空気がそんな感じ、それだけでも

文字数 2,304文字

 私は優等生でもなんでもないから、特別に褒められる様な事は無かったし、熱心にボランティア活動をして表彰される様な事にも縁のない学生だった。それどころか心身金銭全てにおいて余裕が無くて、自分で行き先を開拓してボランティア活動をしてレポートを出せと言われていた講義の方針が一転し、学校で行われる特別な講演会を聴講したレポートでもいいと言われた時には、流石に休日を返上した人間だ。ほんの二時間、聴講料無料の話を聞くだけ、移動は定期券、帰りには寄り道して本屋に行くくらいの楽しみも有った。そうしない理由など無かった。
 ……そもそもボランティア活動は学業の為に無理やり行う物ではないし、殊更にゴミ拾いとか言わなくていいから、廊下に落ちてるペットボトルの一本でも黙って拾えばいいと思ってる人間というのも有るのだが。だからだろう、なんとなく、大学は居心地が悪かった。
 しかし、そんな事とはまた別問題で、私にとって大学という空間の居心地は、決していい物では無かった。確かに大学はそもそもリベラリズムの風潮が濃い学校も少なくないだろうし、ちょっとだけ保守っぽい感じの思想に感化されている学生にとっては、少々居心地が悪いかもしれない。だが、そういうのともまた違う、無言の同調圧力みたいな物を私は広い講義室で感じていた。

 私は思っていたし、今でも思っている。
 いくら高等動物とは言え人間だって所詮は動物で、繁殖相手にはより優秀で健康な人間を探そうとするものだろう、と。もし霊長類に新生児を異質な物として恐怖する性質が有るのなら、人間にもそれが当てはまるのではないのだろうか、と。そして、障碍や人種による差別は、動物が同種同類のより優秀な雌雄によって繁殖し繁栄する物であるなら、人間の場合もそれを完全な抑制は出来ない、だが、高等動物の人間には慈愛の情があるから、そうした本能を倫理によって補い多様な共生を可能にしているのだ、と。
 無論、そうした事を考えているからと言って私が優勢思想主義者かと言われたら、そうではない。ただ一つ、勝手に仮説を作っているに過ぎないし、裏を返せば人間が高等動物である事の証明にならないだろうか。だが、あの講義室の中では、こうした事を考える事自体が不謹慎で場違いで落伍者の様に思われていた。
 日本には思想信条言論に自由が有るにもかかわらず、犯罪でもなんでも無い一つの仮説に至っただけにもかかわらず、あの講義室の空間では、それを考えるだけで、あぁ、私は劣等生だと思わざるを得ない空気が有った。勿論、そういう事は考えず、先生の言う事だけを理解して考えていればよかったのだろうが、その講義室で先生は、常識を疑う事が研究の第一歩とも教えてくれた。教えられる事だけ真に受けていたのでは研究にはならないし、大学とはそもそも研究機関でもある。
 ……教えられる事をどうにかこうにか拡大解釈しつつも、其処に至るまでもが理想的な研究命題を見出す事、それがおそらくは優等生なのだろう。それが正解かどうかと考えれば、その限りでは無いかもしれないが。

 今思えば、全ては講義をしていた先生の影響だったのかもしれない。
 その先生は当時の学科で一番偉い立場に有って、研究によって社会に貢献している様な先生だったが、考え方が同じかと言えばそうではなかった。ある時、その先生は夫婦になるという事について、お互いが我慢して折り合いを付けて上手くやっていくものだ、という話をしていた。人間のライフステージに絡めた分野での講義だったのだろうか、とにかくそういう話をしていた。
 だが、私の亡き父方の祖父母は、大正から昭和の頃の生まれにもかかわらず恋愛結婚をした夫婦だった。周囲に決められた結婚相手と、無理矢理夫婦になったわけではないし、まさしく死ぬまで添い遂げるのが本望の様な夫婦だった。それ以前の先祖には、嫁姑の仲が悪過ぎて長男が家を相続しなかった先祖が、父方にも母方にも居る。当時としては珍しい話だっただろうが、今言えば良い旦那さんである。
 ……結局、生まれ育った土壌が違えば、物の考え方捉え方はまるで違う物になる。それは心理学的にも、環境要因として考えられる事だ。しかしながら、教師と生徒という関係においてはその前提が省かれ、教師に認められる事を言わない生徒は劣等生なのだ。
 だから、アルバイトをしながら学業に励む学生が褒められれば、私の様にアルバイトをせずに通学していた実家暮らしの学生は劣等生なのだと思う様になるし、社会経験が無ければ辿り着かない結論に辿り着けないのが当然だとしても、自分が劣等生だからそうなのだと思ってしまうのだ。其処に発生する自己嫌悪の感情は、経験した者にしか分からないだろう。本人の努力ではどうにも出来ない事であっても、教師が良いという事をしていない事は劣っているのだとなってしまう経験は。
 とはいえ、今の大学は多くが高校からストレートで進学する若者だし、皆が皆実家を出て下宿をしながらアルバイトをして学費を工面する苦学生というわけでは無い。社会人でさえ実家から通勤している事も有る。しかし、教師という学校内における絶対的目上の存在がそれを良い風に言わなければ、それは悪い事の様に思われてしまう。結局のところ、学校とは監獄実験室なのだ。

 ……私は今、好きな事を書ける立場に有って、それがとても幸せだ。
 理想論と奇麗事に終始しないディストピアを散々に描き尽くしても、それを負い目に感じる必要は無いし、考えるべきでない事を考え、疑うべきでない事を疑い、それを命題として筆を執ったとしても、劣等生の烙印は捺されないのだから。
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