普通だぜ。
日本には、血縁主義であった氏神信仰と、地縁主義であった産土神への信仰がある。
両者はくっついてしまったし、現在は引っ越しなどにより、産土神と鎮守神が別、というのも一般的になっている。
血縁主義は、ある意味では難しい。こうなってくると、伝統、トラディショナルなものは、地縁主義が担うことになる。氏神が自分の祖先神でなくても、「産土神と化した氏神」の、氏子に入って、地元のコミュニティに加入する、などが増えるだろう。
ただ、産土神と言った場合、「生まれた場所」のことと、その神を指すのだから、生誕地を、生まれ育った町のことを、考えながら過ごすことになるのだ。都会のひとは特に、望郷の念がありつつ、田舎には住みたくない、となるひとが多いので、住んでる町の〈地縁〉と、〈産土〉の両方を考えるだろう。田舎に住むにしても、地元コミュニティに所属することが必要だし。
成瀬川るるせ・著『成瀬川るるせ短編手帖』第65話 血縁主義と地縁主義より