Ⅰ.

文字数 1,985文字

たしかにアレはわたしの「代わり」としてやってきたはずなの。ええ、ハダリーのことよ。私の名前を名乗ってあの家の娘になっていた子。

子どもってね、小さい頃は割と無条件に可愛がられるでしょう? わたしもそうだったと思う。うちはお金のある家で、パパは稼いでいて、ママはいつも綺麗で……。子どもはいくつも習い事。ピアノ、バレエ、英会話……。
ね。わかるでしょう? いかにも、って感じの家でしょう? 笑っちゃうよね。アハハ……。
そう、そうなの、「そういう家」なの。音楽の習い事はピアノにするかヴァイオリンにするかでパパとママはとても悩んだらしいわ。結局ピアノになったけれど、決まるまで、ママは悩み過ぎて寝込んだこともあったっていうわ。バレエのほうはね、習うだけじゃなくて、観に連れて行ってもらったこともあったわ。クリスマスのニューヨークで“The Nutcracker”。そうそう、くるみ割り人形のことよ。私はあのバレエの「中国のお茶の踊り」「ロシアの踊り」が好き。ダンサーが床体操の選手のようにステージの上を跳ね回るのよ。
英会話はね、イギリス出身の先生による個人レッスンだった。先生の名前はモイラ先生といったのよ。優しくて面白い先生。いつもサイケデリックな柄のチュニックを着て、赤いくせ毛は大爆発。子どもだったら絶対好きになっちゃうキャラクターだと思うわ。しかも日本語がペラペラだったから、安心して授業を受けられたわ。色々と話も聞いてもらった……。
そういう意味では、お金をかけてもらったという意味では、わたしは特別可愛がられていた子どもだったわけね。ピアノも、バレエも、英会話も投資した割には上達しなかったのだけれど、大目に見られていたわ。
でも多分それはまだ小さかったからで、ずっと続いたわけじゃなかった。子どもっていつか大きくなるものでしょう?
そうなると、ね?

最初にママがわたしにがっかりしたのは、中学受験塾の入塾試験の結果が出た時だったと思う。そう、あの塾ね。やっぱりあなたも知っているよね。
あの時の試験、受かりはしたのだけれど、良い受かり方じゃなかったのよ。パパやママは上位のクラスに入れる成績を期待したけれど、実際は中の下くらいだったから。
わたしは受かっただけで嬉しかったのだけれど、それだけじゃ駄目だったのね。その時からだと思う。「パパとママが急に厳しくなった」と感じたのは。これからは受験だ。勉強だってことで、習い事のうち、ピアノとバレエはやめた。やめた、っていうより、ある日突然「もう今日から行かないわよ」と言われたのね。わたしはびっくりしたけれど「そんなもんか」って受け入れちゃった。それで何となく気付いたの。本当はもっと前からがっかりされていたのかもしれない、って。いつまでたっても、ピアノもバレエも上手くならないことに。態度に出さないでいてくれただけで。本当は早く辞めさせたかったんじゃないかなぁって。だって、全然上達しなかったし。英会話を辞めさせられなかったのは「勉強の一つ」だったからだと思う。小学校を出るまでに、高校英語は身に着けろって言われていたのでね。

わたしは実は辛かったのよ。何がって、パパとママをがっかりさせたことがね。だから頑張ったと思う。例の塾と、その塾での順位を上げるための個別指導と、モイラ先生の英会話。モイラ先生のところはとても楽しかったわ。小さい頃からずっと教わっていて、良くしてもらっていたから。でも塾と個別指導はとにかく大変。知ってるでしょう? あの塾では頻繁にクラス替えがあること。定期的にテストがあって、成績が良ければ上のクラスへ行ける……。まずは、少しでも早く上のクラスに行くように言われた。下のクラスは授業の質が悪いからって。でもそれだけじゃなくて恥ずかしかったみたいなのね、わたしが中の下のクラスに私がいることが。特にママにとっては。何でも、ママの昔の友達から、彼女のお子さんが同じ塾の別の教室の「上位クラス」にいるって話を聞かされたらしくてね。それに負けたくなかったみたい。ママとその友達との関係は知らないわ。でもあんまり仲は良くなかったのかな? って思う。だってねぇ……。本当に仲が良い友達だったならそんなことは……って思わない?

それはともかく、わたしは頑張って、上の下くらいまで行ったわ。パパとママから見たら不満だったろうけれど頑張ったわ。中の下から上の下まで行くのは大変なのよ。ちなみに受験本番はもっと頑張ったわ。それでどういうわけか難関の端っこくらいに引っ掛かったのよ。運が良かったのね。少なくともその時はそう思ったわ。幸運だったって。でもどうなのかしら。受かってなければもしかしたら、と思うわ。パパとママはまた私にがっかりしたと思うけれど、アレ、つまりハダリーと関わることはなかったんじゃないかと想像してしまう。
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