第11話 喪失~大切なモノをなくすとは~

文字数 4,308文字

 妹が死んだ……。
 
 俺の2つ年下の可愛い妹が死んだ。
 小さい頃から、高校1年生になってもずっと俺を慕って、いつでも俺について回ってきていた妹が死んだ。

 横断歩道を渡っている最中に、信号無視をした車にひかれて、即死だった。

 俺の最愛の女性を守って、その身代わりになって、妹が死んだ。

 俺は池端涼真(いけはたりょうま)
 地元にある公立高校の三年生。勉強はちょっとは出来るものの、容姿は普通、運動は苦手なごく普通の生徒だった。
 
 俺の妹は、同じ遺伝子を分け与えられたというのが信じられないくらいに、可愛らしい少女だった。
 兄のひいき目ではなくて、実際によく告白をされていた。
 池端杏沙(いけはたあずさ)まだ誕生日を迎えていなかったから、享年15歳。

 ずっとずっと仲良しで、知らない人からは恋人同士とも誤解されるくらいだった。
 真っ黒なロングヘアが肩甲骨の辺りまでまっすぐ伸びていて、柔和な顔立ちと大きい目が印象的で、一部の人達にはお嬢様と呼ばれていたらしい。
 もちろん池端家はごく普通のサラリーマン家庭だから、そのあだ名は杏沙のもつ容姿と雰囲気から付けられたモノだ。
 
 そんな大切な妹は、俺の彼女で幼なじみでもある長峰沙織(ながみねさおり)を庇って死んだ。
 俺と彼女と妹は同じ学校で家も近所だったから、いつも一緒に登下校していたんだ。
 そしてあの日も、いつもと同じように三人で下校しながら、どこかより道でもしようかと話していた。
 そんなやり取りの中で、本当に些細な、今となっては思い出すことも出来ないようなどうでも良いことで、おれと沙織は少し言い合いをしてしまった。
 多分だけどうっすらと覚えているのは、沙織が他の奴に告白されたことを自慢げに行ってきたことが原因だったように思うけど、それも今となっては確かではない。

 言い合いが少し加熱してしまって、沙織は涙目になりながらもう良いと叫んで横断歩道を走って渡ろうとした。
 その時に、俺の隣を妹が駆け抜けていった。
 沙織ちゃん、危ないと叫んでいたような気がする。
 俺が状況を確認しようと目をやった時、青信号の横断歩道で固まってしまっている沙織と、その沙織にむかって走っている杏沙、そして二人に迫る黒いミニバンが見えた。

 そこからは全てがスローモーションだった。

 恐怖で身がすくんだのか、顔を引きつらせて固まったままの沙織。
 沙織に向かって必死に手を伸ばす杏沙。
 激しいスキール音を鳴らしながら二人に向かって迫るミニバン。

 杏沙が必死に伸ばした手が沙織を突き飛ばし、と同時にミニバンが杏沙の目の前に迫り、鈍いドンッという音があがった。
 俺の目の前で、杏沙の身体が衝突映像で見るダミー人形のように、まるで重力から解放されたかのように宙を舞い、そしてアスファルトに叩き付けられた。
 少し遅れて、赤い何かが杏沙の周りに広がっていく。
 赤と言うには妙に生々しい、色をしたそれは湧き出る地下水のようにどんどんと杏沙の周囲に広がっていく。

 そこでようやく俺は、今の状況を理解することが出来た。
 大切な妹の名を連呼する。
 この時は本当に申し訳ないことだけど、沙織の事なんか完全に忘れていた。
 杏沙の名を連呼しながら、震える手でポケットからスマホを取りだして、何度もタップミスしながら119の番号をダイヤルする。
 接続するまでのプップップという音が耳障りだった。
 コール音が鳴り始めるまでが永遠のように感じた。
 ようやくセンターへ接続された通話、俺はパニックになりながらも何とか事故が起こったこと、事故現場を伝える。

 少ししてサイレンの音が聞こえ始める。
 俺は血塗れになりながら地面に跪いていた。

 誰の目から見ても、杏沙はもう助からないと解ってしまったから。
 それでも一縷の望みをかけて、妹に触れることは出来なかった。


 それから俺は感情を失ってしまったような気がする。
 泣き崩れる両親を見ても、自分のせいだと泣きじゃくる沙織を見ても、この世を去った大切な親友のために涙する杏沙の友達を見ても、俺は何も感じることが出来なかったからだ。
 俺の心は、杏沙と一緒に天に上ったのかもしれない。
 今の俺は呼吸をしてただ生きているだけの肉の塊なのだと、自分自身でもそう感じていた。

 そうして俺の心が凍てついた居る間にも、通夜と葬儀と告別式は終わってしまい、妹は小さな壺になって家に帰ってきた。
 和室のない家には不似合いな仏壇。
 そこに小さな壺と、高校入学の日に家の前で撮影した杏沙の笑った顔が、大きく引き延ばされて飾られていた。

 こんなことに何の意味があるのだろう。
 杏沙はもういないのに。
 二度と俺の名前を呼んでくれない、二度と俺に甘えてくれない、二度と手を繋ぎ笑う事も無いのに。
 こんな所に飾って何になるというのだろうか。

 何もする気になれず、でも少しでも妹の名残を感じていたくて、俺は仏壇のある部屋から動くことが出来なかった。

 両親は俺たち兄妹がどれほど仲が良かったかを知っていたので、俺が飯も食わず学校にも行かず、ただ日がな一日仏壇の前にいることを咎めなかった。
 正しくは最初の日は、なんとか飯を食わせようとしてきたし、その翌日は無理にでも学校に行かせようとしたが、俺が何の反応も示さず、ただ頑なにその場所から動こうとしなかったため、諦めたというのが正しいのだろう。
 
 妹が死んだ日からどのくらい経ったのだろう。
 全く興味もないから、朝なのか昼なのか夜なのか、何日経過したのかさえ俺には解らなかった。
 腹も減らないし、何かしようという気力もなく、ただ遺影と呼ばれる写真で笑う杏沙だけを見て過ごす。
 そんな俺に来客が会ったと母親が告げた。
 その声に対しても全く反応しない俺にしびれを切らしたのか、母親は勝手に来客を招き入れたようだ。

「久しぶり……元気……な訳ないよね。全然学校に来ないし心配になって来ちゃった」

 声がした方に目を向ける。
 元気がなく、少しやつれた沙織がそこにたっていた。
 制服を着ているということは、学校からの帰りに立ち寄ったのだろう。
 俺は一瞬だけ沙織を見て、すぐに視線をそらした。
 その時抱いた感想は、煩わしい……だけだった。

「もう5日だよ……、おばさんに聞いたら食事もとっていないって……涼真まで死んじゃうよ、そんなことをしてたら」

 心配そうに俺の顔をのぞき込んで、沙織はそう言った。
 その言葉が俺の何かに火を付けてしまった。

「お前が……いけば良かったんだよ」

 俺の口から低い声が漏れた。

「訳のわからないことで、勝手に不貞腐れて走り出して……そんなお前の代わりに、妹は……杏沙は死んでしまったんだぞ!なんで杏沙なんだ!お前が死ねば良かったんだ!」
「そんな……、ねぇ本気で言ってるの……そんな酷いこと、涼真は本気で言ってるの」

 声に反応して沙織を見る。
 沙織の顔は死人のように真っ青になっていた。
 あれほど魅力的だと思っていた黒くて透き通った瞳は、今は暗く濁っていて、そこからは涙が滝のように流れ落ちている。

「あれは……涼真が私に関心がなさそうだったから……ちょっとでもやきもちを妬いてほしくて。まさかあんなことになるなんて思わなかった。だけど……それは私が悪いの?信号だって守ってた……ただ涼真に気にかけてほしかっただけだったのに……私だってこんなことになるなんて思ってない!杏沙ちゃんは大切な子だった!だから杏沙ちゃんがこんなことになるなんて望んでない!望んでなんか居なかった!」
「だけど……結果としてこうなった。お前がつまらないことを言い出したり、不貞腐れて走り出したりしなければ……こんなことになっていなかったんだ。」

 かつてあれほど好きだった彼女、愛した女だったはずなのに、俺の目にはもう沙織が醜い何かにしか見えなかった。
 あれほど耳に心地よかったはずの沙織の声が、ただの雑音にしか聞こえず、彼女が何かを言う度に俺の神経はささくれ立っていった。

「俺はお前を一生許さない……。二度と俺の前に姿を現すな。」

 俺はもうこれ以上、沙織の姿を見ることも、声を聞くことも堪えられないと思った。
 だから冷たくそう言い捨てた。

「解った……帰るね……もう二度と来ないから……」

 小さな声で沙織はそう言って、足音が遠ざかっていく。
 俺は解放されたような気持ちになり、また黙って杏沙の写真に目を向けた。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「続きまして次のニュースです。本日午後6時頃、国道7号線で………」

 遠くの方でテレビの音が聞こえる。
 だがそんなことに特に興味を持つことが出来ず、俺は再び杏沙の笑顔に顔を向けた。
 あとどれくらいの時間が経過したら、俺はお前の所に行けるんだろうと写真に向かって問いかける。
 
「涼真、落ち着いてきてほしいんだが……」

 俺の背後から声がした。
 父親の声だった。
 俺がこの部屋に引きこもってから、一度も声をかけてこなかった父が何用だろうかとおもい、顔を向ける。

「沙織ちゃんが……死んだ。交通事故だそうだ……」
「沙織が……交通事故?杏沙が身代わりになってまで守ったのに、沙織が交通事故?」

 妹が自らを犠牲にしてまで守った沙織が、交通事故で死んだ。
 なら妹の犠牲は何だったんだろうかと、そう思ってしまう。

「……沙織ちゃんな……事故じゃなくて飛び込んだんじゃないかとも言われている。あの子がフラフラと歩道を歩いていて、突然車道に飛び出した……と見ていた人がそう言っていたらしい」

 父はそれだけを言うと、ゆっくりと部屋から出て行った。

 沙織が飛び込み……俺があんなことを言ったからか。
 胸の中に後悔の念が湧き上がる。
 感情にまかせて、妹を失った悲しみから、思っても居ないことを言ってしまった自覚はあった。
 だがそれは、妹の死を生々しく感じてしまうから沙織を遠ざけたかったからだ。
 沙織に死んでほしいと思っていたわけじゃなかった。
 だって、沙織が死んだらそれこそ、杏沙は何のために死んだのか解らなくなるから。
 なのに俺の言葉が沙織を死なせてしまった。

 俺は何をしているのだろうかと、妹を失った時と同じくらいの絶望が俺を襲った。
 大切な妹、最愛の恋人……その二人を死なせてしまって、俺は何をしたかったのだろうか。
 激しい後悔の念が押し寄せてくるけど、俺にはそれを解決する方法がなかった。

 やがて思う、それでさえもどうでも良いと。
 俺もそう遠くないうちに、彼女たちと同じ所に行くだろうから。
 その時は土下座をしてでも沙織に謝ろう。
 今度こそ三人で幸せに過ごせるよう、努力をしよう。
 
 だから早く……迎えに来てくれないか……一人は寂しいんだ。
 
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