第2話

文字数 3,453文字

 溶解雨(ヨウカイ)が、降り始めた。
 辺境での発掘作業をするランタオらにとって、毎年夏の終わりになると訪れる溶解雨―――彼ら流に言えば

―――は、憎むべき現象であるとともに、どこか親しみを覚えるものでもあった。
 

のシーズンを越えると、次第に朝夕の気温が下がりはじめ、やがて辺境の荒野に厳しい冬がやってくる。
 サンフーにとっては父と一緒にすごせる長い夏休みの終わりを告げる、学校の先生からの使いのようなものでもあった。
 夏休みが終わると、サンフーは遠くの町にいる母や、ほかの兄弟たちのもとに帰らなければならなくなる。
 町にはオオカミもいないし、溶解雨も降らないから、安全な生活ができたけれど、退屈で死にそうになる。
 サンフーは、荒野の父の仕事を手伝いながら過ごす、夏休みが好きだった。
 そこは危険がいっぱいだけれど、大きな工事用機械を使ったり、ステップバイクに乗って走り回ったり、たき火をしたり、ライフルを撃ったりできるので好きだった。

 サンフーが新しいシャツとズボンを着たあと、キッチンでコーヒーを「買った」。
 これは、昔の飲み物の『自動販売機』というやつで、機械の中に缶入りの飲み物がつまっており、『コイン』を入れてボタンを押すと缶が出てくるのだ。
 かつては街角の至るところに突っ立って、客を待ち続けたらしい。
 一年前の発掘のときに、大きな倉庫の残骸を掘り当てて、そのとき見つけたものだった。
 何台かあった中の一台で、ランタオが修理するとうまいぐあいに動いたので、そのままキッチンに置いて使っているのだ。
 ランタオはそういう、昔の物を懐かしみ、面白がるたちだった。
 この基地者であるトレーラーも大昔のコンボイというのを改造したものだし、そのコンテナ内にしつらえたキッチンや居間にも古い時代の機械やなんかがあふれていたりする。
 その中にはこの自動販売機のように実際に動くものもあるし、動かないけれど置物として使っているようなものもある。
 そういう、懐古趣味が、彼をこういう、辺境の荒野へと赴かせ、昔の『遺跡発掘者』という仕事を選ばせたのだった。

 昔の自動販売機の前に大きなバケツが置いてあり、その中に『コイン』が山ほど入っている。
 金色のもの、銀色のもの、赤銅色とさまざまな色の、さまざまな大きさのコインが入っている。
 この小さな金属片は、昔の貨幣だった。
 もちろん、今ではほとんど見つからない金貨や銀貨以外は、何の価値もないただの小さな金属片にすぎない。
 発掘の時に山ほど見つかるのだが、普通は屑鉄屋に売ってしまうのをランタオが集めているのだった。
 サンフーは二枚の銀色のコインをつまみ上げ、スリットに差し込んだ。
 たくさんのボタンについているランプがつく。
 見本にはいろいろな色と意匠の缶が並んでいるのだったが、中に入っているのは一種類だったから、じつはどれを押しても同じ、こげ茶色のコーヒーの缶が転がり出てくるのだった。
 サンフーは、この缶というものが不思議だった。
 遺跡から大量に見つかるのだけれど、中のコーヒーは何十年経っても全然味が変わらないのだ。
 それは、肉や野菜、果物などが入った缶詰でも同じだった。
 今の人たちは、ほとんど古い時代に大量に作り置きされた缶詰を食べて生きている。
 生の野菜や肉なんかは溶解雨(ヨウカイ)による土壌汚染のためにドーム都市や屋内農場などの限られた場所でしか生産できないから、恐ろしく高くて貴重なのだ。
 父のランタオは、地面の中に埋まっている缶詰の数にも限界があると言う。
 サンフーもそのとおりだと思う。
 その限られた埋蔵物が尽きたとき、みんなはどうやって生きていくのだろうか。
 缶には古い時代の文字で何か刻んである。
 父に読んでもらったことがある。確か、『フォル・チルドレン・オフ・ファル・フーチュアル・ウォルド』。
 意味はわからないのだが、響きはステキだと思う。
 サンフーが缶コーヒーを両手に弄びながら、再びコンソール・ルームに帰ってきたとき、さらに強烈に、雨が天井を叩きつけはじめた。
 溶解雨(ヨウカイ)だ。
 「とうとう来たね」
 「ああ」
 「何時間ぐらい降り続くんだろう」
 「2、3時間で済めばいい方だろうな」
 ランタオは息子からコーヒーの缶を受け取った。
 「外におきっぱなしの道具は?」
 「なかったよ。ハンドドリルとリベッターは忘れそうになったけど、ちゃんと思い出して持ってかえって来たからね」
 「何か忘れているような気がするんだがな」
 「何かあったかな」
 「あ、フラッターハンマーだ!」
 「あ、ほんとだ! フラッターを穴の入り口に引っかけたままだ!」
 「まあいい。もう溶け始めたころだ。いまさらどうしょうもない」
 「あー、しくじったな」
 サンフーは自分のコーヒー缶で、悔しそうにポカポカと自分の頭を叩いた。
 ランタオはコーヒーをすすった。沈黙がしばらく続いた。
 「また買えばいいだけのことだ」
 ランタオは缶を置いて、かたわらに置いてあった、読みかけの分厚い本を手に取り、しばらく読み続けていた。
 大昔のコンピュータのマニュアル本だった。
 窓の外には溶解雨の降り注ぐ遺跡が見える。 入り口のフラッターハンマーは見えない。
 「今度の遺跡にはなにが埋まってるの?」
 「わからん。昔の倉庫であることは確かだが―――『うたの鏡』が出てきたらいいんだが」
 「そだね。『うたの鏡』があれば街でいろんなものが買えるね」
 「今の世界には、『うた』が不足しているからな。どんな『うた』でも高く売れる」
 ランタオは古い文字が読めるから、その鏡にどんな歌が入っているかがだいたいわかる。

 サンフーは一枚だけ、『うたの鏡』を持っていた。
 薄くて軽い円盤で、真ん中に穴が開いている。
 表は磨き上げられた鏡のようになっていて、裏面には細かな昔の字で何かが書いてあるのだ。
 去年の始めの頃、旅から帰った父親が、サンフーにプレゼントしてくれたもので、それは『うたの鏡』としては致命的な傷がた
 くさんついており、「うた」が再現できないので売り物にならないのだと、ランタオは言った。
 はじめてそれをもらったとき、サンフーは、この中に昔の人が「うた」を吹き込んだのだということを父から聞いて驚いた。
 家には「うた」を再現する装置がなかったから、どんな歌がはいっているかはわからない。
 そういう装置というのは、とても高いから、町の「うた屋」に行って、金を払って使わせてもらうのが普通だった。
 それを「うた」屋さんという。
 ランタオの最近の仕事は、大昔の遺跡の中から過去の遺物を掘り出して売ることだが、その中には「うたの鏡」も含まれていた。
 サンフーは、父や母につれられて、町の「うた」屋さんに行ったことがある。
 そこは、入るとすごく大きな音で、「うた」を聞かせてくれる。
 今はもう失われてしまった、いろんな楽器をつかった、いろんな「うた」。
 うるさいのから、心に染み渡るようなのから、上手いのから音痴なの、早いの遅いの、やさしいの、おっかないの。
 意味のまったくわからないのもあるし、今の言葉とおなじのもある。なんとなく意味が通じるものもある。
 文字どおり「人が唄っている」のもあるし、楽器だけの「うた」もある。
 こんなにたくさんの「うた」が、昔の世界にはあふれていたのだろうか。
 みんな、こんなに「歌いたいこと」があったのか。
 「うた」を忘れたこの世界に生まれたサンフーには、よくわからなかった。

 もう一つ、「うた」は音だけだけれど、昔の世界には、目で見ることができる、「えいが」というものがあった。
 「えいが」を再生する機械はあまり残っていないので、「えいが屋」ぐらいしか持っていない。
 サンフーは学校で「えいが」を見たことがあるが、それは、各地を巡回してまわる、「えいが」屋が映してくれたもので、子供むけの「まんが」だった。
 サンフーは絵本やぬりえのような絵の動物がドタバタしているだけの「まんが」より、実際の人間が演じる「えいが」のほうが上等な気がする。
 もうすこし大きくなったら「えいが」屋に行って、「まんが」でない、本物の「えいが」見てやろう、とサンフーはずっと思っていた。
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