Ⅳ. 

文字数 2,069文字

ハダリーを稼働させる準備が整ったので、わたしはお休みに入った。ひと月ほど入院して、退院後はおばあちゃんとおばさんが暮らす家で過ごさせてもらった。だって家にはハダリーが。わたしはハダリーと一緒に生活するのが何だか怖かった。「ハダリーがとてもうまくやっている」「それをパパとママはとても喜んでいる」という話は常にわたしに届いていたから、なおさらね。
ハダリーはしばらく地味に過ごして、周囲に馴染んできたころから、少しずつ「以前のように快活に」行動し始めたらしい。学校の成績も少しずつ上げていって、半年くらいかけて優秀な部類の子の一人になったらしい。
想像できる? わたしにできないことを、目の前でわたしにそっくりなモノがやっているってどんな気がするか? それをわざわざ実感しに行くのは嫌だった。それよりも都会から離れた静かな田舎にある別荘のような家で、きれいな空気を吸っているほうがよかった。
でもね。時々ハダリーの生活のために「生物としてのわたし」が必要になることがあって、そのときは学校やら何やらに顔を出したわ。なるべくパパやママ、ハダリーには会わないようにして、そしてハダリーの真似をして。
わたしと、ハダリーと、二重のわたしがいるのに、それが意外にもバレなかったので笑ってしまった。

そんなタイミングでのことだったわ。久しぶりにモイラ先生と会ったのは。
都会での用事を済ませておばあちゃんたちの家に戻る前に、わたしは駅ナカで二人へのお土産を探していた。
それを偶然モイラ先生が見掛けて、声を掛けてくれたのね。
わたしはどぎまぎしたわ。ハダリーが学校同様にモイラ先生のところにも通っていることだけは知っていたけれど、そこでどんなやり取りをしているのかまでは知らなかったから。
もうこうなったら適当に雑談をしてやり過ごすしか、と決めて笑顔を作った。でもモイラ先生は、わたしの顔を見た瞬間、なぜだかすごく驚いたような表情をした。そして私の目をじっと見て、慎重に、探るように話し始めた。
「私も今年のクリスマスはニューヨークに行こうと思っているのよ」
「わあ! すてき!」
「あなたが小さいころ観たって言っていた“The Nutcracker”を私も観たいと思ったの。あなたがあのバレエで好きだったのは、”花のワルツ“かしら? それとも”金平糖の踊り“?」
「ええと、“中国のお茶の踊り”と“ロシアの踊り”ですよ。ダンサーがぴょんぴょんと跳ねて楽しいの……」
そうわたしが答えると、モイラ先生は両手で自分の口を押えて、目からは大粒の涙を流し、ショックを受けたように嗚咽を始めた。
「そうよ、そうよね。あなたが“The Nutcracker”で好きなのはたしかそうだったわ。覚えているわ。あなたが私の前で踊りを真似してみせてくれたこと……。可愛かったわ……」
そしてこんなことを話してくれた。レッスンを受けるわたしが、ある時から急に無口になって、あまり自分のことを話してくれなくなって、でも英語自体は前よりまじめに取り組むようになって、違和を感じたと。
けれどわたしと両親との関係がとても良くなったことについては。本当に安心したとのこと。「ご両親があなたと仲良くしているのを見て、本当に良かったと思った」と。でも同時に、モイラ先生がわたしについて好ましく思っていた部分が急に見えなくなってしまって不思議に感じたということ。
“ある時”、というのはわたしの代わりにハダリーがレッスンを受け始めた時期なのだろうと、すぐわかった。家族との関係も……。わたしはパパやママとの関係についてしばしば先生に話していた。それで先生もずっとそのことを心配してくれていた……。

「あなたは、お行儀が悪くて、レッスンもあまり熱心ではなくて、本当に困った子だったけれど、何でも私に話してくれた。楽しい時には心から笑ってくれた。だからわたしはあなたに会うのがいつも楽しみだったわ。
ここしばらくのあなたは、すごくいい子になったわね。文句が付けられないほど優秀よ。でも何かがおかしい……。だって、ちょっと前にあなたと“The Nutcracker”の話をした時、あなたはこう言ったわ。『わたしは”花のワルツ“と“金平糖の踊り”が好きです。この二つはママも大好きなんですよ』って」
そうだ。わたしのママが好きなのは”花のワルツ“と“金平糖の踊り”。ハダリーはそれを学習しママもそれをよしとした。それで先生にもそう言ったに違いない。
とっくに理解していたけれど、目を逸らし続けていたことを目の前に突き付けられたとはっきりわかったわ。ハダリーにコピーされているのは「わたし」じゃない。「わたし」のような何か。「わたしそのもの」ではない、「パパとママの中にいるわたし」だ。それは現実のわたしとは違う、幻のあるいは理想のわたしだ。「ハダリー」というその名の通りの「理想」だ。だから、ハダリーはパパやママとうまく行っているのだ……。そして、ハダリーにそれができるのは、結局ハダリーに魂がなく、何者にでもなれるからだとも直感した。
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