この牙が、私のペン先

文字数 1,180文字

 この世の中に何の不満も無ければ、私は小説など書いていないだろう。
 そう、この世の中は現実が不条理で、ろくな事が無いのだ、いつだって。
 天災人災政治腐敗、本当にろくな事が無いのがこの世の中であるし、それを受け入れてばかりもいられないのが人間という物……例えば病気に抗う事をしなければ、医療なんて発展しなかっただろう。だが、抗えば抗うほど物事はどうにも矛盾する。医療が発達すればするほど倫理観が揺らぎ、災害を防ごうとダムを作れば自然破壊と非難される。人間とは、常にそうした相反する物を抱え続けなければならないらしい。そしてこうした鬩ぎ合いの中に、私は創作の原点を見出しているのかもしれない。

 私にとって、西暦二〇二一年は随分と酷い幕開けだった。
 繁忙期の官公庁でアルバイトをするのが一月からに前倒しされたはいいが、まさかその一月が恐ろしく忙しいだなんて思ってもみなかったし、年明け早々に、とんでもない訃報を知る事になるなんて思っていなかった。
 日本では一月四日付の記事で知らされた、アレキシ・ライホの訃報……年明け早々の大寒波にうんざりしてまともにネットサーフィンなんてしていなかった事も有り、少し遅れて知る事になった。もう彼の曲がこれ以上世に出る事が無いという事実は、随分と寂しい物だった。健康上の問題が有るのではないかという事は数年前から話が出ていたし、原因が病気となれば誰かが悪いわけでは無い。ただ、私という人間の牙、何かを作り出そうという信念の象徴になった曲を作った人間がこの世を去ったという事は、残念でならない。

 私にとってヘヴィメタルとは、人生を励ましてくれる物ではない。世によくある、とあるアーティストのとある楽曲によって救われた、という経験が私には無い。多分、ひねくれているからだし、それを否定はしない。私にとってヘヴィメタルとは、何かを作る原動力である静かな不満と、自分を殺して他人に尽くす事を選ばなかった決意に寄り添い続けた音楽であり、感情の全てを飲み込んでくれる音楽であり、私という人間の牙を、創作の原動力となった感情を象徴する存在なのだ。
 絶対に自ら折る事などしないこの牙……考えなくていい事を考え、疑わなくていい事を疑い、自分自身の深淵に溺れながら何かを作り出す事こそが私であると腹を括ったその感情は、理想ばかりでない、希望ばかりでない感情の一切を飲み込んだヘヴィメタルの世界と実に相性がいいのである。

 ……私はこの世の中への不満という牙をペン先にして、ディストピアと化した世界を想像する。現実に起こっている狂気的な事象を眺めながら、この世を安定させようとするあまり、不自由になった世界に思いを馳せながら、決して均一になりはしない世界を描きたいと試行する。バカ高い借金までして学んだ事なんて殆ど無意味な舞台で、ヘヴィメタルを聴きながら。
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