【補遺】ピカレスクの華を(上)

文字数 2,660文字

さぁ、みんな! 愛の説教部屋が始まるよー♡
な、なんなのです? いきなり?
お黙りなさい!(ビシャッと手に持った鞭で床を叩く)
ひぃっ!(びっくりして飛び上がる)
なにこれ、どういうことなの、ちづちづ?
だーかーらー、愛の説教部屋だよっ!(ニッコリと微笑む)
愛の説教部屋って、なんの説教が行われるのです?
うん。あのね。
前回、三話にわたって続いた『アンチ・ヒーローよ語れ、ピカレスクの華を』なんだけど。あのお話があまりにも焦点がぼやけすぎて内容的にもガバガバだったので、補遺の意味合いも込めて、その反省会を行うことにしたの!
えー?
お黙り、このマゾ豚!(鞭で床を叩く)
ひぃー! わかった、わかったのです、ちづちづ。確かに誤解を招く表現ばかりというか、言葉足らずで超絶わかりづらかったのは認めるのですよ。ボクだって気になってはいたのです。
理科がエンタメな小説をクリエイトできないのはボクの責任もあるのです。「書けばわかるだろ」は、アンフェアだったのですよ。「書き込みが甘い」のですね?
そういうことだよ?(微笑みながら、床に鞭を打ち付ける)
……と、いうことで。
なーにが、「と、いうことで」よ。
黙らっしゃい!(鞭を打ち付ける)
ひぃっ!
ちづちづが中学生なのにボンテージファッションに身を包んでいるのも、いつの間にか説教部屋に連れてこられたのも、興奮しつつも若干、不本意ではあるのですが。……とりあえず、気を取り直して、話をひとつひとつ補遺というかたちでプレイバックしていくのです。
うぅ、なんでこんなことに。
さて。まずは「キャラ造型がなっていない」という話からなのですね。
「キャラクター/キャラ」、わたしの師匠風に言い直すなら「登場人物/キャラクター」の二項対立の話ね。
これはなんの断りもなく始まってしまったのですが、『キャラクター論』と呼ばれるやつなのですよ。
人物の描き方の話になってたですよね。でも、その前に、キャラクター論と対比するかたちで、『ストーリー論』があって、その切り口からも、人物の描き方を照射することができるのです。
「登場人物/キャラクター」に対して、その前の段階で「キャラクター論/ストーリー論」の二項対立がある、ということね。
その通りなのです。キャラクター論における人物の描き方の違いは、前回話した通りなのです。
ですが、審級を上げて、「キャラクター論/ストーリー論」での、人物の取り扱い方の違い、というのがあるのです。
そうね。キャラクターよりストーリーを重視する作品のつくりかたの場合は、ストーリーが『主』で、人物が『従』となる。
言い換えれば、「ストーリーが先にありき」で、ストーリーの要請によって、人物が作者によって生み出される。逆を言えば、ストーリーがないところには、必然性がないために、そこにその人物は存在しない。
一方、キャラクターが『主』で、ストーリーが『従』のつくりかたの場合は、ストーリーが存在しなくても、人物は〈自律的〉に存在する。そこに必然性はなく、人物と人物がやりとりをしているだけ、というのもあり得るつくりかたになる。
マンガで言えば、背景が真っ白でなにも描かれていない状態でも、キャラクターだけが書き込まれていさえすれば、どこでどういう状態なのかは不明なままでも、キャラクターは互いにやり取りをして、自律的に存在してストーリーを〈駆動〉させることができる。
つまりは、そういうことね。その審級があって、その下位に、キャラクターをどう定義するか、の話があるの。
はい。次ィ!(鞭を床に打ち付ける)
ツッコミを入れるなら次は『キャラ小説』という言葉なのです。
確かに。これはいかがなものか、と思うわよね。
出版社主導で『キャラ文芸』って呼んでるのがあるのです。
出版社主導で呼び方ができるのには伝統があって、古くは『無頼派三羽鴉』ね。太宰、坂口、オダサクの三人を売り出すためにつくられた言葉だとされているわ。平成を過ぎてからだと『J文学』ね。わたしの師匠は『J文学』を『ビジュアル系』と呼んでいたわ。純文学寄りなのにポップなのが醍醐味だっていう感じのものね。
それと同様に、『キャラ文芸』というのがあるのです。おそらくはメディアミックスを半ば視野に入れた売り方をしているものだと言えそうなのです。基本はWeb小説やWeb出身の作家の作品であることが多いのです。ラノベ風の装いをしているのですが、想定読者層は違うことが多いのです。
前回話したライトノベルを読んで育った層が大人になってから読むのを想定してつくられる作品群。それを暫定的に『キャラ小説』と呼んでみたけれども。でも、それは『キャラ文芸』とイコールではないのよね。そういう大人向けラノベは、ラノベレーベルが〈レーベルごとに〉新たなレーベルをつくっているの。
はい、次! 一番大切なやつをお願いねっ!
わかったのです……。
主人公のことをプロタゴニスト、と紹介したのです。プロタゴニストは現代でも使われる言葉ですが、起源は古代ギリシャ劇において、なのです。
ところが前回、プロタゴニストと対置するかたちで「ヒーロー/ヒロイン」という言葉を使ったのです。この「ヒーロー/ヒロイン」は、現代のプロタゴニスト〈的〉な「あり方」をする主人公と、物語文学〈的〉な「あり方」をする主人公との対置で使ったのです。
そこに齟齬が生まれてしまったわよね。古代ギリシャ劇は、悲劇・喜劇・サトュロス劇の三つのジャンルがある劇で、神々に捧げられる劇という特性上、前回の「あり方」での分類とは全く種類が違っていて、ここでいうプロタゴニストっていうのは、もっとフラットな意味合いでのプロタゴニスト、と呼んだほうがいいものだったわけ。
そもそも年代が紀元前の話なのです。現代の話とは違うのです。そこがごちゃごちゃになったうえに、近代文学以前と近代文学以降の話がどーのこーの、と語ってしまったため、さらに誤解を招くことになってしまったのです。
そう。そして、近代文学のはじめ、の話ね。前回はセルバンテスの話をしたけど、日本の近代文学の始まりの話は、また別にある、ということを語っておくべきだった。こうやって語ると当たり前に思うかもしれないけど、前回の話の流れを追うと、まるでいっぺんに全部が変わったみたいに読めてしまう可能性があった。
はい! ここでタイム! コーヒータイムのお時間! 次回はこの国の近代文学の始まりのお話から、誤解を解いていこうね、お姉ちゃん♡ それとみっしーも♡
ひぃー!
     次回へつづく!
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登場人物紹介

【田山理科】

 主人公にして家主。妹のちづちづと知らない町に引っ越し、二人で暮らしを始めたが、ちづちづがどこからか拾ってきた少女・みっしーも同居することに。趣味は絵を描くこと。ペインティングナイフを武器にする。

【みっしー】

 死神少女。十王庁からやってきた。土地勘がないため力尽きそうなところをちづちづに拾われて、そのまま居候することに。大鎌(ハネムーン・スライサー)を武器に、縁切りを司る仕事をしていた死神である。

【ちづちづ】

 理科の妹。背が低く、小学生と間違われるが、中学生である。お姉ちゃん大好きっ娘。いつもおどおどしているが、気の強い一面をときたま見せる。みっしーとは友達感覚。

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