文字数 27,139文字

「ここに来るのは、学生時代以来ですね」
「……お菓子習いにきただけなのに、お父さんに怒られたんだっけ?」
「仕方ないですよ。父は警視総監、南禅寺先輩は何といっても『三代目』ですから」
 そんな話をしながら車を降りると、すぐに南禅寺家の若者たちが俺たちににらみを利かせる。
「おい、てめえら、どこに車止めてんだよ」
「昔はここに止めていいって言われたんですけど……」
 茜ちゃんは若者に動じず、にっこりと笑顔を浮かべる。
「昔ぃっ? 女ぁ、お前……」
「そこまでにしろ! タカ」
 黒服にサングラスのガタイのいい男が、若者にげんこつを食らわせる。痛がる若者を放ったまま、男は俺たちに話しかけた。
「氷川誠様、春日茜様。お久しぶりです。来るはずだと三代目から言われておりましたので」
「さすが葵先輩だな……相手の考えの先を読んでる」
 男は口角をちょっと上げて笑うと、俺たち三人を和室に案内した。待つこと数分。すっと襖が開くと、着物姿の葵先輩が出てきた。
「お待ちしてました。誠くんに春日さん。それと……そこの女の子は?」
「彼女は今回の重要な証言者なんです。警察だけじゃなく、葵先輩にも守ってもらえたらと思って」
「そういうことなら、うちからも何名か護衛を出しましょう。それで、女子中学生殺人事件について、警察はどこまで調べたの?」
 お茶をすすりながら、茜ちゃんにたずねる葵先輩。茜ちゃんはちょっとしゅんとした表情を浮かべる。
「調べてはいるんですけど……調べれば調べるほど、よく分からなくなっていって……個人ではなく、多くの人間が絡んでるということは分かったんですが」
「ええ、春日警部補の想像以上の人間が、今回の事件には絡んでるわ」
「え……?」
 茜ちゃんは、はっとしたように葵先輩を見つめる。お茶碗を置くと、葵先輩はまた例の言葉を取りだした。
「『BBC』については?」
「それ……この間も言ってましたよね。何なんですか? その『BBC』って」
 俺がたずねると、真剣な表情で葵先輩は話し出した。
 『BBC』……ブラック・ブラッド・クラブの略でそう呼ばれているらしいが、名前に『クラブ』とあるように、登録制の闇の同好会らしい。
「今、この関東の裏組織を束ねているのは、実質うちの家です。でも、最近このクラブの組織人口が多くなっていて……しかも会員制だから、金銭的にもかなり大きな組織になりそうで見張っていたのよ」
「で、でも、クラブって、何のクラブなんですか? ……まさか」
 俺は今までの事件を振り返り、最大最悪な活動内容を想定した。ありえない。だけど、それ以外には考えられない。
外れてほしいと思った俺の想像は、見事的中してしまった。
「拷問愛好会。しかも、か弱い女子中学生限定の、ね」
「ひぃっ……!」
 思わず目をつぶり、茜ちゃんに抱き着く日枝。それもそうだろう。『拷問』なんて言葉、日本で聞くなんて、俺自身も信じられないんだから。
「私たちが調べたところ、会員はよくスプラッタ映画を観ている人間……レンタルビデオの裏情報で調べて、招待状を送りつける。一度入会した人間は、死ぬまで退会できないみたい」
「女子中学生たちはどうやってさらってくるんですか? それに、誰が?」
 茜ちゃんが矢つぎ早に質問を浴びせる。葵先輩は落ち着いた様子で、それに答える。
「オーナーたちが用意しているみたいだけど、そのやり方は一切不明。でも、BBCの中には、教師なんかもいるみたいだから……自分の学校の生徒を売ってるっていう可能性もあるわね」
「ってことは、やっぱりうちの学校の教師の中にも、BBCメンバーが?」
 こくんとうなずき、葵先輩はまたお茶をすする。しばらく静かな時間が流れる。聞こえるのは、中庭のししおどしの音だけだ。
「ただ、これは調査中のことなんだけど……女子中学生を連れ去る前に、『X』を使ってるとか」
「『X』?」
 俺が首をひねると、茜ちゃんが説明してくれた。
「新種の覚せい剤です。尿検査にも血液検査にもひっかからないという……。ただ、副作用としてやる気をなくし、常に脱力感が伴うとか。あとは通常のコミュニケーションがとれなくなるらしいです」
 その副作用を聞き、俺ははっとした。うちのクラスの生徒は、もしかしたらほぼ全員が『X』の使用者だったんじゃ……。経路はわからないが、その覚せい剤を大量に持っていて、新学期前に俺のクラスの生徒を知っていたら……。細かくして粉末にして飲み物や食べ物に何回も混ぜたりすれば、いつの間にか中毒者になってしまうことも考えられる。
「もし、いわゆるヤク中状態になったら……普通はヤクの売人の元に行きますよね。だとしたら、それを口実に殺人現場まで連れていくことも可能だ」
 もしそうだとするなら、BBCの存在が明らかになったとしても、俺が犯人の一味だという疑いははれなくなる。ようするに、誰かが俺をはめようとしたってことか。だんだん読めてきた気がする。今回の事件の概要が。
 あとは、日枝にその犯人の一味だと思われるクラスメイトの名前を聞けば、取り調べができる。
「日枝!」
「は、は、はい……」
「誰なんだ? そのフィリップ女学院にもいたっていうクラスメイトは!」
「だ、だから言えません。私も殺される!」
 日枝は相変わらず頑なだ。だけど、言っても言わなくても、お前の未来は変わらない。俺は見たんだ。お前の不幸な未来を……。
 俺はじっと日枝の瞳を見つめる。だが日枝は、目を伏せてそっと庭の方へ顔を向ける。
 どうしたものだろう。彼女の一言で、事件は大きく進展するというのに……。すると茜ちゃんがそっと、俺の裾を引っ張った。
「……」
 じっと俺の目を見ると、茜ちゃんは日枝の手を握った。
「日枝さん。今のままだとあなたの思う不幸な事故は、実際に起こってしまうわ。だけどね、不幸な未来っていうのは、変えることができるの」
「え……」
「先輩、いいですよね? 話しても」
 俺は茜ちゃんの言いたかったことに気がつき、黙ってうなずいた。
「……私はね、大学時代に何回も死にそうになったの」
 茜ちゃんは俺との出会いを話し始めた。きっかけは、俺が偶然茜ちゃんに触れ、不幸予知をしてしまったことからだった。その時、警視総監の父を持っているということもあり、茜ちゃんは色んな組織に狙われていた。だけど、俺が何度か不幸予知をして、それを回避してきた。
「だから、今私がここに居られるのは、先輩のおかげなの」
「私もねぇ、誠くんには助けてもらったのよ~」
 葵先輩も、俺との思い出を語る。最初、葵先輩は不幸が見えなかった。それを不思議に思っていた俺は、葵先輩を観察していた。だけど、実際は葵先輩自体が不幸を運命だと割り切っていただけだったのだ。大きな家のお嬢とて生まれた葵先輩は、昔から友達やその親御さんから距離を置かれていた。だけど、それを不幸だと呪わず、運命だから受け入れるしかないと考えてたから、不幸が見えなかっただけだった。
「それに気づかせてくれたのが、誠くん。だから、今の人生は逆に幸せを感じることができるようになったの」
「……じゃあ、私がいくら不幸な事件に巻き込まれても、何とか回避できるっていうんですか? そんな超能力、あるわけがないわ!」
「まぁ、普通はそう思うよな。それはわかる。だけど俺に任せて見てくれないか? 日枝の不幸が見えたら、その回避方法がわかるかもしれない。何かあっても、俺や茜ちゃん、葵先輩が守ってくれる。だからさ、俺のことも信じてみてくれないか?」
「………」
 しばらくの間、日枝は俺を上目使いで見つめる。何分くらい経っただろうか。日枝は静かに、自分の右手をそっと差し出した。
「私に触れたら、解決策が見つかるんですよね?」
「あと、クラスにいる犯人を教えてくれるなら……な」
「……鳩羽」
「え?」
「近江鳩羽です。フィリップに居たときは、他の名前を名乗っていましたが」
 俺は驚いて口をぱくぱくさせた。だって……近江は車いすだぞ? まさか……。
「近江は歩けるのか?」
 その問いに、日枝は首を振った。
「いえ、フィリップの時も車いすでした。だから印象深かったんです」
 どういうことだ? フットワークが軽くなければ、今回の犯行は難しいと思う。しかし、待てよ。クラス名簿をもう一度見れば、何かわかるかもしれない。
「先生、ともかく私の不幸を見てもらえませんか? どんな未来でもいい。それを回避するために……お願いします」
「あ、ああ。それじゃ……」
 日枝に催促され、俺はそっと手に触れる。
「ぐっ!」
 日枝の手から流れてくる、大量の情報。日枝はまず麻の袋をかぶせられ、二人の人物に連れ去られる。それからは残酷なシーンばかりが俺の脳内に流れ込んでくる。黒い影、鉈、アイスピック、有刺鉄線、拳銃、焼き鏝……。閉じた目の中に見える、赤い血しぶき。
落ち着け、俺。日枝の殺害方法なんて、今は関係ない。もっと他の情報を探すんだ。嗚咽を繰り返しながら、俺は日枝が殺されかけている場所の特徴を覚えようと必死になる。が……。
「くっ……!」
「先輩!」
「誠くん?」
 情報の多さに、思考回路がショートした。ぷつんと情報が切れると、俺はその場に倒れ込んだ。

「い……おーい!」
「んっ……? ここは、俺ん家?」
 目を開けると、見慣れたストーカーの顔がそこにあった。
「どうして家に?」
「どーしたもこーしたもないさぁ。茜ちゃんと葵先輩が送ってきてくれたんだぞ?」
「日枝は? 日枝はどうしたんだ!」
「日枝? ああ、あの子か。茜ちゃんが守るから、キミは安心しててくれって」
「そっか……」
 俺が起き上がろうとすると、翠は鼻先にマグカップを差し出した。まさかこれは、恐怖の再来か? マグカップの中身をのぞくと、真っ黒な液体が入っている。
「これは?」
「コーヒー淹れたからさ。あったかいもので気分回復させて!」
 マジか……。この間と全く同じシチュエーションじゃないか。これが濃縮五倍のインスタント……。当然飲む気はない、
「俺、今はいい」
「よくな~い! コーヒー冷めちゃったらおいしくないじゃん! ほら飲んで! ぐいっと!」
「うっ、や、やめろ! 精神的に参ってるときだっつーのにっ!」
「だ・か・ら! 参ってるんでしょ? ならコーヒー飲んで落ちつこ!」
 マグカップを持った翠が、俺に襲いかかる。熱湯がかかっては大惨事だ。仕方なく俺は翠からマグカップを受け取ると、覚悟してコーヒーを口にする。
「……ん? 甘いし、うまいじゃないか。っていうかこれって、コーヒーじゃなくって……」
「葵先輩に聞いたんだ! インスタントコーヒーじゃなくって、チョコを溶かすとおいしいって言われてさ」
「翠、これはコーヒーじゃない。ホットチョコレートだ。わかるか?」
「ホットチョコレート……? え?」
「はぁ……」
 なんでこいつはここまでアホなんだ。このアホが司法試験受けようとしてるなんて、世の末だよな。でも、今の状況でこんなアホなことされると、ちょっとだけ和むというか、安心するものもある。でも、こいつまで事件に巻き込ませたら、また司法試験の勉強に落ちるんじゃないかと不安にもなる。それぐらいならいいけど、あいつは超不幸体質だからな。運の悪さが重なって、事件自体にも巻き込まれかねない。
「翠、一応お前に言っとくけど……」
「も、もしかしてやっと告白? もう、遅いよ~! あたしはいつでも誠のお嫁さんなる準備、できてるんだから!」
「違うっ! つーか、何度言ったらわかるよ、お前……その前に付き合ってないだろ。っていうか、俺はお前を友人としては見てるけど、彼女として見たことはない」
「が、がーん!」
 うわ……。マジで「がーん」っていう人間を、俺は初めて見た。い、いや、今はそんなことどうでもいい。俺はごほんと咳払いをして仕切り直すと、翠に面と向かって言った。
「茜ちゃんは警察官だし、葵先輩は三代目だから二人とも自分の身は守れる。だけど翠! お前は守ってくれる人間が誰もいないんだから、気をつけてくれよ?」
「はぁっ? だったら誠が守ってくれればいいじゃーんっ!」
「俺は日枝すみれを守らないといけないし、他の生徒もいる。それに得体のしれない近江鳩羽……あいつのことも気がかりだ」
 翠には悪いが、本当の話だ。それにこれ以上俺たちに関わらなければ、多分翠の身の安全は保障されるはずである。
「……わかったよ。あたしだけ蚊帳の外っていうのは寂しいけど、誠やみんなに心配かけさせるわけには行かないもんね」
「ああ、だからしばらくはちゃんと司法試験の勉強、してろ」
「はーい」
 ふてくされながらも、俺の言うことに納得してくれた翠。これでこいつには危険は及ばないだろう。
 俺は何気なく、翠の頭をぽんとなでた。
「……ん?」
 何か薄らと見える。まさか、またこの不幸体質に何か起きるのか? 翠の頭に触れたまま、目を閉じる。これは……体育倉庫? 見覚えはある。多分うちの学校だ。でもなんで?
「どうかした? 誠。もしかしてまた不幸が見えたとか?」
「……どういう不幸かはわからないけど、とりあえずお前も注意しておけ。変な人間について行ったりするなよ?」
「う、うん」
 本当は俺がこいつも守ってやれればいいんだが……俺にはやらないといけないことがある。
 俺は翠を帰すと、フィリップ女学院に電話を入れた。

「……お待ちしておりました。氷川誠さんでいらっしゃいますね」
 フィリップ女学院で俺を出迎えてくれたのは、一人のシスターだった。フィリップ女学院は、カトリック系の学校だ。教師も何人かはシスターだったりする。
「警察はここには?」
「いえ、でも明日再度事情を聞きに来るそうです。そういう連絡は受けました」
「すみません。一般市民である俺が無茶言って、二年前の事件のことを聞きたいなんて……」
 シスターは首を振り、静かに言った。
「いえ、あなたにも知ってほしいのです。私が味わった悲しみを。これは私のわがままかもしれません。神に怒られてしまうかもしれませんね」
 そうか。このシスターが受け持っていたんだ。全員殺害されたクラスを。だから俺に話をしてくれると言ってくれたのか。
「それでは早速……」
 俺は、クラスのデータを印刷したものを、シスターに見せる。
「この十五人が、今生きている俺の生徒です。誰か見覚えはありませんか?」
「見覚え……ですか?」
 事情が分からないシスターに、俺は説明した。
「日枝すみれ……ここの一年生だった生徒は、『死んだはずの生徒が今、うちのクラスにいる』と証言しました。その彼女の名前は、近江鳩羽。名前を変えているそうですが、フィリップ女学院の学生名簿と合わせて確認したいんです」
 シスターは持ってきた資料の中から、『三年B組』と書かれたファイルを手にした。
「私が受け持ったクラスの名簿です」
「その中で車いすだったのは?」
 シスターはパラパラとファイルをめくり、俺にあるページを見せた。名前のところには『一宮未藤』と書かれている。だが、その顔は、髪の長さは違えど、俺のクラスにいる近江鳩羽そのものだった。
「シスター、受け持ったこのクラス、どこかおかしいところはありませんでしたか? 誰もが一人行動だったり、休み時間も友人とおしゃべりしてなかったり……」
 こくりとうなずくシスター。やはり前回もXが使われていた、ということだろう。そのXをクラスの生徒に仕込んだのが、一宮未藤……いや、近江鳩羽だ。
「一宮という生徒は、どんな生徒だったんですか? 途中で転校してきたとか、特殊な事情があったとか」
「いいえ、彼女は三年間フィリップ女学院で過ごしていました」
 その答えに、俺はびっくりした。三年間、この学院で過ごしていた? まさか、三年間かけて、この計画を練っていたとでもいうのか?
「氷川さん、一宮は、お宅の学校に転校してきたんですよね?」
「ええ、資料を見たら、二年の頭に編入してきたみたいで……だけど、特に問題はなかったみたいだったので、備考欄に簡単に書かれていただけでした。だから俺も気がつかなくて」
 ……ということは、フィリップ女学院で三年間過ごし、事件を起こしたあと、新学期を待ってうちの学年の二年生として編入したという訳か。そして、三年に進学したときに、日枝と再会した。
「近江がもし、今回の事件に何らかの形に関係してるというのなら、彼女は少なくても数年、そこの学校のことを調べてから犯行を実行していることになりますね」
 そうとしか考えられない。だとしたら、かなりの策士だと思うし、他にも彼女に協力している人間が多くいるはずだ。
「……シスター。近江、いえ、一宮未藤と特に仲がよかったとか、親密な関係だった教師はいますか?」
 シスターは少し考えたが、しばらくして首を振った。
「いえ、思い当りませんわ。ただ、彼女は車いすですから、色んな教師が面倒を見ていたことは確かですけど」
 要するに、彼女に関係する教師が多すぎてわからないということか。
「ありがとうございます。参考になりました」
 俺はシスターにお礼を言うと、フィリップ女学院を後にした。

 帰る途中、山下公園で俺はサンドイッチを食べていた。近江鳩羽が今回の事件のキーマンであることは間違いない。少なくても年齢を偽っている。そして、フィリップにもうちの学校にも協力者がいるということ。年齢を誤魔化すためには、書類を改ざんしないとならない。そんなことができるのは、教師しかいない。
だけど、俺にはそれが誰だかわからない。近江は去年転校してきた。車いすの生徒がいる話は知っていたけど、担任だったはずの教師は普通の生徒と変わらず接していたように見える。
それに、BBC……その協力者は拷問愛好会のメンバーだ。早くそいつを見つけないと、また新たな事件が起こるかもしれない。
 それに日枝に触れて見えた不幸――。やっぱり彼女には危険が振りかかってくる。茜ちゃんや葵先輩はいるが、彼女に触れたとき、誘拐される姿が見えた。
「二人に連絡しておくべきだな。更に日枝の警備を強化してもらわないと……」
 俺は急いで携帯を取り出し、茜ちゃんの私用の携帯に電話する。すると、すぐに彼女は応答した。
「先輩、何かわかりましたか?」
「ああ、少しはな。それより日枝すみれの警護のことなんだけど……」
「大丈夫です。葵先輩と私が、しっかり守っていますから」
「うん、くれぐれも注意してくれ。俺が見た不幸は、彼女が誘拐されて拷問を受けるところだったからな」
「はい!」
 キリッとした声を聞くと、俺はベンチから立ち上がった。さて、問題は学校内にいる共犯者と、近江鳩羽。
「……まずは、学校の資料を調べるのが先だな」
 俺は大きく伸びをすると、菊花女子学園へ行くことにした。

 事件のせいで休校中の学校は、立ち入り禁止になっていた。警察が何人も警備に当たっている。だが、俺は普通に挨拶すると、職員室に向かった。茜ちゃんにお願いして、うまいこと言ってもらっていたのだ。
 職員室に入ると、まずは去年近江がいたクラスの名簿をパラパラとめくる。――あった。近江鳩羽。転校生となっているが、転出先はフィリップ女学院ではなく、別の学校名が書かれていた。担任は杉本先生。中年の女性教師だ。杉本先生が共犯者なのか? でも、彼女に拷問なんて趣味があるとは思えない。現代国語の教師だが、偶然生物のカエルの解剖に立ち会ってしまったとき、ショックで倒れて保健室送りになったことがあるくらいだ。そんな人間に、人間の拷問なんかできるとは思えない。
 それと、去年近江と同じクラスで、今年も一緒に俺のクラスになった生徒を何名か探す。赤尾、川野辺……どちらもすでに死亡している。それ以外の生徒も、全滅だ。これは偶然とは言えないだろう。二年のときに同じクラスだった生徒に、Xを投与し、ヤク中にさせた。そして三年になって、時限爆弾を爆発させたってことか。それ以外の、俺のクラスで殺された生徒も、どこかに近江と接点があるはずだ。しかし、気になる点がひとつある。なんで俺のクラスに集中させる? こんなテロみたいな方法……おかしいだろ。だけど、内通者……近江の共犯者は、クラス分けにも関与してるということがわかる。ヤク中の生徒を、俺のクラスに集めたんだ。
それができたのは誰だ? 今年のクラス分けを担当したのは、大本先生に吉村先生、教頭に千草……。この面子の誰が共犯なんだ?
 皆目見当もつかず、俺はクラス名簿を閉じた。こうなったら仕方ない。大本先生、吉村先生、教頭、千草の身辺を、茜ちゃんに言って洗ってもらうしか……。
 その時だった。俺の携帯が震える。着信番号は非通知になっている。俺は不審に思いながら、通話ボタンを押した。
「……はい」
「氷川先生。あんた、探偵でもないのに、なんでこそこそ事件を嗅ぎまわってるのかなぁ?」
「っ……!」
 ボイスチェンジャーで声を変えているところから、電話の相手が今回の事件の関係者であることがすぐわかった。俺はできるだけ気持ちを落ち着かせ、冷静になろうと努力する。
「……お前は誰だ?」
「誰でしょう? 悪いけど、俺からは教えられないなぁ。だって、犯人の一人だよ? 言う訳ないじゃん」
 それも当然のことだ。俺は声をできるだけ低く抑えて、相手に質問した。
「……どうして俺に電話してきたんだ?」
「どうして? そんなの決まってるじゃん。警告だよ、警告」
 嫌な予感がする。冷や汗がぶわっと額に浮き出てくるのがわかる。
「これ以上、余計な詮索するの、やめときな? 大事な人たちが解体されちゃうかもよ?」
「さすがBBCの関係者だな? 人間を解体か。本当に悪趣味だな」
「お好きなように言ってくれていいよ。でも、警告はしたからね? こっちはそっちが考えてるより、十倍は情報持ってるんだから」
「どんな情報だよ……」
「ん~……」
 相手はしばらく考えてから、わざとらしく声を上げた。
「春日警部補も南禅寺の三代目も、あんたと親しい間柄なんだってね」
 俺はその話を聞いて、鼻で笑った。
「そうだけど、だったらなんだ? お前に彼女たちをどうにかする力があるとでも? 警察官と組織のドンだぞ?」
 俺の口調に苛立ちを覚えたのか、相手は閉口した。……もう何も言ってこないつもりか? しかし、その予想は外れ、意外な言葉が返ってきた。
「やろうと思えばできるよ。組織が大きければ大きいほど、誘拐しやすくなるってこと」
「なんだと?」
「ま、せいぜい頑張ってよ。お姫様たちを守る、ナイトくん。なんてね! はははっ!」
 こうして電話は切れた。……組織が大きければ大きいほど、誘拐しやすくなる……。俺の頭の中では、その言葉がぐるぐる回っている。不安に駆られた俺は、すぐに先輩たちがいる、南禅寺の家へ向かった。

「氷川様、どうしてここへ?」
 南禅寺家で出迎えてくれたのは、いつもの黒服の男だった。
「どうしてって……先輩たちは?」
「お嬢様と春日様は、氷川様に呼び出されたと言って、外出されましたが……」
「えっ? そんな連絡してないですよ!」
「氷川様からの電話ではなく、住吉翠様からの伝言だったそうです」
「翠? ま、まさか、あいつまで……! と、ところで日枝! 中学生の女の子は?」
黒服の男は、俺の勢いに押されつつも、いつも通りの冷静な口調で答えた。
「日枝すみれ嬢は、菊花女子学園の教師の方が連れていきました。これも氷川様の指示とのことで……」
「くそっ! マジかよ!」
 俺は思わず声を荒げた。茜ちゃんも葵先輩も……翠まで、さらわれた。その上、日枝まで……。
「氷川様。その様子ですと最悪なパターン……ということですね? 三代目を危機にさらしてしまったのは、私たちの不手際です」
「南禅寺家の皆さんにも協力してもらいたいです。お願いします!」
「もちろんです」
 黒服の男は、ジャケットをひらりとめくると、拳銃のホルスターを確認する。それが済むと、大声で家の人間たちを呼び出す。
「おい、てめぇら! 三代目を迎えに行くぞ!」
「おうっ!」
 さ、さすが南禅寺家だ。普段は静かなのに、三代目の一大事になると、誰もが武器を手にして門の前に集まる。だが、葵先輩たちを助ける前に、銃刀法違反で捕まらないだろうか。少し心配になるが、そんな考えは捨てた方がいいかもしれない。相手も今回は裏社会の人間だ。容赦はいらない。
「氷川様。三代目たちの居場所、どこか心当りは?」
 聞かれた俺は、あごに手を添えて考えてみる。くそっ、こんなことになるなら、茜ちゃんと葵先輩の不幸予知もしておくべきだった。というか、よく考えてみればしなくてはならなかった。何と言っても、日枝を守っている立場なんだから、危ない目にあう確率も高くて当然だ。
「……どこだ? どこなんだ……」
「住吉様からの電話が、どこからだったかわかればすぐに突撃できるのですが……」
「翠? ……あっ」
 俺は翠の頭に触れたときのことを思い出す。そうだ、あいつの不幸を俺は予知していた。もし、今茜ちゃんと葵先輩も翠と一緒にいるならば……!
「体育倉庫です! 菊花女子学園の。そこに三人はいるはずです!」
「っしゃぁ! 野郎ども! 突撃だっ!」
「うおおっ!」
 南禅寺家一同が気合いを入れる。俺も負けじと頬を叩く。三人を助けないと。俺もみんなと一緒に車に乗り込むと、学校へと向かった。

 菊花女子学園は、前にも言ったが現在警察が警備をしている。だが、南禅寺家の人間は、そんなことお構いなしで、車でそのまま突っ込む。
 警備を無視して車から降りると、俺たちは体育倉庫へ向かった。
「翠! 茜ちゃん! いるのか?」
「三代目―っ!」
 体育倉庫には鍵がかかっていた。急いで職員室へ向かい鍵を探すが、隠されたのか持ち出されたのか、見つからなかった。
「こうなったら蹴破るしか……」
「氷川様、離れていてください」
 南禅寺の黒服さんは、ホルスターから拳銃を取りだすと、銃口を鍵に向けた。バンッ、バンッと二回破裂音がすると、鍵が壊れる。俺は急いで扉を開けた。するとそこには――。
「んんーっ!」
 猿ぐつわをされ、手首と足を縛られた状態の三人が、マットの上に転がされていた。俺たちは急いで三人の拘束を解く。
「っ……はぁ! 本当にびっくりしたよ! 後ろからいきなり何かかがされてさぁ。ナイフを突きつけられながら、茜ちゃんたちを呼び出せって脅されて」
「私たちは、翠先輩から誠先輩が新しい情報を手に入れたと聞いて……」
「私としたことが、油断してしまったわぁ~。こんなことなら虎鉄を持ち歩くべきだったかしら?」
 三人は意外にもおびえた様子はなく、けろりとしていた。その様子を見た俺は、ホッとしたが、すぐに翠に問いかけた。
「翠! お前は誰に襲われたんだ? 誰に脅されて、みんなを呼び出した?」
「えーとね……」
 翠は拘束されていた腕をさすりながら、視線を斜め右に向けて思い出しながらポツポツと語った。
「女の人だったと思う……胸があったし」
「女? 年齢はどのくらいだ?」
「あたしたちくらいだったんじゃないかな。声も若かった気がする」
 若い女? 誰だ? 考えられるのは近江だが、あいつは車いすだ。それに、もし車いすが『フリ』だとしても、女三人、しかも武闘派の二人を取り押さえるのには骨が折れるはずだ。少なくても一人じゃできないと思う。
「茜ちゃんたちは、抵抗しなかったの?」
「気を失っている翠先輩に気を取られて、二人同時にクロロフォルムをかがされてしまったようです。迂闊でした」
「ホント、うっかりしちゃったわ~。私らしくないわよね」
「三代目が無事なら、俺たちは……」
「まだ終わりじゃありませんよ?」
 葵先輩は、黒服や家の者たちに優しく言い聞かせる。
「日枝すみれさん……誠くんの指示だと聞いて、油断したわ。私たちの不手際でさらわれてしまった。彼女を助けないと」
 そうだ。日枝を助けなければ。あいつはフィリップ女学院の事件と今回の事件の証言者だ。あいつのことは、絶対に守らないと……。だけど、一体どこへ? それに誰が? 菊花女子の教師ってことは、近江の協力者でBBCの会員ってことだよな。そして、俺のクラスにXの使用者を集めた、クラス分けの関与者。、大本先生、吉村先生、教頭、千草の四人だ。
「何かヒントはないのか……?」
 俺が悩んでいると、茜ちゃんが助け船を出してくれた。
「先輩! 日枝さんの『不幸』ですよ! 先輩の見た不幸の中に、何か場所が特定できるヒントはなかったですか? どんな些細なことでもいいんです! 思い出してみてください!」
 茜ちゃんに言われて、あの忌まわしい記憶を手繰り寄せる。日枝は頭に麻袋をかぶせられ、引きずられ……いすに固定されている。うんうんと首を振る日枝。違う、今は日枝の様子に気を取られてはいけない。日枝じゃなく、日枝の周りにあるものを思い出せ。
「……部屋はそんなに広くない。テーブルがあって……あれはマイク? それと、ポスター……パンダの絵。青い帽子をかぶってる」
「マイクで狭いところと言えば、カラオケだよねぇ?」
 翠がふと思いついたように口を出す。
「それにパンダのポスター……私、覚えがあるような」
 茜ちゃんも難しい顔をして、何とか思い出そうとしている。そんな様子を見た葵先輩が、のほほんと言った。
「そりゃあ春日さんは見覚えがあって当然よぉ。パンダのポスター……警察が配ってる、反社会組織撲滅のポスターなんだから」
「あっ!」
 茜ちゃんも思い出したらしく、声を上げる。
「あのポスターは、確か台東区専用のものです! だからパンダが……」
「ってことは、台東区にあるカラオケ店に、日枝ちゃんはいるってことだね!」
 翠がまとめると、早速茜ちゃんは携帯で警察の他のメンバーに情報を伝える。
「日枝すみれがさらわれました! おそらく場所は、台東区のカラオケボックス……空き店舗か潰れたところだと思います! ……なんでわかったか? そんなこと、今はどうでもいいじゃないですか! ともかく現場を特定してくださいっ! 私たちは台東区に向かいます!」
 茜ちゃんは怒り口調でそう伝えると、急いで体育倉庫を出る。葵先輩と翠もそれに続く。
「春日さん、うちの車を使って! 私が運転するから!」
「は、はいっ! わかりました!」
 葵先輩と茜ちゃんが車に飛び乗る。俺も後ろの席に座ると、なぜか翠まで乗り込んできた。
「翠! お前は事件と無関係だろ? 来るんじゃない!」
「そーいうわけには行かないよ! 確かにあたしは茜ちゃんや葵先輩みたいに力はないけど……それでも誠の生徒さんを助けたいと思ってるんだから!」
「いいわ、住吉さん」
 俺ではなく、葵先輩がにやりと笑って許可を出す。古いが高級なマニュアル車のクラッチを踏むと、エンジンをふかす葵先輩。
「みんな! シートベルトをしめなさい!」
「でも、どこに行くんですか? まだ場所はわかってな……うわっ!」
 勢いよく、車を発進させる。ぐん、と一気に重力がかかり、思わず俺たちはのけぞる。
「とりあえず上野まで走るわ! 春日さん、場所がわかったらすぐに教えて!」
 キキーッ! と大きな音が鳴り響く。今度は乱暴にブレーキを踏み、後輪を滑らせて左折する。
「あ、葵先輩? もうちょっと安全運転しないと……うわっ!」
 車の揺れで、思わず翠にのしかかってしまう。すると翠は翠で、やっぱりアホなことを言い出す。
「も、もう、誠ったら! こんなみんなが見てるところで、大胆すぎるよ!」
「何が大胆だっ! 不可抗力だっつーの! っていうか、茜ちゃんも、葵先輩に自嘲するように言って! マジで危険運転だから!」
「先輩、私は交通課の警察官じゃありませんから。それに、今は一刻も争う自体なんですっ!」
 ……ダメだ。俺の大学時代の関係者たちは、どっかしらみんなネジが飛んでるらしい。翠はこんな状態でもマイペースで悪ふざけをするし、茜ちゃんは真面目すぎるがゆえに、周りが見えなくなっている。葵先輩は完全に今の状況を楽しんでいるっぽい。
「ふふっ、これでも国際A級ライセンスを持ってるのよ? 事故は百パーセント起きないから、安心して?」
「って! 逆走行してるじゃないですか! 全然安心できませんよ!」
「すごいね、葵先輩って」
 翠が変に感心していると、茜ちゃんの携帯に着信が入った。
「はい、春日。で、現場は?」
 茜ちゃんは携帯を耳と肩に挟み、手帳にメモをする。
「台東区東三の二の一、カラオケ『歌って広場』……現在は空き店舗。了解です!」
 茜ちゃんがメモを取り終えると同時に、車がぐるんと前輪を中心に円を描く。
「台東区三の二の一ね! 任せて~」
 のんびりした口調とは裏腹に、左手で三速から四速、一気に五速に入れる葵先輩。ガコガコとギアが鳴り、速度がぐんと上がる。
「ひ、ひいっ!」
「さっすが葵先輩っ! 楽し~い!」
「バカ、翠! これ、すれ違った車が逆にあぶなっ……」
「あ」
 逆走する先輩を、パトカーが追いかけてくる。
「や、ヤバイですよ! 先輩! 警察が!」
「警察ならここに居ます。大丈夫です! 誠先輩!」
 とうとう茜ちゃんまで……。何が『大丈夫』だ。確かに今は一大事だからしょうがないけど、車道を時速八十キロで逆走はまずいだろ。俺たちの命も危ないけど、関係ない一般市民が巻き込まれる可能性があるんだぞ?
「鬱陶しいわねぇ……しょうがないわ、アレを使いましょうか」
「あ、アレ……?」
 嫌な予感が満載だ。相変わらず葵先輩は笑顔を絶やさないが、それが逆に怖い。前の助手席に座る茜ちゃんは、地図を確認していて止める気配はない。横の翠は翠で、今の状況を楽しんでるし……。俺は一体どうすればいいんだ?
 そうこうしているうちに、葵先輩はにこっと笑うと、ぽちっと謎の赤いボタンを押した。
「はい、三、二、一……ファイア! なんてね。ふふっ」
「なっ!」
 ガコンと音がして、後部座席が思い切り揺れる。何が起こったか確認するため、後ろを振り向くと、車から何か花火のようなものが出たのが見えた。それが追いかけてきたパトカーに当たり、小さな爆発がいくつか起こった。パトカーの何台かは、くるくる回りながら止まる。
「い、今のは……?」
 恐怖を押さえながら、葵先輩にたずねると、のほほんと答えが返ってきた。
「ん~? ろけっとらんちゃあって言ってたかしら? 私がよく乗る車に、みんなが装備してくれたみたいで……」
「んなもん装備しないでくださいっ!」
「ねぇねぇ! 先輩、他にも面白装備あるの?」
「翠! お前も興味を持つなっ!」
「そうねぇ……あとは……」
 葵先輩は少し考えて、パカっと左の方にあった謎のフタを開ける。
「そこの危険走行車! 止まりなさい!」
パトカーからはそんな呼びかけがなされる。でも、葵先輩はもちろん、茜ちゃんも無視だ。
「止まりなさい!」
 何度もの警告にしびれを切らしたのか、葵先輩はとうとうボタンをいじりだした。
「あん、もうしょうがないわねぇ……じゃあ、このボタン、押してみましょうか?」
「ぼ、ボタンっ? 翠、止めろ! 茜ちゃんも!」
「南禅寺先輩、やっちゃってください。警部補権限で許可しますっ!」
「そんな権限は警部補でもねーよっ! 翠っ!」
「わぁい! 先輩、押して、押して!」
「バカっ!」
 俺は翠を軽く叩く。しかし、葵先輩はその言葉にうなずいて、ボタンを押してしまった。
「うわっ、せ、先輩、今度は何をっ!」
「え~と、これは確か……」
 また後部座席がガコンと動く。今度はじゃらじゃらと音が聞こえる。これはもしかして、昔ながらの……撒き菱?
 後ろのパトカーが、大きなブレーキ音を発しながら、急停車する。あーあ、やってしまったか……。俺は思わず手でまぶたを押さえる。何とか生きてるだけでもマシなんだろうか。
 警察を撒くと、何とか通常の車線に戻り、安全運転に変わった。
「さあ、着いたわよ。……あら? 誠くん大丈夫?」
「だ、大丈夫っす……うっ」
 完全に車酔いした。もとから車には弱かったが、正直普通の運転じゃないから、酔って当然だ。だけど運転者の葵先輩はもちろん、茜ちゃんも翠もけろっとしている。なんで平気なんだ、こいつら……。尋常じゃないぞ。
「ここに日枝さんがいるはずなんですね?」
 茜ちゃんは再度俺に確認する。
「あくまでも俺の不幸予知が合っていれば、な」
 俺の予知から得た情報が正しければ、このカラオケボックスに日枝はいるはず。もしかしたら、他の生徒もいるかもしれない。ということは、近江鳩羽はもちろん、BBCのメンバーもいる可能性が高い。たった四人。しかも俺と翠は武芸のたしなみもないし、肉弾戦には向いてない。茜ちゃんは警官で、葵先輩もそれなりに強いかもしれないけど、はっきり言って戦力不足だ。だけど、一刻も早く乗り込まないと、日枝たちの命が危ない。
「絶対捕まえないと……」
 茜ちゃんは拳銃に入っている弾数を確認すると、もう一度ホルスターに入れる。
 日枝たちを助けるにはどうすれば……。俺が悩んでいると、葵先輩はガコンと車のトランクを開けた。
「カチコミに素手じゃダメでしょ? どれにする?」
「へ?」
 葵先輩が開けたトランクの中身をのぞくと、俺はびくりとした。
 中にはどういうわけか、チェーンソーや釘バット、散弾銃にドス数本、そして日本刀が何本か入っていた。
「せ、先輩、なんでこんなものを……」
「え? だっていつ戦争になるかわからないでしょう?」
 呑気な口調で微笑む葵先輩だが、さすが三代目。肝が据わっているというか……いや、違うな。怖いもの知らず過ぎるんだ。こんなもの車に積んでたら、職務質問されたら一発アウトだろう。だけど、葵先輩なら余裕で逃げてしまいそう。そんな感じがする。
「ともかく、突入するなら何か選んだ方がいいわ。春日さんは拳銃、あるわね?」
「は、はいっ! 射撃はSクラスと警察学校でも言われました!」
 そ、そうだったんだ……。茜ちゃん、かわいい顔してなかなかすごい警察官なんだな。立てにキャリアはってるわけじゃないんだ。
 俺が感心しながら茜ちゃんを見ていると、なぜか彼女は顔を赤く染めた。
「あ、自慢したわけじゃないんです! ただ、『キャリア組』ってだけで、現場に出ている先輩刑事に勉強しかできないバカって思われたくなかったから……実技も頑張って……」
 頬をピンクにしてポッとする茜ちゃんはかわいらしいが、敵にしたら正直怖いタイプだな。俺は苦笑いを浮かべるしかない。しかも葵先輩は俺と翠に合う武器を選ぶのに一生懸命だ。
「う~ん、住吉さんは軽くて殺傷能力が高いものがいいわねぇ。大振りするようなハンマーでもテコの原理でいけるかもしれないけど、やっぱりドスがいいかしら」
 まるでデパートでアクセサリーを選ぶような感覚で、葵先輩は武器の品定めをしている。翠はというと……。
「茜ちゃんの武器は拳銃、武道もできるから主戦力だよね。葵先輩も強いし……。となると、あたしは後ろから生徒の救出を担当すればいいか。で、誠は……」
 戦術を立て始める翠に、俺はつい「遊びじゃない」と突っ込みたくなる。そもそも、一番弱いのは、翠だ。翠はせめて安全なところで待っていてほしい。本当は、葵先輩も巻き込みたくはない。一応三代目ではあるけど、一般人だ。茜ちゃんは刑事だからしょうがないけど、みんな俺の学生時代の仲間だし、ケガはさせたくない。
「なあ、翠、葵先輩。二人は下がっててくれないかな」
「え? なんでさ!」
「……どういうことかしら? 誠くん」
「二人はあくまでも一般人じゃないですか。乗り込んで、ケガでもしたらどうするんです!」
 俺は二人に引いてもらおうとお願いする。だが、葵先輩も翠も首を振った。
「誠くん、BBCは今、うちの家と拮抗する力を持とうとしています。それは危険なことなの。BBCの活動内容がどんなものかは、前に話したわよね?」
「……はい」
 今もまた、BBCは新たな残虐行為を始めようとしている。捕まっている日枝たちは、きっと怖くて震えているだろう。
「私は確かに裏社会に通じているものです。でも、だからこそ、裏の秩序は裏が守る。そうするしかないの」
 いつになく真剣な葵先輩の眼差しが、俺に突き刺さる。そうだ、この人はそういう人だった。自分の信念を曲げない、強い女性。南禅寺家三代目当主・南禅寺葵だ。
「あたしも行くからね? 止めてもムダだよ?」
「翠! お前は無関係だろ! 力もないし、来るだけ必要がないって」
「そうだよ。無関係だし、戦力にもならない。でも、あたしはみんなを守りたいんだ! 些細な力にもならないけど……みんなと一緒に戦いたいんだ!」
 俺は、翠が司法試験を受けた理由を思い出した。翠の夢は弁護士だ。なぜ、弁護士になりたいか……それはみんなを守りたいからだそうだ。翠は俺の過去を知っている。俺みたいな子供を少しでも減らしたいと思って、弁護士を目指すことにしたようだ。仲間思いで、なんだかんだいいつつも心優しい翠らしい。
 翠はぐっと拳を握ると、葵先輩に向かって言った。
「先輩! あたしに合う武器、ちょうだい! 一緒に行くっ! 誠、あたしは行くからね!」
「……くそ、勝手にしろ」
「言っておくけど、誠くん。はっきり言って、あなたも一般人なのよ? あなたが私たちを止める権利なんか、最初からないんだから。ね?」
「………」
 笑顔で俺を責める葵先輩。確かに正論だ。俺が不幸を予知しようが、俺の生徒が危険にさらされそうが、俺は一般市民でしかないんだ。でも、やっぱり俺は生徒を助けたい。翠は翠の気持ち、葵先輩は葵先輩の気持ち。そして茜ちゃんの思い。それぞれ違うけど、中学生たちを助けたいという気持ちは一緒だ。
 葵先輩は翠に脇刀と釘バット、俺に散弾銃とサバイバルナイフを渡してくれた。葵先輩自身はというと。
「やっぱり愛刀じゃないと、持ち手の感触が違って使いにくそうねぇ」
 すらりと鞘から刃を抜くと、葵先輩の目つきが変わった。
「でも、なかなかヤれそうね?」
 微笑はニヤリという怖い笑みに変わる。その変化に、俺はすでに慣れてしまっていた。それどころか、葵先輩が本気になるということで、戦いが近いことを感じ、逆に気合いが入る。
 茜ちゃんは携帯をサイレントモードに設定すると、突撃前に電話を入れた。
「春日です。犯行現場と思われる、カラオケボックスを発見。……待てません! 突入します!」
 返答を聞かずに電話を切ると、ホルスターから拳銃を抜き、入り口の横につけた。葵先輩、翠、俺も突撃の準備をする。
「それじゃ、三、二、一でドアをけ破ります! 三、二……」
「一!」
 ドンッ! とドアをけ破ろうとする、茜ちゃん。だが、さすがに中から鍵がかかっているのか、ガチャンと音が鳴っただけで、扉は開かなかった。
「……ここは、誠くんの出番見たいねぇ?」
 葵先輩が笑顔で俺を見つめる。俺の手にあるのは散弾銃。当然使ったことはないが、これで開けるしかないんだよな? 映画でも観たように、弾数を確認すると、ちょうど二つ入っていた。
「……やるしかないんですね」
「うん! みんなを助けないと!」
 翠も釘バットを構えながら、俺を見つめる。俺は見よう見真似で散弾銃を構える。こんなでかい武器……いや、デカくなくてもこんな凶器なんか使ったことないけど、撃ってみれば何とかなるよな。
「行くぞ! みんな離れろ!」
 声をかけると、ドアのガラス部分に狙いを定めた。引き金を引けば、確実にドアは破壊できるはずだ。引き金に指をかけるが、軽く震える。すると茜ちゃんが、軽く俺の手に触れた。
「……大丈夫です、先輩。散弾銃なので、肩が外れるかもしれませんけど、力を抜けば大丈夫です!」
「それ、全然大丈夫じゃないんだけど?」
 そんなツッコミを入れた瞬間だった。茜ちゃんの手から、彼女の未来が見える。まずいな。これが現実になったら、俺は……。でも、警察の応援を待っている場合じゃない。こうなったら、俺が全員まとめて守るしかない。例え自分の命を失うことがあったとしても……。
「もうヤケだっ!」
 バンッ! と大きな銃声が響くと同時に、ガラス製のドアが壊れる。茜ちゃんはすぐに中へ入り、施錠を解く。茜ちゃんの言った通り、俺は散弾銃を撃った反動で、大きくのけぞる。だけど何とか肩を外すことはなかった・
「みなさん、入ってくださいっ!」
 俺たちはそれぞれの武器を抱えて、カラオケボックスに入る。すると、すぐに何人かの男たちが、銃声を聞きつけてこちらへ向かってきた。
「これがBBCのガードね。会員がプレイを楽しんでいる間、彼らが部外者たちを追い払うってことね? よくできてるシステムだわ」
「葵先輩! 感心してる場合じゃありませんよ!」
 俺は散弾銃を肩にかけると、サバイバルナイフを手にした。もちろんいくら敵でも誰かにケガを負わせるようなことはしたくないが、こんな狭いところで散弾銃を使う訳にもいかない。それに、こっちがやらなきゃやられる。
「誰だ! お前ら」
「警察よ!」
「南禅寺組三代目、南禅寺葵です」
拳銃を構える茜ちゃんと、今にも鞘から真剣を抜こうと親指をかける葵先輩。二人は背中合わせになって、お互いの背後を守っている。
「警察とやくざ屋さんがお揃いとはね。これはちゃんとおもてなししないとなっ!」
 不意を突いて、男の一人が拳銃を撃つ。大きな銃声が響き、葵先輩と茜ちゃんは、同時に身を隠した。
「ま、誠! あたしたちはどうしようっ!」
 慌てる翠の腕を引っ張り、俺は近くのソファの裏に隠れる。くそ、なんでこんなときに見えるかな。不吉なビジョンが。俺は翠を引っ張ったことを後悔する。だけど、そうならないように気をつければいいんだ。不幸が見えたからには、俺が守らないと。
「……ともかく、ここにいる男たちをどうにかしないとな。翠、お前も俺から離れるなよ」
 男たちの出方を伺っていると、葵先輩は何を思ったのか、自分から姿を現した。こちらから見ると、ユラリと埃の中で影が揺れているのがわかる。
「あ、葵先輩?」
 驚いて叫ぶ茜ちゃんに、葵先輩は顔も向けず真剣をすらりと抜いて言った。
「春日さん! 誠くんたちは先に行きなさい。ここは私一人で余裕だわ」
「葵先輩……」
 翠は情けない声を出すが、俺は葵先輩から殺気を感じた。あの人は本気だ。いつもは柔らかく優しい雰囲気をまとっているが、今は違う。目はギラリと獲物を狙うように鋭く光り、口元は口角を軽く持ち上げるように笑っている。
「ふんっ! いつも手下に守られている南禅寺の三代目お嬢が、俺たちに勝てるわけがないだろ! しかもチャカと真剣……どっちが強いかは一目涼ぜ……」
 スッ……と、喋っている男の横を、葵先輩は通った。次の瞬間、ぼとんと音がして、男の腕から血が噴き出る。
「うっ……うわああ……!」
「そんなの、撃たれる前に腕ごと切り落としてしまえば問題ないでしょう? それに私は、『お嬢』ではありません。正式な『三代目』です」
「………」
 俺たち三人は、葵先輩が見せる冷たい表情に唖然としていた。堅気ではないことはわかっていたし、怒ると怖いことは知っていた。だが、本当に人を斬ったところを見たのは初めてだ。
 思わず唾を飲み込む、俺たち。無言で苦しむ男と、慌てるその仲間たちを見ていたら、葵先輩に声をかけられた。
「……さ、みんな! 上の階にいる日枝さんたちを助けに行ってちょうだい。私は大丈夫。わかったでしょう?」
「は、はいっ! 行きましょう、誠先輩、翠先輩!」
 茜ちゃんは俺たちに合図すると、拳銃を構えたまま階段の方へと走る。エレベーターも会ったが、何階に生徒たちがいるのかわからないため、階段で一階ずつ探していかなければならない。
 二階につくと、また大勢の男たちが襲いかかる。今度は銃声だけがフロアに響く。
「っ……一人、二人、三人、四人……ってところですね。それじゃ……」
 茜ちゃんは二階フロアの入り口から、コンクリート破片を投げつける。すると同時に銃声がした。
「……射撃に関してはなかなかの腕を持っているみたいですね。でも、私はもっとできますからっ!」
 ちらりと半身を入り口から見せると、一斉に男たちが顔を出し、茜ちゃんを狙って撃ってくる。茜ちゃんはニヤリと笑うと、バン、バン、バン、バン、と四発だけ拳銃を撃った。
 そのまま二階のフロアに入るが、男たちが飛び出してくる気配はない。それどころか、うめき声がところどころから聞こえる。
 俺と、俺の背に捕まっている翠は、手や肩を押さえてうめいている男たちを目にする。
「茜ちゃん、一発で?」
「このぐらいでしたら余裕です。言ったじゃないですか。射撃の腕はSランクだったって」
 にっこりと笑う茜ちゃん。さすが、キャリア組だ。
「私はもう少しこのフロアを周ります。それと、南禅寺先輩と落ち合わないと。すぐに三階には向かいますけど、誠先輩たち二人でも大丈夫ですか?」
 正直主戦力の二人がいないのは心細い。だけど、ここで俺が行かなくてどうする。女の子たちが頑張ってるのに、男の俺がビビってたら、情けない。俺の生徒が捕まってるんだ。一刻も早く助け出さないと。
「……わかった。俺たちは次の階に進む」
「ま、誠、大丈夫かな。あたしたちだけで……」
「行くしかないだろ? もしかしたらこの上の階ではもう始まってるかもしれない。BBCの活動が……」
 BBCの活動。俺のクラスの十名が殺された事件では、コンテナ。六名が殺された場所はラブホテル。そして、今度はカラオケボックス。共通しているのは、『多くの密室がある』というところだ。
「きっと生徒一人に対して、一部屋割り当てられる。そしてBBCのメンバーも一人。一対一になって、殺しを楽しむんだ……」
「そ、そんな!」
「その通りです、誠先輩」
 拳銃に弾を補充しながら、茜ちゃんはうなずいた。
「このカラオケボックスは、個室がとっぱらわれています。三階はどうかわかりませんが……五階建ですから、少なくても四・五階は殺人を行う部屋として個室になっている可能性があると思います」
「わかった。茜ちゃん、葵先輩と落ち合ったら、すぐに来てくれ。情けないが、俺は男といっても無力だからな」
「……あたしも多分、戦力にはならないから、茜ちゃん、お願い」
「わかりました。すぐ行くと約束します。では」
 俺たちは二手に分かれると、すぐに階段を駆け上った。すると三階には、二階になかった扉があった。一階の入り口と同じ、ガラスでできたものだ。
「もう一度これを使うことになるとはな」
 俺は肩にかけていた散弾銃を構えた。ドアの後ろに人がいないことを祈り、構える。弾は二発しか入っていなかった。ここで使ってしまえば、もう散弾銃は使えない。それでも仕方ない。
「翠! 行くぞ!」
 耳を塞いで、俺の後ろにしゃがむ翠を確認すると、引き金を引く。ドンッ! と大きな音と、衝撃がくると、ガシャンとドアのガラスは壊れた。大きく開いた穴から三階に入ると、そこには俺のクラスの生徒四人と、日枝すみれがいた。
「日枝!」
「せ、先生!」
 日枝に近寄ろうとした瞬間、何かが俺の頭をかすった。
「誠! どいてっ!」
「うわっ? み、翠!」
 翠は大きく釘バットを振り回す。何ごとかと思っていたら、一人、二人と男が頭を殴られて気絶していた。
「ふ、ふう、あたしもやればできるね。誠が日枝ちゃんに気を取られてるところ、BBCのガードマンが襲おうとしてたから……思わず振り回しちゃった」
「いや、助かった。ありがとな」
「えへへ」
 恥ずかしそうに笑う翠。だが、それに構ってはいられない。ともかく生徒五人をここから逃がさないと。
「日枝、生徒はここにいるだけで全員か?」
「はい。だけど……お、近江鳩羽が」
「近江? お、近江もここに来てるのか?」
 俺が日枝の身体に触れようとしたところだった。
「……ずいぶん派手にやってくれたみたいねぇ?」
「先生、何者? 南禅寺の三代目と、キャリア組の刑事、それにそこの女のたった四人でここに乗り込んでくるなんて」
 振り向くと、そこには後ろでまとめた髪にスーツ、ハイヒールの女性と、車いすの近江、そして、捕まえられて気を失っている葵先輩と茜ちゃんがいた。
「葵先輩! 茜ちゃんっ!」
「おかげでBBCのガードは全滅よ。会員が来る前で、よかったけど」
 ハイヒールの女は、茜ちゃんと葵先輩の髪の毛を引っ張り、俺たちの方へ突き飛ばした。腕はきつく麻縄で縛られている。それに、戦ったあとだからか、頬や服に泥がついている。俺は、弾の切れた散弾銃を、近江たちの方へ向けた。
「……その散弾銃、すでに弾切れじゃなくって?」
「っ……」
 女はすでにわかっているといった顔で、俺に近づいてくる。俺は急いでサバイバルナイフを取りだそうとするが、手汗で滑ってなかなか取りだせない。そうこうしているうちに、女は俺の手首をきつく握りしめた。
「先生。物騒なものを出すのはやめたらどう? 私たちには勝てないんだから」
「……そこのちっこいのも、釘バットなんて使ったことないんでしょ? 勝ち目はないよ?」
 近江は拳銃を翠に向ける。
「くっ……」
 翠も観念して、武器を捨てる。
「近江、一体どういうことなんだ? なんでお前はBBCなんかと関係してるんだ?」
「……先生、私のことは無視なさるの? 案外ひどい方ね」
 近江にたずねたのに、なぜかスーツの女が口を挟んでくる。俺は無言でにらみながらも、女の話を聞くことにした。
「私は近江桔梗。鳩羽の姉。そしてBBCのオーナーを務めています」
「オーナー……! お前が諸悪の根源か!」
 弾の切れた散弾銃を武器に、俺が桔梗を殴ろうとしたところ、一瞬で何者かに投げられた。
「……な?」
 背中を打ち付けた痛みと、何が起きたのか分からずに目をぱちくりして車いすを見つめる。 
しかし、そこに近江鳩羽の姿はなかった。
「先生。拳銃も使えるけど、ステゴロも得意なんだよね」
「お、近江……お前、歩けるのか?」
 目の前には仁王立ちになっている近江がいる。近江は俺が散弾銃に手を伸ばそうとするのを、足で踏みつけて止める。
「ああ、歩けるよ。しかし、よくもBBCの会合をめちゃくちゃにしてくれたね? 今回は中学生の他に、先生と、そこのちっこいの、南禅寺の三代目、警察のお姉さんの四人も『プレミアム商品』として売り出そうかなぁ?」
「くそっ、お前……!」
 俺は相手が中学生女子だということも忘れ、跳びかかっていた。だが、近江は俺を軽く避けると腕を取り、そのまま捻って床にねじ伏せた。
「っ? な、なんだ、この力は!」
 俺は近江から逃れようと必死に抵抗したが、近江の力が強すぎてなかなか起き上がることができない。中学生女子とは思えない強い力に、俺は戸惑う。近江をキッとにらみつけると、余裕の笑みを見せて衝撃的な告白をした。
「先生、俺のこと女の子だと思ってるでしょ? ま、当然か。女子校に通ってたんだし……でもね、本当は俺、男なんだ」
「!」
 近江はそう言いながら、長いロングのカツラを頭から外す。短い髪の近江は、中性的でどことなく色っぽさがある男だった。
「本名は近江藤夜っていうの」
「何……?」
「嘘っ?」
 翠や驚いて思わず言葉を発する。一瞬動揺した俺だが、気をしっかり持たないといけない。茜ちゃんはちゃんと応援を呼んだ。他の警察が来るのも時間の問題だ。
だが、今度はスーツの女性の方が、翠に銃口を向ける。
「何をする気だっ!」
「もうすぐ警察が来る。そんなこと知ってるに決まってるでしょ? 彼女は人質。警察が来ても、私たちが犯人だと口外しないように」
 まさかこいつら、自分たちも被害者のフリをして逃げる気か? そうはさせないっ! 
「くそっ!」
 俺は拳銃を持った女性に飛びかかった。その瞬間、バンッ! と大きな音が鳴り響き、拳銃から煙が立ち上る。死んだ。俺はそう思った。だけど、俺をかばってくれた人がいた。
「くっ……」
「あ、茜ちゃんっ!」
 茜ちゃんの腹部は、真っ赤な血が溢れていた。俺が見た、彼女の不幸。まさにそのビジョン通りのことが起きてしまったのだ。
「……茜ちゃん! 大丈夫か?」
「え、ええ……先輩のこと、守れてよかったです……」
「茜ちゃん! もう話さない方がいいよ!」
 翠が茜ちゃんの腹部に手を当てて、止血しようと試みる。だけど、翠の手も、どんどん赤く染まっていく。くそ……全て予知していたことじゃないか。なんで俺は、こんなバカな真似を……。
「近江藤夜に近江桔梗……」
 ボロボロになった葵先輩が、むくりと起き上がると、近江をじっと見つめた。
「名前は聞いたことがあるわ。でも、私が聞いたのは幼い頃の話。元々敵対していた家の、末端が確か、近江家だったような」
「よく覚えてたね、三代目。そう、俺たちは近江家の跡取り。って言っても、近江家はもうないんだけど。俺たちが潰しちゃったからね」
「自分たちで潰したのか?」
 俺がたずねると、近江はにやりと笑って俺の懐からサバイバルナイフを引き抜いた。
「ああ、そうだよ。俺と姉貴で、親父を殺したんだ」
 ナイフの刃をペロリと舐めながら、近江は不気味な笑みを見せた。どういうことだ? 自分の親を殺すだなんて、正気の沙汰じゃない。しかも近江は中学生……。
「はい、誤解しないで、先生。中学生の俺が、親父を殺せるわけがない。そう思ってるんでしょ?」
「………」
 俺は無言でその言葉を肯定する。だが、近江はさらに驚くべきことを俺たちに明かした。
「俺はね、これでも二十五歳。先生たちと同い年くらいだから」
「え? だ、だって、外見は美人な女の子だよ? それがあたしたちと同じ年齢の、しかも男~?」
「誰だって驚くでしょうね。藤夜の姿を見たら。でもね、本当なの」
 近江の姉である桔梗が、今度は語り出す。近江の身体は中学一年で成長が止まったらしい。第二次成長期を迎えないまま、きゃしゃな女の子みたいな風貌で、それ以上の発育は認められなかった。ある意味、特殊な体質だったということだ。
「そんな俺を、親父は毎晩襲ったんだよ」
 近江は暗い顔で、呟く。当時の悪夢を思い出しているのだろう。ふっと、一瞬軽い笑いを浮かべると、壁を拳で殴る。
「だけど、この体質のおかげでBBCという組織を作ることができたんだ! こんなに素晴らしいことはないね!」
「お前、おかしいぞ! BBCなんて、変態鬼畜集団じゃないか!」
 俺が近江に行っても、近江は気にする素振りも見せない。
「先生。それより俺がどうやって女の子たちをさらったか、知りたくない?」
 その言葉にゴクリと唾を飲み込む。俺たちの推理では……。
「『X』を使ったんだろう?」
「ご名答。俺が菊花女子に現れたのは去年。中学二年ということで、学校に潜入した。それから、内通者――BBCメンバーの協力の元、中学三年に進級したら、『X』の中毒者が同じクラスに集まるように仕組んだんだ」
「俺にはそれが分からない。なんで同じクラスに獲物を集めたんだ? 別にクラスがバラバラでもいいじゃないか。フィリップ女学院の時もそうだ」
 俺は翠に銃口を突きつけている桔梗や、近江を刺激しないように、ゆっくりとした口調でたずねる。だが、案外答えは簡単に返ってきた。
「同じクラスなら、俺がそこに潜入して、全員を見張ることができる。それにXをちらつかせて、さらうのにも手間はかからない。それだけの理由だ。それと今回は……」
 一呼吸置くと、俺の頬にすっ、とナイフを押し当てる。
「協力者の意思も、あったかもしれないけどな」
「藤夜! 警察が来たわよ!」
 桔梗が合図すると、近江は再び車いすに乗る。桔梗は翠に拳銃を押し当てたまま、その場に座り込む。茜ちゃんはというと、虫の息で地面に横たわっている。
 階下から足音とガチャガチャした音が聞こえる。しばらくすると、防弾チョッキにヘルメットをかぶった特殊部隊と警察が俺たちを助けに来た。
「被害者と思わしき生徒六人と女性四人、男性一人を保護!」
 無線で連絡を入れる警察を見ると、近江は俺をちらりと見て、大声を張り上げた。
「みなさんっ! 今回の事件は、氷川先生と南禅寺家という組織が行っていたことなんです
!」
「なっ!」
「………」
 俺は声を上げ、葵先輩は近江をギロリとにらみつける。警察は俺たちを立たせると、持っていた武器を徴収した。
「散弾銃に真剣……そう言えば一階に腕を切られた男がいたな。この剣にも血が付着している」
「ち……違います、先輩たちは……」
 茜ちゃんが俺たちをかばおうとするが、息も絶え絶えなので、何を伝えたいのか分からない。
代わりに翠が代弁する。
「聞いてよ! あたしと茜ちゃん、葵先輩、誠は、生徒を助けに来たんだ! 本当の犯人は……」
 キッと、近江姉弟をにらみつけると、指をびしっとさした。
「ここにいる、近江姉弟だよっ!」
「何を言ってるんだ。スーツの女性はともかく、この子は車いすじゃないか」
「だからそれが嘘なんだって! 本当は歩けるし、あたしたちと同じ年齢……二十五歳なんだよ!」
「……わかったよ。じゃ、二人は私が連行しましょう。こちらへ」
 警察官に導かれ、近江姉弟は出口へと向かっていく。しかし近江藤夜は笑顔を見せ、声は出さず唇を動かした。
『警察にも仲間はいるんだよ』
「ま、待ってください!」
 俺が声をかけても、警察官は無視して二人を連れ出そうとする。その時だった。
「氷川先生たちの言うことは本当です! 私の話を聞いてくださいっ!」
 声を上げたのは、日枝だった。近江は日枝をにらみつける。日枝の身体はがくがくと震えている。そりゃそうだろう。相手は何と言っても殺人鬼なんだから。しかし、警察も近江と同じ制服を着ている日枝の言うことは、さすがに無視できないだろう。二人を連行する前に、日枝の前に向かう。
「お嬢さん、どういうことかな?」
「……その車いすの女の子は実際は男性です。そこの女性とともに、会員制の拷問クラブを開いていたんです!」
「ちっ!」
 近江は舌打ちすると、車いすの下からもう一丁拳銃を取りだして、立ちあがった。
「姉貴、逃げるぞ!」
「わかってるわよ」
 桔梗は翠を連れたまま、カラオケボックスの外へ向かう。大丈夫だ。カラオケボックスは警察が囲んでいる。きっと二人は捕まるはず。だが、さっき二人を連れ出そうとした警官が、二人を保護するかのようにつきそう。『警察にも仲間がいる』――。近江の言葉を思い出す。くそっ、俺たちはどうもできないのか? ちらりと葵先輩を見つめると、彼女はすでに麻縄を解いていた。
「せ、先輩? いつの間に?」
「ああ、これ? 簡単よぉ。ナイフを仕込んでいたから。それより住吉さんが捕まって、春日さんも虫の息……私たちも下手をしたら警察にご用となっちゃうわ
「それに近江姉弟もにげてしまいます」
「そうね。こうなったら、私たちも逃げるしか……」
「待ってください、先生」
 俺に声をかけたのは、日枝だった。意外なことに驚く俺と葵先輩。日枝は真剣な眼差しで、俺に言った。
「私も一緒に連れて行ってくれませんか?」
「は? だ、ダメに決まってるだろ! 日枝は俺の生徒だし、フィリップと今回の事件の証言者だ。そんなお前を危険な目に合わせることは……」
「自分の身ぐらい自分で守りますからっ!」
 そんなこと言ったって、日枝はまだ中学三年の女子生徒だ。自分の身を守るって言ったって……。俺の考えとは裏腹に、葵先輩は日枝の手を取って、キリリとした口調でたずねる。
「死ぬかもしれない。それでもいいの?」
「……はい。わかってます。だから行かせてください」
「誠くん、私はいいと思うけど?」
 葵先輩はにっこりとして、俺に言う。先輩がそう言ったら、俺が反対する意味がなくなる気がする。だけど、もう一度俺は日枝にたずねてみる。
「日枝……自分の命を軽く見たらダメだ。お前にはまだ、未来がある」
「……そんなこと言ったら、あの連れて行かれたお姉さんにも未来があるじゃないですか。そんなに私が行くことに危険があると言うのなら……先輩の力で、私の不幸な未来を予知してみてください」
 日枝は手を俺に差し出す。日枝は本気なんだ。俺は仕方なく日枝の手を握りしめて、目をつぶる。目の裏に浮かんだビジョン。それは……。
「なんだよ、これ」
「どうしたんですか?」
 俺はこの緊迫した中で見えた、意外な不幸に、つい笑いを押さえられなかった。
「何を見たの? 誠くん」
 葵先輩も不思議そうにたずねる。俺は笑うのを我慢して、日枝の不幸を話した。
「日枝は、この後……家に帰って、叔父さんの淹れたお茶を飲もうとして、やけどする……そんな不幸が見えました」
「家に帰った後の不幸が見えたってことは、私がやられることは少ないってことですよね? だったら行っても問題ないはずです」
 日枝の言う通りだ。だけど不安がないと言えば嘘になる。俺の力はほぼハズレがない。まだ難しい顔をしていると、葵先輩も手を差し出してきた。
「私の不幸も見てちょうだい。私も平気だったら……みんなで助けに行きましょう」
「………」
 納得は行かないが、頑固な葵先輩のことだ。俺が不幸を見ない限り、諦めないだろう。仕方なく、彼女の手も握る。
「………」
 ――ああ、やっぱり。俺は葵先輩の不幸は、必ず起きるものだとわかっていた。
「どうだった?」
「先輩は警察に連行された後、傷害や武器の不法所持についての尋問を受けます。ですが、家の若い人が身代わりになる……」
「……そう。最近は平和だったのに、残念だわ。でも、私の不幸にも近江姉弟は出てこないってことね」
「はい。なぜかわかりませんけど」
 みんなの不幸にあの二人が出てこないと言うのが不思議だが、もしかしたら無事で済むってことなのかもしれない。だけど、二人がどこに逃げたかなんて、皆目見当もつかない――。
「あ」
 そう思ったが、俺はあることを思い出した。そうだ。近江の不幸。俺は近江の不幸予知もdしていたんだ。あいつの不幸は目の前で女性が亡くなる……いや、自殺するというものだった。あの女性……顔までは見えなかったが、桔梗なんじゃないか? 一体どういうことなんだ。
「先生、取調室で私たちの不幸……こっそり見てたんでしょ?」
 日枝の言葉に、ドキリとする。日枝の目は鋭く、真実をすべて見抜いているように感じさせる。俺は正直にうなずいた。
「ああ。ほとんどの生徒が無残な殺され方をしていた。日枝、お前もな。だけど今見た不幸は全く変わっていた。きっと未来が変わったんだよ」
「先生の力って、そういうためにあるんですね」
 神妙な顔つきで、何やら考え込む日枝。横にいた葵先輩は、茜ちゃんの頬を触ると、静かに言った。
「春日さん、もうすぐ本物の救急車が来るわ。だから……」
「わかって……ます。私は行けませんから、あとはお願いします……三人は早く脱出してください。現場検証が始まると、出られなくなります」
「ああ。それじゃ、行くぞ」
 俺は弾の無くなった散弾銃を置く。サバイバルナイフも先ほど奪われた。葵先輩も真剣を押収されている。。
 俺と葵先輩、日枝は、非常階段から外に出ると。そのまま一階まで駆け下りた。

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