文字数 4,335文字

 私立菊花女子学園中学校。都内一等地にある、超お嬢様学校。ここが俺の仕事場だ。正直赴任したての頃は、女の子ばっかりで息ができなかった。でも……。
「よ、おはよーっす。まこっちゃん」
「加茂先生、まこっちゃんはやめろって言ってるじゃないですか」
「あは、いいじゃん。いい加減、仲良くしようよ~。さすがに三年目だよ? 千草でいいって」
 同期である生物担当の加茂先生も、同じ男性教諭ということで、そこそこ救われていた。だが、この加茂千草という男は、確実にどうしようもないやつだ。
「……じゃ、千草。学校の近くでまこっちゃんはやめろ」
「しょうがないなぁ。……で、今年は氷川センセ、三年生担当だっけ?」
「ああ、今日からいよいよだな。うちはエスカレーターだから、受験生はあまりいないだろうけど」
「そういう話じゃなくってさ。中三となれば、ほら。結構体型とか出てくるじゃん! そういう楽しみが」
「……それを楽しみにしてたら、教育委員会が黙ってないな」
「ちぇっ、ジョークなのに」
 俺たちは正門をくぐると、教職員用のスリッパに履き替え、職員室へ入る。さすがにここまで来ると、加茂先生の悪ふざけもなくなる。それだけ厳格な教育者たちが集まる場所なのだ。……多分。
 八時十五分を過ぎ、校門前で指導をしていた当番教師たちが戻ると、朝礼だ。
「今日からいよいよ新学期です。全校集会が終わったら、出席をとり、各クラスで一斉テスト。委員や係を決め、本日は解散です。ホームルームが終わったら、テストを科目ごとに分け、採点してください」
 教頭先生の話が終わると、そのまま体育館に向かう。
「氷川センセ、何組でしたっけ?」
「俺は一組です。加茂先生も振り分けに参加してたでしょう? 忘れたんですか?」
「あはは、そうでした。春休みは色々バタバタしていて、忙しかったんですよ~。毎日のように合コンで」
 笑いながら答える加茂先生。合コンで忙しいというのはどうかと思うが、ハッキリ言って教師に出会いなんてほとんどない。女子校だったら尚更だ。女の子は確かにいっぱいいる。だけど、教師と生徒は禁断の関係だ。そんな状態になってみろ。PTAやその他機関にさらされた挙句、クビ。しかも教職で生徒に手を出した、なんてことが知れたら……。他の仕事にだってありつけなくなる。
「……それで、加茂先生は何年でしたっけ?」
「俺は二年二組です。三年も大変そうですけど、お互い今年も頑張りましょう」
 そう言いながら、握手を求められる。俺はそれに気がつかないフリをして口元だけで笑顔を作った。
「……そうですね」
 必要以上に他人と接触しない。これが俺のルールだ。翠や、俺の事情を知ってる人間ならまだいい。でも、俺の持っている能力は、触れた人間の不幸が見えてしまうものだ。意識していたり、相手側から不意に触られたりするときは見えないのだが、気を抜くとふっ、と見えてしまう。コケてケガをするとか、忘れ物をするなんて小さな不幸ならいいが、もし相手が死ぬシーンを見てしまったら……? 俺はいまだに思い出す。自分の祖父が死んだときのことを。
祖父は大病で入院していた。そこへ、小さかった俺は連れて行かれ、祖父の手に触れた。その時見えたのだ。祖父の葬式が。幼い俺は自分の能力にも気づかず、言ってしまった。「おじいちゃん、死んじゃうんだね」と。その二日後、祖父の病状は急変し、俺が言った通り亡くなった。
加茂先生は出した手を笑いながら引っ込めると、自分のクラスへ向かい、列を整理し始める。
俺も同じように、三年一組の生徒を適当に整列させると、舞台の右横に立った。

「……さあ、ここからが本番、だな」
 問題なく始業式が終わると、俺は軽く頬を叩いた。これから出席をとって、自己紹介しなくてはならない。
 俺は自分が学生だった頃を思い出す。自己紹介、苦手だったなぁ……。ただでさえ、友達がいなかったのに、いきなり大衆の面前で自分を紹介するなんて、きついことこの上ない。内気な生徒だったら、誰だって憂鬱になるだろう。かといって、一発ギャグなんかしてみろ、人気者じゃない限り、スベッて終わりだ。その後のクラスでも浮く存在になること間違いなし。
 ま、幸い今の俺の立場は教師だ。それに、まだ学校内の教師でも若い方だと自負している。多少オチャメでも問題ないだろう。あ、でも、『キモい』って言われたら立ち直れないかも……。
やはりここは、教師として、なめられないようにしっかりやるか。
「おーい、席着けー」
 ガラガラと扉を開けながら呼びかけるが、クラスは予想以上にシンとした。俺はそれが異常な光景だと悟った。
 空気が違う。短い教師生活だが、この空気は異常だ。まるで、祖父の死を予知した、あのときのような暗く重い空気が俺の肺に入ってくるような。
 動揺していても仕方ない。俺は咳払いをひとつすると、教壇に立った。
「今日から三年一組を担当する、氷川誠だ。社会科を担当しているから、知ってるよな?」
 ……しーん。誰も無駄話をしない。教師をからかわない。なんだ、このクラスは。確かに教師が自己紹介しているんだ。おしゃべりをしていたら注意はする。だが、それも戯れのひとつで、和気藹々と進めていくものじゃないのか? それに、三年生だったら、一度は同じクラスになった友達もいるだろう。その友達とふざけあったりしないのか? なぜかクラス全員俺の方を真っ直ぐ向いて、黙りこくっている。
 俺は奇妙に思いながら、出席をとりながら、出席番号一番から自己紹介させていく。
「赤尾愛奈です……よろしくお願いします」
「飯田奈緒です。よろしく」
 ……やっぱりおかしい。名前と口だけの『よろしく』。こんな淡泊な自己紹介がずっと続く。
「近江鳩羽です……先生、あの」
「あ、ああ、近江か。すまん、話は聞いている」
 近江は座ったまま、自己紹介をする。それが終わると俺は、みんなに向かって簡単に事情を説明した。
「去年転校してきたから、知ってるやつは知ってると思うが、近江は足をケガしてな。車いすだから、何かあったら協力してくれ」
 近江はぺこりと頭を下げる。見た目はかなり美人で、黒く長い髪がつややかだ。立つことができれば、きっとモデルとしても活躍できるのではないかと思うほどだった。
 そしてまた、定型の自己紹介がしばらく続くと、突然流れが止まった。
「ん? 次は日枝……あ、日枝は学校、今日からだったな」
 なんだかんだ言って、俺のクラスは地味なようで訳ありな生徒がそこそこ集っているらしい。あまり意識していなかったが、それは俺のフォローミスだ。
「みんな、聞いてくれ。日枝は横浜の学校から転校してきたばかりだ。色々案内とか、手伝ってやってくれ」
「ひ、日枝すみれです。よ、よ、よろしくお願いします」
 俺は日枝の挨拶につい笑みを浮かべてしまった。温度のない冷たいクラスだと感じていたが、日枝はいかにも転校生という体で、緊張してどもっている。そうだ。自己紹介っていうのは、こういう照れくささがないとな。
 だけど、日枝の後からは、また定まった挨拶に戻っていく。……なんだよ、せっかくいい雰囲気になったと思ったのに。
 ともかく全員の自己紹介が終わると、俺はテスト用紙を配った。

「で? どーだったの? 新学期」
「どうもこうも、よくわかんねぇよ。一日じゃ」
 同じアパートの隣に住んでいるストーカー……いや、腐れ縁の翠に誘われ、俺たちはファミレスに食事しに来ていた。
「普通はキャッキャワイワイしてるはずだろ? それが全くないっていうか。心配で休み時間ものぞいてみたんだけど……誰も席を立たねぇんだよ」
「それは確かに異常かもね……ん~、やっぱここのミートドリア、おいしすぎ!」
「お前の方はどうだったんだ? 模試は」
「あ~……」
 翠は食べる手を休ませると、頭をかいた。
「忘れ物とか、注意されたことは全部クリアしたんだけど……論述がダメダメで」
「間に合うのかよ、司法試験」
「ダメだったら、誠のお嫁さんになるからいいよ!」
「……俺はお前と付き合ってるつもり、ないんだが」
「まあ、いいじゃん! 付き合ってなくても結婚はできる!」
「お前……それ、最低だぞ?」
 俺は大きく溜息をついて、自分の明太子スパを口にした。
 テスト……といっても、俺は担当の社会科だけだが、成績が極端に悪い生徒はいなかった。むしろ、全員平均かそれ以上。優秀な生徒ばかりだ。加茂先生にも探りを入れてみたが、「問題なさそうですよ?」と笑顔で返されたので、実際赤点もなかったんだろう。物言わぬ生徒たちに、これからどうやって接していけばいい? まだある意味不良やギャルの方が、話を分かってくれるような気さえしてきてしまう。
「う~ん……」
「なんだよぉ、何悩んでんの?」
「今後の生徒との付き合い方について」
「普通に接していけばいいじゃん」
「……断言はできないが、多分普通じゃないんだよ。うちのクラスは」
「ふ~ん? だったらこういうのは?」
 翠はにやりと笑い、スプーンをこっちに向けた。翠の発想は独創的で、たまにすごいことを思いつく。ただし、大体が突拍子もないことだったり、一般常識を外れていたりするので、俺は話半分に聞くことにしている。
 今回も、俺はとりあえず参考程度に話を聞いてみることにした。
「キミの持ってる不幸予知能力を使って、生徒を占ってあげるとか!」
「『お前はこういう不幸が起きるから、気をつけろ』って助言しろとか? それはアウトだろ」
「え~? いいアイディアじゃない?」
「一歩間違えれば、カルト宗教だ。PTAや教育委員会が黙っちゃいないだろ」
「そうかな?」
 俺はこくこくうなずきながらパスタを口に運ぶ。
「それに、朝も言ったが俺は占い師じゃない。教師なんだよ」
 翠は自分の案が否決され、不愉快そうな顔をしている。だけど、この力は役に立たないだろう。もし、生徒が全員人に言えないような悩み事を持っているとしても、俺がわかるのは、『将来に起こる不幸の予知』だ。俺はまだ、生徒たちに触れていない。触れる前から、お通夜状態のクラスだ。不幸は予知する前に、すでに起こっているようなもんだろう。やっぱり俺にはどうしようもない。
「……だけど、日枝。あいつだけは別かも」
 唯一、人間らしい戸惑いを見せた転校生、日枝すみれ。確か、資料には横浜から自己都合で転校してきたと書類にはあった。自己都合……か。あのクラスでうまくやっていけるのだろうか。それなら、補助が必要な近江もそうだ。クラスのやつらを信用していない訳ではないけど……あの二人が今後、うまくやって行けるかは心配だ。
「見る価値はあるか」
 小さく呟くと、安い白ワインを飲み干した。
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