文字数 7,030文字

 茜ちゃんは、中慶大学付属病院に入院していた。俺たちは茜ちゃんのいる、三階の部屋へと向かう。
「茜ちゃんは個室だったよねぇ?」
 何気なく翠が廊下を見渡すと、ある一室だけ警察官が見張りをしていた。多分そこだ。場所はすぐに分かったが、俺と葵先輩は顔をお互い顔を見合わせた。片方は現場にいたという容容疑で、一時期事情聴取を受けていた反社会組織のドン。もう片方は今回事件の起こった学校の教師だ。
「どうしよう」
「どうしようって? 普通に説明して、入れてもらえばいいじゃん」
「あ、おい! 翠っ!」
 翠は俺たちのことを考えてないのか、そのまま警官たちに挨拶へ向かう。うまく行くわけないのに……。
「すみません。春日茜さんのお見舞いに来たんですが」
「お見舞い? ……あ、あんたは確か、京浜レンタルコンテナで保護された……」
 翠が行ってしまったら、俺たちも行くしかない。腹を括って警察官の前に俺たちも立った。
「俺たちもお見舞い、してもいいですか?」
「……ちょっと待ってください。あんた方は事件関係者だ。上長の許可が必要だ」
「その必要はない」
 警察官が無線で連絡をしようとしていたら、そこへ見覚えのある顔が現れた。
「えっと、あなたは……」
「八坂だ。不本意ながら、春日警部補の下で働いています。あんたたち、春日警部補のお見舞いに来たって?」
 俺たちはこくりとうなずく。すると八坂刑事は、頭をかきながら面倒臭そうに警官たちに言った。
「ボディチェックしたら入れてやれ。……あのお嬢さん警部補、だいぶ塞ぎ込んじまってるからな。少し喋り相手も必要だろう」
 八坂刑事……。最初は茜ちゃんと何度も衝突して、仲が悪いんだと思っていた。それに、キャリア組を嫌ってるんだとばかり思ってた。しかし、実際は思いやりがある人なんだな。
 俺たちは軽くボディチェックを済ませると、改めて茜ちゃんの部屋をノックした。
「あっかねちゃ~ん!」
 翠が力任せにドアを開ける。するとガタンと音がした。茜ちゃんがびっくりして起き上がったところ、腕をベッドのサイドにある柵にぶつけた音だった。
「痛っ~!」
「だ、大丈夫か? 茜ちゃん。翠! お前、病人をおどかしてどうするっ!」
「ご、ごめん。悪気はなかったんだよ~」
「み、みなさん、来てくれたんですか?」
 茜ちゃんは目に涙をためながらも、嬉しそうに笑う。葵先輩はお見舞いの品と言って、ケーキの入った箱を茜ちゃんに渡す。
「春日さん、何が好きか分からなかったから……とりあえず一通り買ってきちゃった」
「すごい! 『プティモンド』のケーキじゃないですか! しかもショートケーキにチョコ、モンブラン……全部好きですっ!」
「ならよかったわ」
「さっそくいただいても……いたた」
 茜ちゃんは嬉しくてはしゃぎ過ぎたのか、撃たれたところを押さえる。
「ほらほら、無理しないの。まだ茜ちゃんは寝てないと」
「ううっ、ケーキ……」
 こうして見ていると、普通の女の子にしか見えない。その正体が、キャリア組の春日茜警部補だなんて、誰がわかるだろう。茜ちゃんは泣く泣く布団の中に入る。
「だったら誠先輩、食べさせてくださいよぉ……」
「えっ? お、俺?」
「私、ケガ人なんですよ? それなのに、目の前にあるケーキも食べられないなんて、ひどいです」
「わ、わかったよ」
「やたっ!」
 茜ちゃんは満面の笑みを浮かべる。普段は別人のように厳しいのに、子供っぽい甘え方をするなんて、ちょっとずるい。こんなかわいい子に甘えられたら、俺だって……。
 俺は茜ちゃんがチョイスした、苺のショートケーキを紙皿に乗せると、プラスチックのフォークで一口大にして、茜ちゃんの口に運ぶ。
「ほら、あーん」
「……あーん。ん~! おいしいです! 南禅寺先輩、ありがとうございます!」
「喜んでもらえてよかったわぁ~。それじゃ、私はリンゴでも剥こうかしら? みんな食べるわよね?」
 葵先輩は笑顔でリンゴをくるくる回しながら皮を剥く。そんな平和な時を過ごしていると言うのに、一人だけ不機嫌丸出しのやつがいた。翠だ。
「もうっ! 茜ちゃんも葵先輩もずるいっ!」
「……何がずるいんだ?」
 俺が首を傾げると、ばしっと頭を叩かれた。
「な、何すんだよっ!」
「だ~か~ら! 茜ちゃんは誠に食べさせてもらってるし! 葵先輩はリンゴをうまく剥いて女子力アピールしてるし~!」
「え、えーと? お前は何を言いたいんだ?」
「誠のニブちんっ! なんで分からないの!」
 なんでって言われても……分からないもんは分からない。すると、葵先輩がくすくす笑い出した。茜ちゃんも気づいたように声を上げて笑う。
「誠くんは確かに鈍いわねぇ」
「ですね。私たちの気持ち、全然気づいてないんですから」
「みんなの気持ち? なんだ、それ」
「バカっ! 誠のバカバカバカっ! みんな自分のことこんなにアピールしてるのに、真ったら全然気づかないじゃん! あたしだって、誠に何か食べさせてもらったり、リンゴうまく剥いたりしたいのにっ!」
 さっきから翠は何を怒ってるんだ? 他の二人を見ると、くすくす笑っているだけだ。
「これで、ライバルは一人減りましたね」
 茜ちゃんは笑いながらそう言うが、葵先輩はリンゴを剥きながらも落ち着いた口調で言った。
「まだわからないわよ? 住吉さんは誠くんの幼馴染って特権もあるし……何と言ってもかわいらしいから。私がお持ち帰りしたいくらいだし」
「え? え?」
 全く蚊帳の外の会話に、俺はどうしようもできず、ただただ困り果てていた。

「それで、警察の方はどうなったんだ?」
 茜ちゃんにケーキを食べさせ、みんなでリンゴを食べると、俺たちは茜ちゃんに話しを聞くことにした。
「今回の事件……BBCという組織が明らかになったことで、今は会員を徹底的に探している状態です。彼らはその……殺人犯ですから」
BBCを仕切っていた、近江桔梗は千草に殺された。近江鳩羽……藤夜はBBCの共同運営者だ。あいつから今後は情報を引き出していくことになるだろう。あいつがどこまで喋るかは分からないが。そして、加茂千草。あいつは一応、近江桔梗を殺した罪で起訴される予定だ。だが、愛する弟がBBCを運営していて、それから助けるために今回の殺人を起こしたと訴えたら……どうなるかわからない。裁判の行方はまずは裁判員に任される、と言ったところだろう。
「ところで、茜ちゃんの処遇はどうなるんだ?」
 俺は一番聞きたかったことをたずねた。茜ちゃんは父親を警視総監に持っている。だから、今回の事件、ある程度のわがままは目をつぶってもらっていた。それは八坂刑事などの態度を見ればわかる。警察学校を出たばかり。現場の経験もない女の子が、いきなりどこかから情報を持ってきた。しかもその情報源は、怪しい力を持つ俺や、南禅寺家三代目の葵先輩だったり。俺はまだいいが、葵先輩とのつながりは、やっぱり警察官としてはまずいと思う。反社会勢力との慣れあいはご法度だ。茜ちゃんはそれを分かったうえで、葵先輩とも行動していた。これが今回、茜ちゃんの処遇に大きくかかわらないといいけど……。
 もちろん、葵先輩がどんな人間かは俺もよく知っている。普段は優しく、笑顔の絶えない素敵な先輩だ。だけど、彼女は『家』を背負っている。それが問題なのだ。
 心配そうな顔で茜ちゃんを見ると、一瞬悲しそうな顔を見せた。でも、いつもの笑顔にすぐ戻る。
「私、しばらく交番勤務になる予定なんです! 地域密着っていうか、そういうのもいいかなって思って」
「それは……左遷ってことだよね」
 俺が厳しい言葉を吐くと、一瞬ぴくりと指を動かした。だけど、笑顔は崩さない。
「確かに、キャリアで入って刑事として一線に立っていましたけど、これを左遷だなんて私は思ってません。むしろ、もう一度初めからやり直すって意味で、いいことなんじゃないかなって思ってるほどで」
「茜ちゃん……」
「……ごめんなさいね」
 謝ったのは、葵先輩だった。葵先輩は洗ったナイフをしまうと、茜ちゃんの手を取る。
「南禅寺家……いえ、堅気じゃない私があなたに関わったから、こんなことに……」
「南禅寺先輩……」
 二人はお互い視線で会話する。多分、これで最後になるからだろう。葵先輩は、もう二度と茜ちゃんに会うことはしない。大きな家を背負っている先輩と、警察官の茜ちゃん。敵対こそするかもしれないが、もう一緒に何かに立ち向かうことはなくなるだろう。葵先輩はそういう人だ。茜ちゃんもそれはわかっているはず。
 病室が静まり返り、さわやかな風が俺たちの頬をなでる。そんな穏やかな空気を破ったのが、うるさい翠だった。
「なんだよ、もう! 二人ともおかしいよ! 家が堅気じゃなくたって、自分が警察官だからって、縁を切っちゃうみたいなこと、なんで考えるのかなぁ? ボクたちは、同じ大学で、同じときを過ごした仲間じゃないか! いくら離れてたって、会うことがなくなったって、それは変わらない事実。そうでしょ?」
「……ふふっ」
 葵先輩が笑いだす。茜ちゃんも微笑をこぼす。俺もついにやけてしまった。
「な、なんだよ……」
 言った本人だけが気づいていないらしい。自分のことを『ボク』と言ったことに。
「翠、もう自分のこと『ボク』って言わないって決めたんじゃなかったのか?」
「えっ? あ、あたし、『ボク』なんて言ってないよ!」
「言ってたわよ~?」
「ええ、ちゃんと聞きました!」
 葵先輩も茜ちゃんも、翠をからかう。翠はプンスカ怒りながら、なぜか俺をぽかぽか殴る。こんな穏やかで優しい時間が、いつまでも続けばいい――。俺はそう思った。

 そして、事件から一年経った。茜ちゃんは交番勤務になり、地域の安全を守ることに一生懸命らしい。なんだかんだ言って、刑事の仕事より、こうした地域を守る仕事の方が楽しいと、この間お茶をしたときに呟いていた。そして意外だったのが八坂刑事。茜ちゃんの刑事としての腕を買ってくれていたらしく、なんと上長に、できるだけ早く交番勤務から捜査一課への復帰をお願いしてくれているようだ。茜ちゃんは「そんな実力、私にはないんですけどね」と遠慮しがちに笑っていたが、やはり嬉しかったみたいだ。
葵先輩はというと、相変らず表向きは料理教室と華道教室を営んでいる。だけど、最近はお祖父さんがお見合いの話を持ってきていて、断るのが大変だと溜息をついていた。その時、俺に『恋人のフリをしてお祖父さんとあってくれないか』とお願いされたが、正直俺はまだ命が惜しい。葵先輩のお祖父さんは、聞くところによると相当な頑固者で、しかもキレるとすぐに真剣を振り回すらしい。ま、葵先輩も本気でキレると、真剣振り回すからな……。もしかしたら血筋なのかもしれない。当然だが、そんなお祖父さんを目の前に、「お孫さんをください!」なんて、芝居でもできない。というか、芝居だとバレても東京湾にコンクリ詰めにされて沈められそうだ。
 そして翠。苦難の末、やっとのことで司法試験を突破した。あのドジでマヌケなあいつが、司法試験に受かるとは、誰が予想していただろう。これで、いよいよ弁護士としての修業に入れると喜んでいたが……。
「ね、ね! どうかな? スーツ似合ってる?」
「………あのな、翠。今何時かわかってるか?」
「うん、午前五時二分!」
「正確な時間はいい。っていうか、朝の五時になんで同じアパートの隣人を起こすんだ! お前はっ!」
「だって、今日初めて弁護士事務所に行くんだよ? スーツがちゃんと似合ってるか、誠に見てもらいたかったし~」
 はぁ……。相変わらずストーカーなのは変わらない。この腐れ縁もどうにかならないもんだろうか。それとももしかして、俺の人生にこいつが一生関わっていくとか? それは勘弁してくれ。
「でさ! 例のアレ、今日もやってくれる?」
「何回も言ってるが、お前はまだわかってないんだな? 俺は占い師じゃないんだよ」
「わかってるよ。不幸予知能力者、でしょ?」
 ……全くわかってないようだ。こうなったらさっさと終わらせて、帰ってもらうしかない。俺は翠の頭に手を置く。すると――見えた。
「行くぞ、しっかり全部覚えて、回避しろ。いいな?」
「うんっ!」
 俺は翠に今日起きる不幸を予言する。翠はそれを聞くと、自分の部屋へと帰って行った。
「……変な時間に起きちまったな。俺も今日は早めに起きることにするか」
 ドアを閉めると、簡単な朝食を作り、ワイシャツにアイロンをかける。ピシッと糊付けされたワイシャツを見ると、新鮮な気持ちになってくる。
 そうだ、今日からまた、新学期が始まるのだ――。

「おはようございます、氷川先生」
「おはようございます」
 去年の新学期のことを思い出す。

『よ、おはよーっす。まこっちゃん』
『加茂先生、まこっちゃんはやめろって言ってるじゃないですか』
『あは、いいじゃん。いい加減、仲良くしようよ~。さすがに三年目だよ? 千草でいいって』

 あの、調子のいい同僚はもういない。今は刑務所で自分の犯した罪を償っている。だけど……あいつに罪の意識はない。千草は桔梗を殺したとき、笑っていた。それほど近江桔梗を憎んでたんだ。裁判でも言っていた。弟を助けることができて、もう思い残すことはないと。
 やめよう。あいつのことを考えるのは。もう、二度と会うことはない。同僚をなくし、少し寂しいが、出会いがあれば別れもあるんだ。
「先生、おはようございますっ!」
「お、日枝。今日から高等部の一年か」
「はい! ほら、リボンの色も赤から紺にちゃんと変えてきましたよ!」
「ああ、本当だ。高校でもちゃんと勉強頑張れよ?」
「わかってますって!」
 何気なく俺は、日枝の肩を叩く。……迂闊だった。もう事件は全て終わったと思っていた。なのに、また見えてしまったのだ。日枝の顔が、醜く崩れてしまうところを。
 何ごともなかったかのように手を離し、日枝に早く教室に向かうように促す。日枝は笑顔で俺に手を振って、去って行った。
 またか。今度は何が起こるというんだ? そして、日枝は今度、何に巻き込まれるっていうんだ? 俺は吐きそうなのを我慢しながら、職員室へと向かった。
 
 職員室で他の教師に挨拶すると、校長が手を二回叩き、こちらに注目するよう合図した。
「みなさん、今日から新学期ですが……新任の先生をご紹介しておりませんでした。実際は今年の一月から交通指導などのサポートをしてもらおうと思っていたのですが、ご家庭の都合で
延び延びになってしまって……。ですが、今日からはちゃんと一教師として教壇に立ってくれることになっています。それでは一宮先生、どうぞ」
 がらりと扉が開けられ、脚の長いスーツ姿の女性が入ってくる。俺は彼女の顔を見て、声を失った。
 近江桔梗……っ! ま、まさか。彼女は千草に殺されたはずだ。だが、それにしても似ている。どういうことだ? 校長は一宮と呼んだ女性教師を教頭の机の真ん前に連れていくと、彼女に自己紹介するように言った。
「一宮藍です。家庭の事情がありまして、今日からの着任になりました。不手際もあるかとおもいますが、なにとぞご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます」
「一宮先生は……そうだな、氷川先生の隣の席が空いていたはずだ。そこに座ってください」
「はい」
 一宮藍は、軽く俺に会釈すると、去年まで千草が使っていた席に座った。
 校長の長い話が始まる。新学期のこととか、クラス分けのことが主な内容だが……俺は聞いていなかった。一宮藍が、小さいメモ用紙を俺の机に何気なく置いたのだ。
 誰にも気づかれないようにそれを開くと、メモにはこう書かれていた。

『姉と義理の兄がお世話になりました。これからまた『皆さん』にお世話になると思いますが、宜しくお願いしますね?』

 俺はハッとして、一宮藍を見た。だが、一宮は校長の話を真剣に聞いている。まるで、こんなメモなんて知らないかのように。
 一体一宮は何をするつもりなんだ? それに『皆さん』って? まさか……。
 校長の話が終わると、俺は急いで廊下に出て、茜ちゃん、葵先輩、翠に一斉メールを送った。ただ、今はみんなの命が危険にさらされていないか、それを確かめるため……。だけど、メールは送れない。何度送信しても圏外になる。まさかこれは。
「姉が使っていた電波妨害機。すごい威力なんですね」
「一宮……」
「最初にご挨拶しておきますわ。氷川誠先生。私は一宮藍。一宮、というのは、別の家庭に養子に入ったので名字が変わったんです。本名は……近江藍。BBCの新しい経営者です。以後、お見知りおきを」
 堂々と挨拶するなんて――。この事件はまだ、ハッピーエンドにはなりそうもない。一宮の瞳は、ギラギラとまるで獲物を狙うように光っている。
 第二ラウンド開始。そんな言葉が頭の中をよぎる。
俺と一宮は、体育館へ向かう廊下の真ん中で、お互いにらみ合う。絶対にもう、犠牲者はださない。これは俺の戦いだ。
「一宮先生、氷川先生! 始業式が始まりますよ?」
 先輩教師が俺たちに声をかける。
「はい! 今行きます!」
 一宮は元気よく答える。しかし、この女の中には、深くて暗い闇がある。俺はそっと彼女の肩に触れる。
 ――そこに見えたのは。
                                      【了】
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