【雑談】電波観測所

[日記・個人ブログ]

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夢のお告げ(嘘)で始めました。日記を書こうとしたら雑談になりました。不定期です。

ファンレター

なにもそこまで、とわたしも同感です(^^;)

今日は休憩時間バタバタしていて、いいねをポチポチするので精いっぱいでした。コメントするというわたしの楽しみがこんな時間までお預けに……!(>_<)
電話が苦手というお話、相手の会社名(長い横文字)が聞き取れず、結局あいまいなまま取り次ぐ、という流れ、わたしもまったく同じでびっくりしました(笑)
いやほんと、どんなにがんばって聞いても、どこか一ヶ所だけ惜しいとか、そんなかんじになってしまうのです。わざとじゃないんです(>_<)
そして、電話からの苦行繋がりで、こんな展開が待ち受けているとは!参りました。予想外すぎます(笑)
この荒行、一度はじめてしまったら、最後までやり遂げるか、あるいは死を選ぶか、究極の二択にも程がありますね。死と隣り合わせのこれほどの苦行をやり遂げて、それでももし悟りをひらけなかったら、むしろそっちのほうがすごいなという気もします……。
「人里に降りてきてボランティアでもやったほうが」という佐久田さんのおことば、同感です。こういう修行をやったことがないし、やろうと思ったこともないわたしですが、苦界でさまざまな人間にまみれて揉みに揉まれてこその修行ではないかと、浅はかながら思ってしまうのです。人里離れたところでひたすら自分を追い詰め、自分と向き合う、それもとても大事なことだとは思いますが、そこに他者は存在しません。「犀の角のように」ということなのでしょうか。
つづく「十牛図」ですが、この第六図までが、いわゆる六道にあたるのかなと思いました。ひとが生まれ変わり、迷い続けるといわれる六道輪廻。そして悟りをひらいた境地が第七図よりうえの界になるのでしょうか。
そうなんですよ、最終的に、悟りをひらいて解脱し、この世の真理に触れたひと(仏陀=悟りを得た者)は、ひとの世に戻ってきて、迷えるひとびとを真理へと導くのですよね。
自分が悟りをひらいて、さあこれでおしまい、ではないのです。むしろ、そこからがスタートといいますか。若いころにほんのすこし宗教系の本をかじったときに、え、そうなんだ、とびっくりしました。もしかしたら宗派によって違ったりするのかもしれませんが。
なにものにもとらわれない心、無我の境地。煩悩まみれのわたしにはなかなか想像できない境涯ですが、ひととしてのほんとうのしあわせというのは、そういう状態のことをいうのかもしれないな、と思ったりします。好きなものに囲まれるとか、そういうのじゃなくて、たとえば、なにかをうしなうとか、うーん、なんだろう、外的要因に振り回されない境地、みたいなものが、しあわせなのかも、と。よくわからないことをいってすみません(>_<)
この十牛図を部屋に飾りたい、という佐久田さんの感性がとても好きです。
「うぐいすの里」ははじめて知りました。こういう「見ちゃダメ」「ひとに話してはダメ」系のお話、それぜったいフラグやん、と思ってしまいます(笑) この主人公、ぜったい見るわ(話すわ)って。
せつないお話だけど、だからこそというか、四季の風景がうつくしいです。
学生さんのパトロンになって、十二ヶ月それぞれの風景とストーリーを描いてもらう、というくだり『憧れの注文住宅と恐怖の方位気学』のなかで職人さんたちに差し入れをされていた場面を思い出しました(*^^*)
今回も興味深いお話を堪能いたしました。最近、週末を心待ちにしています。佐久田さんの引き出しが多すぎて、次はどんなテーマなんだろうとまったく予想がつかず、とっても楽しみです(*´ノ∀`*)

返信(1)

桐乃さん、業務ご多忙の中、コメントありがとうございます!
電話の話、桐乃さんも一緒なんですね! そう、わざとじゃないんです。そして加齢のせいじゃないんです、昔からなんです。^^; 

千日回峰行について思うところも共感していただけて嬉しい~。
桐乃さんのコメントがすっごく面白い! ほんとそれ、この荒行をやり遂げても悟れなかったとしたら!? そのパターンは考えていなかった。たしかにそっちの方がすごい。(笑)
「とにかく強靱なフィジカルのお坊さんが千日回峰行を短期間?でクリアしちゃうんだけど、変わらず煩悩まみれ、「悟りました!」と自己申告するけど、周囲の人が疑惑を抱いている」、そんなマンガがあったら読んでみたいかも。
阿闍梨(千日回峰行をクリアしたお坊さん)のインタビュー記事で、「山で修行していると“わかった”感覚になるけど、俗世間に近い修行道場に降りてくると、いろんな人間関係があって再び煩悩にとらわれる」みたいなことを仰っていて。じゃあ俗世間で修行して、疲れたら山で(修行じゃなくて)心を整えるのじゃダメなの? と思ってしまいました。俗世間で「犀の角のように」迎合しないで毅然と生きるお手本となればいいのに。……好き勝手言って、仏教をまじめに勉強している人からしたら怒られ案件ですかね。^^;

『十牛図』ですが、「六道輪廻」! なるほど、はまりますね。普遍的なものって国や宗派を越えて根底で繋がっているのかもしれないな~と納得しました。やっぱり悟りにゴールはないですよね。「悟った」という人がいたら、詐欺師かお調子者か、なんらかの病を患っている方かなぁ、と。(苦笑)
「外的要因に振り回されない境地」、まさしくその通り、心をすっきり整えて平穏を保てるようになることが目標ですよね。私は最後まで煩悩にまみれて右往左往するだろうなという自信があります。(キリッ)

『うぐいすの里』絶対フラグですよね。(笑)もう誘っているじゃんと。『憧れの注文住宅~』も覚えていていただいて嬉しいです。
私の妄想は、学生さん達に高級菓子を差し入れて、「もっと腹に溜まるものか、保存食がよかった」とかムシャムシャ食べながら言われるまでがセットです。
こんな付け焼き刃の話におつき合いいただいて、嬉しいコメントに感謝です、ありがとうございました!(*^-^*)

【追伸】
『アイネクライネ』聞きましたよ、良い曲! 世界観が桐乃さんの作品と通じるものを感じました。これ若月くんそのまんまだ……。
歌詞がズキッとしました。特に「何度誓っても何度祈っても惨憺たる夢を見る」このフレーズが好き。短い言葉なのに、ものすごくイメージが広がって、私の心の奥をチクチクさせる。私、多分、根は暗いんです。(苦笑)自分の心情と近しい曲はカタルシスがありますね……。

私こそ、(勝手にカタルシスを感じている)桐乃さんのエッセイ&連載を心待ちにしています!(*^-^*)