4.真犯人と黒幕

文字数 16,085文字

「――ありがとう、来てくれて。ごめんよ、心配かけちゃったかな」
 湯のみを三つテーブルの上に置きながらあははと笑う雅人の声には、いつもの元気さが感じられなかった。平屋の一戸建てのアパート。その台所と一体になったキッチンのテーブルに俺と柑奈、そして向かい合うように雅人が座っていた。コテツは気をきかせたのか、アパートの前で待ってくれている。
 目の下に薄っすらとくまが見える気がするが…眠っていないのだろうか?長袖のTシャツにジーパンから除く肌が青白く、雅人自体あまり良い体調のようではないようだ。
「大丈夫か、雅人。お前もなんか顔色悪くないか?」
「え?ああ、うん。ここ二日、あまりよく眠れなくてさ。寝てない訳じゃないんだけど、なんか寝た気がしなくって……そんなに悪いかな?」
「ああ。あんま、無理するなよ?お前が倒れたら元もこもないんだからな?」
「うん、わかってるよ」
 心配して念を押すように強く言えば、雅人は苦笑を浮かべて小さく頷いてくれた。
「大森くん。智美ちゃんの具合はどう?」
「え、…ああ、うん。今は落ち着いてるかな」
 微かな違和感を感じた。智美ちゃんのことを聞いた瞬間、ほんの少しだけ雅人の顔が曇ったのだ。それは柑奈も同じようで、少し首を傾げて考えているようだった。
「風邪って聞いたけど、お医者さんには行った?」
「え、いや。そんなに酷い風邪じゃなかったから、薬だけ飲ませて寝かせているんだ」
「だ、大丈夫なの?この間まで入院してたのに……」
「あ、それは検査入院だったし…、け、検査でも何もなかったから…」
 柑奈の問いかけに、雅人は困ったように視線をウロウロさせながら言い訳のような言葉を口走っている。柑奈に話かけられたら、いつだって元気に的外れなことを自信満々に言っていたあの雅人にはあるまじき態度だ。これはもう、絶対に智美ちゃんに何かあったに違いない。やはり原因は勇叔父さんなのだろうか?
「雅人」
 いつもよりも真剣に、雅人の目を見て俺は話を切り出す。
「な、なんだよ、司。そんな改まって…気持ち悪いな……はは」
「んなこと分かってるよ。真面目に聞け。真剣な話だ」
「……」
 真剣な顔で言うと、ぐっと押し黙った。
「お前、俺たちに何か隠していることはないか?」
「は、はは…何を急に。そんな、俺が何を司たちに隠してるって言うんだよ」
 引き攣った笑みを浮かべて、なんとか取り繕うとしても無駄なんだよ雅人。俺たち、そんなもんで騙されるほど短い付き合いじゃないだろう?
「大森くん、お願い。本当に、何かあるなら話して」
「……」
「もし、言いたくないなら、俺たちを智美ちゃんに会わせてくれ。お見舞いだし、いいだろ?それだけでいいから」
「……」
「大森くん…」
「雅人」
 下を向いて、黙って強く目を瞑り震える雅人を、俺と柑奈はじっと見つめて待った。
 これで話して貰えなければ、後はもうアイリさんたちに任せるしかないだろう。でも、できれば雅人の口から俺たちに話して欲しい。そして出来れば力になってやりたい。何もできないかもしれなくても。
 どれぐらい沈黙が続いただろうか、ゆっくりと雅人が顔を上げて俺たちを見た。その顔は疲れ切ってくしゃりと苦しみに歪んでいた。
「……司、大森さん。俺、俺…もう、どうしたらいいのか分からないんだ」
「雅人?」
「叔父さんには、母さんたちが亡くなってから今までずっと良くしてもらって…感謝してたんだ。ずっと幸せだったのに…でも、それが全部嘘だったんだ。叔父さん、俺に言ったんだ『お前たちを養ったのは、裏切り者の姉の罪をその身で償わせるためだ』て」
「裏切り者?姉って…雅人の母さんのことか?」
「うん…それで、母さんのせいで失敗した儀式を、智美を生贄に成功させるんだって言って…。俺、何のことだかさっぱりわからなくて。それから、智美の様子がおかしくなって。眠ったまま目を覚まさなくなったんだ。それに、毎夜叔父さんが変な人と一緒に、智美に何かをしているんだ。そのせいかはわからないんだけど、智美が…智美じゃなくなって……」
「……どういうことだ?」
 肩を震わせて涙を流しながら話す雅人は、痛々しくて見ていられないほどだった。元気の塊みたいな雅人をこんなに憔悴させるなんて、一体勇叔父さんは何をしたんだろうか。
「来てくれ司、大森さん。智美を…見てやってくれないか」
 そう言ってよろめきながら立ちあがる雅人。それに頷くと、俺と柑奈はその後について智美ちゃんの元へと向かった。台所の続きにある十二畳ほどの部屋の隣に、壁をはさんで二つの襖があった。一つは叔父さんの部屋。もう一つが雅人と智美ちゃんの部屋だ。
「智美は、俺たちの部屋に寝かせてる。あいつが目を覚まさなくなってからは、俺はずっとこっちの広い方で眠ってるんだ」
 襖に手をかけながらそう言うと、一度考えるように開けることを躊躇う雅人。
「……驚くかもしれないけど……智美のこと、嫌いにならないでやってくれ」
 振り返ることなく懇願するような言葉に、柑奈が間髪入れずに返答する。
「当たり前でしょっ!私は、智美ちゃんを助けるためにここにいるんだからね!」
「…ありがとう」
 柑奈の怒ったような声に、少しだけ笑みを浮かべると、雅人はゆっくりと襖を開けた。
 部屋の中は暗く、外の暖かな空気に比べてひんやりとしていた。カーテンは締め切られ、八畳ほどの小ぢんまりとした中に二組の椅子と机、そして背の低い箪笥が一つ置かれていた。その真ん中に敷かれた小さめの布団に、智美ちゃんは眠っていた。雅人が反対側に回りこんで、その横に座る。俺と柑奈はその反対側へ二人で膝をついた。そうして目にした智美ちゃんの姿に俺は言葉を失った。
「……智美ちゃん……!」
 閉じられた目の周りは黒ずみ、口の端が耳まで切れこんでいる。額には三つの盛り上がりが見え、まるで角が生えかけているように見える。これではまるで、鬼のような形相ではないか。アイリさんの話からすると、もう一度魔女の力を取戻すために魔法力を集めている筈なんだけど…。
「雅人、勇叔父さんは智美ちゃんを何のための、生贄なのかとか言ってなかったか?」
「え?えーっと…そうだな。魔女がどうとか復活がなんとかって、変な人と話してた気がするような……」
「やっぱりそうなのか…だとするとこれは一体…」
 俺のぼやきに、雅人がバッと勢いよく俺を見た。
「司、お前なにか知っているのか?智美や叔父さんが急におかしくなった理由‼」
「落ち着け雅人。全部分かっているわけじゃねーんだよ。俺も急にこんなことに巻き込まれて、色々混乱してるんだ」
 期待に身を乗り出した雅人を制する。真面目な表情で考えを巡らす俺に、雅人も焦る気持ちをグッと堪えて正座をしなおした。忍耐だけは凄いからな、こいつは。
「…これは……智美ちゃんの中で、たくさんの魔法力がぶつかり合ってる?」
 眉を顰め、智美ちゃんを見ていた柑奈がぽつりと呟く。
「どういうことだ?智美ちゃんのこの外見の変化も、そのせいなのか?」
 俺の問いかけに、柑奈がこちらへと視線を向ける。
「多分、そうだと思う。魔法力だけじゃなく生命力そのものを抜き取って、そのまま智美ちゃんの一つの体に入れるなんて無茶をしたから、きっとこんなことに…。酷いことを!」
「何とかならないのか?智美ちゃんの体から、その、入れた分の魔法力を抜き取るとか」
 再び柑奈は智美ちゃんの体をじっと見つめる。今度は何かを掴み捕ろうと必死の形相だ。
しかし直ぐに悲痛な面持ちで首を横に振った。
「ダメ。私には無理だわ」
「そ、そんな!」
 叫び、思わずなのだろう。柑奈の襟首を掴んだ雅人の手に、俺は落ち着かせるようにそっと手を置く。
「大丈夫だ雅人。他にどうにかできそうな人物に心当たりがある。その人なら、確実に智美ちゃんを助けてくれる」
「ほ、本当か、司!」
 一瞬、柑奈の言葉に絶望しかけた雅人だったが、俺の言葉にその表情がパッと明るくなった。アイリさんなら必ず、智美ちゃんを元に戻す方法を知っているはずだ。
「ああ。とにかく、このままここに智美ちゃんを置いておくのは良くないな」
「ええ。一度、アイリ様の元へ運んだ方がいいわ」
 そう言って、柑奈が頷いた時だった。
「――ダレを、ドコへ連れて行くと?」
「「「!?」」」
 いつの間にそこにいたのか、部屋の入口に勇叔父さんが立っていた。雅人の顔が恐怖に強張る。
「なん、で……」
 俺と柑奈は、ゆっくりと視線を向けながらその場に立ち上がった。いつ、あいつが襲ってきても対処できるように神経を尖らせる。
「ダメじゃないか雅人。智美は具合が悪いんだから、こんなところにお客さんを入れては」
「お、叔父さん…今日は、休日出勤で夕方まで戻らないって……」
「ああ、ちょっと急用ができてね。半日休みを貰って来たんだ。でも、帰ってきて正解だったよ。まさか……餌の方から来てくれるなんてねぇ」
「っ!」
 逆光で顔は見えないが、眼鏡の下の柑奈を見る目。あの目を俺たちは一度、公園で見ている。獲物をいたぶる、あのギラギラとした貪欲な瞳を。
「おやぁ?どうしたのかな、柑奈ちゃん。震えているのかなぁ?この部屋は寒いからねぇ」
 一歩、部屋の中に踏み入って来た。ひょろっとした背の高いシルエットに、ぼさぼさ気味の頭が動く度に揺れている。仕事着のものなのか、シロの長袖のポロシャツにベージュの作業ズボンを履いていた。
「勇叔父さん、智美ちゃんを一体どうする気なんだ?こんな姿に変えてまで…一体何をあなたはやりたいんだ?」
 俺の問いかけに、勇叔父さんクククと笑う。
「君ももう、知っているんだろ?僕らの魔女の復活さ」
「僕らの魔女?」
「そう。智美はそのための生贄。捧げる魔力の入れ物なんだよ」
「なっ…そんな!」
「酷い!そんなことのために、智美ちゃんにこんな酷いことを!?」
 あまりの言いように、雅人がショックを受けて真っ青になり、柑奈がくってかかった。同時に、柑奈の魔法力が高まる。例のビリビリとした気配が横から伝わり、俺の肌をそばだてた。正直、今の発言には俺もイラついたな。こいつは、人の命をなんだと思っているんだ。しかも、智美ちゃんは同じ血を引く親戚じゃないのかよ。
「酷いこと?……あーあ。嫌んなっちゃうなぁ、これだから無知は困るんだよ」
「なん、ですって?」
 すぅっと、奴の雰囲気が変わったのが分かった。部屋の気温が一気に下がる。
――不味い!
「柑奈!避けろ!!」
「――え?」
 グンと俺の横を凄い速さで何かが通り抜け、そこにいたはずの柑奈の姿が一瞬で消えた。背後の壁でゴグッと鈍い音が響き、同時に柑奈の押し潰されたような悲鳴が聞えた。こいつ、雅人の前で中々変身に踏み切れない隙を突き、以前のように腕を伸ばして柑奈を壁に叩きつけたのか。
「おっと、危ない危ない。君に変身されると厄介だからね。今日はその前に僕に食べられてもらうよ?」
「大森さん!叔父さん止めてください!俺はどうなっても構わないから、大森さんを離してください!!」
「やめろ雅人!」
 叱責して雅人を止める。そんなことを、雅人に言って欲しくない。
「ダメだよ雅人。お前じゃこの子の代わりにはならないよ。落ちた魔女の末裔の君じゃね」
「落ちた…魔女?一体なんのことだよ、叔父さん」
「言葉のままさ。そしてお前は、その一族すら裏切った女の息子なんだよ」
「やめろ!」
 しぼり出した大声で、勇叔父さんの言葉を遮った。もはや叔父さんと呼ぶのも腹立たしい相手を、強く睨みつける。
「それ以上雅人を傷つけることを言って見ろ。俺が許さない」
「怖いなぁ。でも、本当のことだよ。全部ね」
「うるさい!」
 減らず口をたたく奴を黙らせようと、ギュッと指輪を嵌めた手に力を込めた。
「おっと。妙なことはしない方が良いよ?勢い余って、柑奈ちゃんを食べる前に殺しちゃうかもしれないからねぇ。僕も、食べたいから殺したくはないんだけど……仕方ないね」
「うぐっ…ぁ」
「くっ……」
 グギュという嫌な音がして柑奈が呻く。なんとか奴の腕から柑奈を助けださなければ、動きようがない。握り締めた手はそのままに、ニヤニヤと笑う奴を睨みつけて懸命に思考を巡らす。何か、何かないか⁈
「――?」
 視界の端に、キラッと光るものが引っかかったような気がした。二つの金色の光。それは気配を殺して奴の死角に潜み、じっと隙を伺っているようだった。
……なるほど、な。確かアイリさんは言っていたな。この指輪に願えば、自由に魔法力を使うことができると。ならば。
 スッと、両手を胸の前まで上げて手の平を向き合わせた。
「こらこら、司くん。妙なことはするなっていっただろう?それとも、柑奈ちゃんのことはもう、どうでもいいのかなぁ?」
「いやいや、まさか。俺はただちょっと」
「ちょっと?」
 にっこりと笑ってパンッと、手を合わせた。
と、
「うにゃーぁぉうっ!!」
「ぎゃぁぁぁぁっ!くそっ!目がぁぁぁっ!!」
 シャッと黒い影が飛び出し、俺の行動に気を取られていた奴の顔面を横一文字に引っ掻いた。奴の絶叫が部屋に響き、同時にしゅたりと俺の横に黒い影――コテツが降り立った。弾き飛ばされた奴の眼鏡が壁に当たって落ちる。
「美味しいとこどりだな、お前」
『司こそ、随分と古い手を使うのだな』
「ま、こういうのはくだらないこと真剣にやると、結構上手くいくもんなんだよ」
 俺がやったことは、ただ手を打っただけのこと。
『なるほど』
「受け売りだけどな。テレビゲームの」
『ほお』
 目を押さえてその場に膝をつく奴から目を逸らすことなく、後ずさりして開放された柑奈の元へと近寄る。咳き込んではいるが、意識はあるようだ。首に付いた赤い後が痛々しい。
「大丈夫か?柑奈」
「うん、ありがとう司、コテッちゃん」
『礼は全て終わってからにしてもらおう』
 ふらつきながらも立ち上がった柑奈に手を貸す。ホッとする間もなく、毛を逆立てて奴を威嚇するコテツに倣って俺たちも警戒する。
「ふふ…ふふふ。油断しちゃったかな」
 笑いながらゆっくりと立ち上がった奴の体が、公園の時のようにぐにゅりと歪みだす。押さえていた手が外され、血の流れていた瞼の上の傷さえもぐにゅぐにゅと形を変えていた。
「残念だけど、今日の僕には何の弱点もないよ。もう、完璧だからね」
「魔法力を奪ったことで、あんたも強化されたってことか?」
「そうだよ。復活の儀式が完成に近づくことで、僕たちも力を取戻せるんだよ。再び魔法力を取戻して、お前たち現代の魔女もこの世界に巣くう汚らわしい人間どもも全て!一人残らず消してやるのさ!僕たちこそが、この世界の正当な住人なのだからね!」
 完全にヌルヌルとした人の形の何かに変化した奴が、ふにゅりふにゅりと広がり始める。
「もうめんどくさいから、みんな一緒に食べてあげるね。こんなサービス滅多にないよ?友達みんな一緒!良かったね!!」
「良いわけないでしょ!気持ち悪いっ!!」
 一瞬光って、あっという間に変身した柑奈が以前とは違うバズーカ砲のような武器を構えて叫ぶ。
「ちょっ?!ばか、ここでそんなもんぶっぱなしったら雅人の家が!いや、その前に俺たちが危ないって!」
「消し飛べぇぇぇぇっ!!!!」
「わわわ、ま、雅人、伏せろ!」
「え?え?」
 慌てて智美ちゃんの元へと飛び寄る。布団の横で戸惑う雅人の頭を押さえて無理矢理にでも下げさせ、智美ちゃんを自分の身体で庇った。その間にするりとコテツが滑り込んだとほぼ同時。

  どぐぅおぉぉんんんんっ!!

「っ!」
「うわぁぁぁぁっ!」
 凄まじい爆音が部屋の中に響き、強い風が吹き荒れた。雅人の悲鳴が耳をつんざくが、そんなもの今は気にもならない。ピシピシと何かの細かい破片が体に当たった。カタカタと振動で物が揺れる音も色々な方向から聞こえてくる。比較的、雅人たちの部屋に物が置かれていなくて良かったと思う。ただ、箪笥とかが倒れて来ないか、それだけが気がかりだった。
「……」
「…うぅっ…ぅ…げほっ、げほっ…」
「いつまで固まってるの?司たち」
 風が収まり、辺りがしんと静まり返る。それでも中々動かない俺たちに、柑奈のケロッとした声が上から降ってきた。誰のせいだよ、誰の。
「や、やったのか?」
 顔を上げて問えば、柑奈は首を横に振った。
「ううん。吹っ飛ばしただけ。こんなところじゃ、戦うことも逃げることもできないと思って強制的に移動してもらったの」
「ああ、そう。できればもうちょっと、ソフトにお願いしたかったよ…」
 そんな俺の願いも綺麗にスルーし、柑奈が俺の腕を掴んで引っ張って来る。
「ほらほら、今の内に外へ出るわよ!早く早く!」
「はいはい、分かったよ。雅人、立てるか?」
 あのバズーカのようなとんでも武器は、すでにその手にはない。和風魔法少女姿の柑奈にせかされ、状況が分からずいっぱいいっぱいの雅人へ声をかけた。まだ少し放心気味のようだが、頷いて立ち上がってくれた。智美ちゃんを置いて行くわけにいかないので、申し訳ないがパジャマ姿のままかけてあった薄手の毛布に来るんで横抱きに抱き上げる。
「雅人くん、早く!」
「は、はい……」
 先に部屋の外へ出た柑奈が、入ってきた時よりも数十センチ広がった入口で手招きをする。それに、ヘロヘロしながらもしっかりとした足取りで入口へ向かう雅人。しかし、入口に立ったとたん固まり、棒立ちになっている。あの様子からして、あっちの部屋はだいぶ酷い有様のようだ。
「大丈夫か、雅人」
「……うん。大丈夫、大丈夫だよ。うん」
 近寄ってその背に声をかけると、ギギギと音をたてそうな動きで入口から移動していく。
それを何とも言えない視線で見送ってから、俺も部屋を出た。出て、固まった。
「……あれ?ここに部屋が一個あったような…?」
 かろうじて手前にだけ残った畳の残骸の上に立って、ぽっかりと空に浮かぶ太陽を見上げた。もう昼は過ぎたのか、その位置はてっぺんよりも少し下にあった。来るときに見たテレビも何もかも、土の上にガラクタとなって転がっている。幸いだったのは、町のはずれで前の道の人通りが少なく、被害者がいないことぐらいか。
 ギギギと、俺も音が出そうな動きで右横にいる柑奈を見た。雅人も気持ちは同じなようで、柑奈へと泣きそうな視線を向けている。そんな俺たちの視線に気がつくと、柑奈は舌をペロッと出して肩を竦めた。
「やり過ぎちった。てへっ☆」
『てへじゃなーい!!!!』
「いったーいっ?!」
 叩けない俺の変わりに、その頭に向かってコテツがアタックをかました。猫にまで怒られるとかどれだけなんだよ。
『ばかもの!魔法力で器物破損など、言語道断だ!これはアイリにきちんと報告させてもらうからな。後でしっかりと叱られてくるように!』
 コテツの言葉に、柑奈の顔色がみるみる青くなった。……アイリさんのお仕置きって、相当怖いらしいな。
「うえぇぇっ!そ、そんなぁ……コテッちゃん、厳しいよ!」
『当たり前だ。魔女とは常に闇に身を置き生きる者。それがこのような破壊を行い、社会に迷惑をかけるなどあってはならぬ』
「なんか、どっかの殺し屋とか忍者みたいな教えだな。それ」
『殺し屋ではない。魔女だ』
「ア、ハイ」
 ピリッとしたコテツの声に、俺はこれ以上の火の粉を防ぐために適当に返事をして流す。
 まったく、硬いなコテツは。まあ、数千年も前から生きてるらしいから仕方ないか。それに、今回はピンチだったとは言え、どう考えても柑奈が悪い。あんなもの、ぶっ放すとか何を考えてるんだよ。
『……ふふふ……酷いなぁ、いきなり撃つなんて。おかげで体が飛び散っちゃったよ』
「ひっ…お、おじ、さん?」
勇叔父さんの声だけが当たりに響き、雅人がキョロキョロと辺りを見回した。
「ふん、いきなり首を絞めたお返しよっ」
『それもそうだね。じゃ、これでおあいこかな』
 俺と柑奈は、目の前の一点を見据えた。あの場所だけ、直視すると何故か背筋にぞわぞわとした嫌な感じが這い上がるのだ。恐らくそれは、柑奈も同じ。その、見つめていた一点がゆらりと揺らめき、何もない空中に透明な液体の塊がゴボゴボと湧き出してきた。
「ななな、く、空中にいきなり水の塊が……」
「落ち着け雅人。あいつは姿を水のような透明な液体に変えることができるんだよ。あの姿だと、土にさえ溶け込めるらしいからな」
「えぇ…それじゃあまるで叔父さん、化け物みたいじゃ……」
「化け物なんだよ、もう、あの人は。…人じゃないんだ、雅人」
 きっぱりと告げた俺の言葉に、雅人は憔悴しきった顔で空に浮かぶ水の塊を見つめた。
「そんな……」
 湧き出した水はみるみる溜まり、人の形を取った。顔らしき山に二つ、ポカンと暗い闇が穴を開けた。奥で赤い光がチラチラと蠢いている。どうやらそれが目のようだった。
「あぁ、やっと元に戻れた。それじゃあ、そろそろ終わりにしようかな?あんまり長引かせても悪いしね」
 穴が弓なりにしなって笑みを象る。
「それはこっちの台詞よ!これで終わりにしてあげるわ!!」
 柑奈が何かを空中から抜き出す動作をすると同時に、以前公園で使っていた刀がその手に握られていた。公園でのことを根に持っているのか、柑奈がやる気になっているので俺は智美ちゃんと雅人の護りに努めるとでもしよう。それに、まだ魔法力の使い方も良く分からないし、あいつへの決定打になる方法も見つかってない。さっき以前弱点だった目を傷つけたのに即座に治し、消し飛ばされてもああやって復活している。となれば嫌な想像だが、本当に奴に弱点は無い事になってしまう。そうなると、今ここであいつを倒すことは難しくなってくるな。
 じりっと、地面に降り立った奴と睨み合う柑奈。ただ、切っただけではいくら柑奈の魔法力で作られた刀とはいえ、ダメージを与えることは難しいだろう。以前とは状況が違い過ぎる。
「そんな刀じゃ、僕は殺せないよ?」
「さぁ、試してみないとわからないじゃない」
「やれやれ、この間もそうだったじゃなか。それに、さっきも言ったけど今の僕にはこの間のような弱点はないよ。今の僕は完璧なんだからねぇ」
 くすくすと響く声に構わず、柑奈が動いた。
 一気に間合いを詰めて切りつける。ジャブッという音がして、その一振りは奴を上から下へ真っ二つに裂いた。しかし、奴は倒れることなく、二つに分かれたまま相変わらずニタニタと笑っている。その形がぐにゅりと歪んだのを見て、柑奈が後ろへ飛んで下がった。
「うーん、やっぱりダメね」
「ふふ、君の攻撃はそんなものかな?」
 切られた場所がくにゃりくにゃりとくっつき、幾つもの小さな粒に変化する。やはりダメージは受けていないようだ。
「じゃ、今度はこっちの番」
 幾つも分かれた粒を片手でなぞると、弾丸の如く柑奈目がけて飛ぶ。
「!」
 それに慌てず、バリアのようなものを張って防ぐ柑奈。数が多いせいか防ぎ切れずに何個かがバリアを外れて柑奈の腕や足を掠る。
「まだまだ。今度は防ぎ切れるかなぁ?」
 正面から飛ばしてダメならばと、今度は半端ない数の粒が不規則な動きで全ての方向より柑奈に向かう。
「なんの!」
 先ほど違い、全身を包むようにバリアを張った。その直後、全ての粒がぶつかりバリアごとぬるっとした液で柑奈を包み込んでしまう。
「柑奈!?」
「ふふ、そのまま大人しくのまれちゃいなよ」
 思わず叫んだ俺の前で、バリアはみるみる縮んでいく。ダメかと思った瞬間、風船のように破裂した。しかし、その後に柑奈の姿が見当たらない。
「?どこへ行ったのかなぁ?」
 きょろりと辺りを探す奴の背後に、幾つもの光が瞬く。その光はまっすぐに奴を直撃した。ぼちゅっ、ぼちゅっと音を立てて奴の体の中に鈍く光る弾丸が数個留まった。
「おやおや、刀の次は銃ですか。けど、それも僕には効かないよ?」
「それはどうかしら?」
 奴の背後にいつの間にか移動した柑奈が、にやりと笑ってパチリと指を鳴らした。その瞬間、幾つもの赤い閃光が奴の体の中で走る。バリバリと激しい音をたてて火花が散った。
「がぁっ!」
「どう?内側からの電撃は。結構痛いでしょ?最初に戦った時、内側から破ったダメージが通用していたからまさかとは思ったけどね」
「は…はは……これはやられちゃったなぁ。けど、これっきりじゃ、いつまでたっても僕は殺せないんじゃないかい?」
 痺れているのか、体の形を保てず足下で水溜りが出来ている。
 なるほど、内側か。良く見てるな、柑奈。けど、ほとんどダメージが通っていないのも本当のことだ。これではあいつの言うとおり、倒すまでどれだけ時間がかかるか分からない。
「な、なあ、司。とにかく、ここはお巡りさんとか呼んだ方がいいんじゃないか?なんかあいつ、柑奈が何をやっても効いてないみたいだしさ」
「うーん、お巡りさんを呼んで逮捕できればいいんだけどな……」
 捕まったとしてもあいつなら簡単に逃げられそうだが。
 雅人のごく一般的な意見に、周りを見渡して気がついた。土曜日の午後だと言うのに、人が全くいないのだ。これだけどんぱちやって他のアパートから誰も出てこない上に、気配すらない。
「雅人、ここのアパートには他にも人、住んでるよな?」
「え?うん、俺たちの他にも一人暮らしの鈴木のばあちゃんとか新婚の田村さん夫婦とか、母子家庭の加藤さん家とか六世帯ぐらいは住んでるはずだけど……」
 指折り数える雅人に、俺の考えは確信に変わった。俺たちは昨日奴がやっていたように、別空間みたいなものに隔離されてしまったのではないだろうか?ただ妙なのは、昨日と違い周りの景色が普通に見えること。公園では緑がかったライトで、照らされているように見えていた。その理由で俺が思いつくことなんて、単純なことしかない。以前とは違う人物が別空間を作って、俺たちを閉じ込めている。つまりこの場にいるのは、奴だけではないと言う事だ。奴が今の自分は完璧だって言ったのは、これも理由の一つだったというわけなのだろう。他に裂く力がいらなくなったから、その分自分の強化に回すことが出来たと。
 ただ、それでもおかしなことはたくさんある。魔法力がいくら復活したところで、アイリさんやばあちゃんの話が本当ならば男に魔法は使えない。魔法は魔女のもの。それがこの力の使える法則のようなもの。だとすれば、奴の扱うあの力は一体なんなのだろうか?
……もしくは奴も俺と同じで実は元が女ですというのなら、話は簡単なのだが…それは流石にないだろう。
「ま、とにかく今の状況をなんとかするのが先か」
 辺りを見渡し、この場の違和感を探す。完璧に作られていても、必ず何かほころびがあるはずだ。くるりと一周して、ないはずの影を見つけた。隣の家と道の間に、ぽつりと一つ不自然な影が小さく丸く落ちていた。
「…あれか。雅人」
「うん?なに?」
 声に答えてこちらを向いた雅人の腕に、抱えていた智美ちゃんをそっと押し付け渡す。
「悪い。ちょっとやりたいことがあるから、智美ちゃん頼む」
「あ、うん。…否、むしろありがとう。智美を連れ出してくれて。本当は俺が守ってやらなきゃいけなかったのに……」
 智美ちゃんを大事そうに抱えながら、雅人がすまなそうに言うのに片手を振って気にするなと伝える。そうして、きょろりと足元を見渡し、沢山散乱している家の壁の破片を一つ拾う。右手に持ち、ポンポンと何度か弄び、重さと投げやすさを確認する。
「よーし」
「……何する気だ、司?」
 不安そうに見つめる雅人に、口の端を小さく上げてにやりと笑う。
「まあ、見てなって」
 構えて狙いを定め、破片を力いっぱいその不自然な影の上空めがけて投げた。壁の破片はヒュッと空気を裂き、弧を描いて正確に先程の不自然な影の上空へと飛んでいく。壁の破片はそのまま空中の何かに飲み込まれ消えてしまった。暫くじっと眺めていると、ピシリと小さな亀裂が幾つもその一点から広がりだす。そのままボロボロと空間がはげて、ぽっかりと暗い闇の穴があいた。その穴の向こう側には、薄く現実の世界が見えている。向こうの世界はすでに夕方のようで、全てが茜色に染まっていた。
「そろそろ、終わりにしないか?傍観者さんよ」
「え?」
 開いた穴に向かって声をかけた。雅人は俺を見てから、穴へと視線を向ける。と、見つめていた黒い穴から、スーッと白い仮面が一つ現れた。ただ白く目と口の部分だけがそれぞれ三日月のように弓なりに反っている。
『私の結界を見破るとは、中々感が鋭いようだ』
「誰だ、あんた」
 低くゆったりとした野太い声が仮面の向こうから聞えて来た。しゅるりと黒い布が広がり、その仮面から下を覆い隠した。そうして、見ている俺たちの前で何もなかった黒い布の中から、人の腕が二本生えた。上腕まである白い手袋をした爪の長いごつい手が、パチパチと拍手をする。人を馬鹿にしているのか、本気なのかはかりきれない。
『これは失礼。私はアリ・アル。お好きなように呼んで頂いて結構』
「じゃあ、アリリン。悪いが、この結界さっさと解いてもらっていいか?」
『……それはできぬ相談だな』
 好きなように呼んでいいっていうから呼んだら、何故か機嫌が悪くなるアリ・アル。意外と短気なようだ。
『そちらがその生贄の娘と、魔女の娘の魔法力を差し出すと言うのならば、見逃してやってもいいが……いかがかな?』
「大却下だ。んな、友達売るようなまねなんか誰がするかっての」
『ふむ。頭はあまり賢くないか』

  ガッ!

 あまりに失礼なアリリンの態度に、容赦なく足下から適当に掴んだ壁の破片を投げつける。破片は相手のすぐ顔の横擦れ擦れを飛んで、そのすぐ後ろの空に重い音を共に突き刺さった。その破片にちらりと意識をむけてから、顎に手を当てて考え込むアリリン。不意に、破片にちょんと触った。すると空気に溶けるように、跡形もなく消えてしまう。
『随分なご挨拶だな』
「次は外さねーよ」
 再び足下から一つ破片を拾う俺に、やはり何かを考え込むような仕草をするアリ・アル。
『…あなたは魔法力が扱えるのか?男だというの……?』
「は?」
 急な言葉に思わず眉を顰め、首を傾げた。
『あなたの投げた破片に、極わずかだが魔法力が付着していたのを感じた」
 え、マジで?アリリンそんなこともわかっちゃうんだ。凄いね。っていうか、俺今男なのに、それでも魔法力が破片に無意識で移ってるとか。それだけ俺の魔法力って強いのだろうか。
『それに、この力…とても懐かしい。私はこの魔法力と同じ波長の力を、昔どこかで…』
 ぶつぶつと呟く相手に構わず、掴んでいた破片を狙って投げつける。しかし、アリ・アルに届く前に何かによって阻まれ、バチンと音をたてて消滅してしまう。やはり男のままでは移っていると言っても魔法力は微弱で、空間すらまげるあいつには通用しないか。あんまり女の姿にはなりたくないんだか、今はそんなこと言っている場合じゃないな。
「しかたねーな」
 ぼやいて舌打ち一つ、指輪に意識を集中する。とはいえ、魔女姿の自分なんて想像もつかない上に、女の時の自分は今朝着がえる時と顔を洗う時ぐらいしか見てないからそっちもうろ覚え状態だ。うーん、うーん……もういいや。面倒くさいから適当でいこう。とりあえず、服を着た女性でも思い浮かべようとして、学校の制服しか出てこなかった。普段から私服姿の女性なんてじっくり見ないから、一番長い時間目にしているものが出て来てしまったらしい。うん、いいやこれで。
 ふわりと、淡い光に体が包まれた。そうして次に自分の姿が現れた時、俺は制服姿の女の子に変身していた。なるほど、想像が追いつかなくても、女の時は元の姿になるんだな。片手を握ったり開いたりして、感触を確かめる。
「…つ、つつつ、司?!おま、お前、その姿は……!」
「悪い、とりあえず説明は後だ雅人」
「わ、分かった」
 俺の横で智美ちゃんを抱えて慌てる雅人を制してから、指輪にあの影まで届くものが欲しいと願いをかける。と、淡く指輪が光り手の中に生まれた光が白い弓の形を取った。なるほど、弓か。弦に手を添えるだけで矢が現れた。真っ直ぐアリ・アルへ向けて矢を構え、魔法力を矢に集中させる。パリパリと静電気のような青い光が、矢全体に走った。
「今度は、必ず当てて見せる!」
『……ああ、あの姿は!』
 ぽそりと何かを呟き戦慄き震える相手を無視して、俺は矢を放った。青い光の線を描きながら、矢は真っ直ぐに奴へと飛んでいく。先ほどの破片と同じように、奴の周りにある何かにぶつかり止まった。が、破片と違い矢は消滅せずに障壁を壊さん火花を散らす。
 ばちゅん!
『しまっ…くっ!』
 鼓膜に直接響くような鈍い音を立てて壁が壊れた。思考に気をとられていたアリ・アルは、そのまま仮面の額に矢を受けて勢いで仰け反る。バチバチと青い火花に黒い布だけの体が包まれる。悲鳴は一切い上げず、伸びきった腕が微かに震えていた。
 火花が消えると、暫く動かなかったアリ・アルの頭が、がくんと戻ってきた。その額にすでに矢はなく、ぽっかりと黒い穴が一つ開いている。その穴から一筋、ピシリと仮面にひびが入った。それと同時に周りの背景が揺らぎ始める。アリ・アルが傷を負ったことで、結界が保てなくなったのだろうか。
『…くく…はははっ!そうか、そう言う事か!』
「!」
「な、なんだあいつ急に」
 大声を上げて笑ったアリ・アルに驚いて思わず体が震えた。なんなんだあいつさっきから。ぶつぶつと独り言を言っていたかと思えば、油断した上に今は気味が悪いほど嬉しそうだ。
『見覚えのある力の波長と姿だと思えば、お前はかの偉大なる古き魔女(グレート・オールド・ウィッチ)・マリアの子孫だったのか!これはなんたる好機!マリアの子孫にまさか大いなる古き力を受け継ぐ者が、この世に生まれていたとはな。運命は我らに味方している!イサム、もういい。そいつを捕らえよ』
「え?」
「了解しました。アリ・アル様」
 柑奈と攻防戦を繰り広げていた勇叔父さんだったものが、アリ・アルの呼びかけに答えて動く。
「な、何?何を……え?」
 刀を構えていた柑奈の体が、ぐらりと傾ぐ。力を無くしたように、その場で地面に膝をついた。柑奈自身も何が起きたのか分からない様子で、その強張った表情に不安の色が浮かんでいる。
「先ほど捕まえた時に、君の体に僕の一部を潜ませたんだ。人の体でも何でも、浸み込んで魔法力を奪うことが出来るんだよ。僕はね。でも、少しだけだったから、中途半端に力が抜けちゃったかな?」
「くっ…つ、つか…さ……お、もりく……」
「ふふ、戦う前から君の負けは決まっていたんだよ。そう、気を落すことじゃない」
 動けない柑奈が、懸命にもがいているのは俺にもわかっている。しかし、今の状態で下手に動けば柑奈に何をされるかわからない以上、動くに動けない。ぐにゃりと腕を帯状に変えて、奴が柑奈を拘束する。打てないと分かっていても、俺は弓矢を奴に向けて構えた。ギリギリと弦をしぼる手が震える。
『やめておきたまえ。ここで、そんなことをしても、何の解決にもならんよ。偉大なる古き魔女マリアの力を受け継ぐ者よ。お前を是非招待したい場所がある。封じられし命の生まれる地で待っている。もし来なければ、来たるべき日喰いの時にこの女の命がないと思え』
「んな抽象的な表現で分かるか!来て欲しかったら、来て欲しい場所をもっと具体的に言え、具体的に!」
 柑奈を担いだ奴と並び、空間の向こうへ溶け消えようとする背中に叫んだ。しかし、相手はただ薄気味悪い笑みを割れた仮面に貼り付けたまま、スウッと消えてしまった。
 行く場を無くした怒りと悔しさをぶつけるように、引き絞った矢を空に放った。矢は真っ直ぐに飛んで空に突き刺さり、俺たちを閉じ込めていた奴の空間を砕いて消える。
「……柑奈……くそっ!」
『無事だったか、司』
「コテツ…柑奈が奴らに捕まった。俺が封じられし命の生まれる地へ行かなければ柑奈の命がないって……」
『ふむ。封じられし命の生まれる地、か。……心当たりがない、わけでもないが……』
「本当か?!」
 どこからともなく現れたコテツの言葉に、思わずその体を両手で掴んで持ち上げグッと顔を近づけ睨む。今まで、一体どこに隠れていたんだよ。まったく。
『あ、ああ。本当だ。ただ、古いことゆえ記憶が定かではない。一度アイリのところへ戻ろう。アイリも恐らく分かるはずだ。それに、その少女をそのままにはできぬだろう?』
 そう言ってコテツがちらりと視線を送った先には、鬼の形相に変えられ苦しむ智美ちゃんがいた。確かに、このまま一人で先走っても良いことはない。まずは、智美ちゃんを助けるのが先決だ。きっと柑奈も、そうするだろう。
「悪ぃ、コテツ。そうだな。行こう」
 頷いて小さく笑う俺に、コテツもうにゃうにゃと頷く。
「つ、司!コ、コテッちゃんがしゃべっ……!」
 ああそうか、ここに一人全く状況を理解できてない雅人がいたんだっけ。流石に落ちたとはいえ魔女の末裔。特殊な状況に直面して、コテツのうにゃ語が人の言葉としてしっかり聞えるようになったのだろうか?
「ああ、つい最近喋るようになってな」
『さらっとウソをつくでない。我は元から喋っている。お前たちが聞こうとしなかっただけだ。それと、我の言葉が人語に聞こえるのは、司が魔女として元の姿に戻った故よ』
「え、そうなの?」
 思わず訊ねた俺に、コテツがこくりと頷く。
『そうだ。お前の魔法力が周囲に影響し、すくなからずその力を感じ取れる者の耳に、我の声が聞こえていだけのこと』
「へー。……なんかよくわからないけど、司のその、まほうりょく?って凄いんだな」
 細かいことは分からないまま、大雑把に納得した様子で、雅人が感心したように声を上げた。
「と、とにかく!全部説明は後だ。今はここを離れよう。あまり長居すると、智美ちゃんのことやこの半壊した家のことで色々面倒になる」
 仕切り直しのつもりでコホンと咳ばらいを一つし、話題を変えた俺に、雅人も頷く。
「……そうだな。とりあえず今考えても仕方ないことは一先ず頭の隅っこに避けておこう。まずは智美だ!司、治せるって言っていたよな?」
「ああ、大丈夫だよ。必ずアイリさんなら智美ちゃんを元に戻してくれる。だから今は、俺を信じて付いて来てくれ」
「なに気持ち悪いこと言ってんだよ、司らしくない。そう言うのは俺の役目。お前はいつも突っ走る俺に、ビシッと冷静につっこみでも入れてればいいんだよ。さ、案内してくれ。ついて行くからさ」
 そう言って智美ちゃんを抱えて直す雅人は、幾分疲れは見えるもののさっきまでの泣きそうな顔ではなくいつもの元気な雅人の表情だった。
 ああ、こいつはもう大丈夫。全部きっと受け止められると、ホッとして小さく笑った。
 制服少女から男の姿に戻ると、俺たちは誰かに見つかる前に急いでその場を後にした。

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