探偵ボードレールと病める花々【第七話】

文字数 1,484文字

今回はボードレールの悪魔主義について、二、三、言及していくわよ。
ボードレールの態度自体が、きまじめでありながら滑稽という二重性を持ってしまう。ボードレール自身が〈滑稽(イロニー)〉と呼んだそれは痛切な祈りでもあり、同時にパロディであり演技である、ということである、ってことを前に話したわね。
「繰り返すが、この『書物』はその全体において判断されるべきである。神をけがす言葉に対しては、私は天国への憧れを対置するであろうし、わいせつな箇所に対してはプラトニックな花々を対置するであろう。およそ詩というものが始まって以来、あらゆる詩集はみなこのようにつくられている。しかし『悪のうちにある精神の動揺』を表現するための書物を、ほかのやり方でまとめることは不可能だったのだ」……と、いう覚書を残してもいる。
今日はその、〈悪〉の側のお話ね。短くまとめましょう、みっしー。
仕方ないですねぇ。
ボードレールの『アベルとカイン』という詩は、「叛逆(レヴォルト)」と題されたチクルスにはいっているのです。
「チクルス」とは、特定の作曲家の作品を連続して演奏する音楽会、を指すわ。そこから転じて、ってわけね。
『アベルとカイン』を構成する三つの詩は、涜神的基調を保っているのです。
ボードレールの悪魔主義……サタニズムは、あまり重要視されてはならない、とベンヤミンは言うのです。サタニズムに幾分かの意味があるのは、ボードレールにノンコンフォーミスティックな姿勢を持続させることのできた、唯一の態度としてなのです。
「ノンコンフォーミスティック」の「ノンコンフォーミズム」っていうのは、教会の儀礼や規律に服従を拒否したプロテスタント諸派の主義のことを指すわ。信仰・良心の自由、結社・団結の自由、教会と国家との分離を主張し実践した。一般の職業、学会から拒否されたために、科学者、技術者、商人などになる者が多く、自分たちの大学をつくって、より自由な教育を開拓した、とされるわね。
『叛乱』のチクルスの最後の詩、『サタンの連祷』は、神学的内容からすれば、蛇崇拝の祭式の「主よ、憐れみ給え」をなす。サタンはルーツィファ(光明をもたらすもの=金星=魔王)として光耀を帯びて出現するのです。
光耀を帯びて出現する……かぁ。
そうなのです。この呼びかけの連鎖のなかで、「陰謀家たち……の聴罪司祭」とも呼ばれるこのサタンは、別の詩でサタン・トリスメジスト、デーモンと呼ばれている悪魔、また散文作品で、地下の住居をブールヴァールの近くにもつ殿下と呼ばれている悪魔とは別人である、とベンヤミンは解説を加えるのです。
ルメートルはこの悪魔を「一方ではあらゆる悪の張本人とし、他方では偉大な敗者、偉大な犠牲者とする」矛盾を指摘したのですが。それはともかく。
問題を言い換えて、支配者に対するラディカルな拒否にラディカルな神学の衣を着せることを、なにがボードレールに余儀なくさせたのか、と問うてもよい、とベンヤミンは言うのです。
なぜならば、サタンのとりことなりながらサタンを冒涜するという、ルーツィファ的な条件こそ、秘跡や祈りよりも重要だからなのだ! というわけなのでした。
うーん! 近代詩以降じゃないと出てこない発想ね。と、思ったらその〈近代詩〉つくったの、ボードレールじゃん! ていう、……ね。支配者に対するラディカルな拒否にラディカルな神学の衣を着せるボードレールは、やはり探偵ね。それも、とびきりラディカルな。
そうですねぇ。さて、ボードレールの「詩」についてのお話は、まだまだ続くのです。
   まだまだお話は、これからよ。つづく!
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登場人物紹介

【田山理科】

 主人公にして家主。妹のちづちづと知らない町に引っ越し、二人で暮らしを始めたが、ちづちづがどこからか拾ってきた少女・みっしーも同居することに。趣味は絵を描くこと。ペインティングナイフを武器にする。

【みっしー】

 死神少女。十王庁からやってきた。土地勘がないため力尽きそうなところをちづちづに拾われて、そのまま居候することに。大鎌(ハネムーン・スライサー)を武器に、縁切りを司る仕事をしていた死神である。

【ちづちづ】

 理科の妹。背が低く、小学生と間違われるが、中学生である。お姉ちゃん大好きっ娘。いつもおどおどしているが、気の強い一面をときたま見せる。みっしーとは友達感覚。

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