【補遺】ピカレスクの華を(上)
文字数 2,660文字
前回、三話にわたって続いた『アンチ・ヒーローよ語れ、ピカレスクの華を』なんだけど。あのお話があまりにも焦点がぼやけすぎて内容的にもガバガバだったので、補遺の意味合いも込めて、その反省会を行うことにしたの!
ちづちづが中学生なのにボンテージファッションに身を包んでいるのも、いつの間にか説教部屋に連れてこられたのも、興奮しつつも若干、不本意ではあるのですが。……とりあえず、気を取り直して、話をひとつひとつ補遺というかたちでプレイバックしていくのです。
一方、キャラクターが『主』で、ストーリーが『従』のつくりかたの場合は、ストーリーが存在しなくても、人物は〈自律的〉に存在する。そこに必然性はなく、人物と人物がやりとりをしているだけ、というのもあり得るつくりかたになる。
マンガで言えば、背景が真っ白でなにも描かれていない状態でも、キャラクターだけが書き込まれていさえすれば、どこでどういう状態なのかは不明なままでも、キャラクターは互いにやり取りをして、自律的に存在してストーリーを〈駆動〉させることができる。
出版社主導で呼び方ができるのには伝統があって、古くは『無頼派三羽鴉』ね。太宰、坂口、オダサクの三人を売り出すためにつくられた言葉だとされているわ。平成を過ぎてからだと『J文学』ね。わたしの師匠は『J文学』を『ビジュアル系』と呼んでいたわ。純文学寄りなのにポップなのが醍醐味だっていう感じのものね。
それと同様に、『キャラ文芸』というのがあるのです。おそらくはメディアミックスを半ば視野に入れた売り方をしているものだと言えそうなのです。基本はWeb小説やWeb出身の作家の作品であることが多いのです。ラノベ風の装いをしているのですが、想定読者層は違うことが多いのです。
前回話したライトノベルを読んで育った層が大人になってから読むのを想定してつくられる作品群。それを暫定的に『キャラ小説』と呼んでみたけれども。でも、それは『キャラ文芸』とイコールではないのよね。そういう大人向けラノベは、ラノベレーベルが〈レーベルごとに〉新たなレーベルをつくっているの。
ところが前回、プロタゴニストと対置するかたちで「ヒーロー/ヒロイン」という言葉を使ったのです。この「ヒーロー/ヒロイン」は、現代のプロタゴニスト〈的〉な「あり方」をする主人公と、物語文学〈的〉な「あり方」をする主人公との対置で使ったのです。
そこに齟齬が生まれてしまったわよね。古代ギリシャ劇は、悲劇・喜劇・サトュロス劇の三つのジャンルがある劇で、神々に捧げられる劇という特性上、前回の「あり方」での分類とは全く種類が違っていて、ここでいうプロタゴニストっていうのは、もっとフラットな意味合いでのプロタゴニスト、と呼んだほうがいいものだったわけ。
そもそも年代が紀元前の話なのです。現代の話とは違うのです。そこがごちゃごちゃになったうえに、近代文学以前と近代文学以降の話がどーのこーの、と語ってしまったため、さらに誤解を招くことになってしまったのです。
そう。そして、近代文学のはじめ、の話ね。前回はセルバンテスの話をしたけど、日本の近代文学の始まりの話は、また別にある、ということを語っておくべきだった。こうやって語ると当たり前に思うかもしれないけど、前回の話の流れを追うと、まるでいっぺんに全部が変わったみたいに読めてしまう可能性があった。
次回へつづく!