第22話 母田持の使い

文字数 2,477文字

 異変に気がついたのは、藤棚を後にしてすぐのことだった。
 地面に敷き詰められた砂利を踏みしめる音が、腕を組んで歩く私たちの後ろから近づいてくる。ひとりのものではない。二人か三人。走っているようではないが、早歩きぐらいの結構なはやさだ。
 あの中折れ帽の不審者だろうか。
 何にも気づかぬ風を装って前を見ながら、私は必死に思考をめぐらせる。もう仕掛けてきたのか。こんな人のいるところで。どうしよう。後ろを振り向いて確認すべきか。しかしそれをしたら作戦は終わってしまう。もう、みんな配置についている……ということは、ここで襲われても誰も助けに来られないということだ。美夜さんは? 美夜さんは今どこにいるのだろう。彼女から何の通信もない。ということは、問題はないということか。ならば……。
「行こう。このまま進むんだ」
 私は意を決し、二階堂君の腕にかけた手に力を込める。その時だった。私たちの左右を黒い風のようなものが駆け抜けた。何事かと思うと同時に、黒いスーツを着た大柄な男に行く手をさえぎられ、私たちは足を止める。彼を避けようにも、背後にも左手にも同じような男が立ちふさがっていて、気がつくと三方囲まれる形となっていた。
「月ヶ谷鞠華様ですね」
 正面の男は丁寧な口調でそう言うと、右手に伸びる塀の切れ間へ私をいざなった。
「少し伺いたいことがあるのです。こんなことろでは何ですので、お庭でも散策しながら」


 源氏池の東側半分をめぐる牡丹庭園は、初夏と冬の二つの季節は散策路の脇に所狭しと牡丹の花が咲き乱れ、多くの人でにぎわう。しかし晩夏と言ってもいい今の季節は完全にシーズンオフで、今日は私たちのほかに庭園に憩う人の姿はなかった。
 初夏だったら日よけの和傘の下に咲く色とりどりの牡丹が綺麗なのだが、今は見事に緑の葉たちがその色で一帯を支配していた。頭上を浅緑の木の枝が覆い、石畳の小道と緑の株の点々とする花壇に木漏れ日が揺れる。緑に包まれた景色も好きだけど、藤棚から藤を抜いたような木組みの棚が小道の左右に所在なさげに連なっているのが、本来の主である花がそこにいないと思うと、なんだか廃墟めいて見えた。
 木の葉のさざめきが降るばかりのそんな人気のない小道を通り抜けて私たちが連れて行かれたのは、源氏池の真中の島へと通じる木橋の上だった。
 入り口に侵入を防ぐ簡易な柵があったのだが、彼らにはそれが見えなかったらしい。ヒョイとそれを乗り越えて、当然のように私と二階堂君も行くよう指示してきた。もちろん私は気がとがめたが、そもそも私たちには抵抗する術がない。
「さて、自己紹介がまだでしたね。私は九里と申します。母田持家に仕えている者です」
 私たちの前を歩いていた男は木橋の上で立ち止まると、振り返ってそう名乗った。そこからは蓮の花々の咲き乱れる池と庭園と対岸の八幡宮を見渡すことができる。薄桃色の可憐な花々に囲まれた橋の上は極楽はかくやという風情がある。しかし男たちに囲まれて逃げ場なくそこに立つ私の気持ちは、さながら地獄に向かう亡者のごとくだった。
 母田持。その名に私はめまいを覚える。なんで見合い相手がこんな連中を事前に送り込んでくるんだ。抜き打ちテストみたいで嫌なんですけど。おとなしく見合いの日まで待ってろよ。っていうか、美夜さんは母田持が調査員を送り込んでくるなんてありえない、って言ってなかったっけ。
 グチグチと文句を口の中でかみしめる私の様子がおかしかったのか、九里は白い歯を見せて薄笑いをした。この男、髪は七三に分けているが、顔は良く日に焼けていて、そのガタイの良さからもスポーツマンのオーラがにじみ出ている。あとの二人は名乗る様子はない。この日焼け男が指揮官のようだ。ところで中折れ帽のよれよれグレースーツの姿はどこにもない。あいつとこの連中は関係なかったのだろうか。あるいはあいつもただの囮だったりして。
「我々が知りたいことはただひとつ。月ヶ谷さん。あなたは、本物ですか」
 日焼け七三男は唐突にその台詞を口にした。まるで「今日はサーフィン日和だね」とでも言うかのような気軽さで。しかし私にはハンマーで後頭部を殴られるくらいに痛いセリフだ。
 どうして? どうしてこいつはこんな質問をするの? こいつらは一体何を知っているの?
 私の全身がネコに睨まれたネズミみたいに硬直した。鼓動が急激にはやくなり、息が苦しくなる。背中と首筋に汗がにじむ。はやく返答しなくてはならない。「そんなの決まってるじゃん。私は本物の月ヶ谷鞠華だよ」と、そう言ってあげなければならない。それなのに、息がうまく吸えなくて、言葉が出せない。
 動揺を隠せない私の代わりに口を開いたのは二階堂君だった。
「何と無礼な。こちらにおわすは、まぎれもなき第四十四代鎌倉殿、月ヶ谷鞠華様だぞ」
「うるさい。召使いは黙ってろ」
 後ろの男のひとりが二階堂君の肩に手をかけようとする。しかし九里が手で合図をすると男はすぐに彼から離れた。
「驚かせてしまってすみません。私どもが知りたいのは、つまりこういうことなのです。月ヶ谷家という家柄が、本当に存在するものなのか。頼朝の血をひく子孫が、本当に」
 気持ちはわからないでもない。私だって、初めて美夜さんからその話をきかされた時は信じられなかった。しかし現に月ヶ谷家があるんだし、鞠華という人間も存在するのだからしょうがない。見合いすると決めておいて今さらなんだと言いたい。ついでに、私が二階堂君とイチャイチャしていたことは不問かよ、とも。こちらについては突っ込まれない方がありがたいが。
 だいたい、こんな歴史の古い血筋を疑いだしたらきりがないよ。鞠華本人だってきっと証明するのは難しいんじゃないだろうか。それをこんなところで、いったい私に何をしろって言うんだい。
「なに。難しいことをお願いするわけではないので、ご安心ください。私どもがお聞きしたいのはひとつだけです」
 男は私の心の内を見透かすかのようにそう言って、ジャケットの内ポケットから一枚の写真を取り出した。
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