第2話

文字数 1,355文字

 参列しながら香典を取り出し、後ろを向くと、何人か見覚えのある顔があった。随分前に店で話したことがあったのだろう。ブルーベールを思い出そうとすると、暗がりに間接照明の当たるカウンターが浮かび、棚にボトルが規律正しく並べられ、誰もいない空間で息を潜めている。まるさんも振り返り、ああ、どうも。と会釈をした。亜耶も体の向きを変えて、頭を下げたが、互いに曖昧な印象がはっきりとすることはなかった。そんな彼らを見つめながら、亜耶は自分たちを繋いでいたものが一体何であったのかわからなくなりそうだった。
 独身だったマスターの祭壇横には弟とその家族が座っている。焼香をし、手を合わせ、垂れた目尻を細め、歯を見せて笑うマスターを見つめた。小さなセレモニーホールを出て、再び阿佐ヶ谷駅に戻り、飲み屋が連なる通りに出た。油のにおいがそこら中に染みついた雑多な通りには、華金を満喫する人々で溢れている。立ち飲み屋で顔を赤くしながら大声ではしゃぐサラリーマン、千鳥足で歩く若者に、気持ち良さそうに歌う中年男性。そんな陽気な熱の一体感が、この街の点と点のように無関係な人々を線で結んでいる。

「今日、帰るのか?」
「特に決めてないよ。」
「なら、せっかくだから飲もう。阿佐ヶ谷に来るのは久しぶりだろ。」
「そうだね。そうしようかな。」
 
 そう言って、まるさんは焼き鳥屋へと入っていった。喪服姿で居酒屋に行くのもためらいを感じ、着替えたかったが、彼は気にせずに店内に入っていった。
 
 ビールジョッキに、お通しの枝豆、豆腐サラダ、から揚げなどが次々と置かれていく。ジョッキを手に取り、亜耶、来てくれてありがとうな、マスターに献杯、そう言って重ねた。まるさんはサラダとから揚げを取り分け、亜耶に渡した。空腹なはずだが、あまり食欲はない。彼はテンポ良く口に入れ、ビールを流し込む。地元に戻ってほどなく、まるさんとマスターに一度会いに行ったことがあった。微睡む春の陽気に包まれながら、善福寺川の満開の桜を見た後にパールセンター商店街にある居酒屋で飲み、夕方二人に見送られながら中央線に乗り込んだ。その時から数年ぶりに会う目の前の男性は年を重ね、少しやつれてはいるものの色男に変わりはない。今でも女に不自由することはないのだろう。どこを見ているでもない、タバコを指で挟み、煙に包まれた鼻筋の通った横顔が急に亜耶に向けられ、咄嗟に目を逸らした。

「食欲ない?あんま、無理すんなよ。」
「ううん、大丈夫。」
「マスター、心臓に疾患があって通院してたんだ。急性心不全が原因だったそうだ。」
「そうだったんだ。わたし、何も知らなかった。」
「俺も最近忙しくて、ずっと店にも行けてなくてさ。何もしてあげれなかった。同じ街にいるのにな。」

 お待たせしましたぁ、と金髪のポニーテールに、ボリュームのあるつけまつ毛をした若い店員が焼き鳥の盛り合わせを置き、空いた皿やジョッキを手際よく回収していく。まるさんは追加で酒を頼み、焼き鳥を一つ一つ串から取っていく。

「亜耶は優しいな。」
「まるさん、急に何?」
「前よりだいぶ大人しくなったみたいだけど、根本は変わらない。マスターのために来てくれた、いい奴だよ。」

まるさんは亜耶に焼き鳥の皿を渡した。ぜんぜん、そんなことない、と小さく呟いた。
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