薄明の民(二元論的共同体と、どちらにも属せない者の話)

文字数 2,016文字

 乾いた枝の爆ぜる音。煙の匂い。

 本能が危険を告げ、枯葉の寝床の上で飛び起きる。枕元の剣に手を伸ばし——その柄に触れることなく、上着の肩を手繰り寄せた。

 まだ小さい炎を飛び越え、根城にしていた木のうろから出た。

 暗い森の中、額に宝石質の角を持つ太陽の民が、角を持たない月の民に囲まれてこちらを睨みつけている。

「選べ。覆いを捨て太陽の栄誉を受けるか、角を捨て月の下に降るか」

 新月の夜、太陽の民の角は一際明るく象牙色に輝き、託宣を受ける資格を持つ者の威光を示している。

 自分の額に手を触れる。瘤のような硬い盛り上がり。自分からは見えないが、皮膚に覆われた角が肌を透かして淡く光っていることだろう。

「悪いことは言わないから、早く決めなさい。いつまでも我がまま言ってないで」

 顔見知りの月の民が懇願するように叫ぶ。

「選べない。どちらにもなれない」

 私の答えを聞いた太陽の民は片腕を上げて闇の奥を指し示す。

「ならば去れ。二度と戻るな」

 予想通りの返答。私は唇を引き結び彼らに背を向けた。





 まだ凍えるような空気の残る朝、月の民たちは草の生えた畑に鍬を振り下ろしている。こちらには気付いていない。

「別に特別なことは求めてないのにね」

 私を匿った藪の中で、同じ不完全な角を持つ友が言う。

「仕方ない。太陽の民と月の民以外は存在しないことになってるから」

 どちらにも区分けできない我々をどう取り扱うべきなのか、共同体の誰も知らない。

 土に金属が刺さるざくざくという音が途切れ、畑で歓声が上がった。草の葉の隙間から見ると、大地から産まれた赤ん坊が掘り出されたところだった。

「太陽の子だ、でかしたじゃないか」

「親になるんだからしっかりしないと」

 次々に言葉をかけられたあどけない月の民は、きらきらと輝く角の生えた赤ん坊を抱いて呆然としている。太陽の民も月の民も大地を母胎としてこの世に生まれ出るが、土の下に眠る新生児を最初に発見した者が親となることになっている。そして赤ん坊を見付けるのは必然的に耕作を担う月の民となる。

「なんかさ、おかしいような気がするんだよ」

 友が呟く。幼くして子に人生を捧げることになった月の民を見ながら。

「太陽の民って何してるの?」

 畑に太陽の民の姿はない。彼らは親にもならない。生活上のこまごまとしたことは月の民の仕事だ。

 太陽の民は太陽の民だけで集まって、託宣に基づいて何か高尚で聖なる仕事をしているのだと月の民たちは信じている。本当のところは我々には知る由もない。





 木の実や茸を集めて二人でひっそりと暮らしていたところに、幼子を連れた月の民が現れた。

 幼子の額は膨らんで、淡い光を放っていた。

「どうしたらいいかわからなくて」

 目の下を青くした親は言った。

「昔から反抗的な子で、月の民のしきたりにも従わなくて。困り果ててた時に角が現れて、ああやっぱりこの子は太陽の民だったんだって思って、良かったねって言ったんです。そしたらこの子、自分は太陽の民じゃないって。じゃあ角を取って月の民でいるかって訊いたら、月の民でもないんだって言って聞かなくて……」

 自分と同じ隠れた角が珍しいのか、幼子は親の脚の陰から我々を観察している。

「我々にどうしろと?」

 私の素っ気ない返答に親は面食らった顔をした。

「……選択肢を、見せたくて」

「こうならないように太陽か月かどちらか選べ、と?」

「違います」

 親は少し語気を強めた。

「僕はただ……、この子自身に選ばせてやりたい。太陽も、月も、それ以外も。今は決断しないという道も」

 友が目線を低くしておどけてみせると、幼子は親の後ろから出てきて友の角に触れた。

「苦労しますよ。我々は規範から外れているから」

「太陽の民には太陽の民の役割が、月の民には月の民の役割がある。本質の違いに基づく、それぞれのあるべき姿が。その規範を疑ったことなんてありませんでした。……でもこの子を授かってわからなくなってきたんです。決定的な違いなんて本当にあるのかって」

「……なら、あなたは半分こちら側だ」

 幼子は友と小声で秘密の話をしている。仲間と出会えて楽しそうだ。

「そういえば、あなたがたは託宣を聞けるんですか? この子からは聞いたことがないんですが……」

 私は友と顔を見合わせる。

「聞けますよ。今日の晩餐は川魚の塩焼きがいいとか」

「明日は天気が良さそうだから花摘みに行くといいとか」

「何ですかそれ。それじゃまるで——、僕たちと同じじゃないですか」

 子の親はちょっと笑って、それから考え込むように黙り込んだ。

 我々はその静かな混乱をただ見守る。

 太陽の民と月の民を分かつ確固たる境界は、どちらにも属さない存在によってぼかされる。その分断は自明ではないということが露呈してしまう。

 共同体に受け入れられたいと願うなら、境界を守ろうとする力との衝突は避けられない。

 我々の存在、それ自体が、秩序の喉元に突きつけられた刃なのだ。
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