七時雨 後・Ⅸ
文字数 2,223文字
灰色の靄の天井から、二人の馬が降りて来た。
魔物がいなくなって安心したらしい。
「よぉし、よし、怖い目に遭ったのに、ちゃんと戻ってくれてありがとうな」
ユゥジーンは両方の鼻面を撫で、馬の鞍袋からリリの着替えを引っ張り出した。
マントの下から細心の注意を払って服を着せる。
「目が覚めたらひっぱたかれるかも」
「覚まさないですよ」
男性は着替えさせている最中も隙間なく、女の子の額に手を当て続けている。
「術の力だけ大き過ぎて身体が着いて行かないんだな。途中でダメージを受けなければ蛇に憑かれる事もなかったろうに」
「あ、あのっ」
靴を履かせ終わったユゥジーンは、つい声を上げた。
「どうも執務室のオジサン達、この子を突き放し過ぎだと思うんです。こんなに小さいのに期待が大き過ぎるっていうか。この子、優しくていい子なんスよ。自分を犠牲にしても俺の馬を庇ってくれたり、俺だけ助けようとしてくれたり」
「・・・・」
「えっと、あの……」
「それで?」
「………」
男性は静かにユゥジーンを見た。
「普通の娘ならそれでいい。優しくて献身的な女の子は皆に好かれ、周囲を幸せにする。しかしこの娘は、長になるんだ」
「長が、優しくて献身的じゃイケナイんスか」
「長は、里を背負い、多くの命を背負う」
「納得しないっス」
ユゥジーンはここ一ヶ月で初めて、自分以外の事で不貞腐れた。
「この子、皆が思ってる程しっかりしていないですよ。すぐ意地張るし、テンパるし」
「ああ……」
男性は、怒らず、逆に目を細めた。
「記憶を失くしても、君にしか見えない物は同じなんだな」
「??」
「最初から完璧な長などいない。その為に君達、執務室のメンバーがいるんだ」
「………」
「長は、一人では成れない」
女の子の額にかざしている掌が一際大きく光り、男性は治癒を終わらせた。
リイィィ・・
錫杖が空気を震わせて長く鳴った。
杖を動かしていないのにと不思議に思って見ると、先端の輪に付いた振り鐘がひとりでにチラチラと光って揺れている。
「ああ、娘が呼んでいる。そろそろ戻らなくては。リリはなるべく早くナーガ様に診せた方がいい。背負って連れ帰ってあげなさい」
「えっ、いやあの、背負うって? 俺、馬の乗り方も忘れちゃってて、っていうか昨日ここまで飛べたのだって不思議なくらいで、本当に修練所に上がる前の記憶しかないんですってば」
男性が鼻から息を吐いて呆れた表情をした。
「君は元来そんなにペラペラと言い訳をする人物じゃなかったと思うのだが」
「知りませんよ、両親早くに亡くして早くから自立心旺盛な子だったって散々言われましたがね。でも俺、その自立心が育つ前の人格ですから」
「ああ」
ユゥジーンにしたら苦し紛れに並べ立てた言い訳だが、男性は少し納得してくれたようだ。
「馬を信用してあげなさいな。上空でグルグル回って、一所懸命目印になってくれていたんですよ。記憶がどうでも、貴方の馬なんです。里の場所は姫君の馬が先導してくれるでしょう」
「やっぱ、一緒に来て貰えませんか」
「蒼の里には不義理をしておりましてね」
どう言ってもこれ以上は助けて貰えそうにないので、ユゥジーンも覚悟を決めて馬によじ登った。
男性はリリを押し上げて、背に縛り付けるのを手伝ってくれたが、その時初めて、彼が半身を不自由にしている事に気付いた。
「あの、何かすいません」
「構わない、出来る事しか出来ないし」
「その身体で、魔性退治とかやってるんですか」
「まぁ……出来る事しか出来ないし」
出立する前に、この蒼の里からは縁遠そうな男性に、ユゥジーンはどうしても聞いてみたくなった。
「あの~ ちょこっと教えて欲しいでス。俺、この子と付き合っていたのかなァ? 誰もはっきり答えてくれないし、それでいて何か含みのある顔をするんだ」
「本人に聞いてみればいいでしょう」
「聞いたよ。全否定だった」
「……」
「くだらない事聞くな、って思ってるでしょ。俺だって最初は気に止めていなかった。でも、もしかして本当に付き合っていたんだとしたら……とか思うとさ」
「ふむ」
「自分の事をきれいさっぱり忘れられたら、そりゃキツいでしょ。だからちゃんと知って、接し方を考えてやんなきゃな、って」
去り掛けていた男性は、ピタリと止まってゆっくりと振り向いた。何故だかその瞳は大きく見開かれている。そうして足を引き摺りながら、ユゥジーンの馬の傍らに戻って来た。
「付き合っては……いなかったと思いますよ」
「へえ? そうスか?」
「この娘は男性とただ『付き合う』事はしません。長娘ですから。伴侶となり共に苦境を歩める相手にしか近寄ろうとしないでしょう」
「堅苦しいっスね。長娘だからって自由に恋愛出来ないんですか」
「心は縛れません。ただ理性が縛る。男性側にしたら、長の血筋の娘に手を差し出すのは、相当な覚悟が必要です。この娘は相手にその覚悟を求めるのが嫌なんでしょう」
「そんな事言ってたら一生一人じゃないっスか」
「でしょうね」
「……」
目を見開いて口をへの字に結んだユゥジーンを横目に、男性はフイと背中のリリの首元に手を伸ばした。
「何をするんですか? 起きちゃいますよ」
「起きませんよ」
彼女の首から引っ張り出したのは、ユゥジーンとお揃いの、布のペンダント。
「この中の緋い羽根は、君と彼女とを繋ぐ絆。そんなに気になるんなら、内緒で見せてあげますよ。どうします? 見ますか? ただし、それなりの覚悟が必要ですよ」
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