第8話

文字数 2,918文字

「新幹線なんか使って大丈夫なの?」
 咲夜は小声で樂に話しかけた。落ち着かない気分で、なんとなく周囲をうかがい見る。
「大丈夫」
 あくびを噛み殺しながら眠そうな顔で言われても、いまいち安心出来ない。

 平日のせいか、下りの新幹線車内には空席が目立つ。咲夜と樂は、二人掛けシートの最後列に座っていた。窓際が咲夜、通路側が樂と、一応は彼女を守るような並び位置だが、発車してからこの鬼はうとうと寝ては起きての繰り返しばかりだ。

「ずいぶん余裕だよね」
 皮肉を口にしても樂の反応は薄い。学校での彼もそうだったが、なぜこんなにいつも寝てばかりいるのか。
「本当に信頼していいのかな」
 咲夜はペットボトルの栓をあけ、少しぬるくなった柑橘フレーバーの水を一口飲んだ。緊張のせいか喉が渇く。

 つい一時間前、彼女は高層マンションの窓から樂と飛び出した。そんなに高いところにいると思っていなかったので、地上を見たとたん気が遠くなりかけたが、樂は重力に反して急上昇し、ビル群に隠れるように飛んで上野公園に着地した。
「今の状態じゃ、危なくて東京で暮らせない」
 樂はそう言って、咲夜の手をがっちり握って一目散に駅へ向かい、新幹線の切符を買った。
「どこ行くの?」
「ひとまず安全な場所。おまえの気持ちが落ち着くまで(かくま)ってやる」
「何、その恩着せがましい言い方」
 ホームまで手を引かれて歩きながら口をとがらす咲夜を、樂はふり向いて笑った。
「なんで笑うの? 馬鹿にしてる?」
「いや、豪胆だなと思って。この状況でおびえもしてない」
 嬉しそうに言われ、咲夜はプイと横を向き黙りこんだ。

 今朝は柊羽とのデートを楽しみにしていたのに、今は樂を頼って柊羽から逃げている。わずか数時間でこんなに状況が変わるなんて、咲夜は未だに信じられない気分だった。目で見たことも耳で聞いたことも、すっかり現実として受け入れたわけではない。柊羽の嘘や、ためらいなく央嘉を攻撃した冷酷さは、それだけで幻滅に値するものだと頭では思うのに、心が変化に追いつかないのだ。
 ふとした瞬間に柊羽の顔が脳裏に浮かび、切ない気持ちになる。それは止めようと思って止められるものではない。
 咲夜は、よく泣かないなと自分で思う程度には、傷つき悲しんでいた。泣いてどうにかなるなら、今すぐ号泣することだって出来る。だが、柊羽を想うだけで彼を引き寄せる波動を産むのなら、泣くという行為は一番避けなければいけないことだ。
 今向かっているのは、鬼の本拠地に近い隠れ家だと樂は言った。
 神室一族に知られてはいけない場所に匿ってもらうのに、泣いて柊羽を引き寄せるわけにはいかない。だから彼のことは極力考えないようにしていた。

――このまま考えないようにしてたら、そのうち忘れられるのかな?

 咲夜はまだ恋愛感情というものの処理方法がわからない。
 隣の座席で目を閉じている樂を見て、この人ならぬあやかしを恋しく思う時なんて来るのかと、少し不安に思った。
「ごみ捨ててくるね」
 空いたボトルを手に立ち上がった咲夜は、寝ている樂を押し退けて通路に出ると、ついでにトイレも済ますつもりで車両後方のデッキに向かった。
「一人になるな」
 ごみ箱に手を伸ばした時、真後ろから声がして、咲夜はびっくりしてふり返った。
 樂が眠そうな目をこすって立っている。声をかけられるまで気配をまるで感じなかった。
「心臓に悪いよ……」
「安定するまでは常におまえの傍にいる。慣れろ」
 言われたことのないセリフにドキッとしながらも、咲夜は黙ってうなずく。
 昨日まで樂とは単なるクラスメイトだったのだ。こんな流れになったからといって、急に親密に接することなんてできない。
「ここで待ってて」
 咲夜はボトルを捨てると、樂にそう言ってトイレに駆けこんだ。
 ドアの真ん前で待たれたら、いくらなんでも恥ずかしすぎる。ごみ箱のところなら少しは離れているからマシだ。
 手を洗って出ると、樂はトイレの向かい側の化粧室に移動していた。
「あっちで待っててって言ったのに!」
 赤面して抗議する咲夜に、樂はいたずらっぽく笑って手を伸ばした。
「ちょっと来い」
 手首をつかまれ、あらがう間もなく化粧室に引っぱりこまれる。
 樂がカーテンを閉めるのを見て身構えた。
「何のつもり?」
 樂は長身を屈め、咲夜の顔をのぞきこんだ。
 咲夜は横の壁に張りつくようにしているが、こんな狭い場所では距離の取りようがない。
 樂の切れ長の目の奥に、かすかに赤い光が見えた。とたんに咲夜の胸が騒ぎだす。目をそらしたいのに視線が囚わられたかのように動かせない。
「どうしたら封印が外れるか、知ってるか?」
「し、知らない」
 樂は咲夜の後ろの壁に片手をついて、不意に顔を寄せてきた。
「!?」
 キスされると思って一瞬かたくなった咲夜だが、樂は耳元に口を寄せただけだった。
「解放者と唇を合わせるんだ」
 ささやかれる。
 耳に吐息がかかり、咲夜はビクッと身を震わせた。
「解放者って?」
「おまえの中に眠る能力を解放できる者」
 樂は身を起こしてまっすぐ咲夜を見た。
「俺や柊羽みたいに特別な力がある者だけが、おまえの封印を解くことができる」
 咲夜は今朝、柊羽がキスしようとしていたのを思い出す。まさかあれは……やるせない気持ちになりかけたが、考えちゃダメと自分に言い聞かせ、柊羽を頭から追い払った。
「で、封印を解いた解放者だけが、本当の咲夜を覚醒させられる」
「二段階あるっていうこと?」
 見上げた咲夜の口を、樂の唇がふさいだ。
「う……!!!」
 不意打ちにもほどがある。一瞬だけ軽く触れて離れた樂はニヤニヤしていた。

――キス、初めてだったのに!

 咲夜は思わず樂を押して遠ざけようと両手を突きだした。
「何か変わったか?」
 樂は咲夜の両手を捕らえてきいた。
「わ、わかんない」
 必死に顔を背けて答えた咲夜だが、実際どこも変わりない気がしていた。
 がたがた震えるとか痛いとか気が遠くなるとか、そんな感覚は一切ないし、今の感情といえば、ただただ(くや)しくて恥ずかしいだけである。
「今みたいなのじゃ駄目なんだよな、やっぱり」
 樂はため息をついた。
「どういうことなのか、もっとはっきり教えてよ」
 咲夜は少し腹が立ってきた。
「おそらく、解放者になるにはおまえの心を(つか)まなきゃ駄目なんだと思う」
「ちょっと聞きたいんだけど」
 捕まれていた手を勢いよくふりほどくと、咲夜はじろりと樂をにらんだ。
「もしかして、ソレを試すためにキスしたの?」
 樂は数秒ぽかんとした後、プッと吹きだした。
「……もういい」
 咲夜はいたたまれなくなり、座席に戻ろうとカーテンに手をかけた。
「咲夜」
 名前を呼ばれてドキッとするのと同時に、樂の腕が背後から伸びてきて咲夜を抱きしめた。
「キスしたのは、したいと思ったから」
 やわらかく包むような抱き方なのに、咲夜は身動きできなかった。
「早く俺を好きになれ」
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