第8話

文字数 1,598文字

ぽつぽつと灯りが消えはじめる頃、ランタンを片手に、住民に気づかれないよう岸辺へと向かう。昨日までの満ちた月は輪郭だけを残し、姿を消している。漆黒の闇にその光とランタンの灯りを頼りに進んでいく。

 海岸へ着くと先ほどまで気がつかなかったが、何隻かの舟が浮かび、その一隻に乗り込み、パドルを漕ぐ。
 
 静かな夜を搔き分ける音だけが辺りに響き、北東へと進んでいく。

 離島に辿り着き、舟を止める。木々の茂みに身を隠しながら「扉」が現れるの待つ。あっ、と少女が声を漏らし、想の背後に隠れる。以前、壁の中にいた白い宇宙服を着た隊員が銃を構え、舟の上から辺りを見渡している。

 ぎゅっと強く握られた手に視線を向けると、少女は怯えている。想はしゃがみ込んで頭に手を置き、優しく揺する。

「大丈夫だ、俺もシマエもいるだろう?それに君が言い出したことだ、泣くなよな。」
 
 口を半開きにし、小さな肩を震わせ、影で見えない目元を拭う。華奢な白い腕を回し、少女は抱きついた。その温もりに今まで想像したことのない母性的な感情が湧き上がり、想も白い首筋に顔を押し当て、目を閉じる。

 しばらくすると、うっすらと浮かぶ月の輪っかが海面に線をつくり、広がっていく。光の線が海を二つに割いた。眩しさに手をかざしながら、その光景に釘付けになる。敵に視線を移すと、目を奪われた様子で背中を向けている。

いまだ―。
 
 想は少女の手を握り返し、岸に止められた舟を横切り、海の上を駆け抜ける。咄嗟に、隊員が想たちに気がつき、銃を向ける。真っ先にシマエが飛んでいくと、立ちはだかる神聖な国鳥を前に銃を向けれず、困惑する。もう、お別れかもしれない。ぱたぱたと羽ばたいているシマエを一瞬、見つめてから自分たちを庇う愛くるしい小鳥の健気さに胸が締めつけられる。
シマエ、ありがとうな―。

 一気に眩い光へと走っていく。突然、手を引かれていた少女が足を止め、反動でよろける想の手を離し、下を向く。
「どうしたんだ?早く行くぞ。」
「おじさん、わたしやっぱり行かない。」
 だだをこねる少女に苛立ちながら、細い腕を掴んで再び進もうとすると、やだやだ、と激しく首を振り、声をあげて泣き出した。
「泣くな!早く帰るんだ!」
「いやだぁ、やっぱり戻りたくない!」
「どうして?!君はエトランゼだ。この世界にいてはいけないはずだ。」
「いやいやだ!!おうちに戻るの!」
「いい加減にしろ、亜耶!!」

 亜耶―。

 どうして今まで気づかなかったのだろう。頭を傾け、想の腕にしがみつく少女がゆっくりと顔を上げた。影で覆われていた表情に光が当たり、はっきりと見える。小さな瞳から透明な涙が溢れ、鼻と頬を赤くして泣いているのは、まぎれもない、面影を残した幼い頃の亜耶だ。
 
 海面に座り込み、項垂れる亜耶の腕を掴むが、振り解こうと激しく腕を動かす。先ほどまでの輝きが薄れはじめ、前を見ると海に伸びる光がだんだんと小さくなっている。想は少女の体を無理やり引き剥がすようにして持ち上げ、左腕で抱えて走った。腕の中で暴れながら亜耶は泣き続けるが、離さないようぐっと力を込める。何が何でも帰らなければ―。
 
 光の中に入ろうすると、割かれた海の断面を流れ落ちる海水に足元を奪われ、よろける。咄嗟に、宙に浮かぶ光の扉へと亜耶を放り込んだ。
「くそっ!」
 傾きながら、手を伸ばした。光の中で亜耶が身を乗り出し、その右手を掴む。扉の幅は徐々に狭まり、亜耶の姿も隠れていく。少女は必死に力を込め、両手で引き上げようとする。微かに体が上がった瞬間、左手を伸ばして光の淵を掴む。肩を震わし、ちぎれそうになりながらその腕で体を引き上げようとする。少し上がったところで反対側の腕から一気に吸い込まれ、体ごと光の中に入っていった。

 強い光の中で、握られた小さな手の感触だけがわかった。二人は互いに手を強く握りしめたまま、流れ続けた。

 


 



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