4・ヒトのたましいと千の風

文字数 3,049文字

4・ヒトのたましいと千の風
「私の分のコーヒーを注文してくるね。」そう言いながら、ユンハさんはカウンターの方に向かった。
ユンハさんは、コーヒーを注文しながら、マスターと何か話をしていた。
 私の向いのイスにユンハさんがすわり、再び「「待たせてごめん。」と言われた。
教会の帰り道、遠回りしてガーデンシクラメンの鉢植えのある家の前で楽しいひとときを過ごしたことを話し、その画像の写真もユンハさんに見せた。「イチローくんは、有意義な時間を過ごしていたのね?」と笑った。
「ところで、英霊の話なんだけど」と私が話を切りだすと、ユンハさんは私の目の前に右手を差し出し、手のひらを見せたあと、口元に人さし指をあてた。
「少し黙ってて」という意味だ。私は「ん?」と不思議に思った。
すると、店内に音楽が流れた。それまでのバイオリン曲から歌が流れた。
「千の風」という歌だ。
『わたしのお墓に佇み泣かないでください。わたしはそこにはいません。』(新井満訳)という歌が流れた。
「この曲は、私が流してくれるように頼んだのよ。」と言った。
「この店では、リクエストを受けているんですか?」と私が訊いた。
「それはないんだけど、この前、来たときにこの曲が流れていたのよ。CDが置いてあるのよ。
もし、リクエストがあれば、人が空いているときに流しますよ、と言われていたので今頼んだよ。」とさりげなく言った。それで、千の風の曲が流れたのだ。
でも、案外、日曜日の午後の時間にはマッチしているのかもしれないと私は思った。
曲が終わるまでユンハさんは黙って聴いていた。曲が終わってからユンハさんが言った。
「私は、日本人の家に下宿住まいなんだけど、そこで初めてこの歌を聴いたのよ。
その時、その家のお孫さんと小学生になるお孫さんも一緒にテレビでその歌を聴いていたんだけど、それを聞いたお孫さんがおばあちゃんに向かって言ったのよ。『もし、おばあちゃんが死んだら、千の風になるんだから、僕はおばあちゃんのお墓参りには行かなくていいんだよね』、って。おばあちゃんはあきれ怒り心頭の様子だったわ。」
ユンハさんは、死んだ人がお墓の中にいないというのは、どう考えても変よねと言う。
「あの歌の歌詞は、元々はアメリカ人が作った詩なんでしょう?」とも言った。
そういえば、私はある寺の僧侶が、「あの歌詞は、お墓に埋葬して盆や彼岸の時に参拝する日本人の心情に寄り添ってはないない」とした新聞記事を読んだことがある。
ユンハさんの話を聞きながらふと窓の外を見ると、通りの向こう側の木々の梢から明るい陽射しが差し込んできた。
「イチローくんのおばあちゃんやおじいちゃんがいるんでしょう?」
「ええ、います。」
「それで、先祖の墓地はどうなっているのかしら。そもそも日本の仏壇とお墓はどう違うの?」
 私は、「ユンハさんの下宿先では訊かなかったんですか?」
「訊こうと思ったんだけど、千の風のことで、お孫さんがおばちゃんに墓参りに行かなくてもいいなんて言ったものだから、墓地のことは聞けないような状態なのよ。イチローくんなら、同じ年代だし、同じ教会員だから気軽に訊けるかなって思ったのよ。」
 ユンハさんに訊かれ、私は実家の墓地と位牌のことを思い出した。

私の祖母の実家の墓地には、祖母の四人の男の兄弟と祖母の義理の父である曽祖父の名前が刻まれているが、遺骨はない。墓地の骨壺に収まっているのは小さな小石だけだ。
いずれも太平洋戦争で戦死したので遺骨は今でも戦地に眠っている。
ただ、私の曾祖母と祖父の遺骨は収めている。私が幼稚園の頃と小学生の頃に可愛がってくれたので、今でも二人の顔は鮮明に記憶している。
 私は墓地の中に遺骨がない墓地をどうして参拝するのかと小学生の頃に、祖母に聞いたことがある。
 その時に、祖母は、生きている人の体の中には「魂」が二つあるのだという。
 正確には、「魂魄(こんぱく)」と言い、人は生きているうちには、「魂魄(こんぱく)」という二つの魂が合体して一人の体の中に宿っていて、人が亡くなると、「魂(こん)」のたましいは、天上に上り、「魄(ぱく)」の方のたましいは、墓地の中に永遠の眠りにつくのだという。墓地が石でできているのは、墓地に眠る魂が起き出して悪さをすることがないように閉じ込めておくのだという。そういえば、小さいころ、中国映画で「キョンシー」という映画の中で、墓地の墓石の下から人間の亡霊が出てきて暴れ出す映画を見たことあり、そのことを指しているのだと子ども心に思ったものだ。位牌と墓地は違う。位牌は黒檀等の木製が中心で、墓地は墓石でできている。
 私は母の生まれた実家の墓地や位牌や神棚のことを思い出した。
私の祖母にとって、墓地や家の中の仏壇の中の位牌、そして神棚や床の間は、神に祈る場でもあった。
考えてみると、祖母の家の中の至るところが祈る場所であった。
私の祖母は、よく、仏壇と神棚の他に床の間に、ろうそくを灯していた。
床の間には、「天照大御神」と記した大きな掛軸が飾られ、緑色の真榊(まさかき)が硝子瓶の中に活けられている。その前でゆらめく大きな二本のろうそくの明かりは、真榊を荘厳なものにしていた。
私がその光景を目にしたのは、私が五歳ころで、風邪をひき三十九度の熱が出していた。祖母はその回復を願い祈ってくれていたのだ。
私は熱で横になっていたが、天照大御神の前で祖母が何やら小さな声を出し祈っていた。
今になって思うとその頃の祖母の思いがよくわかる。人は病になると、体力が消耗し元気がなくなり、そして心まで折れるように弱ってしまう。祖母が幼い私の身を案じ心から祈っていたのだ。その祖母は、私が小さいころ「位牌と墓地の違い」について何度も話してくれてことを思い出した。
私が小さいころ祖母から聞いた話をユンハさんに話した。
「人間の中に二つある魂のうち、魂魄(こんぱく)のうち「魄(ぱく)」の「魄(たましい)」の方は墓地の中で眠り、「魂(こん)」の「魂(たましい)」の方は、天上に上ったあとで、位牌の中に戻ってくる。
仏壇のろうそくに光を灯すのは、天上の魂を呼ぶためのもので、天上の魂はその光を目当てに位牌の中に降りてくるのだということを祖母から聞きました。線香の煙と香りは、あの世とこの世との橋渡しをしてくれるだと私は祖母から教えられました。祖母の話が、正確に正しいと言えるのかどうかはわかりません。東北の地域によってもいろいろ違いがあるのかもしれませんが、私は、位牌と墓地の違いをそのように祖母から教えられました。」とユンハさんに話した。
ユンハさんは、強い関心を持って私の話を聞き入っていた。
韓国人でも、あの世とこの世の違いを理解されていないことに気づく。
それは、仕方のないことだ。あの世を見た人など、この世に一人もいないからだ。
だから、魂のことだって、実物を見たことのある人はいないのだから、位牌と墓地は先祖代々の人が眠っている場所と思えばいいのかもしれないと私は思っている。
ユンハさんの「日本の仏壇とお墓はどう違うの?」というが、質問の答えになっているかどうかはわからない。
 墓地は「石」、位牌は「木製」というのは単純な答えだが、「先祖代々の人が眠っている所」という意味になると心の問題につながってくる。単純に「石」と「木」以外に意味を持たない人も中にはいる。
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登場人物紹介

私・イチロー(大学4年生)

韓国人留学生・ユンハ


イ・ユンハ 韓国からの仙台の大学に留学している女性

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