第5話

文字数 3,055文字

 目が覚めると、咲夜はベッドに横になっていた。
「なんだ……夢か」
 変な集団に取り囲まれたり、同級生男子が空を飛んだり鬼になったりなんて、夢でなければありえないことだ。
 咲夜は深く息を吸いこんでから大きなため息をついた。まだしょぼしょぼする目を両手でこする。

「起きたか?」

 すぐそばから声が聞こえ、咲夜はびっくりして飛び起きた。
 見まわすと壁の白い洋室で、モスグリーンのカーテンのかかった見知らぬ部屋だった。早池峰(はやちね)(らく)がベッドの脇であぐらをかいて座っている。
「ここ、どこ!?」
「俺の部屋だ」
 樂はばつが悪そうな表情で咲夜を見て、ぼそっと言った。
「その……怖がらせて悪かったな」
 その姿はどこからどう見ても人間で、赤茶色の髪もふつうにオシャレ系の男子高生っぽい長さだ。
「俺は央嘉(おうか)に頼まれて、おまえを守る契約を交わしてたんだ。だから柊羽(しゅう)に連れ去られるわけにはいかなかった」

 咲夜はまだぼんやりする頭で、柊羽のことを考えた。
 デートの約束をしていたのに、変な白装束の集団とともに現れ、村に帰らなければならなくなったから一緒に来て欲しいと言い出した恋人。彼の言葉は一字一句すべて覚えている。
 咲夜はあの時、一緒に行かないと答えたら二度と柊羽に会えなくなる気がして、そんなのは絶対嫌だと思った。行き先が地元であるなら、父には咲夜がどこへ行ったかわかるだろうが、柊羽が消えてしまったら咲夜には行き先がわからない。どんなに懇願しても、父は彼の居場所を教えてくれない気がしたのだ。
 そこまで考えて覚悟を決めたのに、樂の出現によって柊羽から強引に引き離されてしまった。咲夜の感覚では、自分を連れ去ったのは樂の方である。

 必ず助けると言った柊羽の声を思い出し、咲夜は今すぐここから逃げ出して助けを求めたい気持ちになった。だが、樂の口から出た「央嘉との契約」というフレーズが気になる。それに、あの白装束の男達……怪しげで不穏なものを感じさせる集団だったが、あれを率いているのが柊羽だとしたら、彼を100パーセント信用していいのか不安な気もする。
 咲夜は床に足を下ろし、樂と対面する形でベッドに腰かけた。
「もう一度聞くけど、今夜うちに来る予定だった?」
「ああ」
 しっかりうなずき、樂はまっすぐな目で咲夜を見つめた。
「央嘉に紹介されることになっていた。おまえが生まれたのは18年前のこの日の夜で、今夜それと同じ時間に契約発効となるはずだったんだ」
「その契約っていったい何なの? なんで早池峰くんとお父さんが契約することになったの? っていうか、いつからお父さんと知り合いなの?」
()くな。順番に話してやるから」
 樂は苦笑して言ったが、咲夜にはそれが上から目線な態度に見えて不快だった。
「ねぇ、早池峰くんって人間じゃないの?」
 咲夜はストレートに質問し、じっとにらむような目を向ける。
「ああ、まぁそうだな。人間ではない」
 少しつり気味の大きな目が咲夜を見返す。さっきの赤い光は今のところ見えない。
「あやかし……いや、はっきりいうと鬼だ」
「鬼」
 そんな非現実的なものが存在するなんて、にわかには信じられない。だが、さっき見た恐ろしい異形は、小さいころ昔話や絵本で見た「鬼」に近い姿だった。
 咲夜の耳に「人間に擬態した鬼」という柊羽のささやきがよみがえり、ぞわりと肌が粟立った。

神室(かむろ)一族が支配している鳴石(なきいし)村は、もとは俺達が住む鬼の隠れ里だった」
 樂が静かに語りはじめる。
「そこに人間達が入って来たのは平安時代のことだ。はじめは山岳修行の者達、それから戦に敗れて追われた者達、人の世で迫害された者達。多くは一時だけの滞在だったが、中には住みつく人間もいた。鬼は行き場のない困った者を追い出すほど非情じゃない。隠れ里はいつしか人間の暮らす山奥の村として、外界との交流も生まれ、俺達一族も人間に擬態して生活するのがふつうになったんだ。助け合って良好に暮らし、鬼と人間が夫婦になることも珍しくなかった」
「昔話とかの鬼とは違うってこと?」
 日本で古くから語られてきた鬼は、乱暴だったり人喰いだったり、極悪非道なものが多い。だが、樂の語ることが本当なら、そんな恐ろしいイメージ通りの存在ではないのかもしれない。それに、柊羽も「危害は加えないはず」と言っていた。
「ああいう伝説に出てくる鬼は、俺達の真の姿じゃない。人間側に都合良く作られた話だ」
 樂は別に気を悪くするでもなく淡々と答えた。
「鬼も人も、自分の先祖が伝え残したことを信じるものだ。鬼の伝承には、およそ1000年前、京の都からやって来た神室氏が鬼を敵視して退治しようとしたため、人間と同じ里で暮らせなくなって村を追われたとある。けど、神室の方では、鬼が人間を畜生のように支配していたのを、一族の先祖が救ったとなっているらしい。真実がどっちかはともかく、その先祖の言い伝えがもとで鬼と神室は敵対してきた」
 敵対という強い言葉に、咲夜は身を硬くする。親戚とまったくつきあいがないとはいえ、彼女自身も神室姓でその血を引いているのだ。
「といっても戦闘行為があるわけじゃない」
 樂は安心させるように、少し表情を和らげた。
「互いの存在に気づくと警戒し、監視を怠らない程度だ。向こうは捕らえようとすることもあるが、ここしばらく実際に捕まった鬼はいない。俺達は空を飛んだり色々な神通力を使えるが、神室一族にはそれを封じる力があるから、鬼は子供の頃から神室に見つかったらとにかく逃げろと言い聞かされてる」
「力って?」
「超能力のようなものらしいけど、よくは知らない。念じることで物を動かしたり人の動きを止めたり、テレパシーみたいな力もあると聞く」
 樂に連れ去られる時に聞こえた柊羽の声のことが頭に浮かんだ。耳元でささやかれた気がしたのに実際には10メートル以上離れた地上にいて、咲夜以外の誰にも聞こえていないようだった。あれがテレパシーだとしたら、柊羽にはそういう力があるということになる。
「神官に選ばれたぐらいだから、央嘉も柊羽も相当の力を持っているはずだ」
「そんなの信じられない……」
「とにかく、鬼に伝わっている伝承はこうだ」
 そう前置きして、樂は語った。
「鳴石村に現れた神室の先祖は10人ほどの集団だった。1人の少女を伴っていて、彼女には神託で未来を占う能力があったらしい。都で迫害されたという彼らに同情した村人は、新たな住民として受け入れることにした。神室一族は少女の占いの力で村人の信用を集め、自分達の神に従っていれば災いに怯えることなく平穏に暮らせると説いた。反発する者には不吉な予言が下り、それはよく当たった。むごたらしい死を迎えた者もいて、恐れた村人は神室に従うようになった。支配に抵抗する人間達が迫害されるのを、鬼はかばおうとしたけど不思議な力で阻まれた。やがて神室に扇動された村人が鬼退治をはじめたんで、一族そろって村を逃げ出したということだ」
 咲夜は黙って聞いていたが、神室一族であるという意識がないせいか、それが自分の先祖のしたことだと言われても、どう受け止めていいかわからない。
「くわしく話すときりがないな。本題に入ろう」
「本題?」
「どうして央嘉が俺と契約することになったのか、知りたいんだろう?」
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