酔っぱらいの話*実父編

文字数 2,758文字

皆様はアルコールを(たしな)まれますか?

こう書くと、なんだか酒が上級の趣味にさえ感じるマジック。いいですね、こういう日本語。好きですよ。

でも、実際アルコール好きな人の多くは、嗜むという言葉には似つかわしくない「酔っぱらいの黒歴史」を、ひとつかふたつは持っているものです。

日本人を含むモンゴロイド(黄色人)はアルコールにあまり強くない体質なくせに…太古からお酒好きなんですよねぇ。

コーカソイド(白人)やネグロイド(黒人)って、アルコールを分解できる活性型酵素を、ほぼ100%持っているそうなんです。

Kiwi達も、よくあるハッピーアワー(だいたい夕方4時頃からスタートするアルコールドリンクが安くなる時間帯)にパブやカフェでビール2、3杯飲んでから、フツーに運転して帰ったりします。
ポリスのアルコールチェックを受けても許容範囲の数値でクリア。不思議すぎる。なんか、日本人めっちゃ損してる気がする。

そんな日本の遺跡から出土される土器を調べると、縄文時代や弥生時代にすでに果実や米を発酵させて「酒らしきもの」を作っていたようです。

呑んべえな我が祖先たちよ、あなた達の血は脈々と受け継がれ、令和の世になっても呑んべえな子孫達が繁栄していますよ。


そんな祖先の血を引く(知らんけど)実父の家系も酒好きが多かったようです。

父も若い頃から酒が好きで、まあまあ強い方だったらしく、大学の下宿時代はもとより、新卒で会社に入ってからも、接待なのか付き合いなのか、はたまた麻雀なのか、夜遅くまで呑んで帰ってきていたようです。

母はいわゆるワンオペで私と妹の、ほぼ年子の子供を、生まれ故郷から遠い、知り合いも居ない土地で出産して育てた苦労は、容易に想像できます。

けれど、母にとって救いだったのは…新婚で居を構えたのが新設の公団団地だったことかもしれません。

1960~70年代に建てられた公団住宅は、追い炊きの風呂と洋式トイレが設置され、その時代では最先端の団地でした。

5階建てで、ひとつの階段の両側に左右合わせて10戸の2DKが入り、その階段が3列あるので1棟に合計30戸が入っていたのでしょう。

新しい団地でしたから、入居者も若いファミリーが多く、必然的に各家から子供の声が聞こえるような「集団子育てコミュニティ」に発展してゆきます。

学校から帰ってきて家に誰も居なかったら、お隣の、または上下の階のドアを叩いて、親が帰ってくるまで遊ばせてもらう(その家の子供が居れば、一緒に遊んでもらう)というような、今では珍しい温かな団地付き合いでした。

━━ちょっと話が逸れましたが。
そんな、市の中心地からちょっと離れた団地住まいの頃、父はバスで会社に通っていました。

そして、おそらく接待などで深夜に帰宅する場合には、時折タクシー代が出たのでしょう。たまに午前様で、けっこうな「へべれけ」になってタクシーで帰宅していたそうです。

へべれけになったからタクシーに乗せられたのか?車で帰れるという安心感から呑みすぎて酔っぱらったのか?とにかく、よく家にたどり着いたものだわ、と母も呆れながら感心してました。


そんなある日、いつものように酔っぱらって5階にある我が家に帰宅した父が、帰ってくるなり「明日、左隣の階段の504号室に菓子折りを持っていって謝っておいてくれ」と母に言いました。

話を聞くと、タクシーの運転手が3列ある階段入口に車を停める際、場所を間違えたらしいのです。(我が家は一番奥の階段だったのが、真ん中の階段の入り口に停めたらしい)

普通なら、入口付近の自転車やポストの名前で気がつきそうなものですが、深夜で真っ暗、おまけにべろべろの酔っぱらい。階段入口を確認もせず、1階から5階まで上がるまでの各戸の表札も見ず、自分の家と思いこんだドアの表札も最終確認せずに・・・ピンポンを押したのでしょう。

深夜0時前後だったらしいのですが、なかなか出てこないので何度も鳴らしたようです。(もう、この時点で警察呼ばれてもおかしくない)
ようやく、その家の奥様がドアを開けてくださって...はじめて自分が家を間違った事に気づいたようです。

おそらく、かなり酔っぱらっていたハズの父の酔いは一気に冷め、平謝りに謝った後、1階まで階段を降り、ふたたび隣の自分の家がある階段を5階まで上って帰ってきたそうです。
(もう、これ読んでるだけで吐きそうです.笑)

そんな自分の酔っぱらいミスなのに、なんで奥さんが菓子折り持って謝りに行かなあかんねん!と現代なら炎上しそうですが…まあ、昭和ってそんな感じでしたよね;

しかたないので、翌日謝りに行った母ですが・・・その後、父の会社の同僚が来宅して呑んだ際の、父の発言を聞いて激怒するのです。


父は昭和20年代生まれなのですが・・・いやいや、ウソでしょ?大正か明治では?と思う程の家長制度、亭主関白の見本みたいな人で、家でも口数少なく、母や子供達に話しかけることも、めったに無い人でした。(過去形ですが・・・まだ生きてらっしゃいます。最近、孫にはよく話しかけます)

そんな父が唯一おしゃべりになるのは・・・「酔っぱらい」になった時。
子供心に、あの父をここまで笑顔にして、饒舌にする「酒」とは・・・いったい何が入っているのだろう?と不思議に思ったものです。

その夜も、すっかり酔っぱらった父が先日の「家を間違えて帰宅した話」を同僚に面白おかしく喋りはじめました。

「いや、ありゃあ階段間違えたタクシーの運ちゃんが悪い。オレのせいじゃない」
家長制度の(おさ)らしからぬ、見苦しい言い訳です。

「それにしても。隣の階段の家の奥さん、ビックリしてたんじゃないですか?」
「いや、それがさ・・・」
父が盃を持ったまま、前のめりで声を落として言ったのです。
「出てきた奥さんが、えらい美人でさ。オレは一気に酔いが冷めたよ」

この日から1週間、母は父と一言も口をききませんでした。


そして・・・実はこの話には、後日談があります。

それから1カ月経ったあたりの深夜11時過ぎ、我が家の呼び鈴が鳴りました。
子供の私達はとっくに寝ており、珍しく父も早くに帰って居て、居間でくつろいでいたようです。

こんな夜更けにいったい誰が・・・母がチェーンをかけたままドアを開けて覗いたら、酔っぱらいのサラリーマン男性の姿が。

信じられないかもしれませんが、父が間違えてしまった家の旦那さんでした。

もう、どっちもどっちですよね!笑
この世に、酔っぱらいほど迷惑なものはありませんが、酔っぱらいほど笑えるものもありません。

出産、子育てがほぼ済んだアラフィフは、すっかりお酒に弱くなってしまいましたが…酔っぱらいのエピソードを聞くのは大好物です!

皆さんの「酔っぱらいの黒歴史」
ぜひ、よろしければコメント欄に書き込んでみてください。


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