2.12人の祭司たち

文字数 1,497文字

ある日のことだ。

イエスの弟子たちはある夢を見たという。

それがとても恐ろしい夢だったとイエスに訴えるんだ。

久しぶりの夢解きってやつかな。

そんで、それはどんな夢やったんや?

夢の中で「大きな家」を見たと言う。

これは後の記述から、おそらくエルサレム神殿を意味するんだろう。

その「大きな家」に12人の祭司たちがいて、「一つの名前」があった。

「一つの名前」が何の名前なのか明確にされていない。

けれど、僕はヤハウェのことだと思う。

広くはイエスの名ではないかと考えられているけれどね。

イエスでもヤハウェでも大した違いは……。

いえ、グノーシス主義においては重要な問題かもしれませんわね。

それで、その12人の祭司がどうかしたのかしら?

それが、語るもおぞましい、とんでもない連中さ。

子供や妻を犠牲として捧げるようなね。

それでいて互いに褒め合ったりしている。

自分の家族を犠牲とかあかんやろ。

モロクの崇拝と同じことやないか。

家族だけでなく、家畜の屠殺にも関わっていた。

このような夢について弟子たちはイエスに問いかけた。

それに対するイエスの回答こそ『ユダの福音書』の要点と言えるだろう。

『ユダの福音書』第5章1-4節(カレン・L・キング訳)

イエスは言った。

「あなたたちが見たその人たちこそ、その祭壇で捧げものを受け取っていた張本人なのです。

それこそが、あなたたちの仕える『神』なのです。

そして、あなたたちこそ、あなたたちの見た十二人の男たちなのです。

また、あなたたちが見た犠牲のために連れて行かれた家畜は、

あなたたちがあの[祭壇]上に誤り導いた人びとなのです。


(『『ユダ福音書』の謎を解く』

エレーヌ・ペイゲルス、カレン・L・キング(著) 山形孝夫・新免貢(訳) 参照)

あらあら。

恐ろしいと訴え出た弟子たちそのものの姿だとは。

これは言われた方は衝撃でしたでしょうね。

んな、アホな。

ペトロもマタイも、家族どころか羊一頭かて犠牲にしとらんやろ。

そんなん言いがかりやで。

果たして本当にそうだろうか。

キリスト教が一切の犠牲を他者に強いていないと?

なら以降1000年を超えて生まれ続ける殉教者たちは何なのかな。

それは自発的なもんやろ。

教えに忠実であろうとして、各々の信念の上で死んでいったんや。

家族を犠牲に捧げるんとは全然違うで。

教えを守るために死ぬことが称賛される。

そんな環境で果たして殉教が自発的だと言えるだろうか。

死を美化することで、生き残る人間たちが殉教者を犠牲に捧げているのではないか。

うーん、そんなん言うたら、殉教した人らが報われへんやないか。

殉教者が無駄死にみたいになるのは悲しいわ。

勘違いしてはいけない。

『ユダの福音書』は決して殉教や殉教者を否定していない。

グノーシス主義において肉体は悪だろう?

死によって霊となることに問題はないはずだ。

問題なのは、キリスト教徒たちの殉教に対する考え方だ。

エイレナイオスは『異端反駁』において、殉教者を称賛しない者を「異端」とした。

自身の命よりも神への殉教を優先すべきだなんて、受け入れられるかい?

つまり、「あの[祭壇]上に誤り導いた」とは、死の称賛を意味するのかしら。

12使徒はその導き手でありますのね。

『ユダの福音書』第5章17-18節(カレン・L・キング訳)

イエスは[彼らに]言った。

「[……犠牲を捧げることを]止めなさい。

[あなたたちが……]のは、祭壇の上なのです。

[なぜなら、それらのものは]すでに完成されて、

あなたたちの星とあなたたちの天使の上に[あるからです]。


(『『ユダ福音書』の謎を解く』

エレーヌ・ペイゲルス、カレン・L・キング(著) 山形孝夫・新免貢(訳) 参照)

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

【ミカ】(性別:無性 時々 男性)

神様の命令で人々を見守ることになった大天使ミカエル。サタニャエルくんに色々教えてもらう生徒役。ただ何も知らないお馬鹿ではなく、それなりに常識人。特に戦争に関することはなかなか詳しい。無意味な殺戮は嫌うが、戦争そのものは悪と見做さない。ビヨンデッタの作った「ケーキ」にトラウマがある。


(うんちく)

その名は「神に似たるものは誰か」という意味を持つ。ミカエルはMa-Ha-Elと分解され、「偉大なる神」の意味ともされる。天軍の総帥であり、右手に剣を持った姿で描かれる。


聖書において天使の翼に関する記述は無い。その造形はギリシア神話における勝利の女神ニケ(Nike)が由来であると考えられている。


ミカエル、最大の見せ場は新約聖書『ヨハネの黙示録』12である。そこには以下のような記載がある。

「かくて天に戰爭おこれり、ミカエル及びその使たち龍とたたかふ。龍もその使たちも之と戰ひしが、勝つこと能はず、天には、はや其の居る所なかりき。かの大なる龍、すなわち惡魔と呼ばれ、サタンと呼ばれたる全世界をまどはす古き蛇は落され、地に落され、その使たちも共に落されたり。」

おそらくは翼の生えた勝利の女神と、戦争における戦士の姿とが融合され、現代におけるミカエルのイメージを形作ったのであろう。

【サタニャエル】(性別:???)

ミカちゃん一人だと心配なので付いて来た。色んなことに詳しい黒猫。「サタニャエル」を名乗っているが、悪魔サタナエルと同一視されるかは謎。ビヨンデッタから「サマエル」と呼ばれてもおり、そうであれば楽園でイヴを誘惑した蛇であるとも言える。非常に好奇心旺盛で勉強熱心。たまに悪魔っぽいが、基本的には常識的。


(うんちく)

「猫に九生有り」のことわざは、高いところから落ちてもうまく着地してしぶとく生き残る、タフさから来ていると考えられる。何故「九生」なのかは定説は無いが、エジプト神話の猫頭の女神バステトが九つの魂を持っていたことに由来するのではないか、と言われる。そのようにしぶとい猫を殺すには「好奇心」が効果的であるとことわざは言う(「好奇心は猫を殺す」)。つまり人に知恵を与えたサマエルが、その罪によって神の罰を受けることの暗示として、サタニャエルというキャラクタは造られている。


サマエルは「神の悪意」という意味を持つ。12枚の翼を持つことから、堕天使ルシファーとも同一視される。

【ビヨンデッタ】(性別:男性 or 女性)

ミカを「お姉さま」と慕う悪魔の少女。その正体はソロモン72柱序列第1位ともされる魔王ベルゼブブ。ニーチェを好み、強き者が強くある世界こそが最も美しいと考えている。人間を「草」と呼び、その愚鈍さを嘲笑する。


(うんちく)

作中にあるように、ベルゼブブの由来はウガリット神話における豊穣の神バアル・ゼブル。バアルの信仰は旧約聖書において偶像崇拝として忌み嫌われ、度々敵対した。バアル・ゼブルをバアル・ゼブブと読み替えることで、その意味を「気高き主」から「蠅の王」へと貶めた。


「ビヨンデッタ」の名前は幻想小説の父J・カゾットの『悪魔の恋』に由来する。主人公のアルヴァーレは知的好奇心により悪魔ベルゼブブを呼び寄せ、そのベルゼブブは「ビヨンデット」という名の少年として彼に仕えた。やがて「ビヨンデット」は「ビヨンデッタ」という少女となり、アルヴァーレに強く愛を語る。そしてアルヴァーレは苦悩の末にビヨンデッタを愛してしまう。あまりにあっけない結末についてはここで語らない。


ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』は死の象徴として蠅が描かれる。また、理性を凌駕する闘争心は豚の首として表れた。作中でビヨンデッタが豚肉を好んでいるのも、そうした背景による。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色