3.永久名誉理事長

文字数 19,056文字

 目を覚ますと、板張りの天井が最初に見えた。見慣れた天井。どうやら俺は、自分の部屋まで運んでもらったようだ。
 六畳ほどの畳張りの部屋。敷かれた布団の上にむくりと起き上がってぐるりと部屋を見渡す。あまり物のない俺の部屋には、一畳分のカーペットを敷いた上に置かれたパイプ机と椅子のセットがあり、その向かい側の壁には背の低い本棚(中身はほぼ漫画)と、箪笥が置かれている。その横に押入れがあり、その向かい側の部屋の角にテレビが置かれていた。なんの代わり映えのしないいつも通りの部屋にほっとした。が、自分の体に視線を移してまた重い気分になった。いつも着ている男もののパジャマではなく、妹の赤いチェック柄のパジャマだった。察するところ着がえさせてくれたのは、ばあちゃんか妹だろうか。なんだか考えるだけで気恥ずかしくなって、一人布団の上でゴロゴロと転がった。
 とりあえず、着がえてみんなのところへ行かなければ。何の疑問も抱かずパジャマにまで着がえさせてくれたことから、恐らくばあちゃんと親父は俺の今の姿について何か知っているはずだ。問い質して、できる事なら元に戻りたい。
 女ものの着替えなんてないから、適当な服でも引っ張り出して着ようかと思ったら、枕元に妹の部屋着であるジャージ上下が置かれていた。綺麗にたたまれたその上に、妹の字で『遠慮なく着てね(ハート)』と書かれている紙が置いてあった。あいつ、俺のこの状態を面白がっていやがる…。イラッとしたが、今は堪えてそのジャージを着る。サイズは大体ピッタリだったが、しいて言えば胸の辺りが少し苦しいだろうか。つまり、俺の方がでかいってことなんだろうな。
無意味な優越感に、自然と顔がにやけた。……って、違う。そうじゃないだろ、俺!
「と、とにかく、早くみんなの所へ行こう」
 誰が聞いているわけでもないのに、言い訳染みた独り言を呟きつつ部屋を後にした。


「――で、知ってるんだろ?俺が女になった原因。きっちり説明してくれよばあちゃん、親父」
 洋風のリビングにばあちゃんの趣味で置かれた大きな丸ちゃぶ台を囲んで、俺と親父、ばあちゃんと柑奈が席についていた。牧原記者は、色々問題になるとまずいので、記憶を操作して家に送り届けたそうだ。記憶を操作って…いや、もうあんな奇妙な奴と奇妙な戦いをしたんだ。今更驚くことでもないか。
 妹の茜は部活の練習で朝から出ているらしい。俺とは二つ違いの中学二年生で、テニス部に所属しているスポーツ少女だ。
「そうじゃな。もう、こうなっては全て話そう。いずれは知れることじゃて」
 ずずっと、お茶を啜り重いため息を吐き出すばあちゃん。それにつられて、思わずみんなもお茶をすすった。ああ、なんかホッとするな。
「全てを話すんなら、だいぶ昔までさかのぼらないといけないねぇ」
「んな大袈裟な。俺が女になったことの原因だけだろ?話すの……いえ、なんでもありません。どうぞ先をお続けくださいませ」
 しゃきっと曲がった背を伸ばして話始めたばあちゃんの、あまりに突拍子もない切り出しに思わず突っ込んでしまった。ギロリと音が聞こえそうな視線で睨まれ、思わず反射的に謝っていた。昔っから、怒った時と機嫌の悪い時は誰も触れられないほど怖いんだよな。どうも今もって勝てる気がしない。
 こほんと咳払いを一つして仕切り直すと、ばあちゃんは淡々と話はじめた。
「どこから話そうかね?司、あんたは魔女を知ってるね?」
「ああ。童話とかゲームとかよく使われてる題材だし、毎日ばあちゃんたちの怪しい儀式ごっこにつき合わされてるからな。一般の方々よりは身近だろうな」
「ごっことはなんじゃ、ごっことは。わしらはいつでも本気でやっとるわい」
「はいはい。で、その魔女がなんだって?」
「まったく…そうじゃな。お前、あたしらがその魔女の末裔だって言って…信じそうもないね」
「そりゃあなぁ。そんなこと急に言われたって、俺今まで一度も魔法らしい魔法なんて使ったことないし。信じろって方が無理だろ」
 そう言って肩をすくめて見せると、ばあちゃんがにんまりと気持ち悪い笑いを浮かべた。
「な、なんだよ」
「いますぐに、この場で信じさせてやるのさ」
「ほおぉぉ、ばあちゃんが魔法でも使って見せてくれるのか?」
「いんや、無理だね。あたしにそんな力はないよ。末裔と言っても、あたしらのように先祖が人に身を落した魔女は大体たいしたことは出来ないんだよ。占いでその人の未来を覗いたり、明日の天気を当てたり」
「怪しい儀式をしたり?」
「ふん、まあね」
 ずずっとまたお茶をすするばあちゃん。
「でも、だったら俺も同じだろ?ばあちゃんの孫なんだからさ」
「お前はちぃとばかし違うんじゃよ。魔女はその強い生命力によって不思議な力…魔法を使う。そのせいか老いることも死ぬこともなく永遠に生きることができるんじゃ。それを捨てることが、すなわち人になるということじゃ。じゃが、根本的な魔女の力が全て消えてしまったわけではない。だから、さっき言ったようなことが出来る。ただ、この人になる呪術の難しいところは、数千年に一度先祖返りを起こすところなんじゃ」
「先祖返り?それって、子孫に返ってくるってこと?」
「そうじゃ。そしてその数千年に一度の年に生まれた最初の子供がお前なんだよ、司。お前は、あたしらの遠い先祖である、世界に四人しかいない、最も偉大な魔女――最も偉大なる古き魔女(グレート・オールド・ウィッチ)の魔法力を受け継いで生まれてきたんじゃよ」
「……へぇ」
 漫画だったらババーンと背後に効果音でも背負っていそうな勢いで発表するばあちゃん。親父と柑奈が横で両手をひらひらさせているという、気合の入ったオマケ付だ。が、ばあちゃんには悪いが、そんなことを言われても話が現実離れし過ぎていて返事に困る。
「なんだい、その気の抜けた返事は。つまらないねぇ、もっとこう『うそーっ!』とか『わーっ!』とか驚けないのかい?」
「いやぁ、そう言われてもねぇ…。これでも驚いてはいるんだぜ?でも、内容が現実離れしていていまいち気がのらないと言うかなんと言うか」
 ぽりぽりと頭をかいて、眉間にしわを寄せた。
「しかたないね。それじゃ、さっき言ったとおり、今すぐ信じさせてやるとするかね。コテツ、コテツはいるかい?」
 コホンと咳払いを一つすると、飼い猫のコテツを呼ぶ。「うんなぁーん」と、間延びした声が背後から聞えた。のそのそと貫禄のある灰キジトラの体が左右に揺れながら俺の横までやって来てちょこんと座った。その頭を撫でてやると、気持ちよさそうに目を細める。
「司、何かコテツに話かけてみな」
「は?」
 撫でていた手を止めて、ばあちゃんに怪訝な視線を向けてしまった。しかし、ばあちゃんはいたって本気のようで、目を細めて真面目な顔でこちらを見ている。そんな、猫に話しかけるなんてどう考えてもおかしいだろ。
「何いってるんだよ。コテツが喋るわけないだろ?」
『…いや、今のお前なら、我の声も聞えるだろう』
「……え?」
 半分冗談でそう言って笑えば、やけに渋い声で返事があって笑顔のままひきつった。
「い、今喋ったのって…コテツ?」
『うむ。そうだ。正確に言えば、お前が理解できるようになったと言った方が正しいがな』
「お、俺が理解できるようになった?」
『そうだ。魔女としての力を引き出すことの出来るようになった今の司なら、我と会話することはおろか、他の動物とも意思の疎通を行おうと思えばできる』
 うにゃうにゃと口は動いているのに、その泣き声が全て人の声に聞えてくる。まるでテレビの動物に台詞を付けて、人が読んでいるようでちょっと耳が気持ち悪い。
『最初はおかしな感じだろうが、まあ、そのうち慣れるだろう』
「そ、そうかな?と言うか、慣れなきゃならんのか」
『今一度封じれば聞えなくなるだろう。だがその場合、司の体がどうなるか我には検討もつかない』
「ど、どうなるの?」
「風船みたいにパーンじゃな」
「え」
 ばあちゃんがパッと両手を広げて見せる。
「押さえきれず溢れ出したものは、心と言わず体と言わず呑み込んで全て自然の中に返してしまうじゃろう。要は、司がこの世から消滅するだけに納まらず、この世界全ての自然に影響を与えると言う事じゃ。異常気象やらなにやら、まあ、小さい影響だとは思うが推測の域を出んのう」
「つまり俺は、強制的に今後の人生魔法少女決定なのか」
「魔法少女ではない、魔女じゃ」
「ああ、はいはい。魔女ね、魔女」
 訂正するばあちゃんに、俺は適当に返事をする。
「やる気がないな」
「当たり前だろ?俺は男に戻りたいんだよ!」
『……戻る、というよりもそれがお前の本来の姿であろう?』
「……え?」
 ペロペロと顔を洗いながらさらりと、とんでもないことをコテツが言った。女の姿が…俺の本当の姿?それは一体どういうことだ?
「ああ、これコテツ。先に結論を言うんじゃないよ。まったく、人がせっかく一から司に説明しようとしているというのに…」
「待ってくれよ、ばあちゃん。これが俺の本当の姿って…どういうことなんだよ!」
「まあ、落ち着け司。話には順序というものがあってだな。それを先に語らなければ、その理由も正しくは理解できんものじゃ。とにかく、座れ」
 思わず身を乗り出した俺を、ばあちゃんが制した。納得はしたくないが、とりあえず理由は知りたいからここはぐっと我慢して座り直す。柑奈が心配そうにこちらを見ているのに気づいて、大丈夫だと小さく笑って見せた。そんな柑奈の顔色も心なしかあまり良くないようだ。大丈夫かな?
「ばれてはしかたない。もう、結論から言ってしまおう。コテツの言うとおり、司は元々生まれた時は女じゃ。それを男に変えたのは、今は亡きお前の母親じゃよ。もちろん意味もなくやったことではない。お前の身を護るために、あの子も苦肉の策でそうしたんじゃ」
「俺を護るため?何でそんなこと……」
 語るばあちゃんの目は、どこか悲しげだった。きっと、話すことで母さんが亡くなった時のことを思い出しているのかもしれない。
「お前の母親…あたしの娘、李香(りか)も同様にほんの少しだけ魔女の素質を受け継ぐ子じゃった。しかも、あたしらの先祖はそんじょそこらの魔女とは違う。数千年の時を生きた魔女の頂点に立つ存在、最も偉大なる古き魔女の一人じゃ。表には出てこなくても、内に秘めた潜在的な力は大きいものじゃった。そこを、ある人物に狙われたのさ」
「ある人物って?」
「あたしらのことを憎んでいる者たちじゃ。かつては同じ魔女だった。しかし、魔女狩りで大切な人々を失ったり、裏切られたりして人に絶望し、逆に人を狩ろうとしたのさ。けど、他の魔女たちにそれは阻止されてね。加担した魔女は皆その力を奪われて強制的に人の身に落されたのさ。自分たちが狩ろうとした人の身に堕とされたことで、その魔女の末裔には現代の魔女を憎んでいる者もいる。多くはすでに、魔女の末裔であることすら知らずに、この極東の国で人として生きているだろうがのう」
 そこまで話すと、ばあちゃんはゆっくりと茶をすすった。再びつられて俺たちもすする。すでにお茶は温く、少し苦味が増していた。
「でも、だったらなんで母さんが狙われる必要があったんだ?だって俺たちは、人に身を落した魔女の末裔なんだろう?」
「そうじゃ。あたしらの先祖の魔女は、偉大なる者の一人でありながら…いいや、だからこそ人に身を落したんじゃ。全ての魔女は一つの家族。罪を犯したとしても、魔女たる力を奪われるという、最も重い罰を架せられた者たちに寄り添って生きる道をあたしらの先祖は選んだんじゃよ」
「…共に、生きる道……」
 ぽつりと柑奈が噛み締めるようにつぶやいた。昨日のことから推測するに、柑奈もやっぱり“魔女”なのだろうか。聞いてみたいが、今はばあちゃんの話が先だ。
「しかし、一部にはその心は伝わらんでな。極東の国に自分たちを閉じ込め、監視するために力を隠しているのだと思い込んでいるやつらもいるんじゃよ。無理もないよ。自分たちから力を奪った者を信用なんて…あたしだって同じ立場ならできんよ」
「母さんを狙ったのは、そういう奴らだったのか?」
「そうじゃ。隠された力を手に入れ、再び魔女の力を取戻し、ひいては地上に存在する人と言う人、魔女という魔女を無に返そうという恐ろしいことを考えてる奴らじゃ」
「そんなことのために、勘違いで母さんは殺されたのかよ」
 自然と声のトーンが落ちる。だとしたら、俺はその殺した奴らを許せない。昔の罪だか罰だかで酷い目にあっているとしても、その代償を母さんに求めるなんてあんまりだろ。
 グッと力強く握り締めた手に、そっと柑奈の手が重なる。顔を向ければ、そのまま俺の心を代弁した、くしゃくしゃの顔の柑奈がいた。悲しいのか腹立たしいのか感情のない交ぜになった酷い顔。お前がそんな顔してどうするんだよ…まったく。
 置かれた手をもう片方の手でポンポンと軽く叩いて、小さく頷いてみせた。そういう他人ばかり心配するのは昔と少しも変わらない。だから余計に、俺の方が心配になるんだけどな。いつかそれが、命を危険に晒すことにならなければいいと。
「そんな奴らの中にも、まともな者はいるもんでな。奴らの一族の中の一人の女性が、手助けてくれたおかげでなんとかその思惑は潰すことが出来たんじゃよ」
「……」
「あたしらはお前の中に眠る大いなる力を“魔女の記憶”という、まあ、預言書みたいなものから知っていたでな。李香は自分の身に死が迫っていることを察して、お前に呪術を施したんじゃ。その力を持つことで、お前の身に厄災が降りかからんようにな。…ただのう、まさか男になるとは思わなんだ」
「うぉい!男になったのは偶然だったのかよ!」
 真面目に聞いていたのに、どうでもいいオマケ見たいに言われてしまったよ。俺が男だとか女だとか。シリアス雰囲気無視して、思わずつっこんでしまった。
「まぁまぁ。魔女の力を使いこなせるのは呼んで字のごとく女限定なのさ。だから、力はあってもまったく使うことが出来ない男になったのも、多少は頷けるんじゃよ」
「…ったく、俺が突然女になってどれだけ驚いたと思ってるんだよ!」
「それはお互いさまじゃ。あたしらとて、突然男になった時はどうしようかと思ったわい」
「知るかんなこと。俺のせいじゃないやいっ」
 フンとそっぽを向いて、腕を組む。そんな俺を嬉しそうに見つめる人物がたった一人だけそこにいた。
「…親父、何笑いながら泣いてんだよ、気持ち悪ぃ」
 今までほとんど話しに割り込まず空気のような存在だった親父であった。
「あはは、いやな。女の子の司が笑ったり怒ったりしてるの見たの、幼い時いらいだなあと思ったら嬉しくってな。ついつい」
「あ…そう」
「つめたいな、司。だが、それもグーだ」
「意味がわからないぜ、親父……」
 今までの重苦しい空気が、最後の最後に何処かへ吹っ飛んでしまった。すっかり冷めてしまったお茶を飲み干して、俺は一番の本題を切り出した。
「で、俺はまた男に戻れるのか?」
――瞬間、その場にいた全員の動きが止まった。
 約二名、物凄く嫌そうな顔をしている人達がいるのですが…。それが実父と祖母ってどういうこと。
「いやいや、戻る必要とかないと思うぞ、お父さんは。生まれたままのツカサで良いんじゃないかな?」
「親父、発言がさっきから、ちょっと危ない」
 力説する親父に、俺は若干引き気味に言う。
「あたしもそのままで良いと思うがのう。元々女なんじゃし。せっかく戻れたんじゃぞ?」
「ばあちゃんの気持ちは分かるけど、今まで男で育てられて来たから、やっぱり元に戻りたいんだよ。それに、このままじゃ学校にも行けないだろ?」
「転校生として、再び入学するのもありじゃぞ?」
「遠慮しておきます」
 ばあちゃんの横でポンと手を打った親父を、俺は音がしそうなほど強く睨みつけた。その手があったかみたいな表情は、やめろよ親父。
「しかしのう……」
「もういいから、とっとと男の戻り方教えてくれよ!」
「そうだぞ、ツカサ。わがままを言って、おばあちゃんを困らせてはダメじゃないか」
「親父は引っ込んでろよ。戻り方知らないだろ」
「う、痛いところを……」
 胸を押さえて大袈裟に落ち込む親父。子供頃からこういうふざけたやり取りには本当に付き合いがいいんだよな。
 ため息一つ、ばあちゃんと向き合う。ばあちゃんはまだ、渋い顔をしていた。
「ばあちゃん」
「……」
 強く呼んでも、ばあちゃんの渋い顔は解けない。
……これじゃあ、話が全く進まないな。
「あ」
 どうしたものかと困りきった俺たちを他所に、柑奈が気の抜けた声を上げてポンと手を打った。
「じゃ、こんなのどうですか?私と同じように変身して世界の危機を救う魔法少女的なものになるっていうのは。そしたら、可愛い司を見放題ですよ」
「はぁ?何言ってんだよ、柑奈。全然意味わかんねーよ、それ」
 急に何を言い出すのかと思えば、全く意図が分からない提案をしてきた。そんな提案に、二人が乗るわけは――
「「よし、その提案乗った!」」
「乗るのかよ!!」
 いい笑顔を浮かべて親指を立てる親父とばあちゃん。それに答えるように、柑奈もいい笑顔でぐっと親指を立てた。何これ。なんでここにはこんなに変なのばっかり集まってるんだ?頭を抱える俺の横で、コテツが我関せぬとばかりに毛づくろいしている。
「そうと決まれば、アイリの所へさっそく行って貰おうかのう」
「アイリ?」
「アイリ=ミシェル。数人いる最も偉大いな古き魔女の一人よ」
「いるのか?そんな人がこの町に……」
 疑いの眼差しで聞き返せば、こっくりとばあちゃんが頷いた。
「いるんじゃな、それが。さ、とっとと行った行った。柑奈ちゃんを襲った奴の話もアイリの方が詳しく知っておるからのう」
「ちょっと待てよ。その前に俺に男への戻り方を教えてくれよ、ばあちゃん!」
「知らん」
 慌てて詰め寄った俺に、ばあちゃんは素っ気なく言った。
「は?」
「さっきも言ったが、人に落ちた魔女の末裔のあたしらに出来ることは占いや本当に簡単な呪い程度じゃ。司にかけた呪いもそれほど強い封じの呪いではないしな。現に、こうして解けてしまったじゃろう。男になったのは恐らくあたしらではなく司の中にある力が封じの呪いとなんらかの相好関係を起こしたからじゃろう」
「えぇぇぇっ?!じゃ、何のために俺はいままで、ばあちゃんの長い昔話を聞いてたんだよ!」
「あたしは初めに説明すると言ったじゃろ。誰も男になる方法を教えるとは言っとらん」
「そんなん詐欺だ!」
「まあ、まあ、司。男に変化する魔法だったら、アイリ様がきっと知ってるからとにかく行ってみよう?」
 地団駄を踏んで悔しがる俺を、柑奈が宥めるように肩を叩いた。
「うう…」
「じゃ、じゃあ、いってきまーす」
 グイグイと柑奈に背中を押されて、半べそをかきながら自宅を出た。
 こういう時って女だと便利だな。男の姿で半べそかいても全然可愛げないし。そして何故か着いてきたコテツと共に、そのぐれーとなんとかのアイリさんを、柑奈の案内で目指すこととなったのだった。


「――ここだよ」
「ここ…って、俺にはいつも通う見慣れた学校の校門に見えるんですけど」
 柑奈に連れてこられたのは歩いてすぐの、懐かしくもない俺たちの通う高校だった。今日は土曜日のため、校門を通る生徒の姿は見えない。前の通りを歩く人の姿もまばらだ。時刻は午後一時半。俺は半日も気を失っていたことになる。
「本当に学校にいるのかよ。アイリさんとやらが。何か、間違ってないか?」
 門柱に彫られた『紺東(こんどう)学園』の文字をじっと見つめながら、俺は柑奈に疑りの声を上げる。どう考えても、おかしいだろ。いつも通う高校に魔女の偉い人がいるな
んて。
「いいから、いいから。さ、行こう?」
 ぐいぐいと背中を押され、俺は渋々門扉へと手をかけた。門はガラガラと喧しい音をたてて、左へとスライドしていった。休日出勤する先生のために、鍵はかけていないようだ。いつもより重く感じるのは、俺が今、女の筋力しかないからだろうか。
「こっち」
 門を潜ると、柑奈は先に立って歩き出した。その背に、ずっと聞こうと思っていたことを投げかけてみる。
「えーっと、あの、さ。柑奈」
「なに?」
 振り返ることなく、返答がきた。
「聞きたいんだけど、昨日のアレからして、お前もやっぱり魔女なのか?」
「え?…ああ、うん。そっか、まだきちんと言ってなかったっけ。そう、私も魔女。といっても、私はハーフだけどね。お母さんが純粋な魔女だったの」
「そっか」
 会話の内に桜並木を抜け、中央ロータリーへと出る。
「お母さんとアイリ様は友だちで、私を身篭って一人で生きていこうと決心した時も、何かと助けてくれたんだって。お母さんが亡くなった後も私を母の変わりに育ててくれたのよ。だからここは、私にとってとても大切な場所の一つなの」
「そっかぁ…」
 柑奈の母親が幼い頃になくなったことは知っていた。凄く男気に溢れた美しくも優しく逞しい人だったな。ほんと、世話になってばかりで、怒られることも良くあった大好きな人だった。それでも、亡くなった頃の俺は幼過ぎて、その意味も柑奈が泣いている理由もよくわからなかった。
 そんなことを俺が考えている間にも、柑奈はロータリー中心を真っ直ぐに進むと、柑奈は高等部へと向かう右の道へは向かわず、更に真っ直ぐ歩いて行く。中央がアーチ状の作りになった総合管理棟を抜けた先は、大学だ。文化祭等の特別なイベントでもない限り、今のところ足を向けることもない。それは柑奈も同じはずなのに、勝手知ったる様子でその足取りに一切の迷いはない。
 初めて見る景色に視線を忙しなく動かしつつ、後を追う俺が正面へ視線を戻すと、柑奈が一つの建物の中へと入って行くところだった。その建物だけ周囲のコンクリート作りと違い、木造建築の古い洋館のように見えた。白い漆喰の壁に木目を生かしたこげ茶色の柱。二階と一階左右に四、五つずつぐらい部屋があるシンメトリーの作り。中央に張り出した玄関は古めかしく黒っぽい、どっしりとした両開きだ。帽子を被ったような円錐の屋根はコバルトブルーで可愛らしい。
「随分、他の建物と雰囲気が違うな」
「うん。この建物だけは、学園設立当初からあるらしいよ。えーっと、明治だったか大正だったか…。とりあえず、そこらへん」
「アバウトだな…」
 そんな会話を交わしつつ、柑奈は玄関の扉を引いた。
 中に入ると、二階まで吹き抜けの造りになっており、高い天井から数個白く丸い電燈が吊り下がっていた。掃除の行き届いた室内は古めかしさは感じさせず、どこかとても懐かしささえ感じる。自分の姿が映る木目の美しい床。正面には建物と同じく翼を広げるように、木製の手すりがついた階段が左右へと壁づたいに伸びている。白い階段に茶色の手すりのコントラストが目を引いた。伸びた階段の先は扉が左右に二つずつある。
「うわぁ……、なんか、昭和のドラマとかに出てきそうな造りだな」
「まあ、古いからね。でも内部も当時のまましっかり管理されて、結構綺麗に残ってるのよ?」
「へー、こんな建物がうちの学園に残っていたとはね」
「あら、こんにちは、柑奈ちゃん。コテツ。…それと、ツカサちゃん、だったかしら?」
 感心して周囲を眺めていた俺の耳に、女性の声が聞こえて来た。視線を声のした方へ向けると、一階の一つのドアを閉めてこちらへと歩み寄て来る女性の姿があった。
「こんにちは、千佳(ちか)さん」
『久し振りだな、千佳』
「えっと……、なんで、俺の名前を……?」
 まるで前から知っているような態度に戸惑っていると、女性がくすりと笑った。
「あなたとは、赤ん坊の頃に何度か会っているのよ。あなたのお母さん…李香が良く連れて来たから。今回ここに来ることを知っていたのは、あなたのおばあさんから先に連絡があったからね」
「そ、そうなんですか」
「ふふ。そんなに改まらなくてもいいわよ。私は緑川千佳(みどりかわちか)。よろしくね」
「あ、はい。よろしく、お願いします」
 何だか気恥ずかしい気分になる。こういう大人の女性とはあまり接する機会がなかったせいかもしれないな。小さい頃に母さんが亡くなってからはずっと、親父とばあちゃんと妹の四人家族だったし。
「千佳さん。アイリ様は?」
「いらっしゃるわ。連絡を聞いてからずっとお待ちかねよ」
「わかりました。ありがとうございます」
「じゃ、また後でね。柑奈、ツカサちゃん」
「え、あ、はい。また…」
 そう言って手を振る千佳さんに、二人そろってお辞儀をした。
「司、こっち」
「お、おう」
 二階を指さし、先に立って歩き出した柑奈の後を追いかける。階段を上り、さらに左へ伸びる階段を進む。二つあるドアの手前に歩み寄り、柑奈は中へと入って行った。ドアの先は真っ直ぐに続く廊下。玄関ホールと同じ木製のつるりとした床。片側の白い壁にスズランの花のような、白いさらりとした陶器の電燈が規則正しく並んで掛けられている。
 左と右に交互にある木製のドア。上部にある小さな窓からちらりと中を覗いた感じ、中は教卓と椅子と机が並ぶ教室のようだ。しかしそのどれも、今と比べて古めかしくだいぶ昔のものだと知れた。
「ここは、大学の校舎に使われているのか?」
 ちらちらと視線を彷徨わせつつ聞いた視界の隅で、プルプルと柑奈が首を左右に振った。
「ううん。大学の授業は全部、第一棟から第六棟で行われてる。今ここは、創立記念館みたいな場所かなぁ。一階には、この学校の設立からの資料とか写真とかが飾ってあったり、保管されている部屋があるわよ。後で見てみたら?」
「ふーん。まあ、気が向いたらな」
 適当に返事をする。俺にとっては男に戻る方法以外、今はどうでもいいことだ。
「後は……そうね。永久名誉理事長の、理事長室があるかな」
「……え?」
 ぽつりとこぼした柑奈の言葉に、俺は昨日女生徒たちが話していた噂話を思い出した。
――永久名誉理事長の幽霊が出る。
 そして幸か不幸か、柑奈が今まさに足を止めた部屋の金色のプレートにも同じ名前が煌めいていた。
『理事長室』と。
「アイリ様。柑奈です」
 コンコンとノックの後、柑奈がそう告げる。
「どうぞ」
 短く返って来た声は、優しく穏やかな老婆のものだった。幽霊話を思い出し、内心びくびくしていた俺の不意をつくには十分だった。
「失礼します」
 カチャリと開いたドアの向こうに、果たして俺の予想していた通りの人物はいた。
「お待ちしていましたよ、柑奈、コテツ。そして、」
 穏やかな笑みを浮かべた白髪の老婆が、真っ直ぐに俺を見た。その視線は、どこまでも優しい。
「司。よくきましたね。歓迎しますよ」
 笑みを浮かべたアイリさんの姿は、学園の講堂に飾られている約百年ほど前の永久名誉理事長の絵そのものだった。藍色のレースのフリルがついたワンピースを着て、白一色の紙は頭のてっぺんでおだんごにまとめている。そして、予想に反して意外に小さかった。ビニールか革かは分からないが、豪華な造りの椅子にその体がすっぽりとはまってしまっている。
「初めまして司。私はアイリ。アイリ=ミシェル」
「あ、初めまして。佐崎司です」
「ふふふ、司は李香似ね」
「えーっと…どうも……じゃなくて!もしかしなくても、学園創立者の永久名誉理事長ご本人様…ですか?」
 親しげなアイリさんについつい懐柔されかけたが、そこははっきりさせておかなければ。俺の問いかけに、アイリさんはゆっくりと頷く。
「ええ、そうですよ。私が、永久名誉理事長の紺東藍璃(こんどうあいり)です」
「で、でもそうなると、アイリさんすでに百歳を軽く超えていることになりますよね?それに、創始者は既に亡くなっている筈じゃないんですか?学生手帳の学園史のページにはそう書かれていましたけど……」
 この言葉にも、アイリさんは頷いた。
「ええ。私の人としての生活には、既にピリウドが打たれています。人が百年経っても大して老いることもなく、ぴんぴんしていては周囲に不信感を抱かせますからね。この地で学園を創設し、永久名誉理事長となった紺東藍璃は亡くなっていますが、最も偉大なる古き魔女(グレート・オールド・ウィッチ)のアイリ=ミシェルは死んでいませんから」
 そう言うと、アイリさんは意地の悪い笑みを浮かべる。その笑みが、見た目の穏やかな老婆の様子とはかけ離れており、俺は背筋を薄ら寒いものが走った。
「……なるほど。というか、本当にあなたが“最も偉大なる古き魔女のアイリ様”なんですね」
 筋は通っている。魔女という存在を信じざる得ない俺は納得するしかない。
「じゃあ、今ささやかれている永久名誉理事長の幽霊騒ぎは……」
「ふふ、そうね。時々生徒の様子を見守るために、学園内を散歩している姿が目撃されてしまったのね」
 くすくすと笑うアイリさんはとても楽しそうだ。
「若いって良いわね~」
「少しは気をつけて下さいよ、アイリ様……」
「はい、はい」
 苦言を呈する柑奈に、アイリさんの返事は軽い。止める気は全くないらしい。
「まったく……」
「そんなことより、私に説教しに、わざわざ来たわけではないのでしょう?」
 不服そうな柑奈に、アイリさんはさらりと話題を変える。『そんなこと』の部分に、柑奈の顔がぴくりと一瞬引きつったのを、俺は見なかったことにした。本当に仲のよろしいことで。
「……そうですけど」
「あ、じゃあ、俺から一ついいですか?」
 煮え切らない柑奈に構わず、俺は片手を上げて主張する。
「どうぞ、何でも聞いて頂戴。あなたの先祖と私は姉妹のようなもの。あなたは私にとって、大切な姉の血族なのだから。何でも答えるわよ」
「ありがとうございます。では、さっそくで申し訳ないんですが……」
 一歩前に進み出て、頭を勢いよく下げた。
「アイリさん。俺に……男に戻る方法を教えてくださいっ!」
 瞬間、パンッ!と良い音が部屋中に響いた。
「違うでしょ、司!男とか女とかの前に、連続通り魔事件のことでしょう?!」
「痛っ!」
 真剣な俺の後ろ頭を、柑奈が思い切り叩いたのだ。呻きつつ、その場に後頭部を押さえてうずくまる。
「ってーな!柑奈、お前少しは手加減しろ!大体、男に戻ることは俺にとっては大事なことなの!連続通り魔事件の解決も大事だけど!」
 首だけ捻って柑奈を睨み上げ、半分涙目で文句を言った。たんこぶとか出来てないよな?これ。
「それはわかってるけど、やっぱり連続通り魔事件の解決が先よ!次の犠牲者が出るかもしれないんだからねっ?!そうなったら、司、あなた責任とれるの?!」
「うう、それは……」
 それでも渋る俺を、柑奈がギロリと凄い目で睨みつけて来る。……俺だって、突然女になって色々大変なんだけどな。トイレとかお風呂とか洋服とか色々色々。そんな不満を押し殺すため、一度大きく息をついた。
「……わかったよ。連続通り魔事件の事が第一案件でいいよ」
「よし」
 不承不承了承する俺に、柑奈が満足そうに頷く。人の命がかかっているとなればこれ以上我侭を言ってもしょうがない。
 まだ痛む後頭部はさすりつつ、その場に立ち上がった。その横に柑奈が寄って来る。
「ふふっ、仲がいいのね」
「うーん、と言うよりも腐れ縁というかなんというか…」
「幼稚園の頃からの仲だもんね。なんかもう、慣れちゃったというかなんというか…」
「だな」
「ま、いいわ」
 そう言ってくすくす笑うアイリさんに、俺と柑奈は顔を見合わせて首を捻った。大人の考えていることは時々良く分からないな。
「それで、連続通り魔事件のことなんですけど…」
「ええ、あの事件、こちらで調べた結果、被害にあっているのはやはり元魔女の末裔の女性ばかりのようです」
「魔女の…でも、どうしてですか?」
「おそらく、魔女の力…魔法力を必要としているのでしょう。被害者は全員魔法力を抜き取られているようです」
「魔法力?魔法力を抜き取ると、目を覚まさず眠り続けるようになるものなんですか?」
 柑奈とアイリさんは理解しているようだが、俺にはいまいちよく分からない。その魔法力っていうのは、RPGとかで良く見る魔力とかMPとかのあれとは違うんだろうか?もし同じなら、抜き取られたからって死ぬとか眠り続けるとかないような気が…。
「魔法力って言うのは、いわば生命力と同じなの。分かりやすく言えば命とか魂とかそんなものの一部のことかな」
「でも、一部を抜かれるだけなら減るだけだけで済むんじゃないか?なんでみんな眠って起きないんだ?」
「えーっと、それは……」
 俺の疑問に柑奈は困ったようにアイリさんを見た。
「どうやら魔法力だけに限らず、生命力そのもを抜き取ってしまっているようなんです」
「それはまたどうして」
「考えられるとすれば意図的にやっているか、もしくは魔法力だけを抜き取る術が実行者にないかのどちらかでしょう」
「どっちにしろ、迷惑な話ですね。で、どうするんです?何か対策はあるんですか?」
「対策といいますか…昔、同じような事件があったことを、柑奈は知っていますか?」
「同じ事件?…いえ、私はまだ“魔女の記憶”は共有し始めたばかりなので、最近のことはわからないです。すみません」
「そうだったわね。ごめんなさい」
 アイリさんの言葉に、柑奈は自分の勉強不足を悔やんでかシュンとしてうな垂れた。そんな柑奈を励ますように、アイリさんはその頭を撫でている。……ちょっと羨ましい。じゃなくて!というか“魔女の記憶”の共有ってどういうことなんだろうか?うーん、俺にはまだまだわからないことだらけだな、魔女って。
「実は同じような事件がほんの数十年前にもあったのです。その時は本当に魔法力だけを抜き取られて、魔法を使うことが出来なくなる魔女が大勢出たのですが…。あの時の犯人は、昔、魔女狩りの憎しみから人を狩ろうとして、魔力を封じた人々の末裔でした。我々に復習するため一族の女性を生贄にして、集めた魔法力でかつての力を取戻そうとしたようです。しかしその企みは、司、あなたの母親・李香と当時ただ一人その一族の血族でありながら、一族を裏切った女性のおかげで実現することなく終わりました。しかし、その中で李香は…」
「ばあちゃんから少しだけ聞きました。俺が男になったのも、元は母さんが俺を護るために、魔法力を封じたことが始まりだと」
「ごめんなさい。私の力が足りなかったばかりに、李香がそこまであの事件に深く関わっていることに気がつけなかったのです。本当に、ごめんなさい…」
「いえ、謝らないでください。母さんが亡くなったのも俺が本当に幼い頃のことですし、確かに母親がいなくて寂しい思いをしたこともありました。でも、その分ばあちゃんと親父が頑張ってくれたし、きっと俺よりも茜の方が寂しい思いをしてたと思うんですよ。そう思うと、兄貴の俺が頑張らなきゃって思って。と、とにっかく!俺は大丈夫ですからっ。えーっと、だから…すみません、何が言いたいのか良く分からないですね…。あはははっ、はは…」
 俺に向かってアイリさんが頭を下げたのに、慌てた。慌て過ぎて、何を言いたいのか頭の中で整理がつかなくなった。
「いいえ。ありがとう、司」
 にっこりとしわの刻まれた顔で優しく微笑まれて、思わず目頭が熱くなってしまった。アイリさんから伝わってくる、俺や家族、顔も知らない母さんへの暖かな思いが単純に嬉しかった。
「い、いえ…」
「司?え、なに。泣いてるの?ね、ね!」
「ち、ちげーよ!」
「ふーん。変な司」
 納得できないながらも、それ以上追及してこなかったことにホッと胸を撫で下ろす。
…よ、良かった。
 すぐに切り替えた柑奈は、アイリさんへと視線を戻す。
「それで、アイリ様。今回の事件とその事件とはどんな関係が?」
「ええ、今回の事件は、どうやらその一族の生き残りが起こしているものらしいのです」
「生き残り…か。どこのどいつだっていうのは分かってるんですか?」
 俺の問いかけに、アイリさんは渋い顔をしてゆっくりと頷いた。なんだろうか。どうも、俺と柑奈のことを気にしているらしい。
「ええ…すでに大体は…でも……」
「?」
 言い淀むアイリさんに、俺は首を傾げた。と、隣でダン!という音が響いて思わず飛び上がるほど驚いた。恐る恐る横を見ると、何故か興奮した様子の柑奈が、グーに握った両手をぷるぷると震わせていた。どうやらあの音は、柑奈が床を強く踏み鳴らした音だったようだ。一体全体、何だと言うのだ。
「分かっています!その者の名前は、代田紀一ですね!」
「え、いえ、それは……」
 ああ、そうか。女になったショックですっかり忘れていたが、柑奈は俺の目撃証言で今回の連続通り魔事件の犯人を代田君だと思い込んでいるんだったな。でも、どうやらそれはハズレらしい。アイリさんの慌て方がすでに否定しているようなものだ。
「――僕がどうかしたんですか?大森さん」
「え?」
「え!」
 ここでする筈のない声が背後から聞えて、俺と柑奈はそれぞれ違うニュアンスの声を上げてしまった。二人そろって恐る恐る振り返ると、そこには予想通りあのイケメン転校生こと代田紀一君が腕を組んで立っていた。その足下に何故かコテツがちょこんと座っている。どうりで見かけないと思った。
「な、なんで!なんであんたがここに?!」
「随分な挨拶だね。僕がここにいたら、何か問題でも?」
「大有りよ!だって、ここは――」
「東洋の魔女の最後の楽園だから?」
「!な、なんであんたがそれを……!」
「柑奈。紀一は私の血族です。昨年まで故郷のイングランドに戻っていたのですが、今年になって日本の魔術の有り方について興味があると、移り住んで来たのです」
「…えっ、えぇぇぇえっ!?」
「そんなに驚くことないだろう?傷つくなぁ」
 指を指して金魚のようにぱくぱくと口を動かす柑奈。そりゃあまあ、犯人だと思ったら尊敬する人の身内でござるなんて、ショックでかいよな。それにしても、この転校生君の学校での態度との違いは何なのだろうか。あんなに真面目そうに見えたのに、今はなんというかナルシストというかとにかく丁寧な物腰なのに、やたらと高圧的な部分がちらほら垣間見える。
「…なんだか、めんどうなことになったな。ところで、コテツ。お前、なんであいつと一緒に来たんだ?」
 こっそりと足元へ向かって声をかけると、コテツが「ニャ」と鳴く。
『うむ、別に来たくて一緒に来たわけではない。途中で会って、たまたま一緒になっただけだ』
「つか、あいつのこと、コテツは知ってたのか?」
 その問いかけにも、コテツは頷く。
『うむ。我はこう見えても司の先祖の魔女の頃から、お前たち血族との付き合いだからな。大体の魔女とその血族のことは知っている』
「ふーん、そっか。お前意外と長生きなんだな」
『我は大体生きたいだけ生きられる。また、死ぬこともしかりだ』
「へー、なるほどねぇ。不思議な生だこと」
 トコトコと俺に近寄って来たコテツと、柑奈と田代君のやりとりを眺めながら関係のない会話を交わす。
 どうにも馬の合わない二人の間でオロオロするアイリさんが、ちょっと不憫に見えてならない。まあ、どちらかというと柑奈が一方的に毛嫌いしているのを、代田君が面白がってからかっているようにも見えるけどな。
「ところで、連続通り魔事件の犯人だけど、もちろん僕は違うよ」
「分かってるわよ」
 左手の人差し指を立てて、一々柑奈の気分を逆撫でするような言い方をする代田君。柑奈も一々つっかかって行くな。声がいつもより、不機嫌極まりない。
「アイリおばあ様。もし言い辛いようでしたら、僕が二人に言いましょうか?」
「いえ、私の口から告げるべきでしょう」
 そう言うと、アイリさんは俺と柑奈に向き直った。真剣な顔をしてこちらをみるので、俺も柑奈も思わず背筋を伸ばして次の言葉を待った。
「落ち着いて聞いてください。柑奈、司。今回、魔法力を集めて事件を起している一族の生き残りというのは――森勇(もりいさむ)という人物なのです」
「……え?」
「ち、ちょっと待てよ!森勇って…まさか、雅人の叔父さんの……?」
 何かの悪い冗談だと思った。でも、震える声で聞いた俺の言葉に、アイリさんはゆっくりと頷いたのだ。冗談でもなんでもない。これは、本当のことなんだ。
「でも、でもどうして森くんの叔父さんが今こんな事件を起しているんですか?」
「それは良くわかりませんが、どうも明日やって来る皆既日食と何か関係があるようです。それと、その人物の後ろで糸を引いている何かがいるような気がしてなりません」
「つまり、勇叔父さん一人が起している事件ではない…と?」
「ええ。恐らく」
「ふーむ…なるほどな。もし何か動きがあるとすれば明日というわけか…時間がないな」
 となれば、今俺たちが取る行動は一つしかないな。柑奈も同じ思いなのか、ちらりと向けた視線がかち合い、二人同時に頷いた。
「アイリさん。俺たちこれから、雅人のところへ行って見ようと思います」
「森くんに会って、直接本当のことか確かめてきます」
「何を言いだすのかと思えば…。君たちは今までの話を聞いていたのか?」
「当たり前だ」
「だったら、それがどれだけ危険な事か分かっているだろう?敵の陣地にたった二人で乗り込むってことなんだぞ?」
 イライラした代田君の声が、部屋に響く。それでも、俺と柑奈の気持ちは何一つ変わらなかった。確かに危険なことだ。本来ならば、これはもうアイリさんたちに任せるべきなのかもしれない。
「分かっている」
「いいや!お前たちは分かっていない!もし、乗り込んで、お前たちが魔法力を抜かれれば、終わりなんだぞ?!お前は、何のために自分が力を封じられていたと思うんだ?お前の母親が身を挺してまで護ろうとしたことを無駄にする気か?!」
「紀一!…それ以上は止めなさい」
 アイリさんの叱責に、代田君は納得の行かない顔のまま黙ってそっぽを向いてしまった。
 代田君の言っていることは正しい。俺たちの力が奪われれば、状況はきっと悪くなるだろう。それでも俺は…俺と柑奈は、雅人に今会わずに自分たちだけ安全な場所でぬくぬくとしていたくないんだ。
「ごめんなさい、代田くん。きっとあなたの言っていることは正しいよ。でも…私たちも引くわけには行かないの。今、森くんに会わなければ、きっと後悔する」
「…まったく、勝手な言い分だな」
「アイリさん。我侭を言っているのは分かっています。ですが…お願いします。俺たちが雅人のところへ行くことを許してください」
 それだけ行うと、俺はその場に立ち上がった。柑奈も静に立ち上がる。
 お願いをしているとは言え、元から許しをもらおう何て思ってはいない。例え許されなくても、俺たちは行くつもりだ。
「お待ちなさい」
 ピリッとしたアイリさんの声が響く。険しい表情のまま優雅な動作で立ち上がると、スッと俺に近づきそっと左手を前に出した。そんなアイリさんの顔と、出された手を交互に見てしまった。一体何だろうか?
 すると、不意にアイリさんの表情和らぎ、ふんわりと困ったような笑みを浮かべた。
「その姿のまま行くつもりですか?」
「あ」
 そうだった。俺、今女の子だったんだ。あまりの展開にすっかり忘れてしまっていた。
思わず自分の体を見下ろして焦った。このままでは、雅人には誰だかさっぱり分からないだろう。
「まったく、少しは落ち着きなよ。それじゃ、余計に僕たちが不安になってしまうだろう?」
「そ、そうだな。わりぃ」
 ぽりぽりと頭を掻いて小さく苦笑を浮かべた。
 促されるまま両手を差し出すと、アイリさんがその上にそっと指輪を一つ置く。指で摘んで目の高さまで持って来て眺めると、シンプルな銀の輪に小さな紫の宝石が一つ埋め込まれていた。
「本来ならば、魔法力の扱い方を誰かに師事して学ぶのですが、今はそんな時間もありませんから、その指輪であなたの魔法力を制御することに致しましょう。それは私の魔法力で創ってあります。付けているだけで、初めてでも願うことで魔法力を自由に扱うことができるようになるでしょう」
「すみません。ありがとうございます」
 どの指に嵌めればいいか迷っていると、アイリさんに小指に嵌めるよう促されその通りにする。嵌めて見れば、それは随分と大き過ぎるように思えた。が、すぐにシュッと縮み、俺の指にぴたりと納まる。それに驚いているうちに、指が瞬く間にいつも見慣れていた骨ばったものへと変わって行く。
「おお!」
 やっと戻れると喜んだのも束の間、来ていた服がみるみるきつくなって行くのを感じて慌てて指輪を小指から抜いた。ピッタリなのが不思議なぐらいに、指輪はするりと指から取れた。
「…すみません、ちょっと今のままで男に戻るのは色々危ないので、一度家で着がえてから戻ります」
「ふふ、その必要はありませんよ。先ほども申し上げた通り、その指輪は願えば自由に魔法力を扱うことができるもの。服を変えることも願えば簡単に着がえることができますよ」
「あ、なるほど」
 そうか、そうだったな。
 コホンと咳払いを一つ。気を取り直して再び指輪を小指に嵌めた。目を閉じて、私服姿の自分を思い浮かべる。まあ、厚めのシャツとジーパンで良いだろう。もちろん下着付きでお願いします。体中をむず痒いような感覚に襲われ、それが収まったと同時に目を開いた。そうして見た自分の姿は、見慣れた男の姿の自分だった。
「はぁ~。やっと戻れたか」
 やっと一つ、自分の中の不安要素が解決されて胸を撫で下ろした。
 アイリさんへ向き直り、深々と頭を下げる。
「ありがとうございました、アイリさん」
「いいのですよ。その指輪に願えば、女性の姿に戻り魔法を使えるようになります。もしもの時は指輪に願ってください」
「はい。分かりました。それでは…行ってきます」
「いいえ。どうか気をつけて……いってらっしゃい」
 そう言って静かに微笑んだアイリさんに、俺と柑奈の二人強く頷き返すと学園を後にした。

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