第28話 なんでお前がこんなところに
文字数 3,940文字
「美夜さん。もう、帰ろう」
私が訴えかけるやいなや、ワイングラスを手にした美夜さんは、居合いのような速さできりかえした。
「寝言を仰るには、まだ日は高うございますわよ」
取り付くしまもない。だけど、引き下がるわけにはいかなかった。ホントにピンチなんだから。私は美夜さんにズリズリと体を寄せて、周囲に聞こえないように耳打ちする。
「ねえ、美夜さん真面目にきいて。まずい状況なんだ。私を知ってる人がいた」
「そりゃあ、鞠華様を知っている人くらいいますよ。だから何です。修行の成果をみせなさい」
「いや。鞠華じゃなくて、私だよ。祥子を知ってる人がいたんだ」
すると、美夜さんの目が大きく見開かれ、その手ににぎられていたグラスが傾いた。ワインが溢れるすんででグラスをテーブルに置き、彼女は声を震わせる。
「あなたに、宮様のお屋敷に来るような知り合いがいたのですか」
いやいや、そんなに驚かないでくれよ。なんか、とても馬鹿にされてる気がするんですけど……。と、若干しょげつつも、時間がないので説明を続ける。
「正確には知り合いじゃないんだけど。私、以前しょっちゅう駅前で、金持ちそうな男を引っ掛けては騙して奢ってもらってたんだ。そのひとりが、たまたまこの会場にいたってわけ。私も驚いたよ。まさか、そんな大物だったとは……」
あれは、そう。よく覚えている。月ヶ谷家に拉致される前の晩に引っ掛けたやつだ。月ヶ谷家運営のレストランでさんざんつまらない話を私に聞かせた、傲慢でいけ好かないやつ。美夜さんもあの時いたじゃないか。
説明しながらもあいつの動向が気になって、私はキョロキョロと落ち着きなく広間を見渡す。幸いにも私を追いかけてくる様子はない。他の淑女を捕まえて、何やら話しかけてるよ。相手は戸惑った様子を見せているけれど、そんなことお構いなしに唾を飛ばすような勢いで、自分だけ楽しそうにしゃべってる。嫌がられているのがわからないのかね。
「ほら、あいつだよ。美夜さん。あなたも見覚えがあるでしょ。嫌がられてるのに自分だけ気づいてない。うわー、かわいそうなやつ」
袖を引いて話しかけているのに、美夜さんから何も返事が返ってこない。気になって彼女の方を向いた。
「あなた。そんなことをしていたんですね。ろくな人じゃないと思っていましたが、なんと非道な……」
そしてまた黙りこんだ美夜さんは、眉をひそめて私を見つめた。かわいそうな人に向けるような眼差しで。
やめて美夜さん。そんな目で私を見ないで。
私は美夜さんの視線がいたたまれなくて、テーブルに置かれたワインのグラスをひとつ取り、口に持っていこうとする。しかしそれは私の口に到達する前に、あえなくヒョイと美夜さんに取り上げられてしまった。
「面白そうじゃないですか」
私から奪ったグラスを傾けて、一気にワインを飲み干した美夜さんは、愉快そうに口の端を曲げた。
「課題追加です。その男と踊って差し上げなさい。鞠華様」
そして私は無慈悲に背中をどつかれる。つんのめりながら数歩進んで立ち止まり、顔をあげたところでこちらを向いた男と目が合ってしまった。
「それでさ。これからはもっと地域に貢献しなきゃいけないと僕ぁ思うんだ。だからもっと社員は積極的にだね……」
ダンスをしながら男は足よりも口を忙しく動かしている。デジャヴだろうか。まったく同じ場面が前にもあったような気がする。いや、気のせいだ。こいつとはたった一回、食事をしたことがあるだけだ。ダンスをするのは初めてのはず。この強烈な既視感は、たぶん、彼があの時と同じ話を、あの時と同じように夢中で一方的にまくし立てているという状況によるのだろう。
こういう人間でよかった……。
音楽に合わせてユラユラと身をゆらしながら、私はホッと安堵の吐息をつく。こいつ。まったく私に気がつく様子はない。ほんとうに、自分のことだけで頭がいっぱいなんだな。彼が自分のことにしか関心がなく、他に注意が向かないおかげで、私は安心してこの時間をやりすごせるよ。相手がしゃべるに任せて、たまに相づちだけ打っていればいいんだ。
あとはこの曲が終わるまでおしゃべりを辛抱するだけ。この課題は案外うまく片付くぞ……というわけにはいかなかった。
「痛っ!」
つま先に走った痛みに、油断していた私は思わず頬をひきつらせた。まただ。自分に夢中はいいけど、この男、夢中すぎてダンスが無茶苦茶だ。さっきから何回私の足を踏んだら気が済むんだよ。しかも謝りもしないし。ひどい奴だな。ひょっとしてわざと踏んで私を試している?
せっかく血を吐く思いでマスターしたダンスの腕前も、これでは発揮のしようがない。上手な人とやって見破られるのではとビクビクしていたけれど、これはこれでなんだか悔しいな。
「そうそう。そういえば以前ひどい奴に遭遇したんだ」
ひどい奴が、ひどい奴の話をし始めた。どの口が言うんだよ……と思っていたら、それは私の話だった。
「駅前でみすぼらしい女が物欲しそうにしていたから、ご馳走してあげたんだけどね。そいつ、食べてる途中で礼も言わずに姿を消しちゃったんだ。まるで野良猫だね」
「あら、まあ。それはおかわいそうですね」
「そうだろ。意地汚くフォアグラを何皿も食べてさ。今度そいつを見つけたら、げろ吐くまでフォアグラを口に詰め込んでやる」
好き放題に言いやがって。だがここで怒りをあらわにしたらすべては台無し。今は鞠華なんだから。我慢だ、我慢。あと、フォアグラをゲロ吐くまで詰め込まれるのもごめんだよ。なんて恐ろしいことを考える奴なんだ。
「ところで君は、とてもダンスが上手なんだね」
突然話を向けられて、私は慌てて上品な笑顔を張り付ける。これも散々練習した表情だ。泣きながら笑みの練習をした。あんな経験はもう一生したくない。ところで何でこいつタメ口なんだ。あと、気安く鞠華を君とか呼ぶな。月ヶ谷「さん」だろうが。
ふつふつと湧く腹立たしさをこらえて、なんとかスマイル。
「あら。ありがとうございま……いたっ」
また踏みやがった。この野郎。
男の話し方へいらだちがつのったところで、とどめのように足を踏まれて、ついついリミッターが外れてしまう。しまったと思った時には遅かった。小さな舌打ちが思わず口から漏れ出て、眉間にしわを寄せてしまう。一瞬。ほんの一瞬だけだけど、貼り付けた鞠華の表情が剥がれ落ちて、むき出しの私が男をにらみつけた。
「ど……どうしたんだい。あっ、足を踏んでしまって失礼……」
「いえ。お気になさらずに」
私は慌てて表情を取り繕うも、時すでに遅し。相手の私を見る目には明らかに不信の色が浮かんでいた。
「そういえば、さっきから気になっていたんだけど。君、どこかで会ったことあるかな」
「いえ。そんなことありませんわ。初対面ですことよ」
笑いでごまかして逸らせようとする私の顔を、男はしつこくのぞき込んでこようとする。ほんと、こいつは遠慮というか、デリカシーがない。
「そうかなぁ。以前どこかで会ったような気がするんだがなぁ」
ああ、だめだ。このままじゃ素性を暴かれて、吐くまでフォアグラの刑だ。
観念しかけたとき、ようやく音楽が終わった。魂まで抜け出そうな安堵の息を吐いた私は、一方的にお辞儀をして、そそくさと美夜さんのいるところへと向かう。おしゃべり男など最初から存在しなかったかのように無視をして。ふつうこんな態度とられたら、察して遠慮しそうなものだけど、さすがと言うべきかこの男、空気をまったくよんでくれない。なおも私についてきて、しつこくさっきの話の続きをしようとする。
ああ、しつこい! ほんと、失礼な奴。美夜さんに追い払ってもらおうと思っていたけど、私からも一言言ってやろう。
「ちょっと待ってよ……」
「あの、申し訳ありませんが……」
私は立ち止まって回れ右をすると、正面から男と向き合った。今度は顔をそらすことなく彼を見据える。剥き出しの私ではなく、鞠華になったつもりで。彼女の威厳と誇りをまとって。
「レディの顔をしつこくのぞき込んだり、付きまとったりするのは失礼かと思います。私、他のお方との約束がございますので、どうぞ、お引き取りください」
一瞬、私は本当に自分が貴族になったんじゃないだろうかと思った。きっと今、私の背後には光でもさしているに違いない。そう思えてしまうほど目の前の男は眩しそうに目をすがめてたじろいでいた。
その時だった。私と男の間に見知らぬ別の紳士が割って入ったのは。
「どうか、私と一曲踊っていただけませんか」
ポマードで髪をなでつけたその紳士はそう言って、慇懃に腰を曲げた。
次の曲が始まる。戸惑う私の腰をとり、ワルツの三拍子にあわせて、ポマードの紳士はあっという間に舞台の真中へと私を連れ去った。
すごく上手だ。そのダンスの腕前に私は舌を巻く。私は何もしなくてよかった。何もしていなくても、まるで波に身を委ねているように、私の身体は勝手に彼のリードに合わせて縦横無尽に所狭しと舞台を舞った。
曲に合わせて私の気持ちも盛り上がってゆく。課題も忘れて弾んだ声で、私は紳士に語りかける。
「とても、お上手なのですね」
その時、紳士がニヤリと笑った。その口もとに見覚えがあるような気がして、それと同時に背中に寒気がはしる。なにかすごく嫌な予感がしたから。
「月ヶ谷鞠華さん」
彼ははっきりと、そう言った。
「あなたに、いろいろおたずねしたいことがあるのです」
私はとっさに腰を引いて逃れようとしたが、彼は腕に力を込めてそれを許さない。
「教えて下さい鞠華さん。あなたは本当に頼朝の子孫なのですか。それを証明するものはあるのですか」
私が訴えかけるやいなや、ワイングラスを手にした美夜さんは、居合いのような速さできりかえした。
「寝言を仰るには、まだ日は高うございますわよ」
取り付くしまもない。だけど、引き下がるわけにはいかなかった。ホントにピンチなんだから。私は美夜さんにズリズリと体を寄せて、周囲に聞こえないように耳打ちする。
「ねえ、美夜さん真面目にきいて。まずい状況なんだ。私を知ってる人がいた」
「そりゃあ、鞠華様を知っている人くらいいますよ。だから何です。修行の成果をみせなさい」
「いや。鞠華じゃなくて、私だよ。祥子を知ってる人がいたんだ」
すると、美夜さんの目が大きく見開かれ、その手ににぎられていたグラスが傾いた。ワインが溢れるすんででグラスをテーブルに置き、彼女は声を震わせる。
「あなたに、宮様のお屋敷に来るような知り合いがいたのですか」
いやいや、そんなに驚かないでくれよ。なんか、とても馬鹿にされてる気がするんですけど……。と、若干しょげつつも、時間がないので説明を続ける。
「正確には知り合いじゃないんだけど。私、以前しょっちゅう駅前で、金持ちそうな男を引っ掛けては騙して奢ってもらってたんだ。そのひとりが、たまたまこの会場にいたってわけ。私も驚いたよ。まさか、そんな大物だったとは……」
あれは、そう。よく覚えている。月ヶ谷家に拉致される前の晩に引っ掛けたやつだ。月ヶ谷家運営のレストランでさんざんつまらない話を私に聞かせた、傲慢でいけ好かないやつ。美夜さんもあの時いたじゃないか。
説明しながらもあいつの動向が気になって、私はキョロキョロと落ち着きなく広間を見渡す。幸いにも私を追いかけてくる様子はない。他の淑女を捕まえて、何やら話しかけてるよ。相手は戸惑った様子を見せているけれど、そんなことお構いなしに唾を飛ばすような勢いで、自分だけ楽しそうにしゃべってる。嫌がられているのがわからないのかね。
「ほら、あいつだよ。美夜さん。あなたも見覚えがあるでしょ。嫌がられてるのに自分だけ気づいてない。うわー、かわいそうなやつ」
袖を引いて話しかけているのに、美夜さんから何も返事が返ってこない。気になって彼女の方を向いた。
「あなた。そんなことをしていたんですね。ろくな人じゃないと思っていましたが、なんと非道な……」
そしてまた黙りこんだ美夜さんは、眉をひそめて私を見つめた。かわいそうな人に向けるような眼差しで。
やめて美夜さん。そんな目で私を見ないで。
私は美夜さんの視線がいたたまれなくて、テーブルに置かれたワインのグラスをひとつ取り、口に持っていこうとする。しかしそれは私の口に到達する前に、あえなくヒョイと美夜さんに取り上げられてしまった。
「面白そうじゃないですか」
私から奪ったグラスを傾けて、一気にワインを飲み干した美夜さんは、愉快そうに口の端を曲げた。
「課題追加です。その男と踊って差し上げなさい。鞠華様」
そして私は無慈悲に背中をどつかれる。つんのめりながら数歩進んで立ち止まり、顔をあげたところでこちらを向いた男と目が合ってしまった。
「それでさ。これからはもっと地域に貢献しなきゃいけないと僕ぁ思うんだ。だからもっと社員は積極的にだね……」
ダンスをしながら男は足よりも口を忙しく動かしている。デジャヴだろうか。まったく同じ場面が前にもあったような気がする。いや、気のせいだ。こいつとはたった一回、食事をしたことがあるだけだ。ダンスをするのは初めてのはず。この強烈な既視感は、たぶん、彼があの時と同じ話を、あの時と同じように夢中で一方的にまくし立てているという状況によるのだろう。
こういう人間でよかった……。
音楽に合わせてユラユラと身をゆらしながら、私はホッと安堵の吐息をつく。こいつ。まったく私に気がつく様子はない。ほんとうに、自分のことだけで頭がいっぱいなんだな。彼が自分のことにしか関心がなく、他に注意が向かないおかげで、私は安心してこの時間をやりすごせるよ。相手がしゃべるに任せて、たまに相づちだけ打っていればいいんだ。
あとはこの曲が終わるまでおしゃべりを辛抱するだけ。この課題は案外うまく片付くぞ……というわけにはいかなかった。
「痛っ!」
つま先に走った痛みに、油断していた私は思わず頬をひきつらせた。まただ。自分に夢中はいいけど、この男、夢中すぎてダンスが無茶苦茶だ。さっきから何回私の足を踏んだら気が済むんだよ。しかも謝りもしないし。ひどい奴だな。ひょっとしてわざと踏んで私を試している?
せっかく血を吐く思いでマスターしたダンスの腕前も、これでは発揮のしようがない。上手な人とやって見破られるのではとビクビクしていたけれど、これはこれでなんだか悔しいな。
「そうそう。そういえば以前ひどい奴に遭遇したんだ」
ひどい奴が、ひどい奴の話をし始めた。どの口が言うんだよ……と思っていたら、それは私の話だった。
「駅前でみすぼらしい女が物欲しそうにしていたから、ご馳走してあげたんだけどね。そいつ、食べてる途中で礼も言わずに姿を消しちゃったんだ。まるで野良猫だね」
「あら、まあ。それはおかわいそうですね」
「そうだろ。意地汚くフォアグラを何皿も食べてさ。今度そいつを見つけたら、げろ吐くまでフォアグラを口に詰め込んでやる」
好き放題に言いやがって。だがここで怒りをあらわにしたらすべては台無し。今は鞠華なんだから。我慢だ、我慢。あと、フォアグラをゲロ吐くまで詰め込まれるのもごめんだよ。なんて恐ろしいことを考える奴なんだ。
「ところで君は、とてもダンスが上手なんだね」
突然話を向けられて、私は慌てて上品な笑顔を張り付ける。これも散々練習した表情だ。泣きながら笑みの練習をした。あんな経験はもう一生したくない。ところで何でこいつタメ口なんだ。あと、気安く鞠華を君とか呼ぶな。月ヶ谷「さん」だろうが。
ふつふつと湧く腹立たしさをこらえて、なんとかスマイル。
「あら。ありがとうございま……いたっ」
また踏みやがった。この野郎。
男の話し方へいらだちがつのったところで、とどめのように足を踏まれて、ついついリミッターが外れてしまう。しまったと思った時には遅かった。小さな舌打ちが思わず口から漏れ出て、眉間にしわを寄せてしまう。一瞬。ほんの一瞬だけだけど、貼り付けた鞠華の表情が剥がれ落ちて、むき出しの私が男をにらみつけた。
「ど……どうしたんだい。あっ、足を踏んでしまって失礼……」
「いえ。お気になさらずに」
私は慌てて表情を取り繕うも、時すでに遅し。相手の私を見る目には明らかに不信の色が浮かんでいた。
「そういえば、さっきから気になっていたんだけど。君、どこかで会ったことあるかな」
「いえ。そんなことありませんわ。初対面ですことよ」
笑いでごまかして逸らせようとする私の顔を、男はしつこくのぞき込んでこようとする。ほんと、こいつは遠慮というか、デリカシーがない。
「そうかなぁ。以前どこかで会ったような気がするんだがなぁ」
ああ、だめだ。このままじゃ素性を暴かれて、吐くまでフォアグラの刑だ。
観念しかけたとき、ようやく音楽が終わった。魂まで抜け出そうな安堵の息を吐いた私は、一方的にお辞儀をして、そそくさと美夜さんのいるところへと向かう。おしゃべり男など最初から存在しなかったかのように無視をして。ふつうこんな態度とられたら、察して遠慮しそうなものだけど、さすがと言うべきかこの男、空気をまったくよんでくれない。なおも私についてきて、しつこくさっきの話の続きをしようとする。
ああ、しつこい! ほんと、失礼な奴。美夜さんに追い払ってもらおうと思っていたけど、私からも一言言ってやろう。
「ちょっと待ってよ……」
「あの、申し訳ありませんが……」
私は立ち止まって回れ右をすると、正面から男と向き合った。今度は顔をそらすことなく彼を見据える。剥き出しの私ではなく、鞠華になったつもりで。彼女の威厳と誇りをまとって。
「レディの顔をしつこくのぞき込んだり、付きまとったりするのは失礼かと思います。私、他のお方との約束がございますので、どうぞ、お引き取りください」
一瞬、私は本当に自分が貴族になったんじゃないだろうかと思った。きっと今、私の背後には光でもさしているに違いない。そう思えてしまうほど目の前の男は眩しそうに目をすがめてたじろいでいた。
その時だった。私と男の間に見知らぬ別の紳士が割って入ったのは。
「どうか、私と一曲踊っていただけませんか」
ポマードで髪をなでつけたその紳士はそう言って、慇懃に腰を曲げた。
次の曲が始まる。戸惑う私の腰をとり、ワルツの三拍子にあわせて、ポマードの紳士はあっという間に舞台の真中へと私を連れ去った。
すごく上手だ。そのダンスの腕前に私は舌を巻く。私は何もしなくてよかった。何もしていなくても、まるで波に身を委ねているように、私の身体は勝手に彼のリードに合わせて縦横無尽に所狭しと舞台を舞った。
曲に合わせて私の気持ちも盛り上がってゆく。課題も忘れて弾んだ声で、私は紳士に語りかける。
「とても、お上手なのですね」
その時、紳士がニヤリと笑った。その口もとに見覚えがあるような気がして、それと同時に背中に寒気がはしる。なにかすごく嫌な予感がしたから。
「月ヶ谷鞠華さん」
彼ははっきりと、そう言った。
「あなたに、いろいろおたずねしたいことがあるのです」
私はとっさに腰を引いて逃れようとしたが、彼は腕に力を込めてそれを許さない。
「教えて下さい鞠華さん。あなたは本当に頼朝の子孫なのですか。それを証明するものはあるのですか」