第7話

文字数 2,405文字

「たぶらかされていたのだな」
 樂がつぶやく。
「違う! 柊羽は、あたしが好きだって……心から愛してますって言ってくれたもん。たぶらかされてなんかない!」
 涙目でにらむと、樂は痛ましそうな顔で咲夜から目をそらした。
「柊羽がそんなことを?」
 央嘉は咲夜の肩に手をかけ、険しい表情で顔をのぞきこんだ。
「いつの間にそんな仲に? クチナシを渡した時か?」
「お父さん……あたし、初めて会った時から柊羽のことが」
「言うな」
 咲夜は父の手で口をふさがれた。
「彼のことをそういうふうに考えてはだめだ。守護の繭が破れた今、おまえが恋しく思えば思うほど、彼に伝わる波動が強まってしまう」
 こんなに慌てる父を見るのは初めてだ。面食らった咲夜は、泣くのも忘れて父の顔をまじまじと見た。
「柊羽が愛をささやいたとしても、おまえを巫女にするための方便にすぎない。彼はお父さんにも、ふつうの暮らしをしたくて村を出た、神官を降りたいから力を貸して欲しいと言った。簡単に家をつきとめて守護陣を通り抜けたことも、お母さんに力を借りたのだと言い訳して……でも、結局こうして一族を率いておまえを連れ去ろうとした。最初から全部、嘘だったんだ」
 央嘉の額から汗がふき出している。
 咲夜は見慣れて何とも思わないが、父の顔立ちは柊羽と同じようにひどく美しいものだ。42歳という年齢にしては白髪が多く老けて見えるものの、咲夜の友達全員がイケ父と呼ぶほど整った容姿である。
 柊羽には女子生徒が群がっていたが、央嘉も女性にモテていたのではないか――だが、家の外で父がどんな日常を過ごしていたか、咲夜には見当もつかない。同僚や友人が訪ねて来ることも、会社から電話がかかって来るのを見たこともない。そもそも、父が何という会社でどういう仕事をしているのかも知らない。
 咲夜はがく然とした。なぜ、父のことも母のことも全然わからない状況で、平気でいられたのだろう。もしかして「封印」のせい……?
「柊羽は咲夜の人生を台無しにする。死ぬまで神社から出られなくなるんだぞ。もし彼の娘を産めば、娘まで不幸になる。絶対にだめだ。一時の感情に流されてはいけない」
 央嘉はそう言うと、急に部屋の入り口をふり返り、動きを止めて視線だけを樂に送り、目配せした。
「嘘だろ……ここの結界まで破られるなんて」
 虚を突かれたようにつぶやいた樂だが、パッと立ち上がり窓に駆け寄った。ロックを外し、窓を大きく開け放つ。とたんに強い風が吹きこんできて、部屋のドアが勢いよく開いた。

「咲夜、樂様と逃げなさい!」

 央嘉が叫んだ。その目は開いたドアの向こうをにらんだままだ。
「おまえを守れるのは樂様しかいない。いずれは鬼の頭領(とうりょう)となる御方だ。きっと幸せにしてくれるだろう。人間らしく生きるために、鬼の花嫁になるんだ」
「花嫁って……お父さん、本気なの?」
 央嘉は真剣な表情をしていた。こんな時に冗談を言うような性格の父ではないとわかっているが、あまりに突拍子もない言いつけに耳を疑ってしまう。
「もちろん本気だ。おまえのためには、そうするしかない」
「悪いが、最初からそういう契約だった。あきらめろ」
 たたみかけるような樂の言葉に、咲夜はカッとなって強い視線を向ける。
「良い目だ」
 樂はにらみつけられているというのに、満足そうに微笑んだ。
「この春から近くで見ていたが、俺はおまえのことが気に入った。契約を抜きにしても、嫁に欲しいと思ってる」
 切れ長の目の奥に、赤い光が宿る。
 それを見たとたん、咲夜の体がぽっと火照り、鼓動が高鳴るのを感じた。
「何なの、これ……」
 またしても、気持ちを置き去りにしたまま、樂にときめいてしまっている。まるで強制的にそうされているようだ。
 樂は咲夜に大きなその手を差し出した。
「人間らしくふつうに生きたかったら、俺と来い。さもなければ神室に捕まって、巫女という名の人形にされてしまうぞ」
 素直に従うことに戸惑いと抵抗があって動けない。理解が追いつかないことばかり聞かされ、咲夜は混乱していた。
「早く樂様と行け!」
 央嘉がまた叫んだ。
 窓からの風がびゅうと一段と強まる。玄関の扉が開いたのだ。
「咲夜!」
 名を呼びながら駆けこんで来た柊羽の姿に、咲夜の気持ちが揺らいだ。
「その姿……やはりだましたんだな」
 白一色の狩衣を見て、央嘉が彼の前に立ちふさがった。
「そういうことです」
 柊羽は長い黒髪を風になびかせ、涼しい顔で手を前にかざした。とたんに央嘉の体は飛ばされ、壁にぶつかって床に転がった。だが、転がった勢いで再び立ち上がった央嘉は両手を下に向けてふり下ろした。今度は柊羽ががくんとひざを折って床に手をつく。
「柊羽! お父さん!」
 咲夜が悲鳴を上げて近づこうとするのを、急いで樂が止めた。
「咲夜、早く! お父さん1人なら逃げられるから心配するな」
 央嘉は言いながら柊羽の背中に踏みのぼった。うつ伏せに床に倒れた柊羽だが、反転して央嘉を玄関まで吹き飛ばすと起き上がり、咲夜に手を伸ばして来た。とっさに避けた彼女の様子に、柊羽は悲しそうな目をする。
「鬼を選ぶのですか?」
 咲夜は首をふって、それでも柊羽の手を選ぶことが出来なくて、樂のいる方へと後退った。
「嘘だったの?」
 主語は必要ない。否定して欲しい気持ちを捨てきれず、咲夜はすがるような目で柊羽を見た。
「嘘ではありません。咲夜を愛しています。あなたが私と対になる運命の巫女だから」
「もし、あたしが巫女じゃなかったら……?」
「咲夜が巫女じゃないなどありえない」
 柊羽の目は鋭く光っていて、いつものやさしさは感じられなかった。さっき見せた悲しそうな色もない。
「わかった」
 咲夜は身をひるがえし、樂の手を取った。
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