象徴、それが、ヘヴィメタル

文字数 2,834文字

 元々福祉系の大学に行くというのは、学科は第一希望でも、学校自体に対する期待感はあまりなかったのかもしれない。
 そして高校を卒業する時、その時点で一番聞いていたGAMMA RAYが聴けなくなったら終わりだなって思った事は覚えている。

 私がメタラーになったのは、中学生になる頃X-JAPANと出会った事がきっかけだった。それから暫くは日本のバンドだったりポップスだったりを幾らか聴いていて、最終的に洋楽ヘヴィメタルの沼に落ちた。聴き始めた頃からX-JAPANよりはXの頃が、アルバムなら『VANISHING VISION』が好きだったし、純粋にロックが好きな方向に行くのは特別な事では無かった。
 その洋楽ヘヴィメタルの沼に落ちたのは高校三年生の頃、自己推薦型の入試で早々に進学先を確定させた後の事だった。入り口はドイツのHELLOWEEN、確か『Unarmed』が発売される頃で、ラジオで聴いたのをきっかけに、当時はまだ生きていたMySpaceにアクセスした様に思う。有名どころで日本盤も出ている分、地元の、今は閉店してしまったレンタルショップにも何枚かアルバムが置かれていた。
 そして同じ時期に聴いたのがGAMMA RAY。世間一般では喧しい音楽の様に思われているヘヴィメタルだが、彼等のファーストアルバムはヘヴィメタルっぽい極端な激しさは感じない。元々ドイツのパワーメタルはアニソン的な分りやすいかっこよさを感じるバンドが多く、最初に聞くにはちょうどいい部類のバンドだった。何より、そのアルバム『Heading For Tomorrow』はHELLOWEENを飛び出したカイ・ハンセンが最初に作ったアルバム、新しい船出の希望に満ちた雰囲気があった。禍々しいSLAYERのアルバムや、ストイックにシリアスな『Painkiller』とは違う、ある意味ではヘヴィメタルらしからぬ明るさとも言えるだろうか。
 とはいえ、そんなアルバムとてヘヴィメタル……ヘヴィメタルは世の中の素晴らしさや美しさよりも、反骨精神が良く似合う激情の音楽である。もし、そうしたヘヴィメタルの、ロック的な反骨精神を拒絶する様になったなら、そうした感情を原動力に筆を執っていた私という存在は終わりだろうなと思ったのだ。
 
 それからどうなったかと言えば、その心配はと正反対の方向に突っ込んでいった。反骨精神とは対極にある、言ってしまえばユートピア理想を実現する為の人材を育てる学校に行った私が辿り着いたのは、反骨精神を通り越して絶望と憂鬱を詰め込んだデプレッシブ・ブラックメタルの世界だった。

 この世の中に本物のバリアフリーなんて存在しない事を早々に目撃し、愛着の無い学校に通う中で私が求めたのは、その鬱屈した感情を溶かしてくれる音楽、つまるところエクストリームメタルだった。デスメタルやスラッシュメタルに始まった、喧しいメタルの御手本の様なジャンル……デスボイスとも呼ばれるグロウルは嫌いだったはずなのに、私が行き着いたのはChildren Of Bodom……有名どころで、どちらかと言えばスラッシュメタルの吐き捨てるスタイルに近いヴォーカルと、メロディラインのはっきりしたギターとキーボードは、デスメタル系ジャンルに初めて手を出して聴くのには向いていただろう。そして彼等の代表曲『Hate Crew Deathroll』は、私にとって特別な曲になった。
 最初に聴いたCOBの曲は『Downfall』だっただろうか。凍て付いた真夜中に降る雪の様にきらきらとしたキーボードが印象的だが、獣が咆哮する様な歌声と押し寄せてくるビートは十分に攻撃的で、そこはかとなく漂う陰鬱な空気感は、日の暮れた街の中、鬱屈した感情を抱えながら座席に詰め込まれている私の感情に寄り添う物だった。
 その後、私が陰鬱さを煮詰めたデプレッシブ・ブラックメタルという半ば実験的なアンダーグラウンドを知る事が出来たのは、COBに、アレキシ・ライホに出会ったからだった。私はCOBがきっかけでエクストリーム系の沼に沈み込んだのだ。そして彼等に出会う事が無ければ、今のお気に入りであるAlcestを知る事もおそらくは無かっただろう。私はAlcestをブラックメタルの文脈から知ったのだから。

 ……自分を殺して他人に尽くす事、その為の勉強をしていながら、私はそれを望まなかった。しかしながら勉強する以上はその事を突き付けられるし、元はと言えばカウンセリングの勉強をして、仕事をする為に進学した様なものだった。それにもかかわらず、学費以前の問題で資格の取得を目指さなくなり、それでも卒業しなければならない、何故なら退学の承認を得る事すら出来ないという、今思えば極限の状況に置かれていた。
 それでも私は責任を持てない事はやりたくないと、ある意味では己の限界を理解していたし、自分を殺して自分のやりたい事を、私を構成している創作という行動を諦める様な事はしたくなかった。勿論、それは何の救いにもならないどころか、状況を余計に悪くしているに過ぎなかったが、それでも私は自由に何かを描く事を望んだ。その状況下、私の傍に有って、今なお私の特別な一曲となっているのが『Hate Crew Deathroll』である。
 この曲はバンドのアンセム様な物で、最後まで代表曲だった。私にとっては喚き散らかしたい感情を代弁してくれた様な物だった。戦う事を諦めはしない“Hate Crew”は、全てを受け入れて諦める様に、自らの選んだ道だから仕方が無いと欺瞞する道を選ばなかった私と重なっていた。歌詞はなかなかに酷い言葉遣いで、日本語の対訳も完全に信用ならない様な、生々しい感情を吐き捨てるだけの言葉だったが、その生々しい粗っぽさがそのまま私の感情に重なっていた。
 それこそ、クリアファイルの目隠しにこの曲の歌詞を印刷した物を入れていたくらいだ。英語圏なら、叱られていたかもしれない。

 ……学業の行き詰まりに体調を悪くするほどのストレスを受けながら、監獄実験の様な学校という場において劣等生である事を突き付けられるという自己嫌悪を被りながら、そんな物を理解される事は無く、あの時腹を詰めておくべきだったと思う様な事も有った。今でもあの時腹を詰めておくべきだったと心底思うし、大学に行こうなんて言考えた当時の私を殺してでも止めたいくらいである。
 それでも私は、私が選んだ“皆誰かの為でもなく、誰かが皆の為でもない”と言う選択を……Arch Anemyの『Nemesis』とは対極にある“Hate Crew”のアンセムを愛した感情に従って選んだ、何かを作り続けるという選択だけは今も変わらず持ち続けている。そしてその我儘の為に、あの時腹を詰めておけばよかったと後悔し続けながら筆を執っている事を受け入れているのだ。
 私はただ作りたいのだ、無駄な制約の無い私の思考回路で。
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