バイブル・スタディ・コーヒー ~スラスラ読める! 聖書入門

作者 mika

[歴史]

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79件のファンレター

バイブル・スタディの仲間たちの会話をちょっとだけ覗いてみてください。
寝ころんでスラスラ読める! 「物語」がわかれば、聖書は楽しい。
聖書を最初から最後まで読み通すのは大変です。途中でいやになってしまうことも珍しくないでしょう。
なんとなく難しそうでも、聖書のことばの向こうには、豊かな歴史と文化が広がっています。
どなたでも、実際に聖書を読んでみようというかたのお役に立てればうれしいです。


アイコンはTopeconHeroesダーヤマ様の「ダ鳥獣戯画」より使用させていただきました。

ファンレター

後ろを振り向いたロトの妻  「ダイヤモンド広場」 グルックのオルフェウスのオペラ

ロトの妻に関するポジティブな解釈が非常に勉強になりました。別の方へのファンレターの返信では、ロトの妻と「ダイヤモンド広場」の主人公の行動について、mikaさんがコメントされていましたので、「ダイヤモンド広場」の塩酸で自殺するのを思いとどまる場面を読み返しました。あらためて読んでみましても、この場面は緊張感が高く、この章の終わりに「私は無意識の塩酸のビンを買い物籠から取り出して、気をつけてカウンターの上に置いたp206」と書かれているところでは、読み手である私も、自分が大きな危機から解き放されたかのような感覚を受けました。盲目的に信じ込んだ(信じようとした)ことに、何かのきっかけで、それが正しいことかチェックを入れるというのは、なかなかできることではありません。主人公は振り返った時に「ロトの妻を思った」とありますが、振り返ったのはロトの妻のエピソードが頭のなかにあったことが原因かもしれません。

このようにオリジナルの意図とは異なることでも、新解釈によって得られるものは多い、ということはあらためて思いました。ロトの妻のことで、前回の私のファンレターに、mikaさんは類似した話を複数紹介していただき有難うございました。mikaさんは、オルフェウスの事も書かれていましたが、私もロトの妻で思い出すのは、オルフェウスの話がまず第一です。オルフェウスの話には、悲劇的な印象を持っている人が多いかと思うのですが、私の印象は大変よく、それはグルックのオペラ版のイメージによります。このオペラ版は、ラストはハッピーエンドになるので、私は最初にオペラを見た時は驚いたのですが、それ以来、「こちらの解釈が本物、こちらを信じたい」などと、ポジティブなイメージでオルフェウスの話をいつも思い起こしております。

上記は、オリジナルの意味を知った上で、新しい意義を見出すという話ですが、聖書のオリジナルの意味を現代では忘れ去られているということも多いかと思います。一例としては、ロトと娘の間に生まれた子供はモアブと名付けられていますが、私が住んでいた米国ユタ州にはモアブという市があり、アーチーズ国立公園などもあり人気です。100年くらい前には、近親相姦に関連するということで、市の名前の改称運動があったようですが、現代のユタ州の人は、語源を知らない人がほとんどです(ちなみにユタ州はモルモン教徒が多いためか、聖書由来の地名がおおいです)。結構、アメリカ人は、こういう感じの人が多く、私の知人で熱心なクリスチャンにTamiさんという人がいて、この名前の由来は、ダビデの娘のタマルですが、彼女は、タマルの不幸な物語については全く知らなかったです。

次回も楽しみにしております。

荒野の狼

返信(1)

荒野の狼さん、いつもお読みいただきありがとうございます。『ダイヤモンド広場』を読み返してくださったのですね。わたしもこの作品がきっかけで、「ロトの妻」の解釈について、「戒めを破った罰」や「見せしめ」といった従来の理解が、本当に正しいのか疑問に思い、あらためて自分で考え直すことができたんです。そんな読み直しの過程で、今回ご紹介した一色義子さんの著作と出会えたので、「ロトの妻」=「罰」の象徴とは違った解釈をしても良いのだ、と自信をもって書くことができるようになりました。

グルックがオルフェウスを題材にしたオペラを作曲していたのですね。グルックの「精霊の踊り」は聴いたことがありましたが、オペラは観たことがなかったです。さっそく『オルフェオとエウリディーチェ』のあらすじを調べてみたところ、最後は愛の神がエウリディーチェを生き返らせるのですね!! 神話をここまで改変してしまった大胆さに驚きつつ、こんなハッピーエンドであれば観て楽しいだろうなと思いました^^ 素敵なオペラを教えていただき、ありがとうございます。

ユタ州ではかつて、地名を改称しようという運動まであったのですね! モアブ人やアンモン人は、大昔のイスラエルの民と敵対していたせいで、現代までネガティブなイメージの名前になってしまいましたね。モアブ人のものと思われる紀元前8世紀頃の遺跡がヨルダンで発掘されたそうです。モアブ人の国はアッシリアに従属し、紀元前6世紀頃にはバビロニアに滅ぼされたと言われています。現在のヨルダンの首都アンマンという地名は、アンモン人と由来が同じなのだとか。モアブ人やアンモン人の遠い末裔は、ヨルダンとその周辺に暮らすアラブの人々の中にいるのかもしれませんね。
モアブ人やアンモン人の末裔にとっては、自分たちの祖先が近親婚のタブーを犯したという物語はやはり受け入れがたいですよね。だから『コーラン』では、ロトと娘たちの近親婚のエピソードを記さなかったのでしょうね。ちなみに『コーラン』のソドム滅亡のお話では、天の火ではなく、大雨で滅亡したことになっており、こちらの方が実際にあり得そうだなと思います。大雨による洪水で町がのみこまれてしまうという恐怖は、ノアの洪水でも描かれていますし、ソドムの町も緑豊かな土地だったからこそ、水の害もあったのかも、と想像します。

荒野の狼さんのお知り合いには、タマルさんがおられるのですね。タマルと言えば、旧約聖書ではヤコブの息子ユダの妻タマルと、ダビデの娘タマルがいますが、どちらも幸福とは言いがたい人生ですね。
聖書の登場人物や聖人・聖女にちなんだ名づけは、日本人のクリスチャンでもあるんですよ^^ わたしが知っているかたでは、エリヤ君とヨシヤ君がいます。漢字の当て方は人によってさまざま。
わたしが出会ったエリヤ君は、日本人の牧師を父に持つ青年です。彼はアメリカに留学していたのですが、わけあって帰国し、実家へ戻らず、わたしのお世話になっている教会に身を寄せ、一時期は寝泊りをしていました。ちょうど東日本大震災の被災地支援のために、アメリカの教会からたくさんのクリスチャンのかたが、入れ替わり立ち替わり、教会へ訪ねて来ていた時期でした。その中に、テキサスから来た、イライジャさんという恰幅の良い壮年の男性がおりまして、たまたまエリヤ君と出会って、同じ名前のよしみで年齢も国籍も超え、すぐに打ち解けていました^^ あれから10年が経ち、エリヤ君は今ごろどうしているのか、まさかホームレスになっていないだろうか、と時々思い出します。社会復帰していてくれれば良いのですが……。テキサスのイライジャさんも、このコロナ禍で命を落としていないことを願います。

次回はいよいよイサクの誕生のお話です。引き続きよろしくお願いいたします。