有機交流電燈 ダイアローグ

作者 mika

[社会・思想]

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24件のファンレター

☆NEW!!☆第10話、第11話 チャット版にリライトしました。
好奇心旺盛な社会科研究部の仲間たちが語り合う、そんな日常風景をお届けします。
映画、絵本、民話やおとぎ話、音楽、時事的な話題など。

※表紙はAdobe StockからFranzi Drawsさまの作品を使用させていただきました。


ファンレター

第6-7話 「いま見ておくべきドキュメンタリー」「キリスト教とキリスト教系新宗教はどう違うの?」(サンクチュアリ教会①②)ーA&E制作『カルト集団と過激な信仰』(2018年)

mika さん

A&E制作『カルト集団と過激な信仰』(2018年)をYouTubeで大変興味深く視聴いたしました。私は2016年までアメリカに在住しておりましたが、サンクチュアリ教会(世界平和統一聖殿)については知識がありませんでした。このサンクチュアリ教会は統一教会の流れを組んでおり、番組では統一教会の集団結婚式や、設立者の文鮮明(ムン・ソンミョン Sun Myung Moon )が私腹を肥やしていたことなどについては短い時間で紹介していましたが、番組の焦点は銃の所持についてというユニークな切り口でした。

この番組の内容は、サンクチュアリ教会の代表者で文鮮明の息子であるショーン・ムーン Sean Moon (文亨進 ぶんひょんじん、Hyung Jin Moon)が、過激に「銃で自衛をしなくてはならない」と演説する様子が極めてエクセントリックでありました。また、アメリカの学校で銃撃事件があった直後に、銃持参の集団結婚式をサンクチュアリ教会が開いた映像は極めて異様でありました。このような貴重な番組をご紹介いただき有難うございます。わたしも、機会があれば、この番組を紹介していきたいと思っております。

しかし、A&Eが、こうした番組を作らなければならないアメリカの現状には憂慮します。私は在米生活が長かったのですが、ショーンの姿勢は、アメリカに多い共和党支持の保守派でネオコンと言われる人に見られるものです。こうした人の多くはキリスト教徒です。たとえば、私が在住していたユタ州のモルモン教の人なども銃規制には反対とういう姿勢でした。つまり「神は銃を愛してる」というものです。サンクチュアリ教会のように公然と銃をサポートするメジャーな教会は少ないとは思いますが、多くの保守のアメリカ人の銃に対する考え方はショーンに近いといえます。アメリカでは、銃撃事件の直後に、銃規制を強めようとする良識者がいる一方で、銃撃を防ぐためには、より多くの銃を市民が持つべきだと主張する人がでてきます。全米ライフル協会(NRA)が、銃撃事件の直後に銃の即売ショーを主催したりということも、私が在米中はありました。

アメリカで銃保持の権利を主張する根拠としてはアメリカ合衆国憲法修正第2条Second Amendment が「 "A well regulated Militia, being necessary to the security of a free State, the right of the people to keep and bear Arms, shall not be infringed. 規律ある民兵団は、自由な国家の安全にとって必要であるから、国民が武器を保有し携行する権利は、 侵してはならない。」"あります。素直に読めば「militia」 は軍事団体であり、この文章がトレーニングも受けていない一般市民の銃の所持のことを意味しないのは明らかなのです。ところが、この文章を前半と後半に分けて拡大解釈しているのがアメリカの現状です。番組では、サンクチュアリ教会が、銃の使用も含めて自衛のトレーニングをする映像も紹介していました。良識者であれば、「教会なのに、人を殺す発砲訓練とはどうかしている」と視聴者は受け取るだろうと考えると思います。ところが、この映像は、サンクチュアリ教会にしてみれば、自分たちの教会は「well regulated Militia」のカテゴリーに入るので武器を保持する権利があるという詭弁を使うために都合がよいのかもしれません。ですから、番組内で、ショーンが、「サンクチュアリ教会の事を、A&Eが放送してくれるのは、教会の宣伝になってよい」と語っているのは一部正しいと言えます。すなわち、この番組を世界の良識者が見れば、サンクチュアリ教会の異様さが理解できます。一方、銃規制に反対のアメリカ人がみれば、サンクチュアリ教会のサポーターになる可能性があります。A&Eの番組の目的が、サンクチュアリ教会、ひいては統一教会がカルトであるということを示すのであれば、巨額の寄付金問題などの他の問題も十分に網羅した上で、銃に対する教会の異様な姿勢を紹介したほうがよかったのでは危惧します(この場合は、アメリカで銃規制に反対をしている人にも、自分の姿勢に一考を与える機会になったかもしれません)。

「精神に異常をきたした人が、銃を乱用する可能性は考えないのか」という質問に、ショーンは、「精神に異常をきたせば、車を運転した場合は、何人も轢き殺すことになる。銃は、最後の切り札、保障として持っておく必要がある」と答えていました。この発言は、もともと殺人の道具でしかない銃と、交通手段である車を同列に論じる狂気なのですが、アメリカという国は、これを核兵器にまでひろげてしまっている国といえます。

余談ですが、mikaさんが書いておられた「収入の十分の一を教会に納める」という件に関しては、A&Eの番組では触れられていませんでしたが、同じことはモルモン教がしております。私は長年、モルモン教の総本山のあるユタ州のソルトレークシティに住んでおりましたが、貧乏学生でも収入の十分の一を納めておりました。

荒野の狼

返信(1)

荒野の狼さん、3月中には温かい励ましのメッセージを寄せてくださり、心から感謝申し上げます。
わたしの病気の分類や新しい定義について、専門的な知見から丁寧に教えてくださり、とても勉強になりました。
以前にお話した遺伝性の病気については、4月以降、全身さまざまな部位の画像を撮ったり、ホルモンの検査をしたりと、定期的に診てもらっています。
おかげで、思いがけない病気も新たに見つかって、年内中にそちらも治療することになり、引き続き落ち着かない日々をすごしています。

さて、今回のサンクチュアリ教会について、お忙しい中でお読みいただき、どうもありがとうございます。
そして、ドキュメンタリー本編もご覧いただけたのですね!
わたしもこのドキュメンタリーを見て非常に驚き、サンクチュアリ教会についてぜひとも知ってもらいたいと思って、紹介記事を書きました。
「機会があれば、この番組を紹介していきたい」とおっしゃっていただけて、勇気を出して記事を書いてよかったと報われる思いです^^

銃の個人所有を権利として主張する根拠は、合衆国憲法修正第2条なのですね。
「A well regulated Militia」(規律ある民兵団)に着目するか、「the people」(人民)に着目するかで、集団の権利か個人の権利か解釈が分かれるとは!! 非常に勉強になりました。
おっしゃる通り、国民が民兵団という非政府の軍事組織に属する成員として武装する権利を保障する条文として読み取れますよね。
修正第2条が保障しているのは、民兵として武器を持つ権利なのであって、個人が狩猟やスポーツ、遊興で銃を所持するかどうかについて論じたものではないと思いました。

修正第2条が起草された背景を調べてみますと、当時は政府や国軍(常備軍)に不信を持つ人々が多く、武器を持つ市民が政府に対する抑制の役割を果たすと考えられていたのですね。
つまり、修正第2条とは政府に対して武装蜂起する権利、暴力革命を起こす権利を保障するものだなと思いました。
Militia Act of 1792(1792年の民兵法)では、18歳から45歳のすべての白人男性は民兵に登録する義務があり、登録されている民兵は6カ月以内に自分のマスケット銃と弾薬を用意する義務があると定められていたそうです。
民兵団は、個人が持参する銃に依存しているため、もし個人の武器所持が禁止されれば、民兵制度自体が成り立たなくなるため、現代ではピンと来ない修正第2条の条文ができたのでしょうね。
個人が武器を所有する権利自体、イギリス市民が王権(国家権力)と対立した歴史のなかで生まれたものだから、「自己防衛及び抵抗する権利」が基本的な人権のひとつに数えられるのですね。

現代のアメリカにおいて、銃規制派は犯罪歴のある者や精神疾患のある者に対する銃の販売を規制することや、殺傷能力の高い銃の販売を規制することを主張していますよね。
日本のような厳しい銃規制では全くない、はっきり言って甘い規制にもかかわらず、銃擁護派がどうしてここまで執拗に反対しているのか、不思議でなりません。
犯罪歴のある隣人が殺傷能力の高い武器を大量に所有していたら、恐ろしいとは思わないのでしょうか?
こういう問いに対して、全米ライフル協会は恐ろしい隣人が突然襲ってきても抵抗できるように、より殺傷能力の高い銃を買って、身を守ろうと呼びかけるのですね。

「神は銃を愛してる」と主張するキリスト教徒は、いったい聖書のどこを読んでそのように信じているのでしょうね?
クエーカー(フレンド派)のように自己防衛や家族を守るためでさえ暴力を拒否するキリスト教徒がいる一方、同じ聖書を読んでいるのに、積極的に武装をするキリスト教徒がいるというのは、なんて難しい問題なのかと思いました。
個人的な意見としては、教会は人々に対して武装することを教えるのではなく、イエス・キリストの教えに従って、隣人を愛することを教えてほしいと願っています。

最後に十分の一献金のお話。モルモン教では経済的に余裕がない信徒でも十分の一を支払っていたのですね。
安倍前首相の事件が起こるまでは、「十分の一」というのは重荷ではないか、金額の定めのない自由献金のほうが良いのでは、とわたしは思っていました。
しかし、今回の事件の背景を知り、過剰な献金によって生活が立ち行かなくなるのを未然に防ぐためにも、「十分の一」という指標があるのは、むしろ良いことなのかもしれない、と思うようになりました。
自分たちの献金が何の目的で使われているかを確認することが重要なのだな、と改めて感じました。

荒野の狼さんのアメリカ時代の貴重なお話を伺えて、あまり知らなかった銃規制について考えをめぐらすことができました。
本当にどうもありがとうございます!
まだまだ暑い日がつづきますから、体調を崩されませんようご自愛ください^^