日本一周の足跡

文字数 1,208文字

 毎年、この時期になると思い出す人がいる。
 14年前(2007年6月25日)に長野県小谷(おたり)村のトンネルで亡くなった原野亀三郎さん。80歳だった。日本一周のため自転車で1年2ヶ月かけて走ってきて、うしろから来たダンプカーにはねられた。事故に遭ったのはゴールとなる自宅まで、直線距離であと20キロ余りの地点だったそうだ。当時はマスコミでも報道されていたので、思い出す人もいるかと思う。

 原野さんは、旅先で綴った膨大な日記と2,000枚を超える写真を残していて、そこから、自転車に40キロという重い荷物をくくりつけ、北海道から九州、そして沖縄とわたって、さまざまな人と出会い、交流を重ねた旅路が浮き彫りとなってきた。

 原野さんは、戦時中、軍に召集されて、戦場で多くの戦友を失い、その影響で無気力な青春時代を送ってしまったようだ。
 原野さんが途中で宿泊した旅館の女将によれば、原野さんは「鎮魂」と大きく書かれたTシャツを着ていて、「青春がなかった戦友のためにまわっている」と語っていたそうだ。

 走り始めてすぐに骨折したり、途中で体調不良に陥って入院したりもした。
 めぐり合う若者たち、平和な現代に生きる若者たちには、かけがえない人生の意味を伝えようとした。原野さんと語った幾人かがブログで交流の様子を紹介した。
 沖縄では、定職についていないある若者と夜遅くまで語って、最後に、若者にお願いがあると言って正座して、「どうか一歩前に出て欲しい。お願いします」と言ったという。

 私が原野さんを知ったのは、亡くなって1か月後に放映されたNHKクローズアップ現代だった。ご本人にお会いしたこともなければ、写真や日記と称されるものを目にしたこともない。
 通常ならこうした報道は、その場では心動かされ涙しても、何のつながりもない人に起こった不幸な事実として記憶され、何かきっかけがなければ思い出さないだろう。
 ところが、原野さんについては、毎年梅雨が始まるころになると、ふと頭に浮かんでくる。

 確かに、80歳という高齢で、日本一周をめざし、幾多の困難を乗り越えながら、達成寸前に不幸な運命が待ち受けていたというのは、あまりにも悲しく残念で、印象に残る出来事ではある。
 しかし、他方では、戦友の思い出とサイクリング好きが相俟って終活のひとつとして、家族などまわりの人の心配をよそに、我儘を貫き通しただけだという見方もできるかも知れない。
 高齢者がさまざまなことにチャレンジして若い人を圧倒することがあるのは、たびたび聞く話だ。87歳の日本最高齢でフィットネストレーナーになった女性は、現在(2021年6月)90歳で現役のトレーナーとして活躍しているという。
 自転車で日本一周とはいかないまでも、戦地で亡くなった戦友を偲びいろいろな行事を継続している人もいるだろう。
 そうした人々に対する共感とは異なる何かが、私を原野さんに近づかせるのだ。
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