Ⅲ.

文字数 1,686文字

生きているわたしをアンドロイドにコピーするのは、開発の本来の目的である「グリーフケア」、つまり故人をコピーすることとは異なる。でも生きているわたしをコピーすれば、随時コピー元とコピー先の比較ができる。それを是非やりたいと言われたわ。
また、「このアンドロイドはコピー対象を完全にコピーしないことも想定している」とのことだった。対象をベースにしつつ、欠点はオミットし、より優れた行動するようAIに学習させられるのね。これについては、「亡くなった人の人格の欠点をそのままコピーして遺族に対面させても、遺族の救いにはならないからですよ」と説明されたわ。
――確かにそうよね。たとえば、亡くなった人が暴力的だったら、そんな特性をコピーされたアンドロイドと今更向き合わされても……、って思う。「故人をコピーしたアンドロイドと向き合うことで、故人との関わりを『良いものだった』と、遺族が捉えなおし、悲しみを乗り越えるための手助けになることを目指しているから、こういう仕様にしているんですよ」と言っていたわ。
このアンドロイドが実用化されれば、沢山の人の心が救われる。だからこの実験への参加は社会貢献になるのだとも力説されたわ。
それはともかく、つまりね、これを利用して、ハダリーにもともとわたしにあったはずのすぐれた性質を与えて生活させることによって、療養明けのわたしをより良い形で社会に復帰させることができるのではないか? と提案された。

結論から言うと、パパとママはこの話に乗った。いいえ、乗ったというのは不正確かもしれない。パパとママが最初からそのつもりで研究室にコンタクトを取っていたのだと思うわ。ママはいわずもがな、パパは病んでいるわたしやママに付き合うのが辛くなっていただろうから。研究にお金も出していたと思うわ。それもかなりたくさん。
わたしは研究室を訪問して、実際にハダリーを見て、それで同意した。いいえ、同意してしまったというべきかもしれない。最初に話を聞いたときからずっと、断りたくても断れない感じがあったのよ。だってね。自分がもうどうしようもない状態で、この提案に乗らなければやっていけなくなっているのがわかっていたから。もし断ればもっと失望され、せっかく助けてやろうとしているのにそれを断わるなんて、救いようがなく愚かな子だと思われるのも分かっていたから。
わたしにハダリーを見せてくれた研究者の一人が、こんなことを言っていたのがずっと記憶に残っている。
「ハダリーっていうのは『未来のイヴ』っていう昔の小説に出てきた人造人間の名前なんですけれどね。その名前の意味は『理想』なんですよ。いまはこんな、機械そのものと言った見た目ですけれどね、ここからいくらでも思い通りの姿にできるんですよ。もちろん中身もね」

理想。
理想。
理想のわたし、ハダリー。

研究室に行った時は機械がむき出しの裸だったハダリーは、ひと月もせずに私とそっくりの見た目を被せられた。見た目だけでなく、動きや声も。それを見た時はびっくり……いいえ、わたし自身はびっくりというより、なんだか居心地が悪く感じたわ。だって、わたしはわたしであって、普通はそれを外から眺めることはできないのだもの。けれど今わたしはそれをしている……。外からみたわたしってこういうものだったのか、って。自分を写した写真やムービーを観るのとは全く違う経験よ、アレは。ちなみにパパとママは腰を抜かすほど驚いていたから、本当に「そっくり」だったんでしょうね。
肝心の「内側」については「学力と教養については、在籍している学校のレベルを考慮してインプット」、それから「行動は、いきなり以前のように快活になるのでは違和感があるため、現状からり変えすぎず、当面は目立たず、おとなしく」とのことだった。でも、「以前のような行動」っていうのがどこから出て来たのかはよくわからない。あの頃のわたしは本当にボロボロで、「以前の自分がどうだったか?」が全然分からなくなってしまっていたから。
と、なるとそれを研究室に伝えたのはパパとママってことになると思うのだけれど。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み