見習い少年の初仕事・Ⅱ
文字数 3,103文字
執務室の玄関前デッキで、誰か帰って来ないかなぁと、ぼけっと下を眺めていた見習いの少年は、室内から呼ばれて急いで戻った。
「うーん・・」
呼んでおいてホルズは、少年を見て眉を寄せている。
「やっぱり誰かの帰りを待たんか? リリ」
「大丈夫だわ」
書類がぎっしり詰まった棚の奥から、紫の前髪がひょいと顔を出した。
「伝言を届けるだけだもの」
少年の胸が早鐘のように鳴った。
(外に出る仕事だ!!)
やっとやっとやっと、一人前に仕事に出して貰える!
「んー、んん」
ホルズがまだしかめっ面をしている。
「何処へのお使いですかっ、僕、ちゃんと行けますっ」
少年は慌てて言った。
ここで上手くこなせればローテーションに入れて貰える。一人前と認められる日が近付く。
「いや、お前はちゃんと行けるさ。分かっている」
ホルズは少年の心中なんか、もちろん察している。
「今回は相手が悪い。気難しさ一級品の棘の森の主殿だ。一番気を許しているユゥジーンにすらたまに牙をむく。それにあそこは森の住民だって気が荒い。いくらお前の中身がちゃんとしていても、外見が幼いってだけで侮られるんだ」
「……!!」
少年は唾を呑み込んだ。
こんな所でも童顔が足を引っ張るなんて。
でも確かに、担当のユゥジーンさんですら、棘の森へ行く時は襟を喉元まで締めて緊張していた。
「大丈夫だわ」
リリは棚の後ろから、さっきと同じ調子で言い返した。
「ホルズさん、早く手紙を書いてください。あそこの主様お爺ちゃんだから、早く行かないと眠ってしまう」
「ううん~」
「あたしは急いで過去の記録を調べなきゃならないし、ホルズさんは帰った皆の報告を受けなきゃならない。彼しかいないじゃない」
少年は口をへの字に曲げた。
初仕事ってもっと厳選して、暖かく送り出してくれる物じゃないの? 『彼しかいないから』じゃあんまりだ。
「そうだな……伝言だけだしな。主殿の見ている所で不埒を働く者もおらんだろう」
ホルズが折れて、大机で正式な手紙用の清紙を広げた。
「先に馬装を済ませに行きなさい」
本棚の向こうからリリに言われ、情けない気持ちで少年は、外に出てデッキを下りた。
初仕事なのにぜんぜん嬉しくない。
棘の森には文字が無いので、主殿の前で自分が読み上げる形になる。
相手は左右七本の牙歯を持つ魔獣一歩手前の大猪の主殿。機嫌を損ねずに成し遂げる自分の姿が思い浮かばない。
馬を引き出しながらも指が震えて、逃げ出したくなる。
「そんな顔をしていると馬が怯えるわ」
後ろからの声に飛び上がった。
リリが親書用の皮筒を差し出している。
「え、もう書き上がったんですか」
「急ぎだから」
「……」
「早く鞍置いちゃいなさい」
急き立てられて腹帯を絞めながら、少年はこそっと聞いた。
「あの、リリさんは、初仕事の時って、どうでした?」
「……」
「あの……」
「覚えていないわ」
「……」
「行ってらっしゃい」
噛み合わない会話にますます心細くなりながら、少年は馬に跨がって追い立てられるように出発した。
真っ暗な中、上がっているのに落ちて行くような感覚だ。
「ちょっとくらい励ましてくれたっていいじゃないか」
***
棘の森はそう遠くない。
少年は執務室に貼ってあった地図を思い出しながら、月とそれを反射する川の位置で方向を確かめる。
月の明るい夜だし、たどり着くだけなら簡単だ。
問題は到着してから……
普段から教わっている訪問時のマニュアルを頭の中で何回も反芻する。
ダメだ、必ずどこかでトチるイメージしか湧いて来ない……
「あれぇ?」
能天気な間延び声があがった。
進行方向の斜め上。
目を凝らすと、月に鱗を反射させて二頭の馬が降りて来る。片方は空馬なのに、片方は二人乗り。銀鱗色の馬の跨るヘイムダルの前に、ちゃっかりピルカが横乗りしているのだ。
何だよそれ! 何やってんだよ!
少年の嫌な顔などお構いなしに、ピルカがあざとい声で喋った。
「執務室の見習いさんじゃあないですか。何してるのぉ? あっ、もしかしてお父様に言われて私を迎えに来たとか?」
「仕事っ! 棘の森の主殿に手紙を届けに行く大事な仕事。じゃ、急ぐから」
そっぽを向く少年に、ヘイムダルが声を掛けた。
「棘の森? 凄いな、そんなに若いのに」
「いえ、まぁ……」
少年はまんざらでもなく振り向いたが、前に乗っているピルカの思いっきり見下した瞳と、先に目が合った。
彼氏から見えないからって……
ピルカの顔が見えないヘイムダルは、気さくに話を続ける。
「主殿って、あの七本牙の猪殿だろう? 気性が荒いって有名な。隣の村の私の知人も、つい先日耳を喰いちぎられたんだ」
「え゛・・」
少年の背中が一気に粟立った、が、頑張って顔に、出さない、よう、に、した。
「うちからは行くとしたら熟練の古参者だ。蒼の里の執務室の者はさすがに優秀なんだな」
ヘイムダルさん、ハードル上げないで……
「ふうん、じゃあ、いってらっしゃい」
ピルカが醒めた顔で、声だけ可愛らしく言った。
ヘイムダルも、引き止めて悪かったねとあっさり手綱を引き、二人を乗せた馬は夜空に遠ざかった。
ポツンと残された少年。
「い、行かなきゃ……」
元より一人で行くつもりだったのに、今更心細くなっている。
ピルカになんて会わなきゃよかった。
夜闇の中馬を飛ばすが、既に身体の芯から怖じ気付いていた。
馬はそれを敏感に感じ取って、カチャカチャと苛つき始める。
主殿の住まい、棘の生えた大木が見えた所でますます逆らって、首を大きく下に振るった。
「あっ」
ガクンと手綱を持って行かれ、前のめりになった瞬間、懐の書状がスルンと落ちた。
うそっ? 腰帯にしっかり挟んでおいた・・はず・・つもり・・あぁっ・・
「だめっ」
叫んだって聞いてくれる筈もなく、皮筒はあっさりと闇の森に落ちて行く。
……!!
冗談じゃない、何でこんな事が起こる。ピルカと会ったのがケチの付きはじめだったんだ。
今から引き返してホルズさんに書き直して貰うか? 誰かが帰っていたら代わって貰えるかもしれない。でも、こんなお使いでしくじっていたら、それこそ当分外に出して貰えなくなる。
少年は唾を呑み込んで、書状の落ちた暗い森に馬を降下させた。大丈夫、落としてすぐだし皮筒は大きいし、きっと見付かる。
そんな甘い考えは、地面に着いた瞬間踏み潰された。
書状を探そうと馬から降りるや否や、森がざわっと揺れた。
月夜に黒い木々が一斉に伸び上がり、音を立ててグワリグワリと揺れ始める。
(((誰だあああっ)))
空気を揺るがす怒声。
「あ、あの、僕、蒼の里から……」
(((出ていけ!、出てけ出てけ!)))
少年のか細い声など微塵も聞いて貰えず、森の声はどんどん大きくなって行く。
馬はビビって棒立ちになり、口から泡をたらし始めた。
「あ、あのあの、お使いで、手紙を……」
怒鳴り声の次は、太い枝が鞭みたいにビュンビュン飛んで来た。こんなの聞いてないよ。
馬は完全にパニックで、ぜったいに言うことをききそうにない。でも跨がって尻を叩けば空に逃げてくれるかもしれない。
確かに逃げてくれた。少年が乗る前に。
「ばかあ――っ!!」
情けない悲鳴をおいてけぼりに、我を失った馬は雲の上に消えて行った。
名馬の魂を宿した草の馬といえど、あくまで馬は馬。ベースは臆病な草食動物なのだ。
それが分かっている蒼の妖精のベテランならば、何かあったらまず馬を逃がす。怯えさせる前なら、呼べば高確率で戻って来てくれるからだ。
そういう裏技も教わっていた筈なのに、今の少年の頭からはすっ飛んでしまっていた。
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