第34話 見合い本番

文字数 4,386文字

「いよいよだね」
 そうつぶやいた私の目の前には、夜空を突き刺すようにバカでかいビルがそびえている。母田持タワーと呼ばれている、母田持財閥の日本における拠点だ。そしていよいよ今夜行われるお見合いの会場でもある。
 敷地に広がる庭園から流れくる秋の虫の鳴き声が、にぎやかに私の体をつつんで、足がすくわれるような感じがする。よく晴れた濃紺の空にはまん丸いお月さまが冴えざえと照り、飛行船のように漂う雲の塊を不思議な立体感で浮き上がらせていた。
「さあ、いきましょうか」
 ガチガチに固まった私の肩に手をかけてくれたのは、美夜さんだ。その感触と共に、月ヶ谷家に来てから今日までの日々を、ついつい思い出してしまう。彼女からは随分怒られた。木製定規の容赦ない攻撃。木刀を使った姿勢の矯正。丁の字の並ぶ、最低評価の通知表。罵られたことは数しれず。しかし、いつも側にいて、見守ってくれていた。デート作戦のときも、囮作戦のときも、宮様御用邸での舞踏会のときも。まあ、監視かもしれないけど。けれども、いろんな行動をともにしてきて、今、思う。美夜さんの手のこの感触は、力強さだけでなく、温かさ、そして優しさを秘めている。いつもはただただおっかないけど、こんなときに側にいてくれると、こんなにも頼もしい人はいない。
「うん。いこう」
 私は彼女の手の上に自分の手を重ねると、ひとつ強くうなずいて足を踏み出した。


 私が提案した作戦というのは、こうだ。
 まずチームを二つに分ける。母田持と見合いを行う、私と美夜さんを中心としたチームAと、木箱を運び出す、二階堂君と藤原さんを中心としたチームB。私は予定通り母田持と見合いをする。母田持の気がこちらに向いているその間に、二階堂君たちチームBが母田持タワーの地下にある宝物庫へと行き、木箱を運び出す。それだとただの泥棒になってしまうので、木箱が無事にこちらの手に渡ったところで、その知らせを受けた私たちチームAが母田持に譲渡を迫る。
 勿論婚約も結婚もしない。全ては木箱を月ヶ谷家の元に戻すための作戦だ。木箱をこちらの手の内に置いたうえで、逃げ場のない見合い会場で有無を言わさず母田持に返還を認めさせる。そのための囮を私がつとめる。作戦成功のカギを握る最重要任務。身代わりとして最高の晴れ舞台だ。


 お見合いの会場になっているのは、ビルの最上階。二十三階にあるレストランだった。鏡張りのエレベーターから降りると、赤い絨毯の静かなフロアの向こうにそのレストランのスペースがひろがっていた。たぶん、お見合いのための特別仕様なのだろう。藤棚みたいなシャンデリアの下にはテーブルが一つだけしか置かれていない。レストランの奥は一面のガラス張りで、漆黒の闇に横浜の夜景が一面に浮かび上がり、その幻想的な風景に私は一瞬見とれた。
 母田持の姿はまだない。私は案内にしたがいシャンデリアの下のテーブルにつき、美夜さんは私から離れて入り口の脇に控える。純白のテーブルクロスの上におかれたナプキンと鈍く光るフォークとナイフをみやりながら、相手が来るのをじっと待つ。隅で直立不動のスタッフさんたちと私と美夜さん以外は誰もいない、物音ひとつたたない静寂のホール。まるで廃墟みたいだな。こんな風にじっとしていると、自分の心臓の音が聞こえるようだ。ちょっと鼓動がはやい。緊張してるな私。それはそうだ。だって、全ては今日のこの日のためだったのだから。
 私の緊張の時間はかなり長く続いた。予定の時刻になっても母田持はやってこなかった。十分……二十分……。三十分たって、よもや予定の日時を間違えたのではと思い始めた頃、ようやく騒々しい足音がレストランの中に入ってきた。
「あんたが月ヶ谷さんね。俺が母田持だ。ああ、挨拶は結構。さっさとはじめよう」
 立ち上がって頭を下げた私にろくに挨拶もせず、彼はせわしない動作で椅子に座った。後ろを振り向きながら手をあげ、「おい。早くしろ!」とスタッフさんたちに声をかける。お前が遅れてきたんだろうが。っていうか、遅れてきたことに対する詫びは何もなし?
「今日は予定をあわせていただき、ありがとうございました。お忙しいのに、すみません」
 胸に不快感の火が灯るも、そんなことはおくびにも出さず、私はもう慣れっこになった作り笑いを浮かべて話しかけてあげる。今日は集大成なんだ。そう簡単に怒らないよ。まずは大人の分別ってもんをみせてやる。
「ん? ああ、寝てた」
 母田持の悪びれもしない返答に、はやくも自分の決意にヒビが入りそうになる。このやろう、月ヶ谷家当主を軽くみやがって。私のことじゃないし、こいつがこういう態度なのも予習済みだが、実際目の前にしてみるとイライラするな。しかし我慢だ。まだ、今は我慢しないと。


「え。お前は花なんか好きなの? なんだそれ。そんなもんみて何になるの」
「心がとても、なごみますわ」
「へっ。そんなの、一文の得にもならないじゃないか。時間の無駄だね。第一心なごませてどうすんの?」
「うまく言えませんが、生きていくなかで必要なことのひとつなのではないでしょうか」
「そんなもの、必要じゃないね。俺は花なんかみないし、そんなものがなくても大成功をおさめた。できないことは何もないし、手に入らないものもない。この人生が幸せでたまらない」
「しかし、花もいいものですよ」
 私の言葉に被せるように、大きな舌打ちの音が響く。ドンと大きな音がなり、テーブルがわずかに揺れた。
「うるせぇ。俺がくだらねぇって言ったら、くだらねえんだ」
 ちょうちんアンコウみたいに下唇をつきだして、額と眉間をシワだらけにして、ギョロリとした目で睨み付けてくる。食事が始まってどれだけたったのだろう。まだ、メインが出てきてないから、それほど長い時間でもないはずだ。その短い時間のなかでも、彼が舌打ちをするのはこれが四回目。テーブルを叩くのは三回目だ。どれだけ短気なんだこいつ。はじめはビックリして肩をすくませてしまったものだが、もうなれてしまった。ふんぞり返った威圧的な姿勢も。乱暴な言葉遣いも。相手を見下した、横柄なものの言い方も。それより、こんな下品なやつとの会食のためにこれまで血のにじむような苦労をして来たのかと思うと、なんだか悲しくなる。私たちの時間を返せと言いたい。
 いや、無駄でもなかった。美しい立ち居振舞いや言葉遣い、上品な話し方をしていると、なんだか心に余裕を感じる。自分じゃない何者かを演じているからだろうか。いや、きっとそれだけじゃない。これらのものを会得するために身に付けた呼吸が、私に常に平静を保たせているんだ。
 私は目の前におかれたメインディッシュに目を細め、感嘆の声を漏らす。母田持を讃えてやるように。
「わあ。おいしそうなお肉ですこと」
「そうだろ。フランス産の最高級の肉だ。俺はこんなの毎日食える。金が腐るほどあるからな」
 得意気に鼻をならしてその一切れを口にいれた母田持は、それをクチャクチャと噛みながら話を続けた。
「俺は裸一貫からここまでのしあがった。今はなんだって手に入れられるんだ。高級な食い物も、女も」
 そしてまだ噛んでいる途中だったらしい肉の塊を飲み込む。なんだか私をみて生唾飲み込んだみたいで気持ち悪いんだけど、もちろんそれは言わないでおいてやる。
「いろんな女と寝たなあ。もちろん、ただの女じゃない。有名なモデルや女優たちだ。でもな。俺は満足しなかった。どいつもこいつも、服を脱いでしまえばただの女だからだ。そして俺は気づいたんだ。大事なのは目に見えるものじゃない」
 なんだかまともそうなことを言い始めたぞ、と思っていたら、奴は舌なめずりをしながら、舐め回すように視線を私の上半身に這わせた。
「家柄だよ。血筋だ。どんなに頑張ろうが金を稼ごうがどうしようもないもの。それは自分のなかに流れる血だ。俺は思った。自分の血は変えようがないが、高貴な女と結婚すればそれと同等に近い満足を得られるのではないかと。高貴な。大昔から続くとびきり高貴な由緒のある家の女を妻とすれば。もちろん美人であることは最低条件だ。そんな女を所有することが、今の俺の望みなのだと、気づいたんだ」
 私の背筋に悪寒がはしる。まずい、そろそろ限界かも。手が震え始めてきてフォークとナイフがうまく扱えない。あまり口をつけずに下げられたメインディッシュの皿を目で追いながら、私は自分に言い聞かせる。あと少し。あと少しの我慢だ。
 やがて、今日の最後の一皿が運ばれてきた。
「ん? なんだこりゃあ」
 母田持がすっとんきょうな声をあげる。デザートの皿に盛られていたのは、数個のマカロン。
「母田持さんのために、私が作りました。マカロンです。どうぞ召し上がってください。お口にあうとよろしいのですが」
 もちろん私がではなく、鞠華が焼いたマカロンだ。今日の朝早く起きて焼いてくれた。適当でいいよと言ったのに、彼女は心を込めて焼いてくれた。試食したらほっぺが落ちるほど美味しかった。正直こんな奴にはもったいない代物だ。
 そのマカロンのひとつを、母田持は不審物でも扱うようにつまみ上げ、顔を醜く歪めた。そして……
「いらねえよ。素人のつくった不味い菓子なんぞ。はやく本当のデザートを持ってこいよ」
 そう言って、床に放りなげた。
 ああ、終わったな。
 そのとき、私のなかでついに切れた。今まで保ってきた理性が、この男に対して抱いていたわずかな期待の糸とともに。信じたいと心のどこかで思っていた。どんなにひどい奴でも、人間である以上、どこかにいいところがあるはずと。良心があってほしいと。鞠華のために、そしてこの男のためにも思っていた。そうであれば、まだ、話し合いで解決することができたかもしれないのに。でも、やっぱり無理だった。この男との話し合いは無理だ。実力行使でなければ、手荒な手段を使わなければ、解決できない。
 そのとき、頃合いを見計らったようにホール入り口で待機していた美夜さんが手をあげて合図をよこした。
 地下の宝物庫に向かった二階堂君から連絡が入ったという合図だ。無事に木箱を持ち出すことができたという、連絡が。
 美夜さんに大きくうなずき返す私に、母田持がまた舌打ちを投げ掛ける。
「あ? 何やってんだ、てめえ」
 それに、私も舌打ちで返してやる。奴以上に大きくて威圧感のある一発を。そして憎悪の限りを込めて睨み付ける。美夜さんのそれのような、日本刀の刃のごとき鋭い目付きで。
「さっきからうるせぇんだよ。このクズが」
 久しぶりに吐いた汚い言葉は、思った以上にスムーズに出た。やっぱりこっちの方が性に合うのかな。胸から沸く笑いをこらえながらナイフをとって、そして私は、それを宙に放り投げた。
 さあ、戦争の開始だ!

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