第18話 徒花は実を結ぶか

文字数 6,718文字

 4時間目の授業の終了を告げるチャイムが鳴る。
 城島昂輝(きじまこうき)は手早く机の上に広がっていたノートや教科書をしまって席を立とうとする。

「城島くん……少しいいかしら」

 昼の糧をもとめて購買へと向かおうとする昂輝に声が投げかけられて、昂輝は足を止めた。
 振り返るとそこには見慣れた女子の姿があり、昂輝はなんだろうかと軽い疑問を抱きながら口を開く。

「高崎さん、俺になにか用かな? できれば購買でパンを買ってからにしてほしいんだけど」

 昼の購買のパンの争奪戦は熾烈だ。
 腹をすかせた若者たちが、稲穂に群がるイナゴよろしく一気に押し寄せて、あっという間に売り切れにしていく。
 少しでも出遅れたら人気のパンだけではなく、何も買えないままで終わることも有る。
 
「ええ……少し話したいことが有るのだけど、だめかしら」

 高崎と呼ばれた女子は、視線を少し昂輝から反らせながら素っ気ない口調でそう言った。
 心なしか少し緊張している様子の表情から、昂輝はこの先起こり得る可能性をいくつか考えてみる。

 高崎亜弥音(たかさきあやね)は昂輝のクラスメイトだが、元々交流があったわけではなかった。
 ある日の放課後、なんとなく読みかけの本を読破しようと教室に残っていた昂輝に、なんの本を読んでいるのかと話しかけてきたのが切っ掛けだった。
 それからは何故か1日に数回程度ではあったが、亜弥音の方から昂輝に話しかけてくるようになった。
 お互いの本の趣味が近いことも有り、会話する機会はどんどん増えていき、2ヶ月もする頃には二人の距離は随分と近くなっていた。

 クラスメイトから交際しているのかという不躾な質問を投げかけられる程度には、二人が楽しげに話をしている姿が、当たり前の日常の風景のようになっていたからだ。

 亜弥音は一部の男子からは人気があるらしい。
 それは昂輝もよく聞いていた。
 だが普段の亜弥音は、それなりに整った顔立ちはしているものの、何処か人を寄せ付けないような空気をまとっており、素っ気ないシルバーフレームのメガネに長い黒髪を一つ括りにしていてオシャレとも言い難いからなのか、告白されたという噂は昂輝も聞いたことがなかった。
 
 人気の原因は亜弥音が演劇部に所属していて、文化祭の時に劇中で演じたサブヒロインの姿が、普段の彼女からかけ離れた華やかな姿だった頃に起因しているらしい。
 尤も文化祭で彼女の事をしって、好意を持った男子も普段の亜弥音の姿を見て、そしてその取り付く島もない対応を受けて、ほぼいなくなったともいわれているが。

 そんな亜弥音が教室内で、昂輝と楽しげに談笑しているのだから、付き合っていると思われてもそれはそれでおかしな予想ではないと思われるが、残念ながら二人は交際関係には至っていない。
 本の話で意気投合して、本の交換から始まり何度か亜弥音は昂輝の家を訪れたこともあるが、それでもまだ二人は中のいい友人でしかなかった。
 そんな亜弥音から真面目な顔で、少し緊張をした仕草で、話があると呼び出されたのだから、昂輝も『そういうはなし』を期待してしまった。
 と同時に何故かは分からないが、そういう浮ついた感情とは別に妙な緊張感も感じていた。

「……分かった、高崎さんがそういうって、よっぽどのことだろうし付き合うよ。何処に行けばいい?」

 わずかばかりの思案の後、昂輝はそう決断を下した。
 
「人に聞かれたくない話なの……ついてきて」

 亜弥音はやはり、硬い口調と緊張をにじませた表情で、昂輝にそう言うとくるりと踵を返して教室から出ていく。
 昂輝はいつもとは少し違う亜弥音の言動に、少し違和感を抱いたものの、今の二人の関係性と彼女のいつもとは違う様子に心のなかに浮かび上がる、都合の良い予想に少し浮ついた気持ちにもなっていて、深く考えることをやめて彼女の後ろについていく。

(ここで詮索しなくても、どうせすぐに分かることだからな)
 と安易に考えてしまう。
 二人は教室を出て、何度か階段を登り屋上へと繋がる扉の前に来ていた。
 思い扉を亜弥音が開けると、扉はギィッと不満げな音を立てながらゆっくりと開いていく。

 薄暗い場所に突然差し込む陽光。
 そこには一面の青空が広がっていた。
 思わず眩しさに目を細めてしまう。
 階段が薄暗かったことも有り、なかなか眼が明るさに順応出来ていない。
 
 だがそんな昂輝とちがい、亜弥音はすぐに明るさに馴染んだのかスタスタと歩いていき、屋上を囲うフェンスに近寄ると、風雨にさらされてところどころサビの浮いたフェンスをその白く長い指で掴んだ。
 ようやく目が慣れた昂輝が、ゆっくりと亜弥音に近寄ってみたが、亜弥音はなんの反応も示さず、フェンスを握りしめたままずっと遠くを見つめていた。
 
「えっと、話って何かな」

 少し待ってみたが亜弥音が口を開かないため、昂輝は問いかけてみる。
 できれば早く要件を済ませて、昼飯を手に入れに行きたいという気持ちもあるからか少し焦ってしまう。
 だが昂輝の問いかけにも、亜弥音は答えようとせず、やはり遠くをぼんやりと見ているだけだった。

「えっと……話がないならオレ、購買に行きたいんだけど……」

 少し焦れたような口調で昂輝が言う。
 要件がわからないこと、昼飯を食いっぱぐれそうなことで余裕がない様子であった。

「ねぇ……半年くらい前になるかな……ここから一人の女子が飛び降りたことを知っている?」

 亜弥音の反応がなかったため、再度呼びかけようと口を開きかけた昂輝。
 それを遮るかのように、突然亜弥音は言葉を発した。

「え……そんな話聞いたこと無い……よ」

 話の内容が予想外だった上に突飛すぎて、昂輝は面食らいながらかろうじて答えた。

「飛び降りた女の子は茉莉花(まりか)っていうの。その子は妊娠していたんだけど、相手の男がそれを知った途端に彼女をあっさりと捨ててしまい、悩んで悩んで悩み抜いたその女の子は、自ら命をたったのよ。ここから飛び降りてね……。ただ飛び降りたのが真夜中だったから……ほとんど誰にも気づかれなかった。」

 そこで言葉を切り、フェンスから手を離すと亜弥音はゆっくりと昂輝の方へと振り返った。
 じっと昂輝の目をまっすぐに見つめて、何事かを思案しているようだった。
 
 亜弥音の言葉と、その態度に昂輝は先程までの浮ついた気持ちは霧散してしまい、いまは恐ろしさと居心地の悪さを感じてしまっていた。

「えと……その話が俺になにか関係あるのかな……」

 震えそうになる体を必死に抑え込んで、かろうじてそれだけを口にする昂輝。

「第一発見者は宿直の用務員。それからは警察と救急が駆けつけて大騒ぎになりかけたのだけど……そういった不祥事を嫌う人達によって箝口令が敷かれたから、この事を知っている人は()()いないわ……」
 
 じっと昂輝を見据えたままで淡々と語る亜弥音。

「オレは……オレはその茉莉花とかいう女の子を妊娠なんかさせてないぞ!もしオレを疑っているなら見当違いだ!」

 こんな話をするのは、もしかして自分が疑われているからではないかと思った昂輝は必死に言い返す。

「……解ってるわ。貴方じゃないことくらいは。茉莉花……高崎茉莉花(たかさきまりか)を妊娠させて、あっさりと捨てた男が貴方じゃないことは、誰よりもよく知っているわ」
 
 無表情でそう答える亜弥音。
 その態度に背筋に冷たいものが走るのを感じながら、昂輝はふと違和感を感じた。
 高崎茉莉花……高崎……、亜弥音と同じ苗字……。

「ええ……あなたの思っているとおり。茉莉花は私の大切な、本当に大切で愛しくて……絶対に守ってあげたかった妹……」

 それまで無表情だった亜弥音に、初めて表情が生まれた。
 それはとても冷たい笑みだった。
 いや……笑みではない。
 ただ心の中の黒い感情を全て体現したかのように、口を歪めただけなのだろう。
 だがそれは悪意を込めて嘲笑する人間のような表情にも見えた。

「茉莉花を……妹を妊娠させて、そして捨てた男は……輝昭という名前」

 亜弥音の言葉に、昂輝は頭を鈍器で殴られたかのような衝撃を受けた。
 一瞬目の前が暗くなりかけて、酩酊したかのように足元がゆらゆらと揺れているような感覚になる。
 地面が揺れすぎて立っていられず、その場にへたり込んでしまうかのような、足から全ての力が抜けてしまったかのような、そんな感覚を味わう。

「私の大切な妹を追い詰めたのは……城島輝昭(きじまてるあき)。貴方の兄よ」

「そん……な……。じゃあ……兄貴はそれを知って心を壊したということなの……か?」

 昂輝の1才上の兄、城島輝昭は2週間ほど前に家で、突然気が触れたかのように暴れ出した。
 その様子があまりにもひどかったため、今は一時的に精神的な病をケアする病院に入院している。

 亜弥音が言うことが事実だったとするなら、その罪の重さに耐えかねて心の均衡を壊してしまったということなのだろうかと、昂輝は思った。
 しかし亜弥音の反応は昂輝が予想したものとは違った。

「いいえ……貴方の兄を壊したのは私。いえ……正しくはそうなればいいと仕掛けを施したのは私という方が正しいのかな。私はあなたの兄、妹の仇を追い詰めるために色々と細工を施した。」

 そこまで話すと亜弥音は言葉を切り、昂輝に背を向けてフェンスへと歩み寄る。

「ど……どういうことだよ。どうやって兄貴を追い込んだ」

「種明かしをすれば簡単なこと。ほら私は演劇部でしょ。そして茉莉花は私の妹。その声音を真似することなんて簡単なのよ。だから私は茉莉花の声色で散々恨み言を吹き込んだレコーダーを彼の部屋に仕掛けた。タイマーとセットにしてね。夜な夜な茉莉花の声で恨みつらみを聞かされたあなたの兄は、徐々に心をすり減らして言った。その結果が今」

「そのためにオレに近づいたのか。オレに家に出入りができるようにして、兄貴の部屋に仕掛けられるようにするために……俺を利用したのか!」

 昂輝が叫ぶようにして言う。
 仲良く慣れたと思っていたから、自分だけが知る彼女の姿があると信じていたから。
 心が通い合っていたと思っていたから、今の亜弥音の言葉は昂輝の心を切り刻んでいた。
 昂輝も狂ってしまうのではないかと思うほどの、痛みと苦しみと悲しみ、そして裏切られたという思いが込み上げてきて、彼は感情を抑えることが出来ずに涙を流していた。

「知ってる? 茉莉花が飛び降りたあとに、簡単な修繕しかしていなかったから、このフェンスって実は穴だらけなのよ」

 昂輝の叫びに応えることなく、亜弥音は全く関係のないようなことを口にする。
 その態度に余計に侮辱されたと感じた昂輝が再度口を開きかけた時、亜弥音はフェンスの一部を軽く引っ張る。
 元々サビで傷んでいたからなのか、フェンスの一部があっさりとめくれ上がり、人がなんとか通り抜けられるような小さなほころびがそこにはあった。
 そして昂輝が何かを口にする前に、亜弥音はするりと身体をその隙間に押し込んで、次の瞬間にはフェンスの向こう側に立っていた。
 20cmあるかないかという幅のコンクリートの縁に立って、今度はフェンスに体をあずけるようにして亜弥音は立っている。

「これで私の計画はすべて果たされたはずだった。本当は輝昭の命を持って償わせたかったけど、残されるお父さんとお母さんが、人殺しの親と呼ばれるのは、さすがの私も耐えられないから……殺せなかったけど、でももういいかなって思う」

 フェンスに体を預け、眼をとじて亜弥音は独白を続けた。
 目まぐるしく変化する状況に、昂輝は自分の感情がかき乱されて、怒りを感じるべきなのか、悲しむべきなのかと様々な感情に翻弄されてしまい、軽くパニックになってしまい、昂輝は何も答えることが出来なかった。

「誤算はいくつもあった……あんたの兄の命を奪えなかった理由は……さっき言っただけじゃない。いくら仇だと言っても、好きな人の兄の命を奪う決意がどうしてもできなかった……。そう、それが最大の誤算。目的のために近づいたのに、あなたと話すことが楽しいと思ってしまった。趣味の話をしている時嬉しいと思ってしまった……仇の弟なのに……惹かれてしまった」

 ゆっくりと目を開き、空を見上げる亜弥音の頬を涙が幾筋か流れていく。

「邪な目的であなたに近づいたのに、そんな私を無防備に受け入れて、そして私の趣味を好みを感覚を受け入れられることに居心地がいいと感じてしまった……。本当に予想外だった」

「……俺だって……高崎に惹かれてたよ。教室では、他のやつの前では無愛想で素っ気ないのに、好きなことを語る時に見せるほんのちょっとの笑顔にドキドキしてた……。だから今日だってもしかしたら告白されるのかとか……期待してたんだ。なのに……なのになんで」

 昂輝も感情が高ぶったからか、涙を流していた。
 本の少し前まで、もしかしたら告白かもしれない、付き合えるかもしれないと浮ついた気持ちで居た自分にたいして激しい怒りを感じても居た。

「そか……昂輝もそういうふうに思っていてくれたんだ……。何がいけなかったんだろうね、どうしてこうなってしまったんだろうね……。今となってはもうわからない。でも……でもね、一つだけわかってることがある。私はこれだけのことをしてしまったんだ。貴方の兄に対して。だから……絶対に貴方と結ばれる訳にはいかない」

 いいながら亜弥音はゆっくりとフェンスから身体を起こす。
 狭いコンクリートの足場の上で、頼りなさげにしかしまっすぐと立つ。
 その気配にただならぬものを感じて、昂輝は声を上げる。

「茉莉花……お姉ちゃんも今行くね。そっちでもまた二人で……」

 風に煽られた紙のように、亜弥音の身体がゆらりと傾き、そして昂輝の視界から消える。
 昂輝はなにかに弾かれたかのように、フェンスへを駆け寄るが、そこからは下を見ることが出来なかった。

 少し遅れて、女生徒の上げる甲高い叫び声が辺りに響き渡った。


 ●〇●〇●〇●〇●

 ピッ……ピッ……ピッ……

 規則正しい電子音が部屋の中に響いていた。
 広くはない病室の中。
 ベッドの上で少女は眠り続けていた。

 少女の身体からは様々なチューブやコードの類が伸びて、ベッドの周辺に置かれている様々な器械と繋がっていた。

 あの事件から1年の時が経過していた。
 城島輝昭は、今も常に感情が不安定なままで、衝動的に暴れ始めてそして意識を失ってしばらく眠るというサイクルを繰り返していて、社会復帰できる可能性は薄いと医者から告げられた。

 高崎の家は、妹に続き姉までもが飛び降り自殺を図ったと噂になり、周囲の心無い視線や中傷に苦しめられながらも、それでも心臓は動いているが意識はない娘-亜弥音-のために必死で生活を続けていた。
 亜弥音の飛び降りの理由について、特に遺書らしいものも見当たらず、その場に居合わせたと思しき男子生徒の口からも何も明かされなかったため、結局のところは青年期特有の衝動的なもの……という、本当にあるのかどうかわからないような理由をつけられて有耶無耶になった。

 そんな周りの騒動とは無縁に、少女はただ眠っているかのような静かな表情で其処に居た。
 1年という歳月で少し痩せて、髪も伸びた彼女は、あれから一度も意識を取り戻すことなく、ただ眠っていた。

「……亜弥音、君がしたことは正しいかどうか俺にはわからない。でも亜弥音が兄貴を許せないって気持ちはわかるし、逆の立場ならオレも同じ道を歩んでいたかもしれない。それに兄貴のしたこともオレはやはり受け入れられない……なんていうと薄情だと思うか?」

 器械に囲まれたベッドの横の、わずかの隙間に置かれたパイプ椅子に座り、昂輝は亜弥音の手をそっと握りながら話しかける。

「でもな……誰に何をいわれても、こんな結末になっても、それでもさ……オレはキミが好きなんだ。ずっと一緒にいたいって思ってしまうんだ。バカバカしいとか、気の迷いとか色々考えたけど、この1年悩み続けたけど答えは変わらなかった。だからさ……目を覚ましてくれよ。またオレに微笑んでくれよ。今度こそ二人で間違いじゃない道を歩いていこうよ……なぁ、亜弥音」

 涙混じりに必死に訴える昂輝。
 意識を取り戻す可能性はほぼ0だといわれてはいたが、ほぼ0は0じゃないと言い張って、1日も欠かさず見舞いに来ている昂輝。
 彼はまだ諦めていなかった。
 不安になったり、心が揺れ動いたりしながらも、それでも奇跡を信じていた。

「どんな事があっても、オレは君のそばにいる。絶対に離れない。愛してる……亜弥音」

 意識のないはずの彼女の頬に、静かに一筋の涙が流れた。
 
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