3・ガーデンシクラメン

文字数 2,516文字

3・ガーデンシクラメン
朝方、霧雨の降る灰色の世界が広がっていたが、礼拝が終わったころにはすっかり晴れた青空が広がっていた。
教会の玄関で、ユンハさんを待っていると、あわてた様子のユンハさんがやってきた、「イチローくん、ごめん、私教会の婦人会で少し用があるから先にバースデーに行ってて」と言われた。
私は教会を出てから、遠回りをして近くの川沿いの道を歩いた。
河畔の小さな道筋のかたわらに花壇があり、三段の違い棚に大小の鉢が並び、その棚の上に冬の花が道に沿って並んでいる。わざわざ、道を歩く人たちの目を楽しませようとしているのがわかる。
名もない花がゆっくりと揺れている。
名もない花とは花に対して失礼な言い方だ。私がその花の名前を知らないだけだ。
スマホで画像検索をしようと思った。勝手に人の家の鉢の写真を撮影するのは失礼かなと思って逡巡していたところ、その家の住人と思われる八十代の女性が私の方を見て笑顔でほほ笑んでいるのが見えた。
「美しい花ですね。写真に撮影してよろしいでしょうか?」と訊ねた。
花に劣らず美しく年を重ねた上品な女性は、「いいですよ。どうぞ、どうぞ、ご自由に。」と言ってくれた。
私は、どこかで見たことのある花の写真をスマホで3枚撮影した。
画像をWEBに送り、「この花の名前は?」とスマホに向かって訊ねた。
「この花の名前は、パンジーです。春に咲く花ですが、最近は10月から流通しているので、冬の今でも見ることができます。」とスマホが返してきた。
その様子を見ていた年を重ねた女性が驚いた様子で私の側に駆け寄ってきた。
「あなた、なに、それ、スマホがお話をするの?」と言った。
最近は、画像検索技術が進歩しているので、草花を撮影するだけで、その草花の名前や詳しい情報までを一瞬にして検索することができる。
パンジーの他に、ビオラ、ガーデンシクラメンの情報が出ている。
「あらっ、このシクラメンは正式にはガーデンシクラメンっていうのね。
自分の庭にある花なのに、間違って覚えていたのね。」とスマホの画面を見ながら言った。
「画像検索によると、シクラメンを品種改良して作られた品種って書いてありますね。一般的なシクラメンより小さいサイズで、冬の屋外でも楽しむことができるんですね。」
「そうそう、そうなのよ。私の息子夫婦からシクラメンとしていただいたんだけど、確かに私が昔知っているシクラメンよりも小さいし、冬でも見ることができるっていいわね。」
年老いた女性は、私のスマホの画像を見ながら、喜んでいた。
 私は、「目の保養になりました。ありがとうございます。」と礼を言うと、年老いた女性は、「私こそ、貴重な情報を教えていただきありがとうございました。」と丁寧にお礼を言われた。
川沿いの小道を歩きながら、「ガーデンシクラメン」の情報を見ると、「霜に当たっても枯れることはないが、
マイナス5度を下回ると枯れてしまうので、寒冷地では注意しましょう。」と書いてあった。
すると、あの年老いた女性は、家の前を通る人たちの目を楽しませるために、夕方になると鉢ごと家の中に入れ、また天気の良い日には、外に出すという面倒な作業を続けているのだということを知ることができる。
 一人占めして楽しむなら、家の中で鑑賞すればよいのだろうか、それをわざわざ外に出して、家の前を歩く人たちのために美しい花を愛でていただこうという気配りと配慮は、最近珍しいのではないかと思いながら、私はスマホの中のパンジー、ビオラ、ガーデンシクラメンの花をゆっくり眺めながらゆっくりと川岸の小道を歩いた。

教会堂のちょうど裏側にあたる川岸の小道を左に曲がり、国道の歩道をゆっくりと北に歩いた。
仙台藩時代から旧道の道を左に折れると、東北学院大学へ通じる道がある。
24時間開いているスーパーの西友の前を歩き、大学の構内にあるパン屋さのバースデーという名の喫茶店に入った。元はパン屋の名前だが、小さな喫茶のコーナーがあるので、地元では喫茶店でも通っている。
私は通りに面した喫茶店のイスに座った。
朝方の露は天気の晴れ間と共に落ちているのだが、日陰の部分の露に濡れた木の葉が上下に揺れている。
私はその揺れる木の葉をぼんやりと眺めていた。
窓辺から目前の街路地の歩道を所在なく眺めていると、右手にこうもりを手にした七十代にも見える白髪の上品な老婦人が凛とした表情で歩いてくる。二~三分後には八十代とおぼしき腰を丸めた老婦人が歩道を弱々しそうな歩みで目の前を通り過ぎて行った。
弱々しそうな老婦人の表情は悲しみにうちひしがれているようにも見える。
上品な老婦人の凛とした姿勢と幸せそうな顔つきは内面からほとばしり出たるものだ。
通りを歩く人々の姿は社会の縮図であり、それぞれの歩く姿に人生が投影されている。厳しい世界であることを思いながら、私は、喫茶店の窓辺のイスからガラス越しに通りを見ていた。左の肘をテーブルの上に置き、左の手の甲に左の頬をあてて支え、顔のバランスをとりながら窓の外を歩く人の姿をぼんやりと眺めている。
私は、忙しさの合間をぬって広い通り通りの道を歩いている人々の世界を見るのが好きだ。
通りを歩くに人には、一人ひとり、それぞれに人生がある。
弱々しそうな老婦人は、病気をかかえているのだろうか、それとも他に耐えがたい悲しみや深い悩みがあるのだろうか。生きることを辛いと感じ、生きがいを見失い孤独の中でうちひしがれている人はこの世には大勢いる。
「生きがいを失った人」にとり、朝を迎えることが苦痛と感じる人はこの世には大勢いる。
人がどれだけ、つらい人生を送り、激しい苦しみや悲しみの中でうちひしがれ、うちのめされている人が、その中にはいるのだろうか。そう心のうちにあれこれ思い描きながら通りを歩く人を見ていた。
通りを歩く人の姿が少し足早になっている人の姿が見えた。
 先を急ぐあまりきぜわしく歩幅が広くなっているかだろう。
喫茶店内にガラスドアの開く音が響いた。
「待たせてごめん。」そう言いながら、ユンハさんが入ってきた。
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登場人物紹介

私・イチロー(大学4年生)

韓国人留学生・ユンハ


イ・ユンハ 韓国からの仙台の大学に留学している女性

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