地下室からのコナトゥス【第六話】

文字数 856文字

バトラーが読む『精神現象学』ナラティヴ全体のレトリック分析のお話ね。
この『精神現象学』は、方法論と内容が限りなく一致していて、方法論を決めて確立されたうえで内容が分析されているわけじゃないのです。なので、俯瞰することができないのです。
方法論と内容が有機的につながっている、ということかしら。
バトラーは『精神現象学』が要求してくることは、「旅する主体に読者が想像的に同一化することである」と指摘するのです。
そのため、読者も〈舞台〉にあがることになります。
わぁ! 「舞台少女」になるんだね! レビューなスタァライトだねっ!
ちづちづのその〈読み〉、ある意味当たっているかもしれない……。
話を戻すと、読者は『精神現象学』が差し出す様々な「存在論的舞台」に登らねばならず、その経験を追体験しないとならないのです。
バトラーの言から。「『現象学』は様々な方法で存在論的な舞台を設定し、上演された舞台の現実を信じるよう私たちに強制し、その舞台が内包するつかの間の主体に同一化するよう仕向け、そしてその上、その主体の同一性への探求の不可避的な失敗を、その舞台の境界を越えずにその内側で受け止めるよう私たちに求めるのである」。
前回の話と結びつけると、このレトリック論が示唆するのは、〈ヘーゲル的主体〉が、「絶対者」を追求しながら絶えずそれを見出すのに、構成的に「失敗」する脱ー自的主体である、ということでもあるのです。
このヘーゲルの解釈の仕方で、バトラーは『精神現象学』の〈欲望概念〉をどのように解釈しているのか、を次は見ていくことになるのです。
「存在論的舞台」にあがることになるわたしたちの「欲望」は、どんな自己意識の形態をとることになるのか。それが、次回の話になるのね。
舞台にあがってスポットライトを浴びる「欲望」とそれに先立つ「意識」は、劇『主体を待ちながら』を演じることになるのです。そしてそれは「失敗」すると予告されているのですが……。では、焦らず、その過程をじっくりと見ていくことにするのですよ?
     次回へつづく!
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登場人物紹介

【田山理科】

 主人公にして家主。妹のちづちづと知らない町に引っ越し、二人で暮らしを始めたが、ちづちづがどこからか拾ってきた少女・みっしーも同居することに。趣味は絵を描くこと。ペインティングナイフを武器にする。

【みっしー】

 死神少女。十王庁からやってきた。土地勘がないため力尽きそうなところをちづちづに拾われて、そのまま居候することに。大鎌(ハネムーン・スライサー)を武器に、縁切りを司る仕事をしていた死神である。

【ちづちづ】

 理科の妹。背が低く、小学生と間違われるが、中学生である。お姉ちゃん大好きっ娘。いつもおどおどしているが、気の強い一面をときたま見せる。みっしーとは友達感覚。

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