第4話

文字数 2,298文字

 居酒屋から出て、高架下を通り、スターロードへと歩いていく。互いに何も話さずとも、同じ場所を目指しているはずだった。冷えてきた体に夜の賑わいが酒のように流れ、微かな酔いを心地良くさせる。

「仕事は順調?」
「相変わらず派遣社員だよ。独り身で非正規だから、この先不安だよ。まるさんはどう?」
「楽しいよ、仕事。ディレクターになって、みんなをまとめるのたいへんだけどな。」
「すごいね。今のデザイン会社入ってもう長いよね。」
「そうだな。俺も今は女いないけど、充実してるからよし。」
「なんか、意外だなぁ。」
「意外ってなんだよ。」
さっむ、と言いながらまるさんはポケットに手を突っ込んで、肩を震わせた。

「もお、どうしてコート着なかったの。」
「いやぁ、葬儀に着てけるようなのがなくて。」
「ちょっと待ってて。」
 
 亜耶はそう言って、コンビニへと入っていった。ぼんやりと見つめる先の、赤やオレンジ色の連なる灯りが、炭火の香ばしい煙に覆われていく。はい、と背後から声がして振り向くと亜耶がカイロを差し出した。
「これで少しはマシでしょ。」
「さっすが、亜耶ちゃん優しい。サンキューな。」
想はそれを受け取って、笑った。

 ガラス越しに見える閉ざされた店をしばらく見つめた。
「真っ暗だね。当たり前だけど。」
「俺、実はこの間も来たんだ。そしたら常連だったマスターの親友の河西さんがいた。親族と話をつけて片づけの段取りが決まるまで、鍵を管理してくれてる。本当はさ、河西さんここを引き継ぎたかったんだけど、高齢で難しくて諦めることにしたんだ。」
「そうだったんだね。」
「無くしたくないよな。」
そう言いながら、想がなんとなく扉を押すと、鈴の音が鳴なり、前に動いた。
「え、開いた・・・。」
「河西さん閉め忘れたのか?」
 
 想は携帯のライトを頼りに、照明のスイッチを点ける。マスターの帰りを待ちわびる、棚に並べられた瓶が暗闇の中で照らされる。亜耶は時がとまった店内をじっくりと眺め、いつも座っていた椅子に腰を下ろした。暖房を入れ、カウンターの中から出ようとしたとき、奥の古びたドアと目が合い、想は足早に戻った。まるさん?と不思議そうに尋ねる亜耶の声に振り返ることなく、ドアノブを掴み、思い切り押した。

 タバコを吹かしながら、グラスを磨くマスターに呟いた。
「今日は亜耶は来なかったな。最近、忙しそうだしな。」
「まるくんは本当に亜耶ちゃんが好きだねぇ。」
「ああ、好きだよ。歯に衣着せぬ物言いで、面白い子だよ、あいつは。マスターと同じぐらい好きなの。」
 
 そうかい、とマスターは照れ笑いした。夜の深まる店内にはマスターと想しかいない。いつの間にかBGMが止まり、マスターが入念にグラスを磨く音だけがする。そういえばさ、とグラスの氷を指でからからと揺らしながら尋ねた。

「どうしてブルーベールって名前なの?」
マスターは手を止め、少しの間、想を見つめた。
「実はお酒の名前なんですよ。」
「へえ、そうだったんだ。」
「それも幻のテキーラでね。昔、カリブ海の小さな島で出会って、手に入れたんだ。」
 するとマスターはカウンターの奥の部屋へと入り、瓶を持って出てきた。水色の原液が揺れる透明な瓶を想の前に置いた。そっと両手で抱え、金色で縁どられた「blue veil」の文字を見つめる。
「綺麗な水色だな。まだ開けてないみたいだけど、いいの?」
「いや、まるくん、これはお店では出してないんだ。個人的に大切なものでもあるし、この酒は特殊なんだよ。なんていうか、危険なんだ。」
「他のスピリッツに比べれば度数は低いだろ。」
「度数が問題じゃない。うまく口じゃ説明できないけど、これを飲むのには相当の覚悟が必要なんだ。だから簡単に提供もできない。ま、いつか飲ませてあげるからさ。」
「すげぇ気になるけど・・・わかったよ。マスターの大切なものだしな。じゃあ、最後にいつものテキーラちょうだい。それ飲んだら帰るから。」
 そう言うと、マスターはキャラメル色をしたレポサドテキーラを想のために注いでいった。
 
 カウンターの奥にあったドアノブを掴んで、開けた。そこはパントリーになっていて、未開封のボトルや業務用のナッツやスナックが置かれている。一つ一つラベルを見たが、見当たらない。次に古びた冷蔵庫を開け、ソフトドリンクのパックが並べられた奥に二つの瓶が並び、手前のものを手に取り、あった、と声を漏らした。開封され、ライトブールの原液は僅かに減っている。

「まるさん、何してたの?それ、なんのお酒?」
「ブルーベールだ。これはマスターの大切にしていた酒なんだ。」
「ブルーベールって、お店と同じ名前じゃない。」
 
 亜耶の隣に座り、二つのショットグラスを並べ、おそるおそる注いでゆく。水色で満ちたグラスを前に手が止まり、亜耶の瞳を真っ直ぐに見てから尋ねた。

「昔、マスターから聞いたんだ。うまく説明できないって言ってたけど、これは幻の酒で、危険なんだって。だから覚悟がいる・・・。亜耶、それでも飲むか?」

 亜耶は真剣に訴える眼差しをしばらく見つめてから、口元を緩めて笑った。

「どれだけまるさんに鍛えられたと思ってるの?それぐらい余裕だよ。」
「いや、度数もそうだけどさ・・・。」
「大丈夫、一緒に飲もう。」
「そっか、わかった。じゃあ、はい。」

 そう言って想は亜耶に渡し、音を立ててグラスを重ねてから、互いに口に入れた。微かにオレンジのような香りが届き、甘さが舌を掠め、よく冷えた原液は喉に刺さりながら流れ落ちていく。徐々に熱を帯びた体は、どこかに落下していくような感覚になり、亜耶と想の意識は途切れていった。
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