バイブル・スタディ・コーヒー ~スラスラ読める! 聖書入門

作者 mika

[歴史]

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バイブル・スタディの仲間たちの会話をちょっとだけ覗いてみてください。
寝ころんでスラスラ読める! 「物語」がわかれば、聖書は楽しい。
聖書を最初から最後まで読み通すのは大変です。途中でいやになってしまうことも珍しくないでしょう。
なんとなく難しそうでも、聖書のことばの向こうには、豊かな歴史と文化が広がっています。
どなたでも、実際に聖書を読んでみようというかたのお役に立てればうれしいです。


アイコンはTopeconHeroesダーヤマ様の「ダ鳥獣戯画」より使用させていただきました。

ファンレター

イサクの誕生 兄イシュマエルとの年齢差

今回も楽しく勉強させていただきました。イサクとイシュマエルの年齢差は、これまで気に留めたことがなかったですが、これだけの年の差があるということを実感して読むと、物語の受け止め方も随分違うものになりました。実際どれだけの年齢差かと聖書を読み直してみましたら、創世記16:16によりますと、イシュマエルが生まれた時に、アブラハムは86歳と記載されており、イサクが生まれる記載の前の章の記載(前年?)をみるとイシュマエルが割礼を受けたのが13歳とありますので、イサクが生まれた時のイシュマエルの年齢は14歳かなと思っております(アブラハムは100歳)。

今回は、コーランからの引用もありましたので、私も手持ちの「聖クルアーン(日本ムスリム教会)」の該当箇所を読み直しました。コーランは、時系列に書かれておらず、また、ひとつの事件が、別の章に書かれてあったりしますので、全体を把握するのに苦労することがあります。コーランの聖書の事象の解釈は、私の感想では「キリスト教原理主義」に近く、現代的な解釈はあまり取り入れられていないので、歴史的に聖書の物語がどのように受け入れられてきたのか、理解されていたのかをはかるためにも有用な書だと思っております(たとえば聖母マリアの位置づけが、コーランではきわめて高いことなど)。

私の前回のファンレターの返事にも、コーランにおけるソドムの記載を紹介していただいたので、該当箇所を読み直しました。コーランでは、ロトの妻は、塩の柱にはならず、ソドムに残されたこと(最初から神は、ロトの妻を連れ出すことを想定していない)、ロトと娘の近親相姦の記載がない、など相違がありました。ソドムの解釈がイスラムの人々の中で、現代では、LGBTとの関りでどのように解釈されているかをウェブで少し調べてみましたが、キリスト教より保守的で残念でした。コーランの該当箇所を引用して、ゲイはコーランで禁じられているという立場です。ただ、そうして挙げられた該当箇所を実際に読んでみると、創世記と同様で、はっきりと同性同士の性交渉に結びつく部分は、極めてすくなく、あとの部分は、そこからの拡大解釈でした。ロトの妻は、同性愛者ではなかったのに、神から見捨てられているので、ソドムの人々が悪とされた理由は、同性愛とするのは短絡的であるというのは、コーランを読んでも明らかなのですが、残念です。ちなみに、「ロトの娘が、ロトに対して行った行為は、現在の法律上は、レイプになる」と解釈している意見を、あるウェブサイトでみつけました。もし、この箇所が、ロトと娘の行動が逆で、「酒に酔った娘をロトが犯した」のであれば、「レイプ」というのは、誰にでも実感できたはずです。私が、こうした点に気が付かなかったのは、私の中でも、まだ偏見のようなものが拭われていないことなのだろうと思っております。

mikaさんには、いつもファンレターに丁寧に返信をいただき恐縮しております。mikaさんのファンレターの返信には、時に本文以上に、勉強になることが多く、他の方への返信も含めて読ませて頂いております。「エリヤ君」と「ヨシア君」の話は、面白かったです。私のエリヤのイメージは、キリストをパワーアップしたような存在で、ちょっと偉大すぎるので、よく親がこの名前を選んだなあと思いました。「ヨシュア」については、アメリカ人のなかでは、やはり殺戮者のイメージが強く持っている人がいるイメージで、モーゼが人気あり、Mosesという人が結構いるのに、ヨシュアさんにはあったことがありませんでした。。そうした人に、「それはヨシュアには、気の毒で、モーゼも大殺戮していますよ」というと、多くの人は、聖書を読んでいないので、驚いておりました。

別の方へのファンレターの返信に、mikaさんは “「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)を引用され、これが芥川竜之介は『奉教人の死』の中でも使われ、。わたしたちも同じように、日々の生活の中で、間違いをたくさんしているし、気づかずに人を傷つけていることも多いはずですなのだけれど、神は我々を見捨てない。”旨を書かれていました。私は、この部分尾ルカの引用と言えば、スタインベックの「怒りの葡萄」で説教師のケイシーが同じセリフを使ったことを思い出しました。私はケイシーのキリストのような高い精神性をリスペクトし、それと同時に彼に暴力をふるう人たちが罰せられない不条理を感じました。また、この部分は、聖書の背景を知らないと著者の意図は伝わり難いかなとも思っておりました。mikaさんのコメントを読み、一見、不条理と思える「罰せられない」迫害者は、神が愚かな人間も見捨てないという姿勢の現れという読み方もできるのだということがわかり、勉強になりました。

「モアブ人」と「アンモン人」に対するコメントも勉強になりました。「アンモンAmmon」と「アンマンAmman」が同じ語源とは、思いもよりませんでした。カタカナでわかりにくいのもアルファベットにすると近いんですね。ちなみに、モルモン教では「アンモンの民=アンタイ・ニーファイ・リーハイ人」という人達の話があります。彼らは、過去の過ちを悔いて、武器を捨て、非武装の平和主義をとります。敵が攻めてきても殺されるにまかせ、主の名を唱えながら死んで行きます。そうすると、殺害していた敵も悔い改め涙を流すという話が概略で、「モルモン書」のなかのアルマ書第24章にあります。5分もあれば読める短い話なのですが、私にとっては、この部分がモルモン書の中でベスト。モルモン書は1830年に出版されていますが、ガンジーやキング牧師が登場する、はるか前に非武装中立の思想があったのは驚きです。ところが、残念なことに、この話を知っているモルモン教の人は少なく、引用されることもほとんどありません。たぶん、ユタ州およびモルモン教信者が極めて保守的で「神は銃を愛してる」「自分の身は自分で守る」という姿勢で、銃社会を強力にサポートしているためかと思われます。以下で該当箇所が読めますので、お時間のおありの時にでも読んでいただければ嬉しいです。

https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/bofm/alma/24?lang=jpn

荒野の狼

返信(1)

荒野の狼さん、いつもお読みいただきありがとうございます。コメントの返信もよく読んでくださって、とてもうれしいです^^
そうなんです、イシュマエルはイサクよりも10歳以上離れているんですよ。本文で、イシュマエルが追放された時の年齢を17歳としていたのは、いつも参考に挙げているヘブライ語対訳聖書の注釈に従っています。イサクの乳離れを祝う宴のあと、イシュマエルの追放があります。ヘブライ語対訳聖書の注釈によれば、ユダヤの掟では生後24か月で乳離れさせるそうです。なので、イサク誕生から少なくとも2年経過していることになります。それで、イシュマエルの追放時の年齢が17歳という計算になったのかなと思います。
現在の離乳や卒乳よりも「乳離れ」の時期が遅いような気もしますが…。もしかすると、乳離れの祝宴を境に男女別に住むようにしていたのかも? 現代でも遊牧生活を続けるベドウィンの人々は、家族や親族でも男女別々の天幕に住んでいます。男性用天幕に住むようになって、イサクは兄イシュマエルと一緒に暮らし始めたから、母親であるサラから見て、兄が幼い弟を「からかっている」と感じるような遊びをしていたのかもしれませんね。

モルモン書のご紹介の箇所、読んでみました。アンタイ・ニーファイ・リーハイ人という非武装・非暴力主義の人々のお話は初めて知りました。敵が攻めてきても武器をとらず、身を投げ出して、無抵抗のまま皆殺しにされてしまう。その行いが敵の心を打ち、悔い改めさせたのですね。このお話を読んで、イエス・キリストの「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5:44)を思い出されました。
アンタイ・ニーファイ・リーハイ人が敵が攻めてきても防戦を一切しなかった話と類似するエピソードが、ユダヤ古代誌に記されています。マケドニア人のプトレマイオスが紀元前320年頃と紀元前301年頃の二度にわたりユダヤを攻め、エジプト領に編入しました。この時、二度ともユダヤの安息日を狙って攻撃したため、ユダヤ人たちは一切の防戦をせず、プトレマイオスは血も汗を流さずに侵略が成功したとされます。
同じように、ローマの将軍ポンペイウスがエルサレムへ進軍したとき、ローマ軍は安息日に神殿前の渓谷を埋め、エルサレムを包囲して3か月目の断食日に神殿に突入したそうです。ユダヤ人の死者は1万2000人、ローマ人はごく少数。こうしてユダヤはローマ軍に敗北し、属州とされ、シリアへ編入されました。この戦争の間、ユダヤの祭司たちは人々が虐殺されている中でも、律法に従って犠牲の祭儀をささげていたとされます。
現実はアンタイ・ニーファイ・リーハイ人のお話のようにいかず、ユダヤの人々が無抵抗で殺されるのを目の当たりにしたからと言って、ローマ兵たちが次々と悔い改める、ということは起きなかったのでしょう…。のちにユダヤの信仰がイエス・キリストを通してローマの人々に伝わり、国家で公認されるまでなるとは、驚くべきことですね!

現代でも、イスラム社会ではLGBTの人々が迫害を受けているのは、悲しい事実です。長い間受け継がれてきた、コーランやハディースの伝統的な解釈では、同性愛は罪とされています。そんな根強い迫害の中でも、LGBTの権利を守るために活動するイマームたちも存在するそうです。勇気をもって、自らが同性愛者であることをカムアウトし、新しいコーラン解釈を提唱したり、礼拝にLGBTの信徒たちを受け入れているとのこと。青柳かおるさんの「イスラームの同性愛における新たな潮流―ゲイのムスリムたちの解釈と活動―」に詳しく紹介されているので、ご興味ありましたら読んでみてください^^ 彼らの活動を応援するとともに、この方たちがヘイトクライムで苦しめられたり、暗殺されたりしないか心配です。

次回はアビメレクとアブラハムのトラブル、再びです。引き続きよろしくお願いいたします。