文字数 10,602文字

 翌日。テストの束を持って教壇に上がると、名前の順に名前を呼んでテストを返却する。
だが、近江は車いすなので、こちらから机に向かう。点数はやはり悪くないどころか、トップクラスだ。
「よくやったな」
「……ありがとうございます」
 アーモンドアイが俺をちらりと見つめる。その瞬間、神経を集中させて軽く指先を触った。
「………」
「…………?」
 あ、あれ? どういうことだ? 不幸が見えない……。
「どうかしましたか、先生」
 近江はハスキーな声で、俺を現実世界に呼び戻す。
「あ、ああ、すまんな。次!」
 うまく取り繕ったが、近江には不幸がない。いや、見えないだけか。
昔、不幸が見えないという人間に会ったことがある。その人は何故、何も見えなかったかというと、ただ、幸せや不幸という概念を持っていなかっただけで、全てを『運命』だと受け止めていたからだ。
 もしかしたら近江もそうなのかもしれない。資料詳細には書かれていなかったが、きっと車いす生活も長いのだろう。そうした他人からしたら不幸だと思うようなことも、自分の中で運命と割り切っているのかもしれない。
 近江はきっと、強い人間なのだ。彼女は心配なさそうだ。だからといって、担任として手を差し伸べなくてはならないときは、もちろん助けるつもりではあるが。
 さて次は……。
「日枝、日枝すみれ」
「は、はい……」
 まだクラスに慣れていないのか、いまだにどもる癖がある日枝は、なぜか大回りして、教壇に来た。……どういうことだ? 赤尾の列を真っ直ぐ通れば、教壇まですぐ来れるのに。
すでにいじめでも受けている、とか? ともかく日枝の不幸は見る必要がありそうだ。
「……次も頑張れよ」
 近江にやったように、指先に神経を集中させ、日枝の手に触れる。その瞬間だった。
「……っ!」
 ぶわっと脳内に侵入してくる、真っ黒な影。数体の大きな影が何かを振り下ろすと、赤い液体が飛び散る。それは一回では終わらない。二回、三回と振り下ろす。脳内が赤く染まっていく――。
「……い、先生」
「あ、ああ、すまなかっ……!」
 心配そうに声をかける、日枝の顔を見た瞬間、俺は吐き気を催して廊下に飛び出した。
「……はぁ、はぁ……」
 水道の蛇口をひねり、吐きだしたものを流す。
 一体今のは何だったんだ。頭の中に入ってきたビジョンもそうだが、日枝の顔……。何かに切り裂かれたようにぐちゃぐちゃになり、鼻骨は折られ、目玉は片方は飛び出て神経によってぶらぶらと釣り下がり、片目はえぐられていた。口もあごまでさかれていたような……。
 いや、今のはすべて幻覚かもしれない。それか、これから起こる不幸のビジョンなのか……。
 ともかく、教室に戻らないと。クラスを放置しておくわけにはいかない。キリキリする胃を押さえながら、教室に戻る。相変わらず生徒は気持ち悪いほど優等生ばかりだ。教師がいなくなったというのに、誰一人席を立っていなかった。
 俺はテスト用紙を再度手に取ると、勇気を振り絞って、もう一度日枝を見た。
 何も変わりはない。顔も普通だ。初日と変わらず、どんぐりのようにくりっとした瞳に、小ぶりの鼻がついている。
「……テスト返し、再開だ」
 冷や汗をかきながら、残りの生徒へ答案を返していく。何とか返し終わると、ちょうどチャイムが鳴る。俺は逃げるようにして教室を出た。

 昼休み。一応朝買ってきたサンドイッチはあるが、食べる気がしない。あんな生徒の顔を見たら、誰だって食えなくなるだろう。とりあえず、気分転換ということで、中庭のベンチでボーッとしていると、ポンと教科書で軽く頭を叩かれた。
「まこっちゃん。どーした? 三年一組はお転婆すぎて大変だとか?」
「……千草。いや、加茂先生。『まこっちゃん』はやめてくださいって」
「まぁまぁ。どうよ、進捗」
「……うちのクラス、おかしいよ」
「俺のクラスもだぜ? なんでシャーペンが落ちただけで大爆笑するかなぁ?」
「そういうことじゃないっ!」
 俺は思わずベンチから立ち上がる。その様子を加茂先生は驚いた表情で見る。
「な、なんだよ……どうしたんだ? なんかあったんなら、話し聞くぞ?」
「………」
 話せるわけがないだろう。自分が超能力者。まずこの時点でアウトだ。冗談だと思われて笑われるのがオチ。しかも、生徒の顔がめちゃくちゃに見えたなんて言ったら、『スプラッタ映画でも観すぎたんじゃないか』と言われるだろう。
 黙ったままの俺に、加茂先生は座るように促す。俺はそれに従った。
「まーあれじゃん? 新学期始まったばっかりで、ちょっと疲れてるとかさ。女子ばっかだけど、今年の三年生は大人が多いとか! 騒ぐのもバカらしくなったんじゃね?」
「そ、そうだな……うん、きっとそうだ」
 それか、俺の不幸が見える能力が、変な風に作用した……とか。気にすることはない。不安なら、ちょっと試してみればいいんだ。
「大丈夫か? 何かあったら言えよ。飲みに連れてってやるしさ」
「ああ、そうだな。たまにはいいかもな。ありがとう、千草」
「おうよ」
 俺が手を差し出すと、がしっと加茂先生は手を握り返した。
……見える。加茂千草の不幸が。どこか暗い場所でうずくまっている姿だ。このくらいなら誰だって経験あることだろう。何かうまく行かなくて、自暴自棄になってうずくまる。大切なものがなくなる。男だって、一人うずくまりたくなることはある。
 だが、不幸を見る力が変わらないと言うことは、やっぱり日枝に触ったときに見えたビジョンは本物というわけになる。加茂先生から手を離すと、俺はこめかみを押さえた。

 仕事を終わらせると、俺はいち早く家に帰った。一刻も早く、学校から離れたかった。何か嫌な予感がする。これまでに経験したことのないくらいの、恐ろしい感じがする。自分の受け持っている、あのクラス。他のクラスにはない、異常性がある。まるで人形たちを相手にしているようなのだ。
 だが、まだ新学期になって二日目。みんなクラスに慣れていないという言い訳もできるかもしれない。だけど、三年生だぞ? 転校生の日枝はともかく、クラスが一緒だった友達と、一緒に弁当を食べたりしないのか? 加茂先生と別れた後、クラスを観察していたが、みんな各自自分の机で弁当を食べていた。日枝も困った様子で一人飯だ。
 学校から持ってきた、生徒の個人情報をパソコンで見る。本当は当然ながら、持ち出し禁止だ。だけど、今回だけはしょうがなかった。学校で見ると、他の先生が始業式が済んでいきなり問題が発生したのかと騒ぎ出すだろう。
「……問題っちゃ、問題かもしれないんだがな」
 俺は自嘲気味にファイルを開く。赤尾、飯田……。全員のファイルにざっと目を通すが、問題ある生徒は見られなかった。それが異常なのだ。孤立している場合は、やはり孤立気味であることを示唆する表記があるはずなのだが、それに該当する生徒はいなかった。それどころか、二年の頃は積極的に課外活動をしていた、とか、絵画コンクールで賞を獲ったとか、そんな生徒もいる。だが、どうしたわけか、二年から三年に上がる前に部活や課外活動を辞めている。
「一体、どういうことなんだ……」
 俺のクラスだけだ。他のクラスはいい意味でも悪い意味でも普通だ。なのに、何が起こっているのか全くわからない。
 溜息をついて、パソコンの横に置いていた缶ビールを飲み干す。
 キーポイントは多分、二年から三年の間だ。日枝は三年からの転校生。だからあいつは普通なんだ。あの、おぞましい不幸が見える以外は。
「なんだよ……なんなんだよ!」
 缶を握りしめたその時、携帯が震えた。表示されたのは懐かしい名前。思わず口にする。
「茜ちゃん?」
 通話ボタンを押すと、大学時代と変わらない声が聞こえてきた。
「……氷川先輩、ですか?」
 春日茜。俺の一個下の後輩。大学時代は法学部で、卒業式の時は学年首席の挨拶を行ったという才女。しかも見目麗しく、大学内のミスコンでも優勝したことがあるパーフェクト超人だ。
そんな彼女が、今なぜ俺に電話を? 不思議に思っていると、茜ちゃんは大声をあげた。
「今すぐこちらに来てください! 氷川先輩の生徒さんが……大変なことに!」
「え?」
 俺の教え子……もしかして、日枝か? 俺は茜ちゃんから住所を聞き、メモを取ると、その場に急行した。

 教えられた京浜レンタルコンテナ付近には、多くの人がいた。俺はその人たちの顔を見て、嫌な予感がした。……全員、俺の生徒の親御さんだ。親御さんたちの視線が、俺に突き刺さる。
一体何が起きたって言うんだ?
「氷川先輩。いえ、氷川誠さんですね」
「茜ちゃん」
 茜ちゃんは赤い何かがついた白い手袋をして、足元はビニールの袋で覆っている。この装い、刑事ドラマで見たことがある。
「すみません、今日の私はあなたの知っている『茜ちゃん』ではありません。警視庁捜査一課警部補、春日茜です」
「警部補……」
「ええ、キャリアで入ったので。今回お呼び立てしたのは、集団殺人の件で」
「集団殺人!」
 まさか……まさか……。俺は自分のクラスの生気のない生徒たちの顔を思い出す。
「氷川さんは最後にお呼び立てしました。先に遺族の方に身元確認していただいてからと思ったので」
「どういうことだよ、説明してくれよ!」
「菊花女子学園中学、三年一組の生徒さん十名が、殺害されました」
「殺……害? 集団自殺……とかではなく?」
「ええ、しかも全員違う殺し方で。ずいぶん残忍な殺され方です。死体、拝見しますか?」
 残忍な殺され方……もしかして。
「そ、その中に、日枝は? 日枝すみれはいたか?」
「……先輩、もしかして今回のことも予知していたんですか?」
 茜ちゃん……いや、春日警部補も俺の予知能力のことは知っている。春日警部補は俺の肩を揺すった。
「いや、集団殺人は予知していない……ただ、日枝すみれの不幸予知だけはしていた。あいつも残忍な殺され方を……」
「先輩、今回の十名の中に、日枝さんはいません」
「いない?」
「ええ、ですから安心してください。ただ……犯人の手掛かりなどは見つかっていませんので、ご協力お願いします」
 春日警部補は、『ご協力』という部分を強調した。殺された生徒の親御さんたちも、俺を冷たい眼差しで見つめる。
 そうか。今の俺は、殺された生徒の担任として現場に呼ばれたんじゃない。容疑者として、ここに召喚されたのだ――。

「ここは私にやらせてください。責任は取ります」
「春日警部補! あなたは新任でしょう。それに、近しい間柄の人間の事情聴取は禁止されていますし……」
「責任はどうとでも取ります! やらせてください!」
「くそ……元警視総監の娘じゃなきゃ、学校出たての小娘にいいようにはさせんのに……」
「父にはよく伝えておきます」
「ふんっ」
 バタン、と怒気のこもった音がしたと同時に、春日警部補が俺の前に座った。
「氷川さん。この十名は全員、菊花女子の三年一組の生徒ですか?」
 目の前に十枚の写真を並べられる。どれも昨日今日、見たばかりの女子生徒たちだ。
「ああ、くそ! なんでこんなことに……」
「この十名の共通点は? 同じクラスということだけですか?」
 俺は黙ってうなずく。さっきまでクラスの名簿を見ていたところだ。共通点があったら、すぐにわかるはずだが、彼女らには全くそれがない。地味な子から、ちょっとギャル系な子まで。趣味や俺が知らない学校外のことで何かつながりがあったとか? うちの学校は私立だ。家も関東ではあるがバラバラだし、電車が一緒の生徒もいるかもしれないが、俺にはわからない。家庭事情も色々だ。母子家庭で母親が頑張って私立に入れてる子もいれば、どっかの社長の令嬢もいる。
「今現在、彼女らに共通している人物は、クラスの子と氷川さん。あなただけなんです」
「茜……いや、春日警部補。それだけで俺を犯人扱いしてるのか?」
 春日警部補は、身をかがめると口に手を当てた。
「先輩、見てないんですか? 日枝すみれ以外の不幸は」
「……それ、もしかして俺の力期待してる?」
「えへへ」
 大学時代と同じ笑顔を一瞬見せる茜ちゃん。だがすぐに警部補の顔に戻る。
「ともかく、全く手がかりがないんです。どうやって十名の生徒がここまで来たのか、とか。共通点とか。本当に意味がわかんないです」
「それは俺も同じ意見だ」
 一緒になって頭を振る。だけど、いくら話し合っても何も解決しない。ただ、恐ろしいことに、凶器は現場から大量に押収されたらしい。拳銃やナイフ、ノコギリ、メス、ハサミ、トンカチ……。現場は血まみれで、死体はまるで人間を解体したあとみたいだったようだ。
「よく平気だったな、茜ちゃん」
「……さすがに吐きました。まだ現場もそんなに経験してませんでしたし」
 そりゃ当然か。俺も日枝の顔を見ただけで吐いたもんな。実際は匂いや血の生温かさも感じるのだろう。
「理事長たちに話は?」
「してあります。あと、先輩の生徒さんの親御さんたちのも。あまりにもショッキングな事件なので外部には箝口令が敷かれてますが……」
「誰か生徒の家族が訴えるかもね」
「……いえ、その前にもあるんですよ」
「え?」
 俺は茜ちゃんをじっと見た。茜ちゃんも俺の瞳をじっと見つめる。『その前にある』って? 何がだ? まるでその言い方は……。
「『前にも同じような事件があったんです』」
 聴き間違いじゃない。茜ちゃんははっきりそう言った。
 前の事件はちょうど二年前。場所は言えないらしいが、舞台はやはり女子校。クラスの半分が殺害され、凶器も今回のように大量に発見された。だが、結局犯人の目星も付かず、事件は今も捜査が続けられているという。もちろん厳重秘密事項だ。その際、警察はマスコミを買収。一部の雑誌には嗅ぎつけられたらしいが、スクープしたマスコミは全員圧力をかけクビにさせたようだ。確かに、日本の警察がそこまでしないと、こんな大きな事件は隠せない。それに、この事件が大衆の知るところになれば、きっとパニックが起こるだろう。
「そ、その時の生徒たちの共通点は?」
 俺の質問に、茜ちゃんは首を振った。
「今、過去の資料を先輩方が当たってますけど……なかったと思います。私、その資料見たことがあったので」
「そっか」
 くそ、結局ふりだしに戻る、か。だけどこの後どうなるんだ? 俺の担任していた生徒が十名も死んでいる。学校は生徒たちにこの事実を説明できるのか? それに、俺の処遇は……。
「最後にひとつ、いいですか?」
 茜ちゃんは静かに俺にたずねた。
「……先輩のクラス、何か異常なことはありませんでしたか?」
 その言葉に、俺はバンッ、と机を叩く。同じ部屋にいた書記官が、驚いてこちらを見つめる。
「おかしいも何も……すべてが変だったよ! クラスメイト同士、話もしないし、休み時間さえほとんど席を立たないし、弁当だって全員一人で食べてるんだぞ? 普通の中学生じゃないだろ……」
 茜ちゃんは俺の勢いに押されたのか、机から少し離れたところで硬直している。俺は軽く謝った。
「ごめん、強くいいすぎた」
「いえ、先輩が取り乱すのはわかりますから」
「で? 俺の処遇は? 拘置所か?」
 自嘲気味に言うと、茜ちゃんは首を振った。
「先輩を逮捕するのには、証拠がなさすぎます。それに、これは一人での犯行ではないはず。こんなあやふやな状態で拘束しておくわけにはいきません」
「じゃあ、帰っていいのか?」
俺の質問に、茜ちゃんはこくんとうなずいた。
「ええ。一応、身元引受人を呼んであります」
 身元引受人? 俺は父親がいないし、母親も今は施設にいるはず……じゃ、誰が来てるんだ? ま、まさか。
 茜ちゃんを見ると、にっこりと笑顔を浮かべている。この笑顔、多分悪意はないんだろうけど、茜ちゃんが考える、俺の身元引受人と言えば……。
 取調室から出ると、小さいヤツが俺に飛びついて来た。
「わぁ~ん! 誠~! 大丈夫だった?」
 や、やっぱり翠だったか。俺は翠につかまったまま、困った顔で茜ちゃんを見る。
「やっぱり誠先輩の身元引受人と言えば、翠先輩しかいないかなぁと。お久しぶりです、翠先輩」
 翠と茜ちゃんも俺と同じ大学、同じ学部卒の顔見知りだ。
「茜ちゃんも元気そうだね! しかも警部補だって? すごいじゃん! あたしなんて、司法浪人でさあ~」
「茜ちゃん、こんなうるさいの呼んで、後悔しただろ?」
 俺がたずねると、茜ちゃんは笑いながら首を左右に振った。
「いいえ、私も翠先輩に会えて嬉しいです。ただ、こんな状況じゃなければよかったんですけどね」
「あっ……」
 翠は顔をゆがませる。そうだ、ただ、同じ大学だった仲間の同窓会じゃない。翠はあくまでも、容疑者の一人である俺の身元引受人なのだ。
 翠は俺の顔と茜ちゃんの顔を交互に見ると、しっかりとした口調で言った。
「大丈夫。誠はあたしがちゃんと見張ってるし! 茜ちゃんはしっかりと自分の仕事、して? それで本当の犯人を探してよ。誠は絶対犯人じゃないからさ」
「ええ、わかってます。また何かあったら、連絡ください。一応、こっちが警察で使っている携帯の番号ですが……でも、できれば私用の方に。先輩の情報は、公には扱えないと思いますから」
 警察で使っている携帯は、履歴が残るってことか。俺の情報……不幸が見える能力のことか。俺は、茜ちゃんにひとつお願いすることにした。
「日枝すみれのことなんだが……彼女に見張りをつけてくれないか? あいつの不幸の内容から言って、次に狙われるのはあいつだ」
「わかりました。先輩、こちらからもお願いが」
「なにかな」
「できたらクラス全員の不幸……探ってくれませんか?」
「茜ちゃん、もしかして日枝以外にもまた、俺のクラスが狙われるとでも?」
 茜ちゃんは肯定も否定もしない。ただ一言、ぽつりと呟いた。
「前に起きた事件は……クラス全員が被害者になりました」
「そうか」
 俺は了承すると、翠とともに警視庁を出た。

 家に帰る途中、何があったかを翠に説明する。翠もある程度は茜ちゃんから話は聞いていたようだが、俺の見た不幸については知らず、驚くばかりだったようだ。
「その日枝ちゃん、確実に被害者になるよ! 誠の不幸予知は外れないもん!」
「茜ちゃんに警護は頼んだけど……彼女もまだ新米だからな。意見が通るか」
 なぜ日枝を守るかというと、その根拠は俺が不幸を見たからだ。『不幸が見えたから警護を』なんて上司や先輩に言っても、笑われるだけだろう。
 でも、俺のクラスの生徒は全員被害者になりえるんだ。全員に警護をつけてもいいはず。いや、そうしてほしい。第二の事件が起きないように。
「ね、今から誠のクラスの家庭訪問、してみようよ! そっと生徒に触れてさ。そうすれば次に狙われる相手がわかるかも!」
「そうだな、じっとしててもしょうがない。だけど、時間が時間だな……」
「じゃ、明日は? 学校もさすがに休みになるでしょ?」
 俺は黙ってうなずくと、部屋の鍵を取りだす。ガチャリと扉を開けると――。
「なっ……!」
 部屋に入ると、そこには荒らされた跡があった。急いでパソコンに刺したUSBメモリーを探す。が、みつからない。やばい、あれは持ち出し禁止の資料だ。しかも今盗まれたら、個人の情報が……。
「どうしたの、誠……あっ!」
 翠も部屋に入ると息を飲む。俺は震えながら、机の上をかき回す。それでもUSBメモリーは見つからない。
「盗まれた? だとしたら、犯人は……」
 俺はすぐさま茜ちゃんの携帯に電話して、USBメモリーが盗まれたことを伝える。すると、彼女は理事長にバックアップがないか確かめてくれると言ってくれた。
『先輩が持ち出したことは、今は内密にしておきます。立場が立場ですので』
「ああ、すまないな。こんなこと君にさせるなんて」
『いいんです! 在学中には先輩にお世話になりましたから! その代り、事件が解決したら、ご飯おごってくださいね!』
 茜ちゃんはそう明るく言って、電話を切った。
 どうしようもない状態。今がまさにそれだ。俺は頭を抱えてソファに座る。すると、翠が気を利かせて、温かいコーヒーを淹れてくれた。
「悪いな、翠」
「ううん、別にこのくらいは平気だよ! だけど、困ったね。生徒さんのデータが盗まれるなんて」
「これじゃ、家庭訪問もできないな。他に何かいい方法はないのか……?」
 必死に頭を回転させるが、いい案は浮かばない。そもそも、今回の不幸を、俺は知らない間に予知していたのかもしれない。最初に教室に入ったときのあの違和感……。あれは殺された生徒たちの『不幸』の力が強く、触らなくても感じていたんじゃないだろうか。だけど、俺にそこまでの力があるのか?
 コーヒーの入ったカップを口にすると、予想以上に苦い味がして、思わず吐きそうになる。
「お、おい、翠! コーヒーに何入れた!」
「え~? インスタントのだから、普通にスプーン五杯くらいコーヒーの素を入れたけど」
「はぁ、それは多すぎだって。そういやお前、葵先輩の料理教室はまだ行ってるのか?」
「うん! 葵先輩にこの間『住吉さんは独創的な料理を作るのね~』って褒められたよ!」
 それは絶対褒められていないな。先輩も大変な生徒を持ったもんだ。ちなみにこの葵先輩――南禅寺葵さんも俺たちと同じ大学の先輩だ。文学部卒だが、現在は料理教室と華道教室を営んでいるらしい。葵先輩自身も優しく、在学中にはお世話になった。
「ただ、最近ちょっと忙しいみたいで、たまに教室もお休みになったりするよ」
「ああ、『本業』もあるからな。それ関係だろう」
 そう、葵先輩にもある秘密がある。料理教室や華道教室が『本業』ではない。だが、今ここで語る必要はないだろう。
「話を戻すけど……今の状態じゃ、俺は何も情報を得ることができない。学校は当分休校だし、生徒の家にも行けない。それに、茜ちゃんは言わなかったけど、俺には絶対に監視がついてるはずだ」
 決定的な証拠はないが、俺は今のところキーマンとして扱われていることは確実だ。絶対に何らかの情報を持っていると疑われている。こうなったら行きたくはないが、あそこへ行くしかない。
 俺は携帯を取ると、ある番号を押した。しばらくして相手が出ると。
「すみません、氷川です。明日、母と面会したいのですがよろしいでしょうか」
「えっ? 誠、お母さんと会うの?」
 翠が声を上げるので、俺は「しっ」と人差し指を口元に当てた。
「はい、よろしくお願いします。夜分にすみませんでした。何せ急なものでしたから……では」
 携帯を切ると、翠が目をまん丸くして俺を見つめていた。
「あのお母さんに会うの? 何で? 誠のこと、小さい頃からひどい目に合わせてきたんでしょ? 今更どうして会うの!」
「……今まで誰にも言わなかったんだけどな」
 俺はぼそりと呟いた。俺の能力は、ある神社で偶然得たものだった。うっかり神社で昼寝をしてたのが、運のつき。やっぱり神社は神聖な場所なのだ。そんなところで神様に足を向けて眠ってたのが悪かったのか。そこで蛇の夢を見てから、俺は人の不幸が見えるようになった。
 祖父の死を予知してから、俺はあらゆる不幸を予知し続けた。両親の離婚、叔母の自殺。学校でもクラスメイトの不幸を予知してしまい、『死神』なんて呼ばれていた。
 両親が離婚した際、父は俺を引き取ることを拒否した。それは当然だろう。不気味な能力を持っている息子なんて、育てたくない。しかし、母もそれは同じ意見だった。
 俺の親権をどうするかで、離婚調停が開かれた時、父はすでに新しい女性を見つけていた。しかも彼女のお腹の中には弟がいた。そこでうまくやって行けるのか? 俺は不安になった。そして結局、父と母は、俺自身にどちらについて行くかたずねた。俺は新しい家庭をすでに作ってしまった父より、これから一人になる母と一緒に行きたいと答えた。理由は単純だ。ただ、気を遣わないでいい方を選んだ……そのつもりだった。しかし、母にとっては俺の選択は悪魔の宣告でしかなかった。息子がいるせいで再婚もできない。その上、いつも誰かの不幸話をする。気味悪い能力を持つ息子。こんな子供とずっと一緒にいなくてはならないのだ。
 二人きりの生活は、俺にとっても母にとっても、つらく、厳しいものだった。俺が不幸予知したクラスメイトの親から苦情がくると、まず母が謝った。そのあとは、俺が母に謝る番だ。
冷水を浴びせられたり、アイロンを身体に当てられたりした。いわゆる虐待というやつだ。
 俺は当然母を憎んだ。そして、母の不幸を見てやろうと、眠っている彼女に触れたとき、思わずショックで倒れ込んだ。母の不幸――それは俺との生活だったからだ。
 高校時代から、俺はバイトして貯金を始めた。元々父から養育費をもらっているので、大学までは行ける。だから、大学生になったら、家から出よう。母を不幸から救おうと思ったのだ。
 そんな母だったが、俺が大学生に進学したあとは憑き物が落ちたように、優しい昔の母に戻った。そして、俺の能力に関しても、ある程度は理解を示してくれるようにもなったのだが……。
 それは大学一年の時に起こった。母は、昔から気になっていたと切り出し、俺がどうしてこんな力を身に付けたのかとたずねた。そのときに神社のことを話したのだが、それが失敗だった。
 母は、そこの神主に俺の不幸の話をしたらしい。そして、あろうことかそこの神社の神様を罵倒した。それ以来、母にもある能力が宿ってしまったのだ。
「お袋が持ってる能力は、『所有物から持ち主の気持ちを読む』能力……。普段はさほど気にならない能力らしいんだけど、怨念がこもったものを持つと、かなり怯える」
「まさか誠、今回の凶器から、犯人の気持ちを読み取ってもらおうと思ってるの?」
「ああ、お袋にはつらい思いをさせるってことはわかってるけど……人の命には代えられないだろ」
「まぁ……そうだけど」
「わかったなら、今日はもう帰れ。明日は俺一人で行く。そうじゃないと、お袋は気を悪くするからな」
「う、うん……」
 イマイチ納得してなさそうな翠を家に帰すと、俺は再度茜ちゃんの私用の携帯に連絡を入れた。

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