雪のきざはし・Ⅰ
文字数 2,585文字
日増しに白が増して行く、蒼の里の夕暮れ。
紫の前髪の娘が大荷物を抱えて、凍りかけた道をえっちらおっちらと歩いていた。
「リリ」
「なぁによ?」
振り向いた娘の眉間には、思いっきりの縦線が入っている。
呼び止めたのが、いつも余計な事ばかり言って絡んでくるお節介者の声だったからだ。
声は予想通りのユゥジーンだったが、彼の隣のサォ教官を見て、娘は焦って縦線を引っ込めた。
「久し振りだね、仕事は頑張っているかい?」
「はっはいっ」
「眉間にふっかいシワを刻んで、頑張っているよな」
「・・!!」
敬愛しているサォ教官の前では、この娘は猫を被る。それが分かってわざとからかうユゥジーンを、リリは憎々しげに睨み付けた。
「これ、カノンが追加だって」
背の高いユゥジーンの手の中には十冊ばかりの書物が抱えられている。
「あら、まあ」
リリの荷物も結構な量の書物だ。
彼女の父である長の自宅に居候している留学生、カノンへの届け物。
カノンの種族、西風の妖精は物凄く寒さに弱い。
寸刻前まで元気だったのが、いきなりガクンと脱力して休眠状態に陥ってしまったりする。
「あの子、まだそんなに読むっていうの?」
「これしか楽しみがないんだから、仕方がないよ」
今年は冷え込むのが早く、遊び盛りの子供であるのに、カノンは春まで一歩も外へ出られない。
リリだって、本当ならむさ苦しい男の子の居候なんてまっぴらごめんなのだが(リリ談)、体質なんだからしようがない、嫌々だけれど本くらいは運んであげる(リリ談)、というスタンスだ。
「こんなには持てないだろ、俺が運ぶよ。そっちの書物もこの上に乗っけて」
屈んで、自分の抱えた書物のてっぺんを示すユゥジーンに、リリはプイとそっぽを向いた。
「持てるわよ、この位」
そっぽを向いた側にサォ教官がいて、彼女の手から荷物をヒョイと取り上げる。
「あっ、せんせ」
「大荷物の女性の横を手ぶらで歩くなんて格好悪い真似を、私にさせる気かい?」
「もぉ……」
紫の前髪の下の頬を真っ赤にして、リリは下を向いた。
まったく、いつも自信満々で、時として父親の蒼の長にすら喰って掛かる台風娘が、このサォ教官の前でだけは別人のようにしおらしくなる。
ユゥジーンは、口の端まで出掛かったひやかしの言葉を呑み込んで、黙ってスタスタと歩いた。
蒼の里の長娘、リリ。
年齢的には十代後半になるのだが、姿はまだ七、八歳のまま。十二歳のカノンより頭ひとつ小さい。
蒼の妖精の成長の仕方はまちまちで、そんなに気に病まなくてもいいと思うのだが、本人は子供扱いされる事にピリピリしている。
「せんせ、父さまに御用なの? だったらまだ執務室だわ」
「いや、カノンに」
「あら」
「ハウスの子供達が彼に会いたがってね。訪ねて行ってもいいか、都合を聞こうと思って」
ハウスというのはサォ教官の自宅で、親のいない子供達の溜まり場。
「ああ、カノン、チビッコ達に人気だものね。昼間ずっと一人でストレスも貯まっているだろうし、喜ぶんじゃないかしら」
「リリは、いいかい?」
「なんで、あたし?」
「リリの家でもあるじゃないか」
「ああ、あたしは別に……」
ユゥジーンは傍らを歩きながら、黙って本を持ち上げ直した。
実は最近のリリは、ほとんど自宅に帰っていない。
父親と不仲って訳でもない。理由はもっと根深い所にある。
坂を登りきって、石造りの長の自宅に三人は到着した。
奥の暖炉の間で、書物の山に囲われたカノンが、嬉しそうに三人を出迎える。
「はい、僕もハウスの皆に会いたいです。楽しみにしていると伝えて下さい。ああ、重かったでしょ、ありがとうございます」
礼を言って書物を受け取るカノンに、ユゥジーンは何気ない風に話し掛けた。
「そういえば、レンが置いて行った玩具で使い方が分からない物があるんだ」
レンは、カノンと一緒に留学して来た西風の少年で、今はもう南に帰っている。
「どんなの? 今度持って来て」
「レンの玩具なんかで、勉強中のカノンを煩わせちゃダメよ」
案の定、リリが口を挟んで来た。
「うん、ああ、リリでも分かるかな? 後で見に来て貰える?」
「いいわよ。じゃあ後でね」
暇(いとま)の挨拶をして、ユゥジーンはサォ教官と並んで、里奥へ戻る道を歩いた。
「リリにしてはやけに二つ返事で引き受けたね」
「ええ」
口実は何でもいい。
用事を作ってやれば彼女はいそいそとユゥジーン宅に来て、何やかやと用事を長引かせ、眠くなったとレンの使っていたベッドに潜り込むのだ。
そうしてやらないと、執務室の長椅子ならまだしも、たまに厩(うまや)や放牧地で夜を明かししてしまう。
「あの子はどうして、自宅に帰りたがらないのでしょうねぇ」
やっぱりこのヒトなら気付いていたかと、ユゥジーンは言葉を選びながら慎重に答えた。
「長殿がカノンに術の指導をするのの、妨げになりたくないんじゃないでしょうか」
「妨げになるのかい?」
「彼女とカノンじゃ、進捗の仕方が全然違うから。カノンは今が急激に伸びる時期でしょ、故郷へ帰るのを取りやめて無理してこちらに残っている位なんだから。そんな彼が、遅い自分に気を遣って合わせようとしてしまう事を、懸念しているんですよ」
「…………」
「何にしても、西風の妖精でなくとも夜は厳しい気温になって来ましたからね。リリが風邪をひいたら執務室にも支障をきたすし、寝床を提供する位どうって事ないですよ」
これで全部じゃないけれど、ユゥジーンはその辺で話を切った。
「だったら、たまにはハウスの方にも泊まりに来てくれれば……」
「その誘いだけは、絶対にしちゃ駄目です!」
いきなり強い声で即否定され、教官は面喰らった。
「どうして?」
「どうしてもですよ、お願いします」
怪訝な顔をしながらも、サォ教官は承知してくれた。
(いいヒトなんだよな……)
教官と分かれてから、ユゥジーンは自宅への雪道を一人ザクザクと歩く。
サォ教官は本当に出来た人物で、リリが唯一憧れている大人だ。
彼女は彼の前では、クールで頼もしい長娘でいたい。
間違っても『行き場のない寂しい子供』になんかなりたくないのだ。
「ったく、じゃあ、俺は何だっての」
独り言は降り始めた牡丹雪に吸い込まれ、ユゥジーンはレンの残していった玩具の中から適当な何かを引っ張り出す為に、足早に自宅へ急いだ。
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