バイブル・スタディ・コーヒー ~スラスラ読める! 聖書入門

作者 mika

[歴史]

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79件のファンレター

バイブル・スタディの仲間たちの会話をちょっとだけ覗いてみてください。
寝ころんでスラスラ読める! 「物語」がわかれば、聖書は楽しい。
聖書を最初から最後まで読み通すのは大変です。途中でいやになってしまうことも珍しくないでしょう。
なんとなく難しそうでも、聖書のことばの向こうには、豊かな歴史と文化が広がっています。
どなたでも、実際に聖書を読んでみようというかたのお役に立てればうれしいです。


アイコンはTopeconHeroesダーヤマ様の「ダ鳥獣戯画」より使用させていただきました。

ファンレター

映画『ノア』(2014年)を観よう 「神はカインを復讐の手から守った」

映画「ノア」は未見ですが、ノアの話だけではなく、天地創造からカインとアベルの話も描かれているのですね。面白そうです。

mikaさんのコメント「神は、アベルを殺したカインを殺さず、生きて罪を償うことを命じて、復讐の手からも守った」を読んで、カインとアベルの話がスタインベックの小説「エデンの東」の中でデスカッションされている箇所(第22章4)を思い出しました。その中では、「たった16節しかない」カインとアベルの話が、登場人物のリーによって解釈されるのですが、次のように述べています。「(神が)カインに印をつけていたのは、カインが殺されるようにというのではなくて、むしろカインを救うためですよ。そしてカインを殺す人間には、だれにでも呪いがかけられるというわけなんですわい。あれは保護するための印だったんですよ。」。「保護するための印」つまり、神はカインを「復讐の手からも守った」わけで、私は最初に創世記を読んだ時には読み飛ばしていたこの短いフレーズを感動を持って読み返したものです。
「エデンの東」では、この後に、リーはさらに「ヘブライ人への手紙(第11章4)」を引用して「聖パウロはアベルが信仰を持っていたとヘブライ人にいっていますよ」と言っていますが、これに対して登場人物のサミュエルは「「創世記」にはそんなことは書いてないよ。信仰があったとも書いてないよ。ただカインの気質がちょっとほのめかしてあるだけなんだよ」と返答しています。mika さんは前回の私のファンレターの返答で、ユダヤ民話の説明「その信仰によってアベルは神から選ばれた」について教えていただきました。「ヘブライ人の手紙」に書かれてあることと、ユダヤ民話の説明が等しいのは興味深く、昨夜は「ヘブライ人の手紙」の該当箇所をあらためて読み返しました。

荒野の狼

返信(1)

荒野の狼さん、お読みいただきありがとうございます! 今回ご紹介した映画は、『ノア 約束の舟』という邦題でアマゾンプライムで視聴できます。お時間がある時に、ぜひともご覧ください^^ わたしは公開当時、映画館に行って観ました。ノベルでは言及しなかった、聖書と映画の相違点もあります。具体的には、聖書ではノアの三人の息子にそれぞれ妻がいたことになっていますが、映画ではオリジナルな脚本となっていますよ。
「カインとアベル」をモチーフにした名作文学と言えば、『エデンの東』ですね! 映画も名作です。「カインに印をつけていたのは、カインが殺されるようにというのではなくて、むしろカインを救うためですよ」という台詞は、その通りだとわたしも思います。カインがアベルを殺した時、神はカインを咎めましたが、生きていくことをゆるし、復讐の手から彼を守りました。罪に対して裁きはさけられませんが、神の愛は人々を見捨てず、神のゆるしによって人は助けられる。そんな罪とゆるしのテーマが、創世記には繰り返し描かれていますね。アダムとエバがエデンを追放された時も、神は彼らの体を包む皮の衣を用意しています。
「ヘブライ人への手紙」をわたしも読み返してみました。当時の人々が聖書に登場する人物たち(アベル、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセなど)をどう評価していたかが分かって、とても興味深いですね。「信仰によって」という言葉が何度も書かれています。アブラハムもヤコブもモーセだって、道徳的に完ぺきな人間ではありません。アブラハムはエジプトで保身のために妻を妹だと言って、妻がファラオの宮廷に召し入れられるのを止めなかったんですから。アブラハムは倫理的に正しいから偉大なのではなくて、その篤い信仰によって偉大とされるのでしょう。
『エデンの東』でサミュエルが言う通り、アベルは「神に従う無垢な人」などとは書いていないんですよね。アベルのささげものが「肥えた初子」の羊であったことは書いてあります。なので、アベルが神にもっとも良いものをささげたのは明らかです。一方、カインは「土の実り」としか書いていません。どんな「土の実り」であったかは分からないんです。だからユダヤ民話では、カインがささげた「土の実り」は質の悪いものだったとお話をふくらませたのでしょうね。
「ささげもの」は労働の成果を意味していて、「神がささげものに目を留めなかった」という表現は、期待した通りの労働の成果が得られなかったという意味で読むこともできます。農業も牧畜も常に思い通りの収穫が得られるわけではありません。「カインのささげものに心を留めなかった」という表現は、カインが勤勉に働いたにもかかわらず、劣った「土の実り」しか得られなかった、と読み解くこともできます。それで自分よりも良い収穫を得た弟をねたんで、カインは凶行におよんでしまった。もしカインとアベルに信仰による優劣が全くないとすれば、この世の「不条理」を表した物語ということになりますね。
「カインとアベル」の物語は短いながら、本当に奥深いですね。書かれていないことが多いから、後世にさまざまな解釈が生まれるのですね。荒野の狼さん、示唆に富むコメントを寄せてくださって、どうもありがとうございます!
次回はバベルの塔のお話です。引き続きよろしくお願いいたします。