第6話 コスプレパーティー?

文字数 3,149文字

 もうすぐ梅雨に入ろうかという季節なのに、空はからっからに晴れている。開け放たれた窓からはさわやかな風が吹き込み、レースのカーテンを軽快に揺らす。その揺れに合わせて床で踊っている光を目で追っていた私は、ため息をつきながら恐る恐る庭へと視線をうつした。
「ねえ。ほんとうに、あそこに私が入っていって、大丈夫なの?」
 惜しげもなく日光が降り注ぐ広い庭には、大勢の人が集まってワイワイガヤガヤとさざめいている。まるでお祭りの打ち上げの飲み会……と思いたいところだが、全然違う。
 格好が、みんなおかしい。
 男はこのくそ暑いのにタキシードみたいな服を着て、シルクハットなぞかぶっている。女たちはドレス。色彩はこの季節にふさわしいうすめの爽やかなものだが、足先まで隠れるくらいの重たそうなドレスだ。そしてお花模様の日傘を優雅にさしている。一体何なのこの集まり。ひょっとしてこれって、十九世紀ヴィクトリア朝の貴族みたいな恰好をするのが趣味の人たちの、コスプレ大会だったりして。
「案ずることはありません。あの方々はみな、鞠華(まりか)様の姿を存じておりませんから」
 メイドたちによる私の身支度を見守っていた美夜(みや)さんが、何の抑揚もつけずに説明する。
「あなたは今日は鞠華様の代役ではなく、私の遠い親戚ということにしてあります。今日の目的はあなたがどれだけやれるものか見て、課題を洗い出すことです。ですので、とりあえず自由にふるまってみてください」
 簡単に言わないでよ、という抗議を込めて美夜さんを横目で見る。案じますって。一体あのコスプレ軍団に、どんな顔して入っていけばいいのさ。異質な集団の中に入っていくのって、結構勇気がいるんだからね。
 まあ、この人にはそんな常人の悩みは理解できなさそうだが。ゾンビの大軍にも表情一つ変えずに切り込んでいきそうな美夜さんの、凛々しい立ち姿から目をそらした私は、またため息をついて今度は目の前に置かれた鏡をみた。薄桃色のフリフリドレス。お人形さんみたいなバラ色のほっぺをさせられて、髪をクルクルまかれた冴えない顔の娘が映っている。
 その心配そうな己の表情を眺めながら思う。それにしても思い切ったことをしてくれるよ。と。お家を守るためとはいえ、人ひとりを誘拐するだなんてね。でも、律儀なもんで、ちゃんと家族と職場には連絡をして、納得してもらっているとのことだ。勿論自分たちの正体と本当の事情は伏せてあるそうだけど。一体どういう説明をしたんだ? まあ、あとは私の意志がどうかというわけで、一応やるのかやらないのか訊かれはしたけれど、実質選択肢はなかった。断れる雰囲気じゃない。もし否と答えようものなら、その場で美夜さんに首をはねられていただろう。それにちょっと興味も沸いたんだ。私にそっくりな月ヶ谷家当主に、わずかにだけど親近感を抱いた。まあ、いけるとこまで付き合ってみてもいいか。どうせ自由になったところで、希望も目標もない人生なんだから。
 数日前のやり取りを思い出し、うんうんと二つ三つうなずいて己を納得させた後、私は鏡の前でクルリと身を一回転させてみる。見てくれだけなら何とかなるかな。どのみち逃げ場はない。私の望むと望まずにかかわらず、やらないといけないのだから、せいぜい目立たないようにしてこの時間をやり過ごそう。
「さあ、支度は終わったみたいですね。参りましょうか」
 私の姿を見ても何の感慨も示さずに言う美夜さんに向かい、私はグラスをあげる身振りをしてみせる。よしきた、行こう。という意思を込めて。
「ルネッサーン……」
「はやく来なさい」
 美夜さんの冷徹な声が無情に私の渾身の掛け声をさえぎる。ごめん。でもこんな格好したら言ってみたくなるじゃない。某髭の男爵さんのマネだけどさ。最後まで言わせてよ……。


 庭のパーティー会場には、ご馳走の大皿を満載した大テーブルが鎮座していた。銘々その大皿から食べたいものを己の小皿に分け、方々に置かれた小テーブルで摂食する。いわゆる立食形式のパーティーだ。でも、食事にふけっているのは少数派で、会場に集ったコスプレ……もとい紳士淑女は、銘々グラス片手におしゃべりに興じているのであった。
 まいったな。おしゃべりなんかしたくないよ。でも、ひとりだけ隅っこのテーブルで食べてばかりいたら目立つかな。そんなことを考えながらいそいそと大皿から自分の皿に食べ物を盛っていく。サーモンのマリネ。ローストビーフ。ホタテのテリーヌにチーズにパン。これだけあれば時間が稼げるかな。
 皿を抱えて顔を伏せ、背中を丸めてこそこそ人の間を縫い、隅のテーブルへ向かおうとした時だった。
「やあ。これは素敵なご婦人だ。今までお目にかかったことのないお顔だが、失礼ですがどちらのお家のお方ですかな」
 背後から声をかけられて振り返ると、立派な髭を生やした赤ら顔のおじさんがニコニコとほほ笑んでいた。某フライドチキンのマスコットキャラの、髪と髭を黒くぬったらこんな感じかもしれない。
「え? 私? 私は、えーっと北条……」
 視界の隅に美夜さんの姿が入って、出しかけた言葉を飲み込んだ。いけない。思わず本名を言いそうになってしまった。ちゃんと美夜さんから言われた設定があるんだった。あれ。でもなんだったっけ。妹の夫の姪? いやいや、母の従妹の……。忘れちゃった。
「えっと。私は宇都宮家の方から参りました」
 設定をど忘れした私は、とりあえずそんなことを口走る。これじゃ、まるで怪しい訪問販売だ。黒い髭のカーネルさんは頭にはてなマークをつけて首をひねっているよ。もう、いいや適当で。
「あ、間違った。私は祥子。宇都宮美夜の従妹の娘ですぅ~」
 とっさに思いついた出まかせを早口で言い、パチンとハートマークの出そうなウインクをしてごまかす。背中にだらだらと冷や汗を流しながら。だめだ。不審者丸出しだ。これじゃあばれちゃう。
 しかし私の心配をよそにカーネル氏は目を細くしてカカカと笑う。なんか、納得したみたいだ。
「そうですか。あなたが美夜さんの血縁の方でしたか。お会いできて光栄です。この良き日のために乾杯しましょう」
 なにがどう良き日なのかわからないが、私にもグラスを進めてくる。
「あ。いえ。私、お酒飲めないので……」
 今度は真面目な声で断ろうとするも、相手はお構いなしにワインをなみなみ注いだグラスを押し付けてくる。酒臭い息を吹きかけながら。こいつ、酔っていやがるな。お酒は好きだけど、今は飲まない方がいい。酔った勢いで何をしでかすかわからないから。しかし黒ひげカーネルは良いではないか良いではないかと、さながら悪代官のごとき押しの強さだ。結局私は根負けして、ちょっと舐めるだけならばとグラスを受け取ってしまった。
「我ら旧御家人。力を合わせ、鎌倉殿を盛り立ててゆこう。月ヶ谷家のますますの繁栄を願って!」
 黒ひげ悪代官に促されるまま、私は愛想笑いをひきつった顔に貼り付けて遠慮がちにグラスをあげる。それを見届けると彼も高々と杯を掲げた。
「エイ! エイ!」
 するとなぜかその場にいた紳士淑女の全員が、同じように杯をあげてその掛け声に呼応した。
「応!」
 お、オウ。やっぱり変な集団だ。こりゃあ、先が思いやられるね。


 私を見つめる何者かの存在に気づいたのは、二杯目のワインのグラスに口をつけたときだった。その人は私の正面、タキシードやフリフリスカートの重なりの奥から、静かなほほ笑みをたたえて私に視線を送っていた。若い男の人だ。もちろん私の知らない人。なんで私のことジロジロ見てるんだろ。顔に何かついてるのかな。それとも私の美しさに魅了されたとか。
 まさかね。自分の妄想に自分で苦笑して、私はワインを飲み干した。
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