6.風穴の決戦

文字数 13,275文字

『――場所はわかった。奴が言っていた場所は富士の麓だ』
「え、あれでよくわかったな」
『当たり前だ。あれはマリアの記憶だが、我の記憶でもある。我もあそこにいた当事者だ。記憶の共有を行ったおかげで、すっかり思い出した』
「あ、そっか」
 アイリさんのところへ戻った俺とコテツは、記憶の共有によって手に入れた情報をアイリさんたちに報告した。雅人は智美ちゃんの様子を見にいっていて、今ここにはいない。
「しかし、まさかアリ・アルとマリアにそんな因縁があったなんて思いもよりませんでした。古き神の存在については、私も色々関わったことがあるので知っていたのですが……」
「マリアはアイリさんにそのことを話さなかったんですか?」
「昔、魔女もそれぞれ個々に生きていた時代があったのです。おそらく、私と出会う前の出来事で、マリアも他に話すほどのこととは思っていなかったのかもしれません」
『アイリはマリアよりも数十年ほど若い魔女だからな。我らが共有した記憶は、マリアにとっては遥か昔の話。アイリが知らないのも無理はない』
「…魔女って一体どれだけ長生きなんだよ」
『我と同じだ。魔法力が尽きぬ限り、生きたいと思えばどこまでも生きられる。そして、その逆もしかり。本格的に学べば、ツカサもマリアやアイリのように長く生きることは可能だぞ?』
「いやあ、今のところは遠慮しとくわ。不老とかなんか想像が追いつかねーし」
 頬を掻きつつ、苦笑いを浮かべた。どうにも、話が飛び過ぎていて思考が追いつかない。それに今は、やるべきことがあるしな。
「富士の麓か…コテツ、入口までの道のりは覚えてるか?記憶を共有したっつっても、緑の森しか見てないから、俺入口までが詳しくわからないんだけど……」
『ああ、大丈夫だ。行こう』
「よし!」
「待って下さい」
 気合を入れて立ち掛けた俺をアイリさんが呼び止める。
「貴方方二人では危険です。相手はおそらく一人では待っていないでしょう」
「う、それはそうですけど…でも、だからと言って他に人もいませんし……」
 きょろりと周囲を見渡す。が、どう頑張ってもこの部屋には今、俺とコテツとアイリさんしかいない。アイリさんはここを離れるわけにはいかないから無理だろう。
「ところがどっこい、ここにいるわよ」
「え」
 背後からかかった声に首を捻る。声の主は、黒一色の服に身を包んだ千佳さんだった。
 ここへ来た時、入口で会った女性だ。ぴたっとした首までファスナーのついたノースリーブのジャケットに、これまたぴたっとした膝したまでの動きやすそうなスパッツを履いている。足下には膝下までの黒いブーツ。何処から見ても、魔女というよりはこれから潜入捜査をするスパイのようだ。けれど、細めの体型でスタイルの良い彼女にはとても似合っている。
「ふふっ、また会ったわねツカサちゃん」
「千佳さん!なんであなたがここに…?」
「もちろん、あなたに加勢するためよ」
「千佳は魔女の中でも魔法力の扱いに優れていますし、ここでは年長者の方ですから戦い等にも慣れています。心強い味方になてくれるでしょう」
「サポートなら任せて頂戴。これでも結構強いのよ?私」
 そう言ってウィンクする千佳さんに、思わずドキッとしてしまった。いやはや、色っぽいなぁ。でも、年長者って…千佳さんこう見えて何歳に…いや、魔女に年齢確認なんて野暮以外の何者でもないな。
「あともう一人いるんだけど…ちょっと用意に手間取ってるみたいね」
「用意とか手間取るとか、遊びに行くんじゃないんですから……」
 ちらりと入口を振り返り、随分と軽い乗りで言ってくれる千佳さん。俺は柑奈が攫われてそんな気分にはなれないって言うのに。思わずつっこんだ俺に、アイリさんも苦笑いを浮かべている。
「もう、一々待ってられませんから、先に行きましょう」
「そうね。あの子なら私たちの魔法力を追って行き先ぐらい特定出来るでしょう。じゃ、行きましょう、ツカサちゃん!」
 千佳さんの言葉に頷いて、今度こそ俺は立ち上がった。
「ツカサ。智美ちゃんの容態ですが、彼女の中にあった他の魔女たちの生命力は全て解放し、彼女も今は元の姿に戻って無事です」
「そうですか。良かった…ありがとうございます、アイリさん」
 心の底からホッとして、深々とアイリさんに頭を下げた。これで、雅人も少しは安心できるだろう。
「ただ、気になることが一つあります。開放した生命力の人数が、今回の事件の犠牲になった魔女たちの人数の半分しかなかったのです。もしかすると、アリ・マリはまだ残りの生命力を何処かに留めている可能性があります。その力を使って何かをしようとしているのかもしれません、気をつけて下さい」
「わかりました、注意します」
 真剣に頷く俺に、アイリさは小さく微笑むと千佳さん,コテツの順に視線を向けた。
「千佳、コテツ。司のこと、くれぐれも頼みましたよ」
『うむ』
「お任せ下さい」
 それぞれに頷き返事をした二人に、アイリさんも頷き返すとスッと左手を上げた。その入口を指し示す手につられて目を向けると、理事長室の扉消え、緑の茂る森の中に変わっていた。こんな時とはいえ、やっぱり目の前ですんなり魔法力を使われると思わず感嘆してしまう。
「富士の麓の樹海に繋げました。本来、無断で空間を繋げることは禁止されていますが、今回は急事のことゆえ、私が責任を取りましょう」
「アイリさん…ありがとうございます。行ってきます!」
「いってらっしゃい。必ず皆無事に戻るのですよ」
「はい!」
 大きく頷いて見せると、俺たち二人と一匹は開かれた入口へと足を踏み入れた。

  * * * * *

 天井見上げると、丸く開いた穴か昼間の太陽が見えた。
――もうすぐだ。あと数時間もすれば、あの太陽は月に喰われここは昼の闇に覆われる。場は完成し、私は再び力を取戻すことができるのだ。
「くくく…早くおいで。君で全てが整うのだ。全てが完成する」
 アリ・アルは白く傷の入ったままの仮面の下で、しわしわの顔を歪ませて笑った。
 真っ直ぐにくり貫かれた自然の洞穴。本来ならばここは、風が下から上へと通り抜ける風穴と呼ばれる場所だ。しかしいまは、大きな丸い石の蓋がその穴を塞いでしまっている。その表面には大きな五芒星が二重の円の中に描かれており、その中心に少女が一人、横たわっていた。アリ・アルは視線を足元の少女へ移す。目を閉じて眠っている様子のその頬を、赤く長い付け爪のついた指で撫でた。
「…素晴らしい。この娘も中々の魔法力を持っている。やはり、この力はどの光を見ても美しいものだな。……それを、あの女は奪ったのだ。私から!この数千年、忘れたこともなかった。この日を、どれだけ待ち望んだことか…」
 恍惚とした表情に、歪んだ笑みを仮面の下で浮かべた。
「――失礼致します。アリ・アル様」
 スッと洞穴から続く通路に、人影が現れその場に傅いた。眼鏡にぼさぼさの頭をして、作業着姿の男性――森勇がそこにいた。
「司たちがどうやらここへ辿り着いたようです」
「そうか。調度良い頃合だな。それにしても…中々素直になったな、イサム。始めはどうも気性が荒くて仕様がなかったが、今は随分と落ち着いたようではないか」
 口許に笑みを浮かべたまま、見下すような視線を勇へと向ける。それを気にする風もなく、勇は更に深く頭を垂れた。
「昔のご無礼の数々、申し訳ありません。アリ・アル様に頂いた素晴らしい力を、私自身の未熟ゆえ中々使い慣らすことができませんで。感情の起伏に色々と作用があったようです。ですが今はこの素晴らしき力も、我がものとして自由自在に操り、必ずやアリ・アル様の、お役に立って見せましょう」
「ふふふ。イサムは本当にいい子だこと。楽しみにしていますよ?」
「はっ!」
 力強い返事と共に、その姿がぐにゃりと歪んで空気に溶け消えた。それを楽しげに見送ってから、アリ・アルは天を仰ぐ。両手を広げて、それが最後だとでも言うように体いっぱいに日の光を浴びた。
――もうすぐ、もうすぐだ。
「さあ、早くおいで、ここへ…私の下へ!」

  * * * * *

「――ここか」
『うむ、ここだ』
 森を歩くこと数十分。俺たちはすっかり緑の蔦で覆われ、雨風で形の変わったあの岩壁の前に辿りついていた。あの時は白かった岩も、今では土に茶色く汚れている。
「ここ?でも、岩しかないわよ?」
『ここにはマリアが幻視の魔法をかけて、洞穴の入口を他の人々には見つからないようにしてあるのだ』
「へぇ…さすがマリア様。今でもその効力が続いているなんて、凄いわ」
「見た目も変わるように力が施されているようです。俺たちが記憶で見た時は、真っ白な岩壁でしたよ」
 千佳さんは感嘆して岩壁を上から下まで眺めながら近づくと、片手でそっと触れた。手の平は何に阻まれるでもなく、岩の中へと入って行く。
「本当だわ。ここ、何もないのね」
 そのまま何の迷いもなく中へと入っていってしまう。
 おいおい、もうちょっと警戒しようよ。ここ、敵の本拠地みたいなところなんだぞ?
『まったく、危なっかしいところは子供の頃より変わらないな。千佳は』
「昔っからあんな感じなのか。あの人」
『うむ』
 呆れ顔で頷くコテツに、苦笑を浮かべた。でも、先頭を切ってくれる人がいるのはありがたいことだ。正直、少しだけ怖かったから。ほんの数日前までは、平凡な男子高校生だったのに今じゃ女の子でしかも魔女だ。柑奈を助けるためだったらなんでも出来るのは本当の気持ちだけれど、命をかけて戦うことが怖いと思うのはそれとはまた別の話だ。なんだか現実離れし過ぎて、意味もなく笑いたくなってしまう。幻の岩壁を見つめて深呼吸を一つ。
「よし、行こうかコテツ」
『ああ、行こう』
 気合を入れて、岩壁へと足を踏み出した。なんの抵抗もなくすぅっと入ったその先は、岩をくり貫いて作られたような洞穴が続いている。マリアの記憶で見たものと変わらない道を、奥へ奥へと進んでいった。ただ、あの時と違って空気の流れはあるものの風が吹き抜けていく様子はない。コテツが封じたと言っていたから、きっとそのせいなのだろう。
 一歩一歩、踏み締める度に何故かマリアと同調した時のことを思い出していた。あの時マリアは、救いたいという思いだけでこの道を歩いていた。それはもちろん、コテツとその仲間のことであってアリ・アルのことではない。だけど、結局マリアは彼女の命を奪うことはしなかった。同胞への憐れみとかそんな小さな気持ちではなく、本当に生きて欲しいと思っていたから。じゃあ、俺はどうしたいんだろうか。あいつが、自分勝手な目的のために他人を傷つけ、迷惑をかけていることは事実だ。けど、殺したいほど憎んでいるわけでもない。俺は…どうしたらいいんだろうな。
『ツカサ。奴だ』
 思考に没頭していたおれは、コテツの越えで現実へと引き戻された。ハッとして前を見ると、大きな丸く平べったい石の床の真ん中に奴がこちらに背を向けて立っていた。その足下に柑奈が横たわっているのを見つけて、一気に心の中の不安が大きくなった。
 柑奈は、無事…だよな?
「――ようこそ、マリアの力を受け継ぐ者。待っていたよ」
 洞穴内に、奴の声が響き渡る。
「ああ、来てやったよ。約束どおり、柑奈を返してもらう」
 ゆっくりとこちらを振り返ったアリ・アルを、精一杯睨みつけた。
 相変わらず黒い布から生えた筋肉質の腕二本に、白い手袋を嵌めている。違うのは以前俺がひびを入れたままの仮面を被っているということだ。割れ目から覗くしわだらけの顔がそこに不気味さを足し込んでいた。
「いいでしょう。ただし、返す前にもう一つ。あなたにやっていただかなければならないことがありまして。それが済んだら、お返ししましょう」
「…本当だな?」
「ええ、もちろん」
「だめよ、ツカサちゃん。あいつが、そんな約束守るわけないわ!」
 信用なんてこれっぽっちも出来ない言葉。千佳さんの言いたいことは良く分かる。俺だって信じてなんかいない。でも……。しばらくじっと黙っていたが、決心して口を開いた。
「……わかった」
「ツ、ツカサちゃん?!」
「ふふふ、では」
 嬉しそうに言うと奴の手が動き、細長いものをこちらへ投げて寄こしてきた。奴から意識を逸らさないまま、しゃがみこんでそれを拾う。それは少し短めの、花の装飾が柄の部分に施された短剣だった。鞘はなく、抜き身の刃が鈍く光っている。一瞬、意味がわからずアリ・アルへと怪訝な視線を送る。にっこりと、仮面の下で奴が笑ったように見えた。
「それで、君を殺してください」
「!」
「なっ!?」
 刃物を渡された時点で最も予想できる単純な理由で、最もありえない答えが返ってきて短剣を持つ手が震えた。千佳さんが後ろで息を呑む気配がする。
「君を君自身が殺すこと。それで、彼女はお返ししましょう」
「冗談じゃないわ!そんな約束、大大、大却下よ!私の目の前で、李香の子を死なせるものですかっ!!」
「千佳さっ……!」
 持っていた短剣を、前に踏み出した千佳さんにすれ違い様強引に奪われる。そのまま、握った短剣を千佳さんはアリ・アルへ向けて投げつけた。真っ直ぐに向かってくるそれを、アリ・アルは簡単に首を傾けて避ける。キンッ!と軽く高い音を経てて短剣は洞穴の壁に当たり落ちた。
「ツカサちゃんに手を出したら、私が許さない!」
 俺を庇うように立ちはだかる千佳さんの背中が、怒りに震えていた。
 千佳さんと母さんは知り合いだと言っていたけれど、この人も母さんが亡くなってからずっとアイリさんのように苦しんでいた人の一人なのだろうか。助けられなかった、気づけなかった。そんな思いで自分をきっと、責めていたのかもしれない。
 こんな時に不謹慎だけど、それほどまでに母さんのことを思ってくれていたことが嬉しくて、思わず口元に小さく笑みが浮かんだ。
「おやおや。今の置かれた状況をわかっていて、そんなことをおっしゃっているのかな?君たちに、選択権などというものは存在しないのだよ」
 言葉と共に短剣がふわりと浮き、アリ・アルの左手へと吸い寄せられえるように戻っていく。手の平に浮いた短剣を目の前の空中に置くと、左から右へと線をなぞるように空中を撫でる。その、撫でた空間に横一線無数の全く同じ短剣が生まれた。
「っ!千佳さん、逃げて!」
 俺が叫んだのと奴がパチリと指を鳴らしたのは全く同時だった。短剣が、目にも止まらない速さで一直線に俺たちへ向かって飛ぶ。だが、千佳さんは動かなかった。両腕を胸の前で組み、鋭く前を見つめている。
「はっ!」
 掛け声と共に、千佳さんが腕を大きく弧を描くように振るう。
「!」
 ギンッッッ!!
 シュルルッと衣擦れの音が響き、向かってきていた短剣が鈍い音と共に全て空中で砕け散った。薔薇色の光沢を持ったリボンのようなものが、俺たちを護るように壁となって周囲を取り囲んでいた。これが、千佳さんの力。
「ほお、これはこれは」
 アリ・アルが感嘆の声を漏らす。それが気に障ったのか、千佳さんが動いた。前に向かって打ち付けるように腕を振る。シュッと短い音と共に斜め下から二本、リボンがアリ・アル目がけて伸びる。
「おっと!」
 それを飛んで避けたその左右からもリボンが襲う。それもなんなく避け、降り立った先に向けて千佳さんが手に出現させたリボンを鞭のように振るった。ピシッ!ピシッ!と空間を打ってリボンが鳴るも、すべて空振りに終わってしまった。
「くっ…すばしっこいわね、あいつ」
 振るったリボンを手元に引き寄せ、悔しそうに千佳さんが呟いた。
「ふむ。中々優雅で美しい。が、少々邪魔だな」
 顎に手を当てて考え込み、奴がちらりと空へ向けて視線を走らせた。それにつられて俺も空を見上げる。雲一つない快晴の空で、丸いはずの太陽が、ほんの少しだけかけていた。
「…そうか……」
 そういえば今日は日食だったな。そして、アリ・アルの狙いはそこにある。
「イサム」
「はっ。ここに」
 呼び声に答えて、アリ・アルの斜め後ろに揺らぎが生まれる。
「あの邪魔な女の相手をしてやれ。殺しても構わん。私の用があるのは、マリアの力を受け継ぐあの少年だけだからな。あの子には手をだすなよ」
「はっ、仰せのままに」
「…勇…叔父さん……」
 透明な人の形に色がつき、作業着を着た俺の良く見知った叔父さんがそこに傅いていた。わかっていても、記憶の中の優しい笑顔が俺の中にもやもやとしたやり切れない思いを作る。立ち上がり、一瞬視線がかち合うとにっこりと生気のない瞳で笑みを浮かべた。
「やあ、司くん。君、できれば素直にアリ・アル様のために死んでくれると嬉しいなぁ。その方が苦しまなくて済むと思うよ?」
「――っ!」
 胸の中がムカムカする。こみ上げてきた悔しさとも悲しさとも、怒りともいえない感情の波を押し止めるように唇を噛み締めた。叔父さんはもう、元に戻ることはないのだろうか…。出来れば、出来るなら元の叔父さんに戻って欲しいが、今の俺にはその方法が見つからない。
 すぅっと視線が動き、叔父さんの目が千佳さんを捉えた。千佳さんの顔に緊張が走り、いつでも対応できるように構えている。
「あなたですか。なるほど」
 じっと眺めて頷くと、ふっとその姿が掻き消えた。
「!」
 構えたまま、視線だけで辺りを窺う千佳さん。と、ざわりと嫌な感じが足下から這い上がってきた。目を向ければ、足下の地面がゆらりと歪んでいた。
「千佳さん!足下だ!」
「くっ!」
「うわっ?!」
 叫んだと同時に千佳さんが俺の腕を掴んで跳ぶ。俺たちのいた地面から透明な腕が二本伸び、一本は俺と千佳さんの間に割って入り掴まれていた腕から千佳さんの手が外れた。
「ツカサちゃん!」
「千佳さっ、おわっぶっ!」
 呼ばれて返事をした瞬間、右足をもう一本の透明な腕に掴まれそのまま地上まで引き戻されポイと投げ捨てられる。それほど高い距離でもなく、仰向けに捨てられて顎をしたたか打ちつけてしまった。
……痛い、痛すぎる。
 声も出せず、涙目になりながら顎を擦りつつ立ち上がった。
「…あ、千佳さんは?!」
 慌てて背後を振り返り千佳さんが飛んでいった方を見ると、再び姿を現した勇叔父さんと交戦中だった。とりあえず姿を確認してホッと胸を撫で下ろした。多分、千佳さんなら負けることはないだろうけど……。
「やっと、二人で話が出来るね」
「!」
 ゆったりとした声に、俺はアリ・アルへと視線を戻した。
「それでは改めて。死んでもらってもいいかな?」
 差し出された右手から、短剣が姿を現す。
「あ、それとも、剣はお嫌いかな?だったら、なんでも好きなものを出してあげよう。私が直接殺してあげるということもできるがね」
「……」
 黙って奴を睨みつけた。
 先ほどのやり取りにも、柑奈は起きる気配を見せず相変わらず魔法陣の中央に横たわっている。衝撃にも動く様子がないことから、奴が何か結果のようなものを張っているのかもしれない。助けるにしたって厄介な話だ。
「どうした?さあ、答えなさい。ああ、もしかして…彼女を見殺しにしたくなったかな?死にたくなくて」
「違う!」
 アリ・アルの言い草が引っかかり、腹立たしさで頭に血が昇る思いがした。
 柑奈を見殺しになんて絶対しない。でも、このままここで俺が死んだら、それこそ奴の思い通りになってしまうような気がしてならない。それは、おそらくコテツが以前言っていたとおり、この世界すら滅ぼしかねない力を、呼び起こしてしまうのかもしれない。今救える命を救って世界を滅ぼすか、一人の命で世界を救うか。そんなこと、両方選べるわけがない。
『――ツカサ。奴の口車に乗る必要はない』
「!コテツ?」
 今まで黙って見ていたコテツが口を開いた。
「なんだ、君は……おや、随分と懐かしい力の気配だと思えば、あの時の失敗作君ではないかね」
 馬鹿にしたように言うアリ・アルの言葉を無視して、コテツはじっと俺だけを見つめる。
『大丈夫だ。お前も、柑奈も死ぬ必要はない』
「でもコテツこのままじゃ……」
「随分と自身があるようだが、何か面白い企み事でもあるのかな?」
 眉根を寄せた俺に、心配するなと言いたげにうにゃんとコテツが鳴いた。
 面白いものでも見るように、アリ・アルがくすくすと笑う。
 余裕綽々の態度が鼻につくが、コテツはいたって冷静だった。
『企みごとなど。お前の方がよっぽど、何か企んでいるとしか考えられないがな』
 ふと、目を向けた足下に影が迫ってきていることに気がついた。見上げれば、太陽がすでにその半分を影に覆われようとしている。洞穴の半分ももはや影がかかり暗くなっていた。その、見上げた天井の入口付近。影になってしまった丸い円の端に、何か動くものがあるのに気づく。
 あれは…なんだ?
「ふん、失敗作風情が偉そうな口を聞くものだ。全く邪魔者ばかりで疲れてしまう。しかたない、お前を先に消すとしよう」
 スッとアリ・アルが手の平をコテツに向けた。
「コテツ!」
『案ずるな。お前は、柑奈をあいつから助けることだけを考えよ』
「何を言って――」
 あくまで冷静なコテツに俺が抗議の声を上げたその時だった。
『ごめんくださーい!アリ・アルの本拠地ってここですかー?』
 突如空から振って来た拡声器ばりの大声と、

  ばしゅぅぅぅぅぅっ!!

何か飛行物体がこちらへ飛んでくるような空気を裂く音。
「え?」
 思わず上を見上げようと顔を上げたまさにその時、目の前のアリ・アルがいた場所で爆発が起こった。
「な、にぃっ!?」
 アリ・アルの驚く声が爆風にかき消される。
あまりの風に顔を覆ってしゃがみかけた俺にコテツのうにゃんと鳴く声が聞えた。
『今だ、ツカサ!』
 ハッとして土埃の上がる中、横たわる柑奈へ向かって走った。恐る恐る触れると、結界の類はなくすんなりとその体に触れられた。素早く抱き上げてその場を離れ、洞穴入口へと引き返す。そっと道の壁に寄りかからせ脈をとってみると、規則正しい心臓の音が聞えてやっとホッと一息ついた。
「どうだい?大森さんの様子は」
「ああ、大丈夫だ。気を失っているだけだよ」
「そうか。ま、何とか間に合ったって感じだね。まったく、どこまでも世話が焼けるね、君たちは」
「……え?」
 返事を返しながら、背後に現れた人物を振り返った。振り返って、首を傾げた。
 そこに立っていたのは、俺の通う高校の制服に身を包んだ、銀髪の髪をツインテールに結った浅黒い肌の超美少女だった。どことなく雰囲気がアイリさんに似ている気はするが、彼女がここにいるはずもない。それに、アイリさんにしては若過ぎる。ああ、でも、あの人に年齢云々は言ってもしょうがないか。それぐらい、魔法力でなんとでもなるもんな。柑奈のことも、名前で呼ばず苗字で呼んでいることから、俺たちのことはどうやら知っているらしかった。しかし、肩にゲームでしか見たことのないロケットランチャーっぽいものを背負っているのだが…もしかしなくても、さっき爆発はあれのせいなのだろうか?
「えーっと、どちら様で?」
「え」
 申し訳ないが思い出せそうもないので尋ねると、美少女が意外なことを聞かれたとばかりに固まった。が、すぐににやりと口許に気持ち悪い笑みを浮かべた。
「ふふ…ふふふふっ!どちら様と聞かれたならば、答えるしかあるまいて。聞いて驚け、僕はあの、代田紀一だ!」
 ばばーんと効果音でも背負いそうな勢いだったが、こちらはそんな気分ではない。
「……は?ごめん、悪いんだけど、冗談は時と場合を考えてついてもらってもいいかな?今さ、それどころじゃないんだよね。世界の危機が迫っているっていうかなんていうか」
「え、いや、冗談じゃなくて、ね。本当に本当だぞ?」
「いや、だからそういうのはいらないから。ね?」
『……いいかげんに認めてやれツカサ。我からも言わせてもらうが、そいつは正真正銘本物のキイチだ』
 ため息混じりに、いつの間に傍まで来ていたのかコテツが横からフォローを入れてくる。
 それに半分涙目になりながら、目の前の美少女が何度も頷いた。
 ちょっとそれが可愛かったとか、そんなことは絶対言ってやらないけど。
「いや、でもさ。代田君って男の子だったよね?なんで女?それとも、こっちが本来の姿なの?俺と同じで」
「いや、僕は生まれた時から男だったよ」
「じゃ、やっぱり違うじゃん。君、どこからどうみても女の子だよね?代田君は男の子。君は女の子。OK?」
「OKじゃないよ!全然良くないから!この姿は、僕の長年の研究成果の結晶なの!僕ってほら、最も偉大なる古き魔女(グレート・オールド・ウィッチ)最も偉大なる古き魔女の孫だろ?だから、元々魔法力は持っていてそれを扱う才能もあるわけよ。でも、男だからそれを使うことが出来ない。こんな悲しいことはないだろう?だから僕は、世界各地の呪術という呪術を研究し、今回やっとこうしてその研究の成果に辿りついたのさ!」
 またしてもばばばーんと効果音を背負って胸を張る代田君。色々おかしいだろ。何がって、魔法力を扱いたいばかりに女になることだけを、この年までずーっと考えて生きてきたその思考回路が。
「…おまえ、そんなことのためにずーっと転校繰り返してたわけ?女になることだけのために?世界中各地を点々として?」
「もちろん!おかげでこうして魔法を使える姿になることができたんだよっ!」
 興奮気味に語る代田君に、ため息をつかずにはいられなかった。
「おまえ、アホだろ。そんなの、お前の母さんかばあちゃんか、そうでなきゃアイリさん辺りに、女にしてもらった方が絶対早いぞ」
 俺の言葉に一瞬考えた後、ポンと代田君が手を打った。
「……あ、なーるほど!佐崎くんは頭がいいな!」
「今更かよ!」
「――茶番は終わったか?」
 背後で生まれた殺気に、すかさず代田君がロケットランチャーらしきものを構えた。が、何かの力によってそれが弾き飛ばされる。
「っ!なんだ?!」
「全く、油断してしまったよ。せっかく残っていた仮面も、おかげで割れてしまった。このような醜い姿を晒すことになるとは…一生の不覚」
「!」
 白くバサバサの髪が宙に広がり、黒くしわだらけの顔がそこにあった。しわだらけの中でも、その赤く充血し、飛び出した目だけが爛々と輝き俺たちを睨みつけている。その視線のあまりの異様さに、背筋を冷たいものが走った。
「人質は返してもらったよ。これで心置きなく、お前を叩きのめすことが出来るってわけだ!」
 どこからそんな元気が出てくるのか、あのアリ・アルを前にしてもなんら怯む様子もなく、代田君は腕を組んでフンと鼻を鳴らした。
 状況を理解しているんだか、いないんだか。さすが、あのアイリさんの孫というだけはある。
「くっくっくっ、返してもらった?この私が、様々な事態を予想せず動いているとでも思うのかね?」
「ははん!取り返されたからって、そんな強がり通用しないよ」
 にたりと、口らしきしわを曲げて笑うアリ・アル。
 それも全く意に介さない代田君とは逆に、俺は嫌な予感に襲われていた。
「果たしてそうかな?――柑奈、マリアの後継者を殺せ」
「えっ」
 とすんと、背中に軽い衝撃があった。そして生まれた胸の痛みに、自分の胸元を見下ろして驚きに目を見開いた。赤く、自分の血で染まった短い剣の切っ先が自分の胸から生えていた。じんわりと、生暖かい感触が広がっていく。
「ツカサッ!!」
 聞いたこともないほど焦ったコテツの声が、俺の名前を呼んでいる。返事を返そうとして、口からごぼりと血の塊がこぼれ落ちた。痛みは、全くといっていいほど感じられなかった。
……ははは、これは正直、ダメかもしれないな。
「大森くん、やめろ!」
 ずるりと胸から刃が消え、カランと金属の落ちる音が響く。どうやら代田君が柑奈を俺から引き離してくれたようだ。できれば、柑奈を責めないで欲しいと伝えたかったが意識がもう限界だった。
 うつ伏せに地面へ倒れる瞬間、ふと視界に勇叔父さんの姿が映る。その目が大きく見開かれ、その両目から透明な涙が流れ落ちていた。何故?と思う間もなく、俺の意識は闇の中へと消えていった。


――目を開くと、そこは色も物も景色も何もない真っ白な世界だった。何故こんなところに自分がいるのか一瞬理解できず考え込む。が、ややあって、全てを思い出した。
「そっか。俺、死んじゃったのか」
 アリ・アルに操られた柑奈によって、心臓を貫かれて死んだのだ。胸元を眺めてみるが、今は赤い血の痕も短剣の先も何も見えない。あるとすれば、二つの膨らみぐらいだ。
「はは。やっぱり死ぬと元の姿に戻るのか」
 死んだときのままというわけにはいかないか。生まれた時は女だったのだから。
「…さて、ここは地獄なのか天国なのか…それが問題だな」
「地獄でも、もちろん天国でもありませんわ」
「え?」
 独り言のつもりで呟いた声に、返事があって驚いた。いつからそこにいたのか、目の前に一人の女性が立っていた。背の高さは今の女の俺と同じぐらいで、黒く長い髪にくりっとした大きなエメラルドブルーの瞳。白いドレスに身をつつんだ上品そうな女性。俺はこのを人を知っている。記憶の共有を行った時、あの洞穴でアリ・アルの魔法力を封じた張本人、最も偉大なる古き魔女(グレート・オールド・ウィッチ)のマリアだ。
「ここは私の記憶の中。あの場所に私が残した、記憶の欠片。いつか共有できる人が現れた時に、役立てて頂けるよう共に封じておいたのです」
「記憶の中。じゃあ、あなたは遥か昔のマリアさんなんですね」
「さあ。私がこの記憶を残したころからどれだけ経っているのかはわかりませんが、魔法力でこうして話せるように創ってあります。ですから今、あなたと会話を交わすことができるのです」
「はぁー、本当に魔法ってなんでもできるのな…」
 思わず感嘆してしまった。いや、この場合マリアが凄いのであって、誰にでも出来るというわけではないのかもしれないけど。すると、くすくすとマリアが笑った。
「あなたも魔女でしょう?そんなに珍しいかしら」
「いやぁ、俺はその…確かにそうなんですが、色々諸事情がありまして。まだ、魔女になれてないと言いますか」
「ふぅん。ま、いいわ。あなたとこの記憶が繋がったということは、アリ・アルが自分の魔法力を取り戻すために、再びあの風穴を訪れ、封印を解いてしまったということね」
「…凄い。どうしてわかるんですか?」
「そういう事態でしか、繋がらないようにしてあるからよ。それにしても…そう、あの人は結局変わることはなかったのね。本当は、変わって欲しかったのだけど…きっと、私のやり方が回りくどかったのかもしれないわね」
「それじゃあ、今度はバシッと言ってやりましょう!そのための、ここなんでしょう?」
 胸の前で拳を作り、片方を振り上げた。やる気満々の俺に、マリアさんがくすり笑って頷いた。
「そうね。バシッと言ってやりましょうか」
「……あ、でもダメでした」
「え?」
 大事なことを思い出して、振り上げた拳をがっくりと肩ごと落した。マリアさんが不思議そうに首を傾げ俺の顔を覗き込む。
「俺、そのアリ・アルに殺されちゃったんですよ。死んでから繋がったから、残念ですがバシッとはもうできないんでした」
 あははと渇いた笑いでごまかす。するとマリアさんが、納得したように頷きポンと俺の肩に手を置いた。
「大丈夫よ。ここに繋がったのなら、まだ間に合うわ」
「……え?」
「さあ、目を覚まして。あなたにはまだ、やることが残っているわ。大丈夫。私も、この記憶を形作る魔法力ごとあなたと共に行くわ。これは、そのための力。そのための記憶よ」
「そのための、記憶……」
 ふらりと、足下が揺れた。視界が霞み、世界がぼやける。何かに引っ張られるような感覚に抗うことが出来ず、そのまま仰向けに倒れこんだ。その額に、柔らかな感触がふれたような気がした。華やかな香水の香りが鼻をくすぐる。
『大丈夫、大丈夫よ――…』
 安心する優しい声に導かれるように、俺は白い世界で再び意識を手放した。

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