七時雨 前・Ⅷ
文字数 2,933文字
「ぐあわあぁあ!」
喉を押さえて七転八倒するユゥジーンの前で、リリは膏薬の瓶をスンと嗅ぐ。
「そんなに酷い味なんだ。まあ、おウネお婆さん特製だから原料はエゲツないモノを使っているかもね」
「ゔ、ゔ、・・エゲヅないモノっで?」
「聞きたい?」
「いいや、いい・・」
濃いお茶を三杯喉に流し込んで、ユゥジーンはやっと人心地付いた。
「酷ぇな、わざとだろ」
「わざとやるんなら目に突っ込むわよ」
「・・・・」
「貴方がいきなりおかしな事を言うから、手が滑っただけよ」
「だって」
ユゥジーンは上目でリリを見つめ、鷹に挑むネズミのような口調で、そっと言った。
「君が、俺が記憶がなくなったのを、ただ一人だけ嫌がっている風だったから」
「?? 何よ、それ?」
「最初に迎えに来てくれた長様や、執務室のオジサン達も、記憶がなけりゃないで何とかなるって気楽な感じだった。女の子達なんかむしろ喜んでるみたいだったし。以前の俺ってそんなにどうでもイイ奴だったの? ってそれなりに悩んだんだぞ、これでも」
リリは、とぼけていた表情を正して、彼の前に座り直した。
「そんでさ、君だけが俺と接するのを全力で嫌がっていたから。もしかして君にとっては、以前の俺はどうでもよくはなかったんじゃないの? って思ったの。違う?」
「……」
「君だけダメージ特大だったんだろ? そんでイジけて避けてたんだ? ねぇねぇ」
「今度は何処に薬、突っ込まれたい!?」
女の子の勢いにユゥジーンは両手を挙げて黙った。
が、この子供をやり込めてやったぞ! って目がニヤニヤしている。
「いやごめん、もう言わない。言わないから、ホント」
リリはムスッとしたまま無言で、焼けた石を棒で拾って布に包み、彼に突き出した。
「さ、さんきゅ」
「……あたしが最初に会った蒼の妖精が、貴方だったのよ」
「えっ?」
「ああ、父様以外でよ。あたしの母様は他所の部族のヒトで、七つまではそちらで育ったの」
「う、うん」
パティ達からそんな話は聞いた気がする。
「小さい時に、集落の近くの森で、貴方の落とし物を拾ったの。返してあげるまで、ちょっと色々あったわ。そんな縁で、里へ来てからも何やかやと面倒を見て貰った。それだけの間柄よ。これで納得?」
「あ、ああ、はい、了解」
茶化して言った事に大真面目に説明されて、ユゥジーンは罰悪くその話題を閉じた。
二人、また馬に乗って飛び始める。
ユゥジーンの靴に入れた焼き石は驚く程効果があり、身体全体をポカポカと暖めた。
「ねえ、この石、めっちゃいい! 君、かしこいなあ」
リリは振り返って目を丸くした。
「貴方が教えてくれた事だわ」
「えっ、そうなの?」
「こういう雑学とか、里でのヒトとの関わり方とか、外から来たあたしは本当に何も知らない子だったから。父様は忙しかったし、教えてくれたのはほとんど貴方だったわ」
「マジ? 俺、めっちゃイイ奴じゃん」
「うん、そう、いい人だったわ」
地形が複雑になり、標高が上がって来た。
出発時より格段に寒い筈だが、ユゥジーンは文句を言わなかった。
「あれが貴方が訪ねた集落」
雪に覆われた山間に小さな村が見え、リリは少し進行方向を変えた。
「ヒトの住んでいる所の真上はなるべく通過しないの」
「ふうん、それも俺が教えたの?」
「そうよ」
ユゥジーンはホッと頬を緩めた。
女の子はつっけんどんさが消えて、普通に喋ってくれるようになった。
話してみれば結構マトモな娘(コ)じゃん。
この娘と二人きりで行動なんて気が重かったけれど、何とかやって行けそうだな。
やがて、雪の中に岩が露出した急斜面が見え、その一角の突き出た棚にリリは馬を降ろした。
ユゥジーンも辺りをキョロキョロしながら後に続いた。
「そこの斜面に雪洞を作って貴方は居たそうなんだけれど、覚えている?」
地図を広げて確認しながら、リリは窪んだ雪の壁を指した。
一ヶ月以上も前の事なので、洞は塞がって痕跡は無い。
「うーん……」
ユゥジーンは神妙な顔をして、首を横に振った。
「正直、記憶にあるのは、君の家の暖炉の前くらいからなんだ。それ以前は、辛い、恐い、寒い、って感情しか覚えていなくて」
「そう」
リリは顎に指を当てて考えてから、両手を高く挙げた。
小さい掌の間にキンキン音をさせて風が渦巻く。
物珍しそうに眺めるユゥジーンの横で、その竜巻は雪壁に向かって飛んだ。ジャリッと音がして硬い雪がえぐれる。
「おい、まさか!」
飛んで来た雪塊を避けながら叫ぶユゥジーンを尻目に、リリはまた手を挙げて同じ作業を繰り返した。
「雪洞を掘って同じ状況を作ってみましょう。何か思い出せるかもしれないわ」
「同じって、洞の中で夜明かしするって事?」
「そうよ」
「いやいやいやいや! それはやめとこうよ!」
「記憶喪失の原因を探りに来たんでしょう?」
「だからって何も進んで辛い思いする事ないだろ。麓の村、あそこに泊めて貰おうよ」
「……」
「とにかく俺はゴメンだぞ、こりごりだ。記憶はうっすらだけれど、めっちゃ辛かったのだけは覚えているんだ。どんだけ辛かったか君には分かんないだろ。ベッドで寝よ、ベッドで! 記憶が無くたって命に関わる訳じゃなし」
女の子が黙っている間に何とか押し切ろうと、ユゥジーンは捲し立てる。
「そもそも困るのは執務室のオジサン達だろ。いや、俺も、あんなに大騒ぎになるとは思っていなかったし。何だったら辞めるのを撤回してもいいよ。女の子達の機嫌も直るし、君だって余計な仕事をしなくて済むんだろ?」
リリはさっきから気絶しそうだった。
目の前の、ジーンと同じ姿をした男性が、ジーンと同じ声で、ジーンは絶対言わない言葉を、長々と吐き出している。それが近くなったり遠くなったりして、頭の中でワンワンする。
だから嫌だったんだ、一緒にいるのも、話すのも・・!
――ゴゴォ!
女の子の思い切り振り上げた手が、今までの何倍もの竜巻を作った。
仰天して言葉が止まったユゥジーンを掠めて、それは唸りを上げて雪壁をえぐった。
ギャギャン!
硬い氷が砕け、破片が渦巻いて飛び散る。
ぽっかり大穴が開いた壁面の横で、ユゥジーンは目を真ん丸にして尻餅を付いていた。
リリは風を投げた姿勢のまま、俯いて言う。
「別々に行動しましょう」
「ふぇ?」
「貴方、麓の村で待っていて。あたしがここを拠点に調査する」
「な、何でそんなに調査にこだわるのっ。俺は記憶喪失のままでもいいって」
「あの!」
彼の言葉を遮った女の子の声は、無感情に戻っていた。
「貴方の為じゃありません。あたしは自分の為に調査するんです」
「何だよ、それ?」
ユゥジーンも、ふて腐れた言い方に戻った。
「あたしは長娘です。この先、里の皆に命令する立場になるかもしれない。だから自分が今、長様の命令をズルをしてごまかす訳には行かないの」
「へえ? 生真面目っていうか、何か大変なんだねっ」
「自分の為だから、貴方がどうとか関係ない。調査が済むまで、麓の村で待っていて下さい。暇だったら、自分が来た時の事を村のヒトに聞き回ればいいわ。それも立派な調査だから」
「う、うん、まあ、それなら、了解」
逆らう理由はない。ユゥジーンは後ずさりして、自分の馬に手を掛けた。
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