その日も僕は、いつもどおりのコースをパトロール兼ねて散歩していた。
長く暑い夏が終わって、ようやく秋が来たと思いきや、あっという間に過ぎ去っていって、準備する間もなく冬がやって来た。でも路上にはまだたくさんの落ち葉が吹き溜まっている。しかし風は十分に寒く、木枯らしは僕の鼻先をかすめていってヒゲを揺らして過ぎ去っていった。
細い路地から住宅街に入って、その中を毛細血管のように張り巡らされた狭い道路を歩いていると、何処からともなく僕を呼ぶ猫の声が聞こえてきた。
その掛け声の方をまじまじ見てみると、そびえ立つコンクリートブロックの塀にあいている一つの穴から、ぬっと突き出るような大きな猫の顔があった。
「いやいや助蔵さん、そりゃデカイ声が出ちゃいますよ!あなたの強面の顔が急に現れたら誰だってね」
「何言ってやがるこのバカタレめ!おまえ最近・・・・あ?え?うお!いや〜こいつは参った! おい、猫丸よ!この塀を越えて裏側に回ってきてくれ」
「あ、頭が抜けなくなった!いいから早くこっちに来てくれ」
僕はコンクリートの塀を飛び越えて知らないお宅の敷地内に回りこむと、ちょうど助蔵さんの尻の真後ろについた。デカい図体の茶トラが、必死に腰をくねらして穴にハマってしまった首をなんとかひねり出そうと必死にもがいている。これはなかなかお目にかかれない面白場面だ。僕はしばらく何も語らず尻の周りをウロウロしながらその様子を眺めていた。
「おいコタ!つっ立ってないでほらっ早く俺の体を引っ張れっ!」
「あっはぁはい…。それじゃ、えーとちょっと痛くても我慢してくださいよ」
「ああ頼む・・・・っておいおいっ!違うだろ!しっぽを噛むんじゃない!!切れたらどうする!?」
「え?いやぁ…だったらどうやって引っ張るんです?」
「尻の側面を噛め!脂肪が付いているから我慢が効くだろうて」
「よし!あま噛みでな。ゆっくり慎重に引いてくれ!あっでもちょっと・・・って、おいっやっぱり痛いぞ」
僕はなんだか面倒臭くなって、千切れないくらいのぎりぎりのチカラで噛み付いて、そのままゆっくり後ろに体重をかけていく。
あたりに年老いたオジサン猫のよく響いた低音の嗚咽が鳴り渡る。僕はそれでもやめずに噛みながら、体を重心を低くして後方へ引っ張った。そうしてるうちについに頭がスポンと抜けて、二匹とも勢いよく後ろに吹っ飛んだ。
「あぁいってぇ・・・参ったよ。まさかこんなところにハマるとは」
「いやいや向こうからおまえがやって来るのが見えたから、ちょっとビックリさせようと思ってな・・・それが逆に助けられることになるとは・・・」
「まぁいいですけど、こうして合うのもなんか久しぶりですね」
「あぁそうだな。おまえの母さんのあの件以来になるのかなぁ」
「お前の親父はどうしようもない阿呆だったが、母親のマリモは立派な賢猫だった。にもかかわらずたぶん油断してたんだろうな。人間に捕まり連れ去られ無理やり去勢されてしまった。そして帰ってきたマリモの姿は別猫みたいになっていた・・・」
「はい・・・・ある時やたらに喉が渇くと言って出て行ってしまって、それから帰ってきませんでした」
「残念だったな・・・・あれからマリモの姿を見たというやつはおらぬから、その時何処か一人になる場所をさ探しにいったのかもしれんな・・・・」
「まぁ過去のことだ。すこし湿った話になっちまったが、最近のお前はどうだ?元気そうだが変わりないか?」
「はい、たまに目つきの悪いオス、たしか又蔵とかいう名前の猫と出会い頭にバチバチのにらみ合いになりますが、大ごとになってはいませんし、他の猫とは割とうまくやってますよ」
「まぁ元気なのは毛並みを見れば分かる。だがしかしお前は人間に近づきすぎる気がある。父親譲りの能力を受けた故かのぅ・・・母さんのマリモ然りだ。あまり人間に気を許しすぎるなよ。人間はいいヤツばかりじゃない。中には口にするのもおぞましい趣味の対象でしか猫を見れない奴もおるようだ」
「それは僕も知ってますよ。確かに人間は仮面をつけています。他に人がいなくなるとまるで別人みたいに豹変するやつもいます。でもあんな複雑怪奇でおもしろ動物は他にいませんよ。そして最近よく思うんですが、彼らは何を目的に気にして生きてるかよくわからないんです。まったくの不思議生物です」
「あん?生きる目的など簡単な問いだ。今日どうやって気分よく生きるか、それだけじゃないか。それは人間も同じだろう?」
「いや彼らにとってそう単純ではないのです。その日一日を生きる以上に、なにか目に見えない物事や、他の人間の目を気にしたりして生きているんです。あと”立場”とか言うものが変わると、同じ人間がまるで別人になったりするんです。僕もその”立場”と言う意味がよくわかってないんですが」
「ああそうか、お前は人間の話すことが理解できるからなぁ。もうすでにお前は、お前の父親と同じ世界に踏み込んでしまっているようだ。しつこいようだが、本当に人間には気をつけるのだ。踏み込み過ぎた結果、気づけばもうお前自身が父と同じ轍を踏んでいて、後戻り出来ないことになりかねんぞ。お前は人間ではなく猫なのだ。ゆめゆめ忘れるなよ」
「ホントそういう飄々としたところよ。親父もそんな感じのヤツだったな。まぁそれもいい、親子だからな。それはで元気でな猫丸・・・」
と言って助蔵爺猫はするりと踵を返し、何処かへ行ってしまった。
すっかり忘れていたが、そう言えば父さんと母さんもう死んでしまったのかもな。いやまぁ猫の路上生活もいいことだけじゃないし、年取って家猫になっている可能性もある。どっちにしてもまぁ人間は不思議な生き物だ。
と行った感じで回想を終えて、また日課の散歩コースを歩いて行く。網の目を縫うように作られたこの住宅街の道を少し行くと村山台駅へ延びる割と大きな道路に出る。そこに出て街路樹が植えられた未舗装の道を歩いていると向こうから何かを探して歩いている感じの少女ふたり組がこちらに向かってくるのが見えた。
彼女たちは雛城高校の制服を着ていて、一人がスマホを手に持って度々それを見ながら、もう一人に何かを訴えているみたいだ。あのスマホっていう携帯機器は一体どうなっているのか?いろんな機能があるみたいだけど、最近あれをいじっていない人間はいないようだ。あれが無いと困るらしいが、あれが何故人間たちが夢中になっているのか僕はこの頃ずっと気になっている。
しばらくそこでぼやっとしながら待っていると、彼女たちは近づいてきて、一人が持っていたスマホをみて話している言葉が耳に届いてきた。
「先輩先輩!これこれ!こんな感じのメッセージが入るらしいんです!文字は英語で、何かのホラー映画のロゴに似てるらしくて、見た目のテーストは昭和のレトロゲーみたいなドット絵のオープニング画面が表示されて、なんか怪しげなゲームに誘われるんだって」
「だいたいどんな感じかわかったけど、なんでそれを私に話すの?」
「だってヨウコ先輩がこういうの詳しいって聞いたんで!レイカ先輩から聞いたんですが、なんでもヨウコ先輩のお父さんがそっち系の専門家でオカルトにすごーい詳しいって!」
「やっぱそうなんですね!で御父上はオカルトの専門家なんですか?」
「いやわたしの父親の話はいいからさ、それでそのスマホ乗っ取られて画面が出てきたあとどうなるわけ?」
「そのゲームに参加するか、イエスかノーかの選択を迫らせるらしいです。断っても別にイイらしいんですけど、イエスにしちゃうと、ガチでエグいゲームに参加させられるとか」
「そう言えばそんな感じの画面を前に見た気がするなぁ。なんだっけか…?」
「でもさ、誰かが似たようなB級映画を見て、感化された奴が自分でプログラム組んで作ったコンピューターウィルスで愉快犯的なイタズラでやってる話じゃないの?」
「いやそうじゃないんですって!ただのイタズラだったら都市伝説にならないじゃないですか?そのゲームっていうのは、マジでどっかの廃墟のビルに密かに作られているらしく、そのなかには即死級のトラップや殺人鬼がわんさか隠れ住む閉鎖空間になっていて、出るための鍵を探しながらのリアル脱出ゲームらしいんです!」
「マジでそれなんかの創作話でありそうだ。で、そのメッセージってのは実際に確認されてるわけ?スクショとか、GPSとかで場所とかもわかってるとか」
「いやスクショはスマホ乗っ取られるらしいんで取れないらしいんです。さっき話をしたのは、誰かが作ったCGのイメージ画像でオカルトサイトに乗っけられてる情報です。起きてる場所についてなんですけど、それがどうやら、この村山台付近で起きてるらしいんですよ!」
「限定かどうかはわからないんですけど、オカルト専門サイトaramata.comの情報によると、村山台駅近く某所にて複数確認済み、らしいです。なのでこの街ブラしているうちに、突然自分のスマホが乗っ取られて、恐ろしいヤバゲーに突然誘われる可能性が十分にあるわけです!」
「それで君はスマホを片手にこの数日この辺りを歩きまわっていると言うわけかね?・・・」
「そのです!決して暇つぶしというわけじゃないですよ。摩訶不思議な出来事への遭遇を夢見るうら若き少女の飽くなき探究心というやつです!」
「なるほど・・・って誰も言うわけないでしょそんな話」
「いやいやいや!それをキャッチするレアなアンテナを持っている人間ならば理解出来ますよね?だから私は先輩に話しているんです」
「なるほどね。そんじゃそのイメージ画像ていうのはどんな感じなの?見してみ」
「どれどれ・・・・。あっ!これってさぁ・・・・この画面なら前に見たことあるわ」
「ある廃墟ビルディングでだけど、ああそうか‥‥。たぶんレイカはこの件にこれ以上関わりたくなかったんだな」
「君も興味本位であんまりこの件に首突っ込まないほうがいいよ。でも確かにこの画面は見たことあるんだよね・・・」
「なんかやっぱり知ってるんですね!私の見る目は確かだった!」
「いやそんな大したもんじゃないけど、その廃墟ビルはヤバいんだって。にしてもあそこのオーナーがこんなスマホのイタズラに関わってると思えないんだけどなぁ・・・・どうなんだろ」
「オーナーって誰のことです?先輩は底知れない何かすごい秘密を知っているんですか!?」
「まぁまぁ落ち着いてよ。その廃墟ビルはマジで天然記念物級の異常な場所だから、何が起こってもおかしくないわけ。見た目はただの廃墟だけどね。それでもマジで確かめたいわけ?」」
「先輩も行ってくれるんですよね?もちろん私も行きますよ!!」
「よりによってまたあの廃ビルかぁ……。でもこれはなんかの不思議なチカラの導きっていやいやそんなはずねぇな。ちなみに言っておくけど、私とレイカはその廃墟ビルの中で死にかけてるからね」
「まぁ言ったって信じないと思うし、うまく説明できる自信もないけどね」
「でもなんか、それで納得しました。私がレイカ先輩にこの話を振ったとき鬼引いてましたから。なんかそれ以上は知らぬがホトケレベルぽいので、その件の追求はやめときます。私はその謎の脱出ゲームの真相を探りたいだけなので」
「レイカのことはさ、しばらくそっとしといてあげて。でもまぁとりあえず、今言ってたその廃ビルを見に行ってみようか?」
「はい!先輩と一緒なら鬼に金棒、反転術式全集中で悪霊退散ですよ!!」
「まぁその元気も、君がよくわかってないからだろうけど、マジでその場所は特級呪霊レベルのヤバさだから、やっぱ止めるっても手だよ。そのゲームへの誘いを拒否出来るみたいだし」
という感じで少女たちは一部のマニアから有名になりつつある、あの廃墟ビルへと向かうのだった。
それを見ながら僕は若い人間を見て改めて思う。彼らの言うオカルトとか都市伝説って何なのだろう?と。
助蔵爺猫の忠告にも関わらず、僕の好奇心はやっぱり彼女たち人間の後を追ってしまうのだった。
To be continued.