バイブル・スタディ・コーヒー ~スラスラ読める! 聖書入門

作者 mika

[歴史]

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79件のファンレター

バイブル・スタディの仲間たちの会話をちょっとだけ覗いてみてください。
寝ころんでスラスラ読める! 「物語」がわかれば、聖書は楽しい。
聖書を最初から最後まで読み通すのは大変です。途中でいやになってしまうことも珍しくないでしょう。
なんとなく難しそうでも、聖書のことばの向こうには、豊かな歴史と文化が広がっています。
どなたでも、実際に聖書を読んでみようというかたのお役に立てればうれしいです。


アイコンはTopeconHeroesダーヤマ様の「ダ鳥獣戯画」より使用させていただきました。

ファンレター

水を飲ませたリベカ/イサクの結婚 ユダヤ古代誌における「イサクの犠牲」

今回は、リベカの名前に関してコメントのあった「活動報告」も併せて勉強になりました。リベカ=レベッカというのが驚きでしたので、早速、手持ちの「アメリカの赤ちゃんの名前辞典」を調べました。この本は辞典といってもペーパーバックで場所を取らないのも魅力で、私は在米中にはよく使っておりました。読んだ後に、感想を「バイブルスタディ」の宣伝も兼ねて(笑)、以下の読書メーターに投稿いたしましたら、先ほど、mikaさんに「ナイス」をしていただいたことがわかり、赤面しております。

https://bookmeter.com/books/2149390

前回の私ファンレターのご返信にmikaさんが芥川作品と「黄金伝説」の読み比べについて触れておられましたので、「真空溶媒」の2020年4月8日の感想を読ませていただきました。芥川作品と黄金伝説の明快な対照表と詳細な分析は大変勉強になりました。

また、前回の私のファンレターの疑問(イサクとエフタの娘)には、丁寧にご回答いただき、いつもながら恐縮しております。エフタの娘の場合、「そこには信仰よりも、共同体の成員としての倫理や義務の方が上回っている」という解説はわかりやすかったです。こうした視点からですと、イサクとエフタの娘のケースはまったく背景が異なることが明解になるということを学びました。「生存のくじびき(サバイバル・ロッタリー)」という言葉は知らなかったのですが、調べて見ますと、アガメムノンのケースに近いのですね。全体の為に個が犠牲になるという考えは、古代のアガメムノンやエフタのケースですと一見正当化される印象を受けますが、これがより近代の第二次世界大戦の日本の特攻隊の場合ですと躊躇なく狂っていたと判断できるケースもあるということをあらためて思いました。

今回、「畏れとおののき」に興味を持ちましたので、キルケゴール全集を図書館から借りてみました。かなり重厚な内容で、これは読了に数か月はかかりそうだという印象でしたので、今回は抜き読みをしましたが、深い理解にはとても至らなかっただけに、mikaさんの今回のコメントは有難かったです。以下は、全集からのエフタに関するコメントの抜粋で、おおむね評価は、アガメムノンのものに近いようでした。この文章の中では、すべての人が極端な行動姿勢に対して当然のように心から同じように考えてしまうということが書かれており(単なる同調思想を超えて)、(特攻隊やナチのように歴史的にこれまであった)国全体が狂気となってしまう危険を思い起こさせる文章でした(作者の意図ではないでしょうが)。

“危急存亡のときイスラエルを救ったかの勇敢なる士師が、同時に神と自分自身とを同じ誓約によって結びつけるとき、そのとき彼は、英雄に相応しい勇気をもって、うら若き乙女の歓呼を、愛する娘の喜びを、悲しみに変えるであろう。そして、全イスラエル人は、彼女とともに、彼女の汚れなき若さを惜しみ嘆くであろう。だが、自由の身に生まれた男なら誰しも、エフタの心を理解するであろう。勇敢な女ならことごとく、エフタを賞賛するであろう。そして、イスラエルの乙女たちはすべて、彼の娘と同じ行動とを取ることを願うであろう。なぜなら、もしエフタが誓約を守らなかったとしたら、彼がその誓約によって勝利したとしても、いったいそれが何の役に立つであろうか。そのとき、勝利は再びイスラエルの民から奪い去られることになってしまうのではなかろうか?”(「畏れとおののきp82」キルケゴール著作全集 第三巻(上))。

今回のリベカのエピソードでも、ユダヤ古代誌と対照されて、mikaさんはファンレターのご返事を書かれておりましたが、私も同書をmika さんに紹介していただいてから、バイブルスタディと並行して読んでおります。イサク関連では、ユダヤ古代誌には、聖書には書かれていない「補足」があり、これが理解の助けになりました。ときに、こうした短い「補足」が物語の読み方・印象まで変えてしまうことがあるのは驚きで、聖書の奥深さを感じます。ユダヤ古代誌では、神は、イサクを犠牲にせよと言う前に、いかに神がアブラハムのために、これまで様々な事をはからってきたかを提示しています。ここでは、神はアブラハムを試みることにしたと、はっきり書かれており、こうした文章の挿入があると、このイサクの犠牲の話は、私にとっては、信仰の厚いヨブを試みた「ヨブ記」の神を思わせました。ヨブ記では、理不尽にも、神にすべてを奪われたヨブは、「裸で生まれた自分が得たものは、すべて神より与えてもらったものだから、それを奪われるのも、、」とコメントするあたりが、私にとっては印象的な話です。神とアブラハム(神とヨブの関係)は、深い信頼がその間にあり、それは長い時間をかけて築き上げたもので、親族の犠牲(死)という大きな事件にも耐えるもの。これと私の実体験を比較しますと、若い頃には、長年仕えてきた上司に、本人の保身のために、裏切られました。自分が指導する立場になると、長年、部下のキャリアアップに尽力してきても、それはその人物を甘やかすことになり、小さな出来事で注意されるのが我慢ならないような人物となってしまう。つまり、私はアブラハムのような立場になっても、神のような立場になっても、人間関係はうまくいかないことが多いです。私は、これまでヨブ記に共感してきたのですが、それは、ヨブと神の関係は、アブラハムと神のものに較べると、単純ではなく、人間社会をより反映しているためかと思います。今回、アブラハムと神の話を、再考するにあたり、これが信頼関係のひとつの理想を現わしているのではないかとも思えてきた次第です。「このような関係が築けたら」と思うと、胸にせまるものがあり、この聖書のエピソードの私の中での意味合いが大きく変わりました。こうした機会を与えていただき、mika さんには感謝しております。

最後に、「読書メーター」にも、「メッセージ」機能があるので、今回、ひとつメッセージを、そちらの方でも「メッセージ」を送らせていただきました。お時間のおありの時に読んでいただければ幸いです。

次回も楽しみにしております。

荒野の狼

返信(1)

荒野の狼さん、いつもお読みいただきありがとうございます。
先日お知らせしましたコンサートですが、無事終わりました^^ 今年も大変な一年ではありましたが、こうしてクリスマスに演奏をおささげし、神さまを賛美できましたこと、感謝の気持ちでいっぱいです。

ブログの『奉教人の死』についての考察も読んでいただけたとのこと、どうもありがとうございました! お役に立てればうれしいです。
そしてさらに、キルケゴール全集を手に取ってくださったのですね。そう、『おそれとおののき』は邦訳では全集に収録されているのみで、現在は流通もしていないので、図書館で借りるほかなく、手軽に読むことができないのは残念ですね。
引用してくださった箇所を読むと、おっしゃる通り、第二次世界大戦中の戦争の狂気を想起させるものがありますね。国家が戦争に勝つために喜んで神に犠牲をささげる、それを国民全体が歓喜してほめたたえる、という構図は、天皇や国家のために滅私奉公し、身命をささげることが求められた時代と重なります。
キルケゴール(沈黙のヨハンネス)は、自分の子供を神の犠牲にささげる行いを英雄視する危険性を見抜いていたから、アブラハムは英雄ではない、国のためにイサクをささげたわけではない、ということを強調したかったのかもしれませんね。

荒野の狼さんのご経験をお聞きして、人と人との間の信頼関係を結ぶのはたいへんな努力と忍耐、寛容の精神が必要なのだなと感じます。
神に「旅立ちなさい」と言われて、理由も聞かずに即座に旅立つことができるというのは、よほどの信頼がなければできないです。
ヨブが「自分が得たものは、すべて神より与えてもらったものだから…」と神の試練を受け入れたように、アブラハムは神がイサクを与えてくれたのだから、イサクの命を神の御手にゆだねることができたのだと思います。自分の子孫を星の数ほど増やすという神の約束を信じていたから、神がイサクを害するはずがない、と信頼していたのでしょうね。
神を信じることを信仰と言いますが、信仰とは「神を信頼すること」だと言い換えてもよいのでは、と思いました。ちょうど『箴言』にすてきな言葉を見つけましたので、ご紹介しますね。

「心を尽くして主を信頼し、自分の分別には頼らず、
常に主を覚えてあなたの道を歩け。
そうすれば
主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。」(箴言3:5-6)

いつも応援いただいている「バイブル・スタディ」、年内はあと1回投稿する予定です。アブラハム物語の最終回となります。
また、「聖書と文学 ~名作で読む聖書の世界」と題した新連載を始めました。初回はディケンズの『クリスマス・キャロル』をご案内しています。「バイブル・スタディ」では聖書本文の読み解きと聖書を題材とした名画の紹介をしているので、新連載の方では聖書が題材となっている文学作品をみなさまにご紹介できたらと考えています。こちらもお時間あるときにお読みいただけたら、うれしいです^^ 引き続きどうぞよろしくお願いいたします。