大切な事は、自分で学んだ

文字数 3,217文字

 大学まで行ったけど、私はこれが人生の師匠だと思える様な先生には出会わなかった。
 ただ、大事な事は自分で調べて学ぶべきだという事だけは理解できた。

 確かに学業とは自分で学ばなければならないし、そうしなければ身に付かない物であるが、これがまさか卒業論文でそうなってしまったというのは洒落にならない。それどころか、一番役に立ったのはWindows 8がリリースされた頃に現役で稼働させていたVista搭載のVAIO、勿論ソニーが製造していた頃のノートパソコンという有様だった。
 三年生になってゼミのクラスが決まれば、そこから卒論の準備を始める事になる。質問紙調査に比べて実験は人脈が無ければ人を集める事が難しいし、担当教員からの助力がどれほど有るかは未知数の博打であったが、問題はそんな事では無かった。有ろう事か、大学四年間の集大成となるこの卒論執筆の過程で、私は担当教員に覆しがたい不信感を抱き、激怒したのだ。
 事の発端は、まだ三年生の内に始めた質問紙を使った予備調査だった。担任だった教員は、こちらの用意した選択肢を何の断りも無く消去したのだ。一言理由を伝えてくれていたなら一応は承服しただろうが、手直ししたとの伝言の一つもなかった。おまけに印刷物の状態も劣悪で、表紙の枚数には不足が出ていた。こちらとしては誠心誠意を尽くして作った調査用紙を、その前に印刷した物の残影がくっきり残る様な印刷機で印刷された事は許せなかったし、枚数の不備にも腹が立った。
 しかも私は担当教員を信頼してデータを渡していたというのに、その結果が無断での手直しと劣悪な印刷である。この時私は決心した、いくら身銭を切る事になろうが、必要資料は全て自分で準備しよう、と。家庭用印刷機のインクは決して安くはないし、印刷物は存外重量物になる。だが私は、金輪際データを渡す事はしないし、印刷を頼む事もしないとこの時誓ったのだ。

 しかしながら、そんな事は私個人の問題に過ぎなかった。本当の問題は、四年生の前半という、卒業論文に一番重要な時期において、ゼミの開講がしばしばキャンセルされていた事だ。担当教員が責任ある立場となってしまった為、初年度から急な仕事による休講は有った。ゼミの為に学校に行き、会場の実験室に行こうとした矢先に休講を告げられた日には、顔面スライディングで数メートル滑りたいほどの虚脱感に襲われたものだ。
 とはいえ、問題はそれだけに留まらない。四年生の単元として設定されていた、本来行われなければならない卒論に特化した指導を受けた事が、私には無かったのだ。本来であれば二時限分、百八十分の時間を取ってゼミを受け持つ教員は学生の卒論に関する指導を行う事になっていたが、そんな指導を受けた事実が私には無いのだ。
 その上に平素のゼミも時に休講という有様では、卒論自体の質を確保する事が困難なだけでなく、学生のモチベーションも限界が有った。本来であればゼミの場で学生同士が計画を発表し、質問紙の体裁や実験内容を検討するのだが、そうした意思疎通の一切が行われておらず、誰が何をしようとしているのかがはっきりと分からないという状況となり、互いの研究に手を貸す動機付けも無かった。
 その結果、高い身銭を切りながら準備をした実験は予備実験が行えなかった。平たく言うと、プログラマーがデバッグされていないプログラムを提供しないのと同じで、実際に行っていない実験を研究に使う事は出来ない。そのような状況に陥った七月、夏休みを目前に私は実験計画という、理論上は完成したプログラミングを白紙撤回する事を決断せざるを得なかった。勿論、こちら側に十分な人脈が無かった事も一因だが、そもそもゼミの開講が無ければ学校に来る理由すらないし、手伝おうという意識など芽生えるはずも無かった。
 そして精神的なとどめ突然にやってくる。ロクな指導が行われない中、自習室で耳にした女学生の会話に私は嫉妬した。彼女達は引用文献の記載方法に関する厳しい指導に疲弊していたらしかったが、私はそんな指導を受けた覚えが無く、羨ましいとさえ思った。それだけではない、提出が近づいてきた秋には、自習室で執筆に励む学生に声を掛けに来た教師の姿も目撃している。こんな風に気に掛けてもらえるなんて羨ましいと思った物だった。他方、私はその自習室において、実験の為に身銭を切って仕分けをして、せっせと学校まで運んできた平均七ミリのプラスチックビーズの全てを一つの袋にぶち込むという虚無を体験している。予定の実験を断念した瞬間の虚無感は、まさしく色とりどりのビーズが混沌に吸い込まれていくそれと同じであった。

 とはいえ、指導が無くても卒論執筆の為の素地は既に持っていなければならないはずだったし、少なくとも私はそうした物を復習しながら執筆をした。一年生の時点から統計に関しの講義があり、二年生の間には実験の演習という形で実験の作り方や論文執筆の記法は学んでいたのだから、それ以上の事をやろうとしなければ卒業論文の為の研究は出来たのだ。ただ、実際の論文を引用する場合は孫引きの禁止など細かな規則が有り、研究が盛んな分野ほど先行する論文を基にした論文という物が増える為、悪気の無い孫引きが起こり得る。
 今思えば一切の指導を受けていない状況で良く審査に通った物だと思うが、幸いにして私の研究分野は根拠不足に喘ぐ様な状況で、その点の心配をせずに済んだのは不幸中の幸いである。同時に、高校生の頃は文芸部に居て、小論文と面接試験で入学した人間故、口語と豊後の区別が付かないだの、接続詞の接続先が迷子になるだのと言った根本的な文章構成技術の欠落は有り得なかった。
 ……基礎的な学習の不十分さや、文章記述能力の欠如が原因となっていた事が、アカデミック・ハラスメントを疑うほどの指導不足の原因である事を後に知った。提出も間近になった、秋の終わりに。

 実験計画の白紙撤回を決めて迎えた夏休みの時点では、教員側の事情など一切分からない状態で募りゆく不信感と迫りくる締め切りへの焦燥感だけが有った。実験の再構成と再準備という最悪の宿題を抱えていたのだから。
 もはや発想力だけが勝負となった再計画、手の込んだ実験をする事は困難と判断し、出来るだけ根拠付けがしやすく実施しやすい物を準備する必要に迫られた結果、イラストを使った質問紙風の実験をする事を決めた。実のところ、才能の無さは理解していたし、進学でそうした専門学校を選んだ日にはただでは済まない事を理解していた分にそうしなかったが、クリエイティブな世界には興味が有った。とはいえ専門では無いし、極限状態に置かれた効率の悪さと製作時間にも環境にも制約が有る状況では随分と苦労した。
 だが、実験をしようと決めた段階から私はありとあらゆる準備物を作っていた。既存のプログラムを使う実験や、打ち込むだけの質問紙を使う調査とはまるで違う世界を私は最初から見ていたのだ。音楽を使う以上は最低限の音源編集をしなくてはならず、フリーのサウンド編集ソフトを使ってディスクを用意したし、ブザー音の調達が出来ないなら電子ピアノをノートパソコンにつなげばいいと録音作業もした。最初に予定していた実験の為には、使用するビーズの色や形の配置を考慮しつつ、単なる単純作業実験にならない様に簡単な服飾デザインもしていたくらいである。
 ところが、イラスト制作となると話が別だった。ソフトクリームが、何度描いても、排泄される固形物に見えるのだ。事実、大学最後の夏休み一番の思い出は、VistaのMSペイントで何度も描いたソフトクリームが、どうしても排泄される固形物に見えた、という物なのだ。
 しかし、何の精査も無しに学生の独断で作られた実験計画と、辛うじて掻き集められただけのデータで提出される卒業論文とは、いまだに恐ろしい物である。
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